2007/02/21 - 2007/02/21
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ThePrincessさん
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今日は初めて日帰り観光ツアーに参加する。
ミューというツアーにベネツィアから電話をしておいたので、テルミニ駅裏のホテル前に集合。
朝食が7時から始まるのだけど、オーナーが6:30から朝食ルームを開けてくれる。なんという心使い。こういうところはまた戻りたくなる。
たまたま今日のツアーは参加者が少なく、私達含めて4人。 ほかの2人はカップルだった。{大人数のツアーと違いガイドさんとの距離も近く、彼女の目もよく届き、こちらのわがままも十分すぎる位聞いてもらったと思う。改めて、感謝です。}
ママがどうしても行きたいと言っていた「ナポリ&ポンペイに行くのだ。
私はバスで行くと車酔いになるので、大分不安なスタートだったのだが、行きも帰りも全く問題なくとても楽しかった。
そしてナポリよりもポンペイの神秘に感激して帰ってきた。
今回行くまではポンペイにはさほど、というよりも全くというほど興味が無かった。
行かなくてもいい場所、寄らなくてもいい場所のひとつに上がっていたほど。
そんな自分が悲しい。
-
あんなに素晴らしい文明が栄えていた場所があり、いまだ解明されていない沢山の場所が隠れている。
卑弥呼の時代に、その地球の反対側では水洗トイレの元になる物がすでに生まれていた。実際には卑弥呼の方が160年ほどポンペイよりも早くなるそうだ。
遥かに進んでいたポンペイの文明。
円形劇場や公衆浴場、売春宿があり、区画(これは京都のようだった)まで整備されていた。
人と動物とで渡る道は別れており、初めてここの遺跡に入ったとき、タイムスリップをしたようで、歩けなかった。 -
【ポンペイ】
紀元62年2月5日、激しい地震がポンペイを襲った。これにより、ポンペイや他のカンパニア諸都市は大きな被害を受けた。町はすぐに以前より立派に再建されたが、その再建作業も完全に終わらない前の紀元79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、翌25日に完全に地中に埋まった。
当時の、唯一の信頼できる記録は、死亡した大プリニウスの甥の小プリニウスが歴史学者タキトゥスに宛てた手紙である。これによると、大プリニウスはヴェスヴィオ火山の山頂、火口付近から、松の木のような形の暗い雲を見た。
雲は山の斜面を急速に下り、海にまで雪崩れ込んだ。そして雲は火口から海までを覆った。小プリニウスが書いたこの現象は、現在では火砕流として知られる。これは、火山が噴火したときに、高温ガスや灰や岩石が雪崩れのように流れる現象である。プリニウスは、爆発時に地震を感じ、地面は非常に揺れた、と述べた。さらに、灰がどんどん積もり、彼がいた村から逃げなければならなかった。
プリニウスの次の記述は、太陽が爆発によって覆われてよく見えなかった、と続いている。大プリニウスはこの現象を調査するため、船で再び陸に向かったが、窒息して死んだ。
それからおよそ1650年
娼館に残っていた壁画壊滅後は二度と集落が作られることはなかったが、その後1000年以上「町」という地名で呼ばれ、散発的に古代の品が回収され、下に都市が埋まっていることは知られていた。
その後、ヘルクラネウム(現在のエルコラーノにあった)は1738年に、ポンペイは1748年に再発見された。これらの町は建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにされるために、この後断続的に発掘された。Fontana(フォンタナ)という建築家が、サルノ川沿いを掘っていた1599年に遺跡を見つけてから、150年が経過していた。
ポンペイで有名なのは、男女の交わりを描いた絵で、これらはフォルム(市民広場)や浴場や多くの家や別荘で、よい状態で保存され続けていた。
ポンペイは、その後の修正がいっさいなしで、建造物や街区が当時のままの唯一の町として知られている。後の歴史家たちは、その歴史家の生きた時代のローマが、古代ローマのものをそのまま伝えていると誤認していた。しかし、ポンペイは、最も純粋に古代ローマの伝統を守り、ほぼ直角に交差する直線の大通りによって規則的に区切られ、計画的に設計された町であった。通りの両側には家と店がある。建造物は石でできていた。
石膏で復元した遺体紀元79年の爆発のとき、逃げ遅れた人々は火山灰の中に埋もれて死んだ。後に発掘されたとき、遺体部分だけが腐ってなくなり、火山灰の中に空洞ができていた。考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどうポンペイ市民が死んだときの形を再現した。顔までは再現できなかったが、これらのうちのいくつかは、恐怖の表情がはっきり分かる。母親が子供を覆い隠し、火山灰から子供だけでも守ろうとした様子も、飼われていた犬がもだえ苦しむ様子も、生々しく再現された。
町は、1世紀の古代ローマ人たちの生きた生活の様子をそのまま伝える。焼いたままのパンや、テーブルに並べられたままの当時の食事と食器、コイン、クリーニング屋のような職業、貿易会社の存在、壁の落書きは、当時のラテン語をそのまま伝える。保存状態のよいフレスコ画は、当時の文化をそのまま伝える。ポンペイは確かに当時とても活気のある都市だった。
爆発時、町の人口は1万人弱で、ローマ人(ローマ市の住民)の別荘も多くあり、また、彼ら向けのサービスも多くあった。Macellum(大きな食物市場)、Pistrinum(製粉所)、Thermopolia(冷たいものや熱いものなどさまざまな飲料を提供したバー)、cauporioe(小さなレストラン)、円形劇場など。
2002年には、サルノ川河口で重要な発見がされた。ここにボートを浮かべ、ヴェネツィアのような船上生活をしていた人がいたことが判明したのである。これらの結果は続々と報告されつつある。
「市民全員が噴火で死亡し、唯一の生き残りの死刑囚がポンペイの町のことを語ったが、誰も信用しなかった。しかしそれは伝説として残り、発掘されることになった。」という逸話は都市伝説のようである(この逸話は1902年に、西インド諸島のフランス領マルティニーク島にあるプレー火山(フランス語の「山」をつけて「モンプレー」とも表記される)で起きた大噴火を下敷きにしていると思われる。この噴火では火砕流により麓のサンピエール市の住民約2万8千人がほぼ全滅し、生存者は警察の留置場に拘留されていた囚人2名(あるいは3名)のみであった)。 -
【昔の井戸】
ポンペイの人達が待ち合わせにしていたと言います。町の角ごとにあって、それぞれに顔だったり、色々なモチーフが付いていました。また、お金持ちの人の家には大理石で作られている井戸がありました。 -
【扉を挟む所】
この溝は玄関や横に移動するドアを(ガラガラ式)挟んでいたそうです。こんな時代から知恵を使っていたですね!! -
【お金持ちの家の玄関モザイク】
見てください、この美しいモザイク。ポンペイ文明は日本では飛鳥時代に当たると言われています。 -
【秘儀荘と同じ赤】
今回、目的としていた秘儀荘に行く事はできませんでしたが、秘儀荘の赤と同じような赤です。そしてこの赤い色は、現代では再現する事が不可能とまで言われています。 -
【医師の家】
家の壁に大蛇が描かれています。ポンペイ文明では医師の家を表す家には、このような絵が描かれていたそうです(一方で、こちらは娼婦の館という言われも) -
【娼婦の館】
娼婦の館になります。天井近くの壁には様々な妖艶な絵が。状態はとても良く、当時はここにはいるのに長く人が並んだとか。
中は個室が5室位あり、石のベッドがありました -
【パン屋さん】
この大きな石臼はパン屋さんの石臼です。
こんなに大きなウスを引いていたのです! 現代の技術で引いたりしてみたそうですが、当時は中に棒を通し、牛などに引かせていたのだろう、と言われています。 -
【お金持ちの家・蒼の家】
とても美しい絵の描かれた、裕福な家庭の家です。
こちらの家には井戸もありました。 -
【美しいモザイク】
ポンペイのモザイクの代表作です。 -
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【猛犬注意】
こちらのモザイクには「猛犬注意」と書かれています。
奥の犬の絵がそれとなくそうで可愛い。 -
【ポンペイで灰の下敷きになられた方】
こちら、本物です。
発掘作業の途中。 -
何を思って祈りを捧げているのでしょうか・・・。
時が止まった瞬間。
ここは一日いても足りないといわれる遺跡です。
次回はゆっくりとタイムスリップして、灰となって消えた人々の声に耳を傾けてみたいと重いました。 -
この後、カメオ工場へ
こちらの職人さんに女優、浅野ゆう子さんが実際にお目にかかったそうです。
手のひらを見せてくださいましたが、分厚い皮とたこだらけ。
「痛いんだよ」
と笑ってました。
そんな手で彫るカメオは、ギリシャ神話がお気に入りらしい。
ママが一つ買ってくれると言うので、それでは!と見てみる。
だけど気に入るのはカメオが大きすぎて、どうも私にはまだ早い。
お店の方が
「これはどう?」
と、小さいのを薦めて来るが芸術の域に入っている大作を一度目にすると、もう小さい物は・・・。
次に欲しくなった時のために取っておこう。 -
ナポリ観光
【卵城】
その昔に、ここに隠された卵が割れたらナポリは滅びるといわれた事が卵城と言われだした由来だとか。 -
そんなこんなで、ナポリ観光も終わり一向はローマへ。
途中寄ったレストランでガイドさんと少しおしゃべり。
イタリアにはもう、結婚もこちらで、6年もお住まいとか。
「ユーロになってから物価が上がって、なんにもかえないのよ。3倍にもなったの」
との事。どうりでリラの時よりも割高感を感じるはず。
私達のローマ以降の予定を話すと、まず、個人でアルベロベッロとマテーラに周る事に驚いていた。
お母さんを連れての二人旅なんて、羨ましいわ。とも。
個人で周るんじゃ随分御金掛かったでしょ、と聞かれたので、母と周る為、ホテルで送迎を用意してもらった旨伝える。
やはりガイドさんなどからすると、個人でそこまでやっているとちょっと驚きだったらしい?
夕方にはホテルに到着。
一日お世話になったガイドさんとのお別れはちょっぴり淋しかった。
さぁ、明日はついに御伽の国、アルベロベッロ! -
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