2011/10/12 - 2011/10/18
1397位(同エリア2302件中)
うどんこさん
砂蒸し風呂で有名な指宿。
知林ケ島を知ったことがキッカケで、行ってみたい!と思いました。
そして、特攻隊で知られる知覧。
B’zが主題歌を歌っていたことで「俺は、君のためにこそ死ににく」
という映画を観て、感銘を受けました。
そして、その舞台となった場所にぜひ行ってみたい!と。
知覧から車で30分程で行ける距離にあるので、どうせなら陸軍最後の特攻基地
「万世飛行場」跡に建てられた万世特攻平和祈念館も一緒に見てこよう!
と思って、行くことにしました。
喜界島は全く知らなかったのですが、たまたまTVで若い女の子が
特攻隊が沖縄に出撃に向かった際、給油のために立ち寄った喜界島で
兵士に送ったという特攻花の写真集を作ったというニュースを見たときに、
海がものすごく綺麗で、ついでに行ってしまおう!という安易な理由で
訪れることにしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- ANAグループ
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翌日は、知覧特攻平和会館に向かいました。
ほとんど車の走っていない一本道を走らせていると、灯篭がが見えてきました。
もうすぐだっ! -
この桜並木は、桜の開花時期に来たらものすごく綺麗なんだろうな〜。
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道には、所狭しと本当にたくさんの灯篭が立っています。
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灯篭には、特攻兵士がくっついていて・・・。
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特攻平和会館が開くまで、辺りを散策します。
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特攻勇士の像
右手は永遠の平和、左手には固い決意が秘められています。
開聞岳を見つめる眼は、生もなく、死もなく、すでに我もない隊員の
仏心を表しています。 -
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「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんの灯篭。
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当時の門柱が今も残っています。
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鳥濱トメさん顕賞の碑
『鳥濱トメの物語』
http://www.tomiyaryokan-chiran.jp/story/index.html -
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特攻平和観音に入ります。
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知覧町では、特攻勇士が身を以って示された崇高至純の殉国精神を顕彰し世界の
恒久平和を祈念するため、旧知覧飛行場跡に特攻平和観音堂を
昭和30年9月28日に建立し、観音像を安置しています。 -
この観音像は、大和法隆寺の夢殿に奉安してある秘仏「夢ちがい観音像」を
特別のお許しを受けて謹鋳した一尺八寸(54センチ)の金銅像で、当時の航
空総軍司令官河辺正三大将、第6航空軍司令官菅原道大中将のお二人が知覧に
是非お祀りしたいと持参されたのがこの観音像です。
この観音像の体内には特攻勇士の芳名を謹記した巻物が奉蔵されており、
毎年5月3日には知覧特攻基地戦没者慰霊祭が厳粛に挙行されています。 -
これだけの数の人が特攻に行ったのかと思うと・・・。
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特攻隊員の宿舎となっていた三角兵舎
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再現したものが特攻平和会館のすぐ横にあります。
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中には布団が敷かれ、当時使われていたヘルメットや、
飛行機の残骸がありました。 -
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映画「ホタル」の碑
潟県出身の宮川三郎軍曹(当時20才)は、出撃前夜、富屋食堂の店主
鳥濱トメさんに『ホタルになって会いにきます』と言って、
1945年6月6日に出撃しました。
その日の夜、食堂にホタルが入ってきて、トメさんや隊員たちを感激させたのです。
映画のタイトル『ホタル』は、この悲話に由来しています。 -
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母の像
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やすらかに
特攻隊の若い命は再び帰らず。
出撃の瞬間まで求めたであろう母の姿。
この晴姿をせめて母上に一目最後の別れと、お礼を一言。
胸を張り裂けそうな、その心情は、母もまた同じであったろう今ここに立つ母の姿
とこしえに母と共に安らかに
母の温かいみ胸で、御霊の安らかならんことと世界・平和を祈念して。 -
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一式戦闘機「隼」
「俺は、君のためにこそ死ににいく」で実際に使われたものを買い取って
ここで展示しています。 -
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慟哭、誓いの碑
この鎮魂慰霊、慟哭の中に、われら国を超え、
民族を超え、世界人類永遠の平和をここに誓う -
平和の鐘
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給水塔
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富屋食堂
軍の指定だったため、特攻隊員たちが訪れていた食堂。
特攻の母として慕われた鳥濱トメさんとともに暮らした娘・赤羽礼子さんの
証言により、当時の場所に再現されました。 -
続いて、万世特攻平和祈念館へ向かいます。
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当時の軍の機密は厳重を極め、この営門には武装した衛兵が24時間
立哨の任務についていました。
飛行場への出入りはすべてこの門からであり、万世基地から沖縄戦に
出撃突入した若き特攻隊員も、ここを通ったのです。 -
当時のまま残る営門。
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万世特攻慰霊碑 「よろずよに」
昭和19年(1944年)、太平洋戦争の戦局はとみに悪化し、すでに決定的段階を
迎えんとしていた。
ここ加世田市吹上浜の地に、戦勢転換の神機を期すべく地元民学徒ら軍民一致の
協力によって、本土防衛沖縄決戦の基地萬世飛行場が建設された。
昭和20年(1945年)3月28日より終戦に至るまで、陸軍特別攻撃隊振武体の諸隊、
飛行第66戦隊、飛行第55戦隊の若き勇士たちは、祖国護持の礎たらんと、
この地より雲表彼方へと飛び立った。
一機また一機と。征きて帰らざる者あまた。或いは空中に散華。
或いは自爆。壮絶にして悲絶。
その殉国の至誠は鬼神もこれに哭(こく)するであろう。
終戦以来幾星霜、ここに祖国は、その輝かしき復興をとげた。
われら生き残りたる者と心ある人々は、英霊の魂魄(こんぱく)を鎮め、
その偉勲を讃えんがために、ここにこれを建立する。
昭和47年(1972年)5月29日(碑文より) -
万世特攻平和祈念館
外観は、パイロットたちが生まれて初めて飛んだ憧れの練習機「赤とんぼ」の
複葉型を模し、大屋根は平和を祈る合掌をシンボル化したユニークな
「複葉合掌型」の形をしています。
平成5年(1993年)に開館。館内には、吹上浜から引き上げられた日本に
一機だけの「零式水上偵察機」や死を間近にした特攻隊員たちが肉親たちに
残したメッセージや「血書」、遺品・遺影などが多数展示されています。 -
零式水上偵察機
平成4年(1992年)に吹上浜より引き揚げられた日本でただ一機の
旧海軍の偵察機です。
2011年12月、日本航空協会の『重要航空遺産』に認定されました。 -
ここは周りに観光スポットがないため、本当にここを訪れたい人しか来ません。
今やツアーの観光コースとなっている知覧特攻平和会館と違って人がほとんど
いないため、ゆっくりと落ち着いて見学することができます。 -
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2階には、出撃した兵士の顔写真が多数飾られ、遺書や血書が残っていました。
2階の写真を1枚も撮っていないのは、撮影禁止だったのか、撮るものではないと
思ってやめたのか・・・思い出せません。 -
黒かつ亭で黒豚ひれカツサンドを買い、きかいフェリーで喜界島へ。
夕方鹿児島本港を出て船中泊し、翌朝5時頃喜界島に着きます。
フェリーの船室内(洋室)
2等料金+1,000円で洋室の女性専用室を選択できます。
船内にはレストラン、お風呂もあります。
寝てしまえばいいけど、12時間もフェリーに乗るっていうのは やっぱり大変だなぁ。(-"-)
他に誰もいなくて、部屋を独占できました。
<喜界島編>へ続く
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