2014/10/11 - 2014/10/12
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MILFLORESさん
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世界史に名を刻むスペイン女性、カスティージャ女王イサベル1世 Isabel I de Castilla (1451-1504)に所縁ある地を訪れるシリーズ旅行記 『イサベル1世の足跡を追って』。
いきなりですが・・・
ほとんどがスペイン語圏の中南米ですが、何故ブラジルだけがポルトガル語なのでしょう?
もちろん言語は、元々どの国の植民地だったかによるわけですから、
質問を変えれば、何故ブラジルだけがポルトガル支配下にあったのか?
この起源となるのが、1494年6月7日、スペインとポルトガル間で結ばれた Tratado de Tordesillas トルデシージャス条約です。
話を少し戻しましょう。
コロンブスが、イサベルとフェルナンド(カトリック両王)の援助を受けて、西廻りでインド航海に出たのは 1492年8月。そして10月12日に、現バハマのGuanahani島(コロンブスによってサン サルバドル島と命名)に上陸。西洋人による新大陸発見となります。キューバ島やエスパニョーラ島(現ハイチ及びドミニカ共和国)もこの時に発見します。翌年1493年3月にコロンブスはスペインに帰還。4月にバルセロナでカトリック両王に謁見し、西廻り航海の成功を報告します。コロンブスは計4度の西廻り航海をしますが、死ぬまでインドに到着したと思い込んでいたと言います。
最初の航海の帰路、アゾレス諸島(ポルトガル領)にまずは到着、その後リスボンに寄った縁より、コロンブスはポルトガル王ジョアン2世にスペイン両王より先に謁見しています。
そこでコロンブスが何を報告したかは謎ですが、アフリカ西海岸開拓に力を入れていたポルトガルは、大西洋南部を航海して発見された新地はポルトガルに属すると主張します。(アルカソバス条約* により)
カトリック両王は、コロンブスは大西洋を西へ西へと航海したと主張。当時のローマ教皇アレクサンデル6世(スペイン バレンシア出身のロドリーゴ ボルジア)の母国への後押しも手伝い、トルデシージャス条約が批准されます。
そのトルデシージャス条約とは・・・
カーボ ベルデ諸島(ポルトガル領)の西370リーグ(1770km)の海上において子午線にそった線(西経46度37分)の東側の新領土がポルトガルに、西側がスペインに属することを定めました。
トルデシージャス条約が結ばれた時は、コロンブスの2回目の航海の途中で、未だ新地の全姿は見えていませんでしたし、インドに到着したと考えられていました。キリスト教の地でない新地、この先どれだけの富を授けてくれるか未知の新地を、当時航海競争をしていたスペインとポルトガルで、前以って山分けするための条約と言ってよいでしょう。
* アルカソバス条約とは、1479年にカスティージャ王国とポルトガル王国の間に結ばれた平和条約で、カスティージャ王の座をイサベルに決めると共に、カナリア諸島はスペイン、カーボ ベルデ、アゾレス諸島、マデイラ諸島、ギニアなどはポルトガルの領地と定めた。
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『イサベル1世の足跡を追って』 目次
-1- 生誕地 マドリガル デ ラス アルタス トレス http://4travel.jp/travelogue/10824902
-2- 幼少期を過ごした地 アレバロ http://4travel.jp/travelogue/10827620
-3- 戴冠した地 セゴビア http://4travel.jp/travelogue/10839589
-4- 新世界分割方法を定める条約が結ばれた地 トルデシージャス
http://4travel.jp/travelogue/10946410
-5- 遺書をしたため 崩御した地 メディナ デル カンポ
http://4travel.jp/travelogue/10962359
- 旅行の満足度
- 4.0
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トルデシージャスの町の外にあるパラドールから町へ向かう途中のロータリーから撮った町の姿。 (夫撮影)
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1日目夕方、この左側に車を停めて散策開始。
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トルデシージャス条約500周年記念の1994年に設置された記念碑。左側にスペイン側、右側にポルトガル側の王の名と、実際に条約を批准した全権代表者名が記されています。
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ドゥエロ河にかかる中世の橋。当時、イベリア半島北西部から中心へ移動する際には、トルデシージャスの町を通り、この橋を渡る必要がありました。
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ドゥエロ河はスペインのソリア県を水源とし、スペイン北西部を流れてポルトガルに入りドウロ河と名を変え、ポルトから大西洋に注ぎます。全長約900kmの河です。沿岸は、スペインでもポルトガルでもブドウ栽培に適した地で、ワイン製造と縁深い河です。 (夫撮影)
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16-17世紀建設のサン アントリン教会。中に博物館があるのですが、入らず。
この隣にある Casas del Tratado(条約が結ばれた宮殿)には、翌日行きます。 (夫撮影) -
日が暮れるまで、街散策しましょう。古い石造りの建物の外側を上手く残している家が多く見られました。
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イチオシ
この建物の門には、立派な紋章まで残っています。
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Real Convento de Santa Clara 王立サンタ クララ修道院
1340年建設、カスティージャ王アルフォンソ11世と息子のペドロ1世の王宮でした。トレドやセビージャからイスラムの大工を連れて来て、ムデハル様式に建てられました。1363年にペドロ1世は建物を娘の入った女子修道院に寄付。
この時はもう閉館していたので、翌朝見学するつもりでした。 -
門柵の隙間から中を覗く。 (夫撮影)
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修道院前にあった十字架。
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トルデシージャスには、出来の良い壁画があちこちに見られました。これは、カスティージャ王アルフォンソ11世(在位 1312-1350 )と息子のペドロ1世(在位 1350-1369)。
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古い館と思われる建物。 中は空っぽのようでした。
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プラサ マヨールに出ました。 正面は市役所。 (夫撮影)
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Iglesia de Santa Maria サンタ マリア教会(16-17世紀)
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扉が開いていたので、ちょっと失礼して中を覗かせてもらいました。
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教会、裏側
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ムデハル様式の建物の一部を残して新築の家の一部になっています。面白い。
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これも紋章付きで由緒ありそうな古い建物ですが、売りに出されています。
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こっち側にも紋章残っているし。
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でも、その下にはトルデシージャス条約を題材にした壁画が描かれていました。
右の絵には、スペインのカトリック両王とポルトガルのジョアン2世、コロンブスの最初の航海に出た3隻の船が描かれています。 -
左の絵は、なんとも的を得た風刺画。キリスト教伝道を建前に、新大陸を山分けしたスペイン(左)とポルトガル(右)を描いています。
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中は廃墟化した教会。
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暗くなってきたので、今晩の散策は終わり。パラドールに戻ります。
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翌朝日曜日に再度、トルデシージャス散策。 写真はサン アントリン教会です。
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教会前にあるこの像は、トルデシージャスに所以あるフアナ女王。イサベル1世の娘です。
イサベルとフェルナンド(カトリック両王)は、1男4女をもうけました。
ちょっと長くなりますが、両王がとった婚姻政策がすごいんで書き留めます。
長女イサベル(1470-1498)は、ポルトガル王ジョアン2世の息子アフォンソ王太子と結婚。しかし1年後に死別。後年、ジョアン2世の従弟で王位後継者となったマヌエル1世と再婚し、男児を出産後死亡。
次期カスティージャ王アラゴン王となるはずだった長男フアン(1478-1497)は、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の娘マルグリットと結婚。しかし結核で19歳の若さで死去。
三女マリアは、姉イサベルの死後、ポルトガルのマヌエル1世と結婚。次期ポルトガル王ジョアン3世を生みます。
四女カタリナは、イングランドのアーサー王太子と結婚。アーサーの死後、その弟ヘンリー8世と再婚し、王妃となるが後に離縁されます。次期イングランド女王メアリー1世の母です。
そして、この像の次女フアナは、マクシミリアン1世の長男フィリップ(兄嫁マルグリットの兄)と結婚。後に神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)となるのは長男。兄フアン、姉イサベル、甥(姉イサベルの息子)が既に世を去っていたため、母イサベル1世の死後、フアナ1世カスティージャ女王となる。フアナは夫フィリップが死去すると精神に異常をきたし、父王フェルナンドによってトルデシーリャスの今は存在しない城館に幽閉される。女王は政治の場から忘れ去られ「狂女(La Loca)」と呼ばれるようになる。父王が死去すると、今度は息子カルロスから引き続き幽閉を命じられる。悲劇の女王、それがフアナです。 -
Casas Palacio del Tratado (条約の家) 15世紀の貴族の館で、ここでトルデシージャス条約が調印されました。中には観光案内所が入ってい、条約に関する展示が無料で見学できます。
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コロンブスの1回目の航海の時の3隻、ニーニャ、ピンタ、サンタ マリアです。
詳しくは旅行記 『コロンブス新大陸発見の旅はここから始まった』 をご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/10368474 -
これは、コロンブスの想像していた世界。右がヨーロッパ、左がアジア。左上に Zipango (ジパンゴ)って読めます。アフリカ大陸に近い所に描かれている島々は、マデイラ諸島、カナリア諸島、カーボ ベルデ諸島など。
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コロンブスの1回目の航海によって、新地が発見されたけれども、その全景は未だに不明。おまけにアジアに着いたと思われていました。でも、今後発見される可能性の高い新地を領土と主張する権利を確保したくて、ポルトガル王ジョアン2世は西葡間の平和的条約の締結を急ぎます。
スペインとポルトガル両国それぞれが全権代表を立て、トルデシージャスで協議します。協議中、カトリック両王はトルデシージャスにいたものの、今はない城館に滞在してい、こちらの条約の家には来ませんでした。
条約の内容は、カーボ ベルデ諸島(ポルトガル領)の西370リーグ(1770km)の海上において子午線にそった線(西経46度37分)の東側の新領土がポルトガルに、西側がスペインに属する、というものでした。
まだ、大陸が発見されたとは分かっていなかったから、トルデシージャス条約の子午線は、大西洋のど真ん中に引かれた線に過ぎませんでした。 -
現在の地球儀の上にこの線を引いてみると・・・ こんな感じ。
そう、だからブラジルはポルトガル領になったのです! -
イチオシ
条約の複製。原本は2007年にスペインとポルトガルの共同申請で、ユネスコの記憶遺産に登録されました。調書はポルトガル語版とスペイン語版とあり、スペイン側に残されたポルトガル語版はセビージャのインディアス総合古文書館に貯蔵されています。
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トルデシージャス条約調印(1494年6月7日)の様子。両国の全権代表は1494年3月にはトルデシージャス入りしていました。協定中はポルトガル王ジョアン2世はポルトガルのセトゥーバルに残りましたが、カトリック両王は4月4日から5月8日までは近くのメディナ デル カンポに、5月8日から6月8日まではトルデシージャスに滞在し、協定を近くで見守りました。
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17世紀建設の新しい部分のパティオを通って、裏庭に出ます。
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そこには、付近の建物の模型が展示されていました。
これは、今いる Casas del Tratado です。 -
こちらは、今はなくなってしまったトルデシージャス城館(王宮)。カトリック両王がトルデシージャス条約協定中滞在した場所です。
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二人の次女、フアナが1509年から亡くなる1555年まで幽閉されていた場所でもあります。
フアナの死後は忘れ去られ、18世紀にカルロス3世により解体されました。 -
バジャドリッド県のシマンカスにある城、1540年からスペイン国立文書館が設置されている。
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レオンにある Casa Botines ボティネス邸、ガウディ設計。
本物の写真はこちら → http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=14381158 -
条約の家を見学後、昨晩閉まっていて入れなかった Real Convento de Santa Clara 王立サンタ クララ修道院に戻りました。
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ところが、今日は13時から教会でコンサートがあり、その準備で今は入れないと・・・
しかたない、外観だけ見ることにしました。 -
アーチに絡まっているのは葡萄。
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奥の扉を入ると、修道院菓子を売っていました。 (夫撮影)
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聖クララ修道会は、「Clarear」(晴れる)という言葉との語呂合わせから、昔から結婚式や洗礼式などにお天気に恵まれるように、村人が、これまた語呂合わせから卵(スペイン語で卵白のことをClaraという)を修道院に届けて祈りました。そこで、集まる卵を使ってお菓子作りに励んだクララ会がスペイン中にたくさんあります。 (夫撮影)
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ムデハル様式なので、アラブ風の部分が見られます。
「ムデハル」とは、中世スペインで改宗することなくキリスト教王国に定住しその支配に従ったイスラム教徒のことです。「ムデハル様式・建築」はそのイスラム(モーロ人)の影響を受けた11〜16世紀のスペインのキリスト教建築のこと。 -
こちら側も扉枠や窓枠がアラブ風です。
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コンサートのリハーサルで人が出入りしてはいたのですが、入らせてもらえなかった教会部分。
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イチオシ
教会からの眺め、悠々と流れるドゥエロ河。
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