2014/10/11 - 2014/10/12
45位(同エリア200件中)
MILFLORESさん
- MILFLORESさんTOP
- 旅行記352冊
- クチコミ194件
- Q&A回答161件
- 1,688,767アクセス
- フォロワー116人
世界史に名を刻むスペイン女性、カスティージャ女王イサベル1世 Isabel I de Castilla (1451-1504)に所縁ある地を訪れるシリーズ旅行記 『イサベル1世の足跡を追って』。
トルデシージャスのパラドールに泊まった週末、トルデシージャスへの往路と翌日帰路、イサベル女王と関連深い土地 Medina del Campo メディナ デル カンポに寄りました。
(トルデシージャスのパラドール → http://4travel.jp/travelogue/10945739)
メディナ デル カンポは国道A6上にあり、国道からも良く見える大きな城があります。町中には、トラスタマラ家の王宮もあります。
イサベル1世の生誕地マドリガルや、幼少を過ごした地アレバロから近く、カスティージャの地の中央に位置するため、生前から何度もイサベルはこの町を訪れています。当時は移動制だった議会が、幾度か開かれた場所でもあります。
トルデシージャス条約の協定が全権代表によって進められている間も、夫フェルナンドと共に、メディナ デル カンポに滞在していました。
ですが、メディナ デル カンポはイサベル女王が遺書をしたため、崩御した地として知られています。イサベルは1504年11月26日、メディナ デル カンポの王宮で死去します。53歳でした。文献に書きとめられている女王の晩年の症状などから、死因は子宮癌だったと考えられています。
************************************************************************
『イサベル1世の足跡を追って』 目次
-1- 生誕地 マドリガル デ ラス アルタス トレス http://4travel.jp/travelogue/10824902
-2- 幼少期を過ごした地 アレバロ http://4travel.jp/travelogue/10827620
-3- 戴冠した地 セゴビア http://4travel.jp/travelogue/10839589
-4- 新世界分割方法を定める条約が結ばれた地 トルデシージャス
http://4travel.jp/travelogue/10946410
-5- 遺書をしたため 崩御した地 メディナ デル カンポ
http://4travel.jp/travelogue/10962359
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イサベルの最後を看取った町の中心地にある女王の像。
-
崩御500周年の2004年に設置されました。
-
前が工事中で囲われていますが、奥の建物が町役場です。
-
町役場に続くこの建物が王宮です。現在は Palacio Testamentario(遺書の宮)と呼ばれています。元々あったのは14世紀建設、ムデハル様式の宮殿でした。トラスタマラ王朝の歴代カスティージャ王家は頻繁にメディナに訪れたため、滞在する宮殿を必要とし建設されました。15世紀、イサベルとフェルナンドの時代に増築改築されましたが、その後は利用されなかったために時と共に崩壊していきました。
-
ここでイサベルが亡くなったことを記すタイル絵が、門を入った所にあります。
-
「Reina de Castilla y Madre de España」 カスティージャ女王 スペインの母
と書かれています。
イサベルとフェルナンドの婚姻によってカスティージャ・アラゴン連合王国が誕生。両王の死後、両王国の女王となった次女フアナ、及びフアナの長男カルロスによって、「スペイン王国」が誕生したと言えます。 -
王宮 入り口パティオ
-
現在は、イサベル女王の遺書と死に関する展示がされている博物館となっています。
-
ビデオを放映していた部屋にあった、可愛らしいイサベル。
-
バジャドリッド県全域は、上質なワインの産地として知られていますが、イサベルの時代からワインは作られていました。当時の宮廷では、特別な晩餐でよく飲まれていたそうです。
-
若き日のイサベルの肖像画。
-
こんな、昔のトイレもありました。 (夫撮影)
-
イサベルと関連深いコロンブスに関するビデオが放映されていた部屋。コロンブスの栄光は3度目の航海で泡と消えます。新大陸におけるインディアンの殺戮と植民者の反乱の責任を問われて、カスティージャ王国に連れ戻されます。全ての地位を剥奪され、コロンブスに信頼を寄せていたイサベル女王の死後は、スペイン王家からは一切無視されてしまいます。
-
夫が発見しました。エレベーターの表示が中世の騎士!
-
車椅子の騎士!
-
この絵はマドリードのプラド美術館にあります。右にイサベル、左にフェルナンドが跪いて、中央の聖母を拝んでいます。15世紀、作者不明の絵です。
-
この絵もプラド美術館にあります。ロマンティシズム派画家 Eduardo Rosales の
「Doña Isabel la Católica dictando su testamento(遺書を口述するイサベル女王)」
1864年作
この場面が、今いる王宮で起こったのです。弱々しく床に横たわる女王の脇に座っているのは、フェルナンド王。その横に立っている黒服の女性は、次女で王位を継ぐことになるフアナですが、史実では母の遺書口述及び死には立ち会っていません。遺書を書き留める公証人、そしてカトリック両王に身近な人々が右側にいます。 -
絵と同じように家具が置かれています。実際とは違ったでしょうが、想像を掻き立てられます。
イサベル女王の遺書は非常に長くて、王位相続について、自分の埋葬について、新大陸における福音について、政治的なことから、お付きの女官への報酬まで、詳細に渡っています。
カスティージャ王位は、長男フアン、長女イサベル、イサベルの息子ミゲルが既に死去していたために、次女のフアナが時期女王になります。ただし、フアナの長男カルロスが成人するまではフェルナンド王が摂政となることを指定します。
イサベルの遺骸は遺言通り、アルハンブラ宮殿内のサン フランシスコ修道院に質素に埋葬されました。この修道院は、レコンキスタ後にアルハンブラ内にカトリック両王の命により建設されたもので、現在パラドールとなっている建物です。後年、カテドラルの王室礼拝堂が建設され、イサベルはそちらに移されます。1516年に死去した夫フェルナンドは、再婚していたにも関わらず、ここにイサベルと共に埋葬されることを望みました。長女フアナ夫婦、そして初孫のミゲルもここに埋葬されています。 -
18世紀の貴族の館の外門が残っていて、中にはアパートが建っています。古い門をそのまま利用していて良いなぁと思いました。
-
Medina del Campoでは、15世紀からフェリア(市)が開かれていました。衣服、靴、革製品、銀製品、絹製品などが売られていました。この市は、時の流れと共に形を変えていったとは言え、その長い習慣から、メディナでは現在でも店々は日曜日も開いています。(木曜日が定休日)
-
Reales Carnicerias 王立肉屋
建設は16世紀ですが、この建物の建設を命じたのはカトリック両王でした。 -
カトリック両王の紋章が門に残っています。
-
現在でも市場として利用されています。肉屋のみではありませんが、ざっと見たところ、やはり肉屋が多いようでした。
-
中にあったバールで一杯立ち飲み。
タパス(サービスのつまみ)で出してくれたレンズ豆の煮込みが美味しかった。 -
イチオシ
町の端っこにあるモタ城 Castillo de la Mota
初日は、お腹が空いていて、トルデシージャスのパラドールに向かうことにしたので、外観の写真を撮りに寄っただけ。 -
14-15世紀にフアン2世(イサベルの父)によって建設開始。エンリケ4世(イサベルの異母兄)、そしてカトリック両王によって増築されました。
1504-1506年の間、チェーザレ ボルジアはこの城に収監されていました。 -
翌日、トルデシージャスからの帰路、普段は見られない場所に入れるガイドツアーが出る時間に間に合ったので、参加することにしました。
kukuxumuxu の牛Tシャツのモタ城版! 面白い〜 -
チケット売り場の真下には、先史時代の集落の遺跡が発掘されていて、そこから見学は始まりました。
-
12世紀の城壁跡も残っています。
-
モタ城は戦う城でした。堀にかかる橋はくの字型になっています。これは、敵に門を叩き壊されにくくするためでした。丸太を大勢で抱えてドーンドーンと門を打ち壊すのには、門の前にある程度の空間がないとできませんが、橋がくの字型だとその場所が十分にありません。
-
城前の駐車場に続く花壇の合間の通り道は、城の砲弾穴から伸びるラインになっています。
-
堀は、埋もれていたものを発掘し直しました。 (夫撮影)
-
門にはカトリック両王の紋章と、イサベルとフェルナンドを象徴するくびきと矢(yugo y flechas) があります。
-
今まで子供達に分かりやすいように時々クイズを混ぜて案内していたガイドさん。ここで、「はい、今度は大人の皆さんに質問です。この紋章、何かが足りないんだけど、分かりますか?」って。 即座に答えたのは日本人の私。 「グラナダ(ザクロ)!」 「その通り。つまり、この部分の建設はグラナダのレコンキスタ前にされました。」
夫に「いい子いい子」と頭ナデナデされました (笑)
カトリック両王は、1492年にグラナダ王国を落とすと、グラナダの象徴であるザクロを紋章の中央下部に取り入れます。(スペイン語でグラナダとはザクロのこと)
(夫撮影) -
ドンジョンに上がれるツアーもあるのですが、このツアーでは別の場所に入ります。
壁にボツボツと空いているレンガの隙間は、建設の際に足場を組んだ跡です。 -
城壁内から。ここから砲弾した。 (夫撮影)
-
イサベル女王が最後に次女フアナに会ったのはこの城ででした。
1502年5月、6ヶ月もかけて陸路ブラッセルから、フアナと夫のブルゴーニュ公フェリペ(フィリップ)美公は、カスティージャ王位の継承者としての宣誓をするためにカスティージャ王国入りしました。翌年にフェリペは母国に帰国。第4子を身ごもっていたフアナは、母イサベルの命によりカスティージャに留まります。夫を熱愛していたフアナは、夫とフランドルに残してきた上の子3人を懐かしがり、自分も帰りたがるのですが、母イサベルは、次期カスティージャ女王として王国のことを色々と娘に学んで欲しかったために、それを許しません。我儘な娘フアナをこのモタ城に隔離しました。最終的にはイサベルが折れて、1504年6月にこの城で娘と分かれます。同年11月にイサベルは死去しますので、それが母娘の今生の別れとなりました。 -
砲弾を受けた跡も見えます。
-
カスティージャのこの辺りには採石場がないため、建物はレンガ造りが多い。
また、レンガだと補修も簡単だった。 -
城の一部にある柵をガイドさんが開けて、そこから中に入ります。
-
こんな階段を降りていきます。 (夫撮影)
-
降りた所は地下ではありません。城壁の堀に面して、一周ぐるりと通路になっています。
-
ひとつひとつの窪みはこんな風になっていて、大砲が置かれました。
-
角の部分。中央にある蓋の下は、牢獄でした。
-
通路に光がさしている部分は通気孔というか、大砲を発射した後の粉塵を排出するための穴。
-
その排出孔を外から見たらこんな。(この格子の下がさっきいた通路)
モタ城には何度も来ていましたが、こんな造りになっているとは知りませんでした。 -
昔のモタ城の写真。上の写真、堀が埋まってしまっているのと、城壁とドンジョンは残っているけれども、城自体は崩壊してしまっているのが分かります。
-
城のパティオ。ここだけなら無料で入れます。この部分は修復されました。
-
どこかの教会のファサードのレプリカと言っていました。
-
中はモダンな礼拝堂。
-
城はカスティージャ イ レオン州の管轄下にあり、会議やセミナーに利用されています。
-
中庭からドンジョンを仰ぐ。 (夫撮影)
-
城壁のこういう所に上がりたいところだけれど、行けません。
-
Castillo de Mota モタ城、面白いですよ!
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
54