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今月3度目の府中訪問を行った。<br /><br />前回、府中の散策を行い、廻り切れなかった為、残りの気になる所を見てきた。<br /><br />天気は良かったが、風が強く寒さは格別であった。<br /><br />前日の雪もまばらに残っていた。

東京都府中市 ふるきを訪ねて (2)

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2015/01/31 - 2015/01/31

372位(同エリア562件中)

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Wind99

Wind99さん

今月3度目の府中訪問を行った。

前回、府中の散策を行い、廻り切れなかった為、残りの気になる所を見てきた。

天気は良かったが、風が強く寒さは格別であった。

前日の雪もまばらに残っていた。

旅行の満足度
4.0

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  • 前回同様JR府中本町駅で降りる。<br /><br />今回は目の前の府中街道を北に向かい、甲州街道と鎌倉街道が交わる交差点に、江戸時代の高札場があるが、その向かいの中久本店 喫茶室「蔵」があり、その古風な建物に目がいった。<br /><br />創業1860年の暖簾がかかっていた。

    前回同様JR府中本町駅で降りる。

    今回は目の前の府中街道を北に向かい、甲州街道と鎌倉街道が交わる交差点に、江戸時代の高札場があるが、その向かいの中久本店 喫茶室「蔵」があり、その古風な建物に目がいった。

    創業1860年の暖簾がかかっていた。

  • その壁に「札の辻と問屋場跡」の案内があった。<br /><br />この辺りは辻の札、鍵屋の辻として栄えた。<br /><br />1859年府中宿本町に大火があり、その2年後この中久本店を防火用ととして再建したという。

    その壁に「札の辻と問屋場跡」の案内があった。

    この辺りは辻の札、鍵屋の辻として栄えた。

    1859年府中宿本町に大火があり、その2年後この中久本店を防火用ととして再建したという。

  • さらに北に進み、京王線と甲州街道を超え右折すると、桜通り広場公園があり、その一角に童々広場というのがある。<br /><br />童の銅像や蛙やハスの葉のオブジェがある。ちょっと不気味だ。

    さらに北に進み、京王線と甲州街道を超え右折すると、桜通り広場公園があり、その一角に童々広場というのがある。

    童の銅像や蛙やハスの葉のオブジェがある。ちょっと不気味だ。

  • 作者は、東京芸術大学で仏像の修復を学んだ人だそうだが、童の顔は、見覚えのある顔だ。<br /><br />そう、奈良のせんとくんの作者である。<br /><br />こちらの公園の製作が早いそうだが、顔はまさにせんとくんだ。<br /><br />

    作者は、東京芸術大学で仏像の修復を学んだ人だそうだが、童の顔は、見覚えのある顔だ。

    そう、奈良のせんとくんの作者である。

    こちらの公園の製作が早いそうだが、顔はまさにせんとくんだ。

  • 走り抜ける裸の童だが、後ろから見ると分かるが、顔はお面をかぶっている。

    走り抜ける裸の童だが、後ろから見ると分かるが、顔はお面をかぶっている。

  • 前回も来た、大國魂神社に続くケヤキ並木に出た。

    前回も来た、大國魂神社に続くケヤキ並木に出た。

  • 小川と噴水池とグランドがある大きな府中公園。

    小川と噴水池とグランドがある大きな府中公園。

  • 広場では大きなのぼりのようなものに、ペイントしていた。

    広場では大きなのぼりのようなものに、ペイントしていた。

  • 公園の西側で外に向かって、彫刻「木陰にて」(黒川晃彦)があった。<br /><br />なんとも楽しくなるような彫刻であったが、何故、道を隔てた住宅に向かっているのか。<br /><br />この彫刻の奏でる音楽は、公園に行き渡る用な位置に欲しかったような気がした。

    公園の西側で外に向かって、彫刻「木陰にて」(黒川晃彦)があった。

    なんとも楽しくなるような彫刻であったが、何故、道を隔てた住宅に向かっているのか。

    この彫刻の奏でる音楽は、公園に行き渡る用な位置に欲しかったような気がした。

  • さらに東に向かい、府中の森公園に来た。<br /><br />ここは旧米軍府中基地の跡地利用のため、さらに大きい。<br /><br />これこれ、この並木道が見たかった。<br /><br />あのTVドラマのごくせん(かなり古い)の登校シーンでよく出ていた風景だ。

    さらに東に向かい、府中の森公園に来た。

    ここは旧米軍府中基地の跡地利用のため、さらに大きい。

    これこれ、この並木道が見たかった。

    あのTVドラマのごくせん(かなり古い)の登校シーンでよく出ていた風景だ。

  • 府中の森公園北側に行くと、府中市美術館がある。

    府中の森公園北側に行くと、府中市美術館がある。

  • 企画展では、生誕100年 小山田二郎 をやっていた。<br /><br />その絵は色彩豊かであるが、おどろおどろしい異形の生き物が多く出てきて、忘れていたが、昔よく読んだ日野日出志の毒虫小僧を思い出した。

    企画展では、生誕100年 小山田二郎 をやっていた。

    その絵は色彩豊かであるが、おどろおどろしい異形の生き物が多く出てきて、忘れていたが、昔よく読んだ日野日出志の毒虫小僧を思い出した。

  • この風景、担任のヤンクミ(仲間 由紀恵)が出てきそうだ。

    この風景、担任のヤンクミ(仲間 由紀恵)が出てきそうだ。

  • ベストカップルを見つけた!<br /><br />森の中で語り合う二人。<br />

    ベストカップルを見つけた!

    森の中で語り合う二人。

  • 噴水を過ぎて、南側に行くと日本庭園、池があった。

    噴水を過ぎて、南側に行くと日本庭園、池があった。

  • そして梅園もあったが、梅はたった1本の木にだけ花が咲いていた。

    そして梅園もあったが、梅はたった1本の木にだけ花が咲いていた。

  • 公園を出ると、すぐ3つのホールがある府中の森芸術劇場に出る。<br /><br />ここから京王線東府中駅に行き、3つ目の中河原まで電車に乗った。

    公園を出ると、すぐ3つのホールがある府中の森芸術劇場に出る。

    ここから京王線東府中駅に行き、3つ目の中河原まで電車に乗った。

  • 駅前広場の隅に、庚申塔があった。<br /><br />庚申塔の社は通常西南西を向いているが、この庚申塔は真西を向く珍しいもの。

    駅前広場の隅に、庚申塔があった。

    庚申塔の社は通常西南西を向いているが、この庚申塔は真西を向く珍しいもの。

  • 西向庚申塔<br /><br />真西を向くのは、昔話しからくるいわれだそうだ。<br /><br />庚申塔の事は全く知らなかったが、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことで、江戸初期に流行し、道の交差している箇所や村落の入り口などに建てられた。<br /><br />明治時代には迷信として撤去されたという。

    西向庚申塔

    真西を向くのは、昔話しからくるいわれだそうだ。

    庚申塔の事は全く知らなかったが、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことで、江戸初期に流行し、道の交差している箇所や村落の入り口などに建てられた。

    明治時代には迷信として撤去されたという。

  • 住吉銀座なる看板を抜けて、鎌倉街道を歩いていく。

    住吉銀座なる看板を抜けて、鎌倉街道を歩いていく。

  • 新田川緑道に出ると、そこに分倍河原古戦場碑があった。<br /><br />鎌倉時代、北条泰家と新田義貞が争い,泰家が敗れた。<br /><br />義貞は勢いに乗って鎌倉へ攻め入り,鎌倉幕府を倒した歴史的な戦であった。<br />

    新田川緑道に出ると、そこに分倍河原古戦場碑があった。

    鎌倉時代、北条泰家と新田義貞が争い,泰家が敗れた。

    義貞は勢いに乗って鎌倉へ攻め入り,鎌倉幕府を倒した歴史的な戦であった。

  • 東京都指定旧跡。<br /><br />この戦いの前に、新田勢によって、武蔵国分寺は焼失されたという。<br /><br />1333年5月16日、この分倍河原の戦いに勝ち、22日には鎌倉を攻め、幕府を滅ぼした。<br />

    東京都指定旧跡。

    この戦いの前に、新田勢によって、武蔵国分寺は焼失されたという。

    1333年5月16日、この分倍河原の戦いに勝ち、22日には鎌倉を攻め、幕府を滅ぼした。

  • その古戦場碑は、新田川緑道にあり、市内とは思えない自然のきれいな景色。<br /><br />これもこの辺りからの湧水と思える。

    その古戦場碑は、新田川緑道にあり、市内とは思えない自然のきれいな景色。

    これもこの辺りからの湧水と思える。

  • さらに鎌倉街道を北へ向かい、光明院坂を登る。<br /><br />住宅地の中にあった高倉塚古墳。<br /><br />高さ2.5m、径22mの円墳である。6世紀後半の頃。<br /><br />この頃は家族的な小さな円墳が多いという。

    さらに鎌倉街道を北へ向かい、光明院坂を登る。

    住宅地の中にあった高倉塚古墳。

    高さ2.5m、径22mの円墳である。6世紀後半の頃。

    この頃は家族的な小さな円墳が多いという。

  • 府中崖線(ハケ)の斜面上に広がるこの周辺には、古墳が25基あり高倉古墳群と呼ばれている。ここはその中心だ。<br /><br />だいぶ日も暮れ、府中巡りはここまで。<br /><br />帰路は新田義貞の像がある分倍河原駅まで歩いた。<br />

    府中崖線(ハケ)の斜面上に広がるこの周辺には、古墳が25基あり高倉古墳群と呼ばれている。ここはその中心だ。

    だいぶ日も暮れ、府中巡りはここまで。

    帰路は新田義貞の像がある分倍河原駅まで歩いた。

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