2014/08/20 - 2014/08/20
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Weiwojingさん
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昨年8月友人たちと初めて富士山に登ってみた。四合目まで車で行き、その後車は規制されているためそれ以上登れないので、シャトルバスに乗り換えて五合目まで行って、そこから歩いて登った。
この日は天気が良く、絶好の登山日和であったが、登るにつれて空気が薄くなり、しかも気温が下がり始めた。さいわいにして薄手のヤッケを持参してていたので、それで寒さは防ぐことが出来た。
今回の富士登山は純粋に山登りを目指したものであるが、後日幕末期の英国公使 Sir Rutherford Alcock ( サー・ラザフォード・オールコツク ) が1860年9月(安政7)に富士山に登った記録を読みながら、その足跡も辿り、富士登山の記録をまとめてみた。彼は初めて富士山に登った外国人であった。
- 旅行の満足度
- 4.0
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須走( すばしり )ルートの出発点である四合目駐車場から見た富士山は、おなじみの白い雪を擁いておらず、一見富士山には見えなかった。
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五合目から山頂を目指して登ったが( もちろん頂上まで登るつもりななかった )、友人たちの意見では登れるところまで行こうという気持ちだったので、あまり無理はしなかった。
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五合目登り口にオールコックが幕末時の外国人として初めて富士登山をしたことを記念した碑が建っている。
イギリス初代領事サー・ラザフォード・オールコック( 1809〜1897 )が記した『大君の都』( 岩波書店刊 )を読むと、富士登山のことが詳しく書かれている。
オールコツクは幕府に富士登山の許可を求める計画書を提出した。しかし、幕府は攘夷派による襲撃の危険を避けるために猛反対をしてきた。同年3月に井伊直弼が暗殺される「桜田門外の変」が起きていた。 -
記念碑にはオールコックの肖像が描かれたレリーフもあり、ここにこのようなものがあるのを今回初めて知った。
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レリーフの下には日本語と英語で 「1860年( 万延元年 )夏に外国人として初めて登った」 と書かれた説明がある。
ラザフォードは9月4日横浜を出発し、道中何日もかけて宿泊しながら富士山の山頂に登り、11日間掛けて熱海まで戻っている。 -
六合目を目指して登った。だんだん登るにつれて、眼下に1時間前に出てきた四合目の駐車場から続くバス道路が見えた。一般の乗用車は運行禁止なので、定期的に運行されているシャトルバスの姿だけが見える。
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この辺はまだ針葉樹林が多い。右下の方にシャトルバスの駐車場が見える。
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しばらく歩いていると、タンカに乗せられて下山する人の姿があった。怪我でもしたのか、あるいは体調不良なのか分からないが、とにかく安全に登るのが最優先である。
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しばらく歩いていくと、登山道の両側には沢山の花や植物が自生している。このあたりは六合目で、ちょうど山荘があり、ひと休みした。
ラザフォード一行はこの六合目の石室に泊まったと記録を残していて、護摩をたく煙で眠れず一晩中外にいたと書かれている。 -
六合目には2軒の山荘がある。「山荘菊屋」( 上の写真 )と「東富士山荘」( 下の写真 )だ。山荘菊屋には皇太子殿下が泊まられたことがあるそうだ。写真が店内に飾られている。
小生たちもしばし山莊菊屋で休憩した。 -
少し歩くと、ホタルブクロが咲いていた。この後この花が集団で咲いているところがあり、石ころの間から姿を見せるその生命力の強さには驚かされた。
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このような可憐な草花も見ることが出来る。
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六合目に登りかけた時、同行者の一人がもうこの辺で登るのはやめたいと言い出し、結局この先は行かないことになった。
そこで、六合目から分かれて宝永山へ向かう道があったので、ここは遠くもなく楽そうだったので行ってみることにした。宝永山 自然・景勝地
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宝永山に向かつてしばらく歩いていくと、今まで植物で覆われていた山肌が急に岩だらけの大地に変わり、すっかり山の風景が一変してしまった。わずかに丈の短い草が所々に生えているだけである。
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宝永山の方に来る登山者はあまり見られず、閑散としていた。
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20分も歩くとすっかり火山性の石や土ばかりとなり、大きな岩がごろごろあたり一面に転がっている。宝永山はかつては活火山だったのだろう。
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今までの風景とはすっかり変わり、荒涼とした山肌ばかりが見えるようになった。
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火山灰の砂だらけの場所があり、全然草が生えていない。
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宝永火山の説明板がある。
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この辺りがかつての火口だったのだろうか。
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急に視界が開けて、雲の間から樹海が見えてきた。
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「宝永第一火の縁」と書かれた立札がある。
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ラザフォードもこのような風景を目にしたに違いない。
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帰路はこのような風景を再度見ながら山を下りて行った。途中六合目の山莊で休憩をして、シャトルバスで戻った。バスに乗ってすぐ雨が降り出し、駐車場に着いた時は土砂降りの状態であった。今までのあの天気が一体何だったのだろうか。
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