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今日は、現地のバスツアーに参加します。<br /> (ツアーは昼食付きではなく、食事をとる時間も場所もないので、<br />  持参することをお勧めします)<br />行き先は、アウシュヴィッツ強制収容所。<br />行くかどうか、随分 迷いましたが...行って良かった!<br /><br />第2次世界大戦の真っ只中、ナチス・ドイツ軍の占領下において、約28ケ国 110万人以上 (推定) の人々が犠牲になった残虐な歴史を考えると、足がすくんでしまいますが、ここで実際に行われていた事実には変わりなく、命の尊さについて 改めて考えさせられました。<br />--------------------------------------------------------<br /><行程><br />■4/30(水) クラクフ滞在<br />    8:30 アンデルス ホテルで ピックアップ<br />    9:15 シェラトンホテル前駐車場にて、英語ガイドのバスに乗り換え、出発<br />    10:25 オシフィエンチム到着<br />         ・ 10:45〜12:45 アウシュヴィッツ第1強制収容所<br />         ・ 13:05〜14:30 アウシュヴィッツ第2強制収容所 <br />    15:45 クラクフ ヒルトンホテル着 <br />---------------------------------------------------------<br />全行程は、下記サイト参照<br />  &lt;http://4travel.jp/travelogue/10927182&gt; <br /><br />Cracow Tours <br />  &lt;http://www.cracowtours.pl/tours.html&gt;    

ポーランド(15)―負の遺産・アウシュヴィッツ博物館(第1強制収容所)へ

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2014/04/30 - 2014/04/30

156位(同エリア385件中)

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ノムチョアさん

今日は、現地のバスツアーに参加します。
 (ツアーは昼食付きではなく、食事をとる時間も場所もないので、
  持参することをお勧めします)
行き先は、アウシュヴィッツ強制収容所。
行くかどうか、随分 迷いましたが...行って良かった!

第2次世界大戦の真っ只中、ナチス・ドイツ軍の占領下において、約28ケ国 110万人以上 (推定) の人々が犠牲になった残虐な歴史を考えると、足がすくんでしまいますが、ここで実際に行われていた事実には変わりなく、命の尊さについて 改めて考えさせられました。
--------------------------------------------------------
<行程>
■4/30(水) クラクフ滞在
    8:30 アンデルス ホテルで ピックアップ
    9:15 シェラトンホテル前駐車場にて、英語ガイドのバスに乗り換え、出発
    10:25 オシフィエンチム到着
         ・ 10:45〜12:45 アウシュヴィッツ第1強制収容所
         ・ 13:05〜14:30 アウシュヴィッツ第2強制収容所
    15:45 クラクフ ヒルトンホテル着
---------------------------------------------------------
全行程は、下記サイト参照
  <http://4travel.jp/travelogue/10927182>

Cracow Tours
  <http://www.cracowtours.pl/tours.html>    

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
ANA

PR

  • クラクフのシェラトンホテル前駐車場から出発して、1時間10分。<br /><br />アウシュヴィッツ強制収容所のある町、オシフィエンチムに到着しました。<br />(オシフィエンチムは、ドイツ語で 「アウシュヴィッツ」 と言います)

    クラクフのシェラトンホテル前駐車場から出発して、1時間10分。

    アウシュヴィッツ強制収容所のある町、オシフィエンチムに到着しました。
    (オシフィエンチムは、ドイツ語で 「アウシュヴィッツ」 と言います)

  • ここは、第1強制収容所のインフォメーションセンターです。<br /><br />朝から、何台もの観光バスが到着し、多くの観光客で にぎわっています。<br />手続き中のガイドさんが来るまで、しばらく この前で待機します。

    ここは、第1強制収容所のインフォメーションセンターです。

    朝から、何台もの観光バスが到着し、多くの観光客で にぎわっています。
    手続き中のガイドさんが来るまで、しばらく この前で待機します。

  • 10:45頃、やっと 入場の順番がまわってきました。<br /><br />ヴィエリチカ岩塩採掘場の時と同じように、ガイドリーダーが渡され、指定されたチャンネルを合わせて、さあ出発!<br /><br />違うチャンネルに合わせると、何語?か わからない言葉の説明が入ってきます。 (*^^*)

    10:45頃、やっと 入場の順番がまわってきました。

    ヴィエリチカ岩塩採掘場の時と同じように、ガイドリーダーが渡され、指定されたチャンネルを合わせて、さあ出発!

    違うチャンネルに合わせると、何語?か わからない言葉の説明が入ってきます。 (*^^*)

  • まずは、この門を通っていきますが、ここに刻まれた文字が 特に有名で...

    まずは、この門を通っていきますが、ここに刻まれた文字が 特に有名で...

  • ポーランド語で 「ARBEIT MACHT FREI (働けば 自由になる)」 と書かれています。<br /><br />何とも皮肉な言葉ですが、最初の 「ARBEIT」 の 「B」 の文字が上下、さかさまになっていて、収容者たちの せめてもの “抵抗の証” を表す という説があるそうです。

    イチオシ

    ポーランド語で 「ARBEIT MACHT FREI (働けば 自由になる)」 と書かれています。

    何とも皮肉な言葉ですが、最初の 「ARBEIT」 の 「B」 の文字が上下、さかさまになっていて、収容者たちの せめてもの “抵抗の証” を表す という説があるそうです。

  • 同じレンガ造りの建物が 整然と並んでいます。<br /><br />それぞれ番号が付けられてあり、全部で28棟。<br />最大で 28,000人の人々が収容されていました。<br /><br />まずは、4号棟から入っていきます。

    同じレンガ造りの建物が 整然と並んでいます。

    それぞれ番号が付けられてあり、全部で28棟。
    最大で 28,000人の人々が収容されていました。

    まずは、4号棟から入っていきます。

  • この棟には、当時 撮影された写真他、貴重な資料が展示されています。<br /><br />壁には、一面、収容されていた人々の名前が 貼り出されていました。<br />写真もありましたが、それぞれ犯罪者や人種等を区別するマークがされています。

    この棟には、当時 撮影された写真他、貴重な資料が展示されています。

    壁には、一面、収容されていた人々の名前が 貼り出されていました。
    写真もありましたが、それぞれ犯罪者や人種等を区別するマークがされています。

  • この写真は、収容所に列車で到着した時の様子です。<br /><br />軍の指導者にしたがって、広い道路を埋めつくすほどの大勢の人々が整列しています。<br />(ここでまず、性別・老若等、選別させられたようです)<br /><br />奥に、ビルケナウにある死の門が写っています。

    この写真は、収容所に列車で到着した時の様子です。

    軍の指導者にしたがって、広い道路を埋めつくすほどの大勢の人々が整列しています。
    (ここでまず、性別・老若等、選別させられたようです)

    奥に、ビルケナウにある死の門が写っています。

  • 中には、こんな幼い子供たちまで。<br /><br />これから自分たちが どうなるのか、理解できたのでしょうか。

    中には、こんな幼い子供たちまで。

    これから自分たちが どうなるのか、理解できたのでしょうか。

  • これは、収容所の内部と 地下の様子を表した構造模型です。<br /><br />地下はガス室になっていて、多くの人々がひしめきあっている様子が伺えます。<br />何をされていたのか、想像ができます。

    これは、収容所の内部と 地下の様子を表した構造模型です。

    地下はガス室になっていて、多くの人々がひしめきあっている様子が伺えます。
    何をされていたのか、想像ができます。

  • 隣の模型から。<br /><br />こちらは、写真付きで 説明しています。

    隣の模型から。

    こちらは、写真付きで 説明しています。

  • これ、何だか わかりますか?<br /><br />殺虫剤として利用されていた劇薬 「チクロンB」 です。<br />

    イチオシ

    これ、何だか わかりますか?

    殺虫剤として利用されていた劇薬 「チクロンB」 です。

  • ドイツの製造会社から運ばれたもので、その納品書も 一緒に展示されていました。

    ドイツの製造会社から運ばれたもので、その納品書も 一緒に展示されていました。

  • このチクロンBを 殺人ガスとして使って、大量虐殺したのです。<br /><br />そのたくさんの空き缶が 展示されています。

    イチオシ

    このチクロンBを 殺人ガスとして使って、大量虐殺したのです。

    そのたくさんの空き缶が 展示されています。

  • これは、オシフィエンチムの町の航空写真です。<br /><br />中央に鉄道の線路があり、それを挟んで 上部 (西側) が ビルケナウ (アウシュビッツ第2強制収容所)、そして 下部 (東側) が ここ 第1強制収容所です。

    これは、オシフィエンチムの町の航空写真です。

    中央に鉄道の線路があり、それを挟んで 上部 (西側) が ビルケナウ (アウシュビッツ第2強制収容所)、そして 下部 (東側) が ここ 第1強制収容所です。

  • 次は、5号棟です。<br /><br />ここには、収容者たちから没収した品々が 展示されています。

    次は、5号棟です。

    ここには、収容者たちから没収した品々が 展示されています。

  • 一瞬、何? と 思いましたが、これは メガネの山です。<br /><br />他のガラスケースには、髪の毛まで 展示されていました。

    一瞬、何? と 思いましたが、これは メガネの山です。

    他のガラスケースには、髪の毛まで 展示されていました。

  • そして、ホーロー製の食器の数々。<br /><br />これで、食事をとっていたのでしょう。

    そして、ホーロー製の食器の数々。

    これで、食事をとっていたのでしょう。

  • これは、義足や義手、松葉杖など。<br /><br />...ということは、障害のある人たちも関係なく、収容されていたってこと?!<br />そう思うと、ゾッとします。

    これは、義足や義手、松葉杖など。

    ...ということは、障害のある人たちも関係なく、収容されていたってこと?!
    そう思うと、ゾッとします。

  • これは、籐カゴ や トランク。<br /><br />トランクの底には、名前のような文字が書かれていました。

    イチオシ

    これは、籐カゴ や トランク。

    トランクの底には、名前のような文字が書かれていました。

  • 小さな子供たちの可愛らしい服や靴。

    小さな子供たちの可愛らしい服や靴。

  • ブラシ類など、生活用品の数々です。<br /><br />ものすごい数です。

    ブラシ類など、生活用品の数々です。

    ものすごい数です。

  • うわぁ〜、何 コレ?!<br /><br />おびただしい数の靴の山。

    うわぁ〜、何 コレ?!

    おびただしい数の靴の山。

  • どの展示品も このような大きなガラスケースの中に、大量に納められています。<br /><br />寒気がする思いです。

    どの展示品も このような大きなガラスケースの中に、大量に納められています。

    寒気がする思いです。

  • 今度は、7号棟に入ります。<br /><br />ここでは、収容者たちの部屋を再現しています。

    今度は、7号棟に入ります。

    ここでは、収容者たちの部屋を再現しています。

  • コンクリートの床に、布団が 隙間なく、ひき詰められています。<br /><br />壁には、当時の様子を表す写真が 掲げられていました。

    コンクリートの床に、布団が 隙間なく、ひき詰められています。

    壁には、当時の様子を表す写真が 掲げられていました。

  • この部屋の床には、布団ではなく、藁が。

    この部屋の床には、布団ではなく、藁が。

  • 3段式のベットルームもありました。

    3段式のベットルームもありました。

  • ここは、トイレ。

    ここは、トイレ。

  • ここは、何だろ?<br />洗面台のようです。

    ここは、何だろ?
    洗面台のようです。

  • この部屋は個室で、しかも 綺麗な部屋です。<br /><br />軍の指導者の部屋かな。<br />

    この部屋は個室で、しかも 綺麗な部屋です。

    軍の指導者の部屋かな。

  • さて 次に向かったところは...<br /><br />1枚の壁を介して、人がたくさん集まっているところがあります。

    さて 次に向かったところは...

    1枚の壁を介して、人がたくさん集まっているところがあります。

  • 10号棟と11号棟の間にある この壁の奥は、収容所内の刑務所だったところ。<br /><br />

    10号棟と11号棟の間にある この壁の奥は、収容所内の刑務所だったところ。

  • 入口から見えるのは、 「死の壁」 と言われる 処刑場です。

    入口から見えるのは、 「死の壁」 と言われる 処刑場です。

  • 壁の前には、献花が絶えず供えられていて、無残にも命を絶たれてしまった死者たちの冥福を祈っています。

    壁の前には、献花が絶えず供えられていて、無残にも命を絶たれてしまった死者たちの冥福を祈っています。

  • この壁の前で、数千人にもおよぶ人々が 銃殺刑に処せられました。<br /><br />その際、10号棟の収容者たちが見ないように、窓には木の壁が取り付けられています。<br />

    この壁の前で、数千人にもおよぶ人々が 銃殺刑に処せられました。

    その際、10号棟の収容者たちが見ないように、窓には木の壁が取り付けられています。

  • また 10号棟の壁の前には、絞首台もありました。

    また 10号棟の壁の前には、絞首台もありました。

  • そして 地面には、ところどころ コンクリートで固めた台のようなものがありますが、鞭打ち台のようです。<br /><br />写真右側の11号棟では、戦前の長崎で布教活動していたコルペ神父も 餓死刑を言い渡された者の身代わりとなって 命を落としました。

    そして 地面には、ところどころ コンクリートで固めた台のようなものがありますが、鞭打ち台のようです。

    写真右側の11号棟では、戦前の長崎で布教活動していたコルペ神父も 餓死刑を言い渡された者の身代わりとなって 命を落としました。

  • 最後に、27号棟に入りました。<br />(多くの観光客が訪れているので、グループによって 見学する棟が異なるようです)<br /><br />ここでは、収容者たちの母国に関する展示で、写真や絵が展示されていました。

    最後に、27号棟に入りました。
    (多くの観光客が訪れているので、グループによって 見学する棟が異なるようです)

    ここでは、収容者たちの母国に関する展示で、写真や絵が展示されていました。

  • 子供が描いたと思われる絵です。<br /><br />列車で到着した人々が 銃を持った軍人におびえる様子が 伝わってきます。

    子供が描いたと思われる絵です。

    列車で到着した人々が 銃を持った軍人におびえる様子が 伝わってきます。

  • 27号棟を出てから、門の方向に向かう途中にあった 集団攻首台 (復元) です。<br /><br />点呼広場と呼ばれていたそうで、収容者の数を確認していた場所です。

    27号棟を出てから、門の方向に向かう途中にあった 集団攻首台 (復元) です。

    点呼広場と呼ばれていたそうで、収容者の数を確認していた場所です。

  • そして、その先には 食堂がありました。<br /><br />絞首台の近くにあるなんて...(^^;)

    そして、その先には 食堂がありました。

    絞首台の近くにあるなんて...(^^;)

  • さらに真っ直ぐ歩いていくと、やがて 見張り台のようなものが見えてきました。

    さらに真っ直ぐ歩いていくと、やがて 見張り台のようなものが見えてきました。

  • 近づいてみると、ドクロのマーク?!<br /><br />

    イチオシ

    近づいてみると、ドクロのマーク?!

  • それもそのはず。<br /><br />脱走を防ぐため、収容所の周りには二重に有刺鉄線が設置されています。<br />220ボルトの高圧電流が流されていたそうです。<br />

    それもそのはず。

    脱走を防ぐため、収容所の周りには二重に有刺鉄線が設置されています。
    220ボルトの高圧電流が流されていたそうです。

  • さて その有刺鉄線を越えると、目の前に絞首台がありました。<br /><br />1947年4月、ここで 強制収容所の元所長が処刑されたそうです。

    さて その有刺鉄線を越えると、目の前に絞首台がありました。

    1947年4月、ここで 強制収容所の元所長が処刑されたそうです。

  • そして 左に目をやると、煙突らしい建物が見えました。

    そして 左に目をやると、煙突らしい建物が見えました。

  • ここは、焼却炉・ガス室です。

    ここは、焼却炉・ガス室です。

  • 今は、2台の焼却炉が残されていますが、かつては3台あり、1日に340人もの遺体が焼かれていたそうです。

    今は、2台の焼却炉が残されていますが、かつては3台あり、1日に340人もの遺体が焼かれていたそうです。

  • この部屋は当初、遺体置場でしたが、のちに大量虐殺のガス室と化してしまったところです。<br /><br />天井に開けられた穴から、劇薬のチクロンBを投下したという。<br />何とも むごい光景が頭をよぎります。

    この部屋は当初、遺体置場でしたが、のちに大量虐殺のガス室と化してしまったところです。

    天井に開けられた穴から、劇薬のチクロンBを投下したという。
    何とも むごい光景が頭をよぎります。

  • ちょうど 2時間のガイドツアーが終了しました。<br /><br />インフォメーションセンターに戻り、バスに乗るまで 約10分間のフリータイムです。<br />(この間、立ちながら パンなどのスナックを頬ばる人がほとんどです。 (*^^*) )<br /><br />再びバスに乗り込み、すぐ近くの第2強制収容所 (ビルケナウ) に向かいます。<br />

    ちょうど 2時間のガイドツアーが終了しました。

    インフォメーションセンターに戻り、バスに乗るまで 約10分間のフリータイムです。
    (この間、立ちながら パンなどのスナックを頬ばる人がほとんどです。 (*^^*) )

    再びバスに乗り込み、すぐ近くの第2強制収容所 (ビルケナウ) に向かいます。

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