サンレモ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。<br /><br />日程表<br />6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア<br />6月4日(水) ベネチア<br />6月5日(木) ベネチア<br />6月6日(金) ベネチア→フレンツェ<br />6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ<br />6月8日(日) フィレンツェ<br />6月9日(月) フィレンツェ<br />6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア<br />6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア<br />6月12日(木) ラスペチア→サンレモ<br />6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ<br />6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ<br />6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊<br />6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)<br />6月17日(火) 船中泊(Le Lot)<br />6月18日(水) 船中泊(Le Lot)<br />6月19日(木) 船中泊(Le Lot)<br />6月20日(金) 船中泊(Le Lot)<br />6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール<br />6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール<br />6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス<br />6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス<br />6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス<br />6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ<br />6月27日(金) バルセロナ<br />6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ<br />6月29日(日) バルセロナ<br />6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→<br />7月1日(火)  →羽田<br /><br />結局ドーリア家の城のあるドルチェアクアのことは聞かずじまいで、サンレモに戻ってきてしまいました。サンレモの旧市街が私を呼んでいたのも理由の一つです。<br /><br />えっ!あれだけヴェンティミッリィアで歩いたのにまだ〜?と言われるかもしれませんが、そうなんです。私はしつこいんです。昨日の感動再び!と言うわけで、飽きもせずにサンレモでも町歩き続行です。

イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その37 サンレモ(3)

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2014/06/13 - 2014/06/13

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junemay

junemayさん

 個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。

日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火)  →羽田

結局ドーリア家の城のあるドルチェアクアのことは聞かずじまいで、サンレモに戻ってきてしまいました。サンレモの旧市街が私を呼んでいたのも理由の一つです。

えっ!あれだけヴェンティミッリィアで歩いたのにまだ〜?と言われるかもしれませんが、そうなんです。私はしつこいんです。昨日の感動再び!と言うわけで、飽きもせずにサンレモでも町歩き続行です。

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • ヴェンティミッリィアからの帰りのバスを、サンレモの市街地に入る手前で降りました。ロシア正教寺院に寄っていこうと思ったからです。でもその前に食事をしなくっちゃ。もうお腹ペコペコです。

    ヴェンティミッリィアからの帰りのバスを、サンレモの市街地に入る手前で降りました。ロシア正教寺院に寄っていこうと思ったからです。でもその前に食事をしなくっちゃ。もうお腹ペコペコです。

  • Cafe Elenaというお店で一休み。がっついていたので、ランチの写真はとり損ねました。イタリア最後のデザートはやはりこれ!フレーヴァーの方は、相も変わらずコーヒーとビスタチオの組み合わせです。フィレンツェのCarabeに勝る店にはお目にかかりませんでしたが、こちらのお店のジェラートもなかなかなものでした。合格!

    Cafe Elenaというお店で一休み。がっついていたので、ランチの写真はとり損ねました。イタリア最後のデザートはやはりこれ!フレーヴァーの方は、相も変わらずコーヒーとビスタチオの組み合わせです。フィレンツェのCarabeに勝る店にはお目にかかりませんでしたが、こちらのお店のジェラートもなかなかなものでした。合格!

  • これ、2杯目のコーヒーです。すっかりくつろいでしまいました。小さなチョコがさりげなくついてきます。

    これ、2杯目のコーヒーです。すっかりくつろいでしまいました。小さなチョコがさりげなくついてきます。

  • Cafe Elenaから5分位歩くと、ロシア正教会に到着です。さっき、バスの中からこちらが見えたので、あわてて下りた次第です。<br /><br />1874年から75年にかけて、ロシア皇帝アレクサンドル2世の妻、マリア・アレクサンドロヴナがサンレモで冬を過ごしたのをきっかけに、冬にコードダジュールを旅行するロシア人が急増したと言われています。彼女は、滞在のお礼として、海岸沿いの遊歩道に今でも見ることの出来る椰子の苗木をサンレモ市に贈呈、市議会の方もその遊歩道に、女帝通りCorso Imperatriceと名づけて感謝の意を表しました。<br /><br />その後、サンレモには多くの、特に結核患者とその家族が冬を過ごすために訪れるようになり、町にはロシア風のパン屋、薬局、浴場などが見られるようになってきました。<br /><br />地元のロシア人コミュニティがこの地にロシア教会を建てるという計画は1890年代から出ていましたが、資金繰りがつかないまま年月がたっていきました。1912年になってロシア皇帝ニコライ2世がようやく承認。ロシア全土から寄付を募った結果、1913年末、まだ建物は一部しか完成していない状態でしたが、献堂式を行うことができました。完成の折には、カトリックの司教は宗教上の理由から出席できませんでしたが、プロテスタントや英国国教会の聖職者が出席し、共に奉献の儀式を祝ったとのことです。

    Cafe Elenaから5分位歩くと、ロシア正教会に到着です。さっき、バスの中からこちらが見えたので、あわてて下りた次第です。

    1874年から75年にかけて、ロシア皇帝アレクサンドル2世の妻、マリア・アレクサンドロヴナがサンレモで冬を過ごしたのをきっかけに、冬にコードダジュールを旅行するロシア人が急増したと言われています。彼女は、滞在のお礼として、海岸沿いの遊歩道に今でも見ることの出来る椰子の苗木をサンレモ市に贈呈、市議会の方もその遊歩道に、女帝通りCorso Imperatriceと名づけて感謝の意を表しました。

    その後、サンレモには多くの、特に結核患者とその家族が冬を過ごすために訪れるようになり、町にはロシア風のパン屋、薬局、浴場などが見られるようになってきました。

    地元のロシア人コミュニティがこの地にロシア教会を建てるという計画は1890年代から出ていましたが、資金繰りがつかないまま年月がたっていきました。1912年になってロシア皇帝ニコライ2世がようやく承認。ロシア全土から寄付を募った結果、1913年末、まだ建物は一部しか完成していない状態でしたが、献堂式を行うことができました。完成の折には、カトリックの司教は宗教上の理由から出席できませんでしたが、プロテスタントや英国国教会の聖職者が出席し、共に奉献の儀式を祝ったとのことです。

  • ロシア教会といえば葱坊主。聖ワシリー大聖堂ほどカラフルではありませんが、瓦の色がとても綺麗です。<br /><br />デザインは、モスクワのレーニン廟を設計した名建築家アレクセイ・シューセフによるものですって。

    ロシア教会といえば葱坊主。聖ワシリー大聖堂ほどカラフルではありませんが、瓦の色がとても綺麗です。

    デザインは、モスクワのレーニン廟を設計した名建築家アレクセイ・シューセフによるものですって。

  • 内部は残念ながら撮影禁止。入場無料でしたが、献金を求められました。外側が派手であるのに比して、中は割合簡素で、思ったよりも小さな聖堂だったと記憶しています。<br /><br />この建物、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックを見慣れた目には、とても新鮮に映りました。

    内部は残念ながら撮影禁止。入場無料でしたが、献金を求められました。外側が派手であるのに比して、中は割合簡素で、思ったよりも小さな聖堂だったと記憶しています。

    この建物、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックを見慣れた目には、とても新鮮に映りました。

  • ロシア正教会を出て、市営のカジノcasino municipaleの白い建物の前の坂を上って行きます。<br /><br />アール・デコ様式で、二つのドームが特徴的なこの建物は1905年にフランス人の建築家ユージン・フェールによって建てられました。ドレスコードが必要な場所もあるそうですが、1階のスロットマシーンのコーナーはカジュアル大歓迎らしいです。でも、1人カジノはねえ・・・1人ビュッフェとどっこいどっこいかしら???

    ロシア正教会を出て、市営のカジノcasino municipaleの白い建物の前の坂を上って行きます。

    アール・デコ様式で、二つのドームが特徴的なこの建物は1905年にフランス人の建築家ユージン・フェールによって建てられました。ドレスコードが必要な場所もあるそうですが、1階のスロットマシーンのコーナーはカジュアル大歓迎らしいです。でも、1人カジノはねえ・・・1人ビュッフェとどっこいどっこいかしら???

  • カジノの隣にある黄色い可愛いカプチーニ教会Chiesa dei Cappuccini前辺りで、民族衣装を着たアフリカの方々を大勢見かけました。この後、あっという間に男性ばかり30名近くが集まってきました。<br /><br />この教会をもう少し見ていたかったのですが、臆病な私は、ただ足早にこの場を去ることしか出来ませんでした。

    カジノの隣にある黄色い可愛いカプチーニ教会Chiesa dei Cappuccini前辺りで、民族衣装を着たアフリカの方々を大勢見かけました。この後、あっという間に男性ばかり30名近くが集まってきました。

    この教会をもう少し見ていたかったのですが、臆病な私は、ただ足早にこの場を去ることしか出来ませんでした。

  • 旧市街の松ぼっくりLa Pignaと並んで、サンレモに古くからある町サン・シーロに入って来ました。サンレモにしては煤けたムードで、陽気な下町といった雰囲気です。

    旧市街の松ぼっくりLa Pignaと並んで、サンレモに古くからある町サン・シーロに入って来ました。サンレモにしては煤けたムードで、陽気な下町といった雰囲気です。

  • 昨日も見かけた牡牛のついた水のみ場がありました。辺りは小さなカフェやバールで賑わっています。

    昨日も見かけた牡牛のついた水のみ場がありました。辺りは小さなカフェやバールで賑わっています。

  • サン・シーロ共同聖堂Concattedrale di San Siro の横に出てきました。<br /><br />サン・シーロ共同聖堂の歴史は古く、811年という記録が残っています。建物は12世紀にコマンチーニにより、ロマネスク様式で建てられましたが、17世紀にはバロック様式に改修されます。ところが20世紀初頭になって、内外のバロックを剥がし、再び元のロマネスクに戻したということです。サン・シーロは元々司教だった人で、後に聖人となりました。ここにはすでにジェノヴァの聖ロムルスが埋葬されていたため、共同聖堂と言う名前がついたと思われます。<br /><br />教会の横の扉のうえに彫られた浅いレリーフは、この教会でもっとも古い時代の作品とされています。作者の名はわかっていませんが、石に直接刻んでいるところから大理石の石工の可能性が高いとか。こちらの扉には、聖母子を中心に司教シーロと聖ロムルスが彫られています。<br /><br />鐘楼だけが、まだバロックの雰囲気を残していますね。

    サン・シーロ共同聖堂Concattedrale di San Siro の横に出てきました。

    サン・シーロ共同聖堂の歴史は古く、811年という記録が残っています。建物は12世紀にコマンチーニにより、ロマネスク様式で建てられましたが、17世紀にはバロック様式に改修されます。ところが20世紀初頭になって、内外のバロックを剥がし、再び元のロマネスクに戻したということです。サン・シーロは元々司教だった人で、後に聖人となりました。ここにはすでにジェノヴァの聖ロムルスが埋葬されていたため、共同聖堂と言う名前がついたと思われます。

    教会の横の扉のうえに彫られた浅いレリーフは、この教会でもっとも古い時代の作品とされています。作者の名はわかっていませんが、石に直接刻んでいるところから大理石の石工の可能性が高いとか。こちらの扉には、聖母子を中心に司教シーロと聖ロムルスが彫られています。

    鐘楼だけが、まだバロックの雰囲気を残していますね。

  • サン・シーロの前にもOratorio dell&#39;Immacolata Concezione という教会がありました。16世紀のファサードは新古典主義の様相ですが、内部は全て茶色で統一したバロックだそうです。教会にぴったりとくっついているカフェは、とても繁盛していましたよ。

    サン・シーロの前にもOratorio dell'Immacolata Concezione という教会がありました。16世紀のファサードは新古典主義の様相ですが、内部は全て茶色で統一したバロックだそうです。教会にぴったりとくっついているカフェは、とても繁盛していましたよ。

  • 上の教会の前にあった大理石の風呂桶?ではなく、Vasca con fontanaと呼ばれている一種の噴水のようです。<br /><br />元々は風呂桶として使われていたものですが、近年は馬の水場となっていたものをあるイギリス人が発見して保全したもののようです。桶の外側には、メダリオンの中に様々な、架空を含めた動物が彫られていて、ビザンチン・アドリア海地域の芸術を思い起こさせますが、原材料はカラッラ大理石で出来ていて、リグーリア地方産です。<br /><br />桶を支える足は古いものではなく最近のものでしょうが、こちらもライオンのような動物になっています。

    上の教会の前にあった大理石の風呂桶?ではなく、Vasca con fontanaと呼ばれている一種の噴水のようです。

    元々は風呂桶として使われていたものですが、近年は馬の水場となっていたものをあるイギリス人が発見して保全したもののようです。桶の外側には、メダリオンの中に様々な、架空を含めた動物が彫られていて、ビザンチン・アドリア海地域の芸術を思い起こさせますが、原材料はカラッラ大理石で出来ていて、リグーリア地方産です。

    桶を支える足は古いものではなく最近のものでしょうが、こちらもライオンのような動物になっています。

  • こちらがロマネスク様式に戻されたサン・シーロ共同聖堂のファサードです。十分な資金もないまま、なぜバロック様式を嫌がり、外壁を剥がしたかの理由は調べてもわかりませんでしたが、改修工事は1901年に始まり、一応の完成を見たのは1948年のことでした。

    こちらがロマネスク様式に戻されたサン・シーロ共同聖堂のファサードです。十分な資金もないまま、なぜバロック様式を嫌がり、外壁を剥がしたかの理由は調べてもわかりませんでしたが、改修工事は1901年に始まり、一応の完成を見たのは1948年のことでした。

  • ファサードのモザイクです。説明がないので、どなたなのかわかりません。あてずっぽうで言うと、一番左の方は、鍵を持っているので聖ピエトロ。次は書物と司教杖を持っている聖ロムルス。右から二番目は、十字の杖を持っているので洗礼者ヨハネでしょうか。一番右の方はわかりません・・・・間違っていたら訂正くださいね。<br /><br />気になるのは・・・中央の聖人(多分、この方がサン・シーロ)の手前にいる、黒い羽の生えたトカゲのような動物・・・なんでしょう?

    ファサードのモザイクです。説明がないので、どなたなのかわかりません。あてずっぽうで言うと、一番左の方は、鍵を持っているので聖ピエトロ。次は書物と司教杖を持っている聖ロムルス。右から二番目は、十字の杖を持っているので洗礼者ヨハネでしょうか。一番右の方はわかりません・・・・間違っていたら訂正くださいね。

    気になるのは・・・中央の聖人(多分、この方がサン・シーロ)の手前にいる、黒い羽の生えたトカゲのような動物・・・なんでしょう?

  • 中央の祭壇のある場所はとても狭い空間で、大聖堂というイメージからはかけ離れています。<br /><br />祭壇の上に飾られているのが、黒い十字架。1723年のアントン・マラッリヤーノ Anton Maria Maraglianoによる作品です。

    中央の祭壇のある場所はとても狭い空間で、大聖堂というイメージからはかけ離れています。

    祭壇の上に飾られているのが、黒い十字架。1723年のアントン・マラッリヤーノ Anton Maria Maraglianoによる作品です。

  • 祭壇右の壁にかかっている絵は、表のモザイクと登場人物が同じと言うことに気がつきました。

    祭壇右の壁にかかっている絵は、表のモザイクと登場人物が同じと言うことに気がつきました。

  • 洗礼盤を見て、またマリア様と対面している人が抱えているものが気になりました。こんなことしているときりがありませんね。

    洗礼盤を見て、またマリア様と対面している人が抱えているものが気になりました。こんなことしているときりがありませんね。

  • 表に出て、もう一度、全景を撮ろうと頑張ってみます。<br /><br />かすかに姿を見せている鐘楼は、1753年サンレモの人々が支配者ジェノヴァに対して反乱を起こした際に壊され、中にあった鐘はジェノヴァに持ち去られてしまいました。人々はそれには屈せず、当時流行していたバロックで建て直す道を選びました。第二次大戦中に、塔は度重なる爆撃で危険な状態になり、戦後再び建替えを余儀なくされました。この時、鐘楼も含めロマネスクでと言う話も出たのですが、予算の都合からバロックになったとのことです。

    表に出て、もう一度、全景を撮ろうと頑張ってみます。

    かすかに姿を見せている鐘楼は、1753年サンレモの人々が支配者ジェノヴァに対して反乱を起こした際に壊され、中にあった鐘はジェノヴァに持ち去られてしまいました。人々はそれには屈せず、当時流行していたバロックで建て直す道を選びました。第二次大戦中に、塔は度重なる爆撃で危険な状態になり、戦後再び建替えを余儀なくされました。この時、鐘楼も含めロマネスクでと言う話も出たのですが、予算の都合からバロックになったとのことです。

  • サン・シーロ共同聖堂を出て、北に向かいます。この辺りは、松ぼっくり地区と変わらない佇まいを見せています。

    サン・シーロ共同聖堂を出て、北に向かいます。この辺りは、松ぼっくり地区と変わらない佇まいを見せています。

  • こちら側からのほうが塔が良く見えました。塔一つをとっても、様々な歴史が積み重なっていることを、改めて実感いたします。

    こちら側からのほうが塔が良く見えました。塔一つをとっても、様々な歴史が積み重なっていることを、改めて実感いたします。

  • サン・シーロ地区を出たところには、大きな市場がありましたが、当然今の時間はやっていません。雰囲気だけでもと思い、シャッターの隙間から1枚。相当広いです。

    サン・シーロ地区を出たところには、大きな市場がありましたが、当然今の時間はやっていません。雰囲気だけでもと思い、シャッターの隙間から1枚。相当広いです。

  • 市場の前にあったのは、チアペラの塔Torre della Ciapelaです。この塔は1550年に作られた、かつての砦壁内部にあった塔で、蛮人(と書いてありましたが、具体的にはどこの人達を指すのかというと、どうやら、サラセン人のことらしいです。中世ヨーロッパではイスラム教徒全般をサラセン人と呼んでいたようです。)や海賊の襲撃を見張り台として使われていたそうです。

    市場の前にあったのは、チアペラの塔Torre della Ciapelaです。この塔は1550年に作られた、かつての砦壁内部にあった塔で、蛮人(と書いてありましたが、具体的にはどこの人達を指すのかというと、どうやら、サラセン人のことらしいです。中世ヨーロッパではイスラム教徒全般をサラセン人と呼んでいたようです。)や海賊の襲撃を見張り台として使われていたそうです。

  • 松ぼっくりLa pignaに戻ってきました。エロイ・サンレメッシ広場の向こうのサン・シーロ地区を望みます。<br /><br />今日は、もう十分歩いたので、丘の上には上らず、馬蹄形に広がるラ・ピーニャの一番下の道をぐるりと歩こうかと思っています。

    松ぼっくりLa pignaに戻ってきました。エロイ・サンレメッシ広場の向こうのサン・シーロ地区を望みます。

    今日は、もう十分歩いたので、丘の上には上らず、馬蹄形に広がるラ・ピーニャの一番下の道をぐるりと歩こうかと思っています。

  • ラ・ピーニャの入口の門、サン・ステファノ門を入ると、昨日見つけて驚いた、ミニスーパーの前に出ました。お隣は床屋さんかな?<br /><br />ここから右方向が、ロメロ・モレーノ通り、左方向がリヴォルテ・サン・セバスティアーノ通りです。

    ラ・ピーニャの入口の門、サン・ステファノ門を入ると、昨日見つけて驚いた、ミニスーパーの前に出ました。お隣は床屋さんかな?

    ここから右方向が、ロメロ・モレーノ通り、左方向がリヴォルテ・サン・セバスティアーノ通りです。

  • 左に曲がると、このような絵の描かれた狭い通路が現れ、その先に出口が見えます。

    左に曲がると、このような絵の描かれた狭い通路が現れ、その先に出口が見えます。

  • 外に出たところは、悲しみの広場la Piazzetta dei Doloriという名前の小さな広場になっていました。この名は以前ここに「聖母マリア7つの悲しみ」という団体本部が置かれていたことからつけられたそうです。今はその場所にサン・セバステイアーノ礼拝堂が建っています。

    外に出たところは、悲しみの広場la Piazzetta dei Doloriという名前の小さな広場になっていました。この名は以前ここに「聖母マリア7つの悲しみ」という団体本部が置かれていたことからつけられたそうです。今はその場所にサン・セバステイアーノ礼拝堂が建っています。

  • 広場にある井戸にも、牡牛のマークがありました。この水飲めるのかな?ちょっと心配。

    広場にある井戸にも、牡牛のマークがありました。この水飲めるのかな?ちょっと心配。

  • 先ほどのミニスーパーの辺りが一番低く、道は左右に行くにつれ、緩やかに上って行きます。

    先ほどのミニスーパーの辺りが一番低く、道は左右に行くにつれ、緩やかに上って行きます。

  • どこの国を歩いているのかわからない、不思議な風景です。

    どこの国を歩いているのかわからない、不思議な風景です。

  • ややも暫く行くと、黄色い外壁の教会が姿を現しました。

    ややも暫く行くと、黄色い外壁の教会が姿を現しました。

  • 1666年建造のサン・ジュゼッペ教会です。建物の右側に、小さな鐘楼がちょこっと顔をのぞかせていますね。<br /><br />

    1666年建造のサン・ジュゼッペ教会です。建物の右側に、小さな鐘楼がちょこっと顔をのぞかせていますね。

  • サン・ジュゼッペ教会の側廊です。まるで砦壁の一部かのように、素っ気無い壁が垂直に続いていました。<br /><br />これ以上進むと、また丘を上ることになるので、引き返しましょう。

    サン・ジュゼッペ教会の側廊です。まるで砦壁の一部かのように、素っ気無い壁が垂直に続いていました。

    これ以上進むと、また丘を上ることになるので、引き返しましょう。

  • この辺りは、丘の中腹に当たります。古い建物を照らす光と柔らかな影がとても良い感じ。ここに座って、スケッチをしたくなりました。

    この辺りは、丘の中腹に当たります。古い建物を照らす光と柔らかな影がとても良い感じ。ここに座って、スケッチをしたくなりました。

  • 帰り道は行きとは違う風景に見えます。

    帰り道は行きとは違う風景に見えます。

  • こんなところ通ったっけ?

    こんなところ通ったっけ?

  • マナラ宮殿Il Palazzo Manaraの説明板は見たのですが、肝心の宮殿がどこにあるのかわからずじまいでした。トホホ・・・<br /><br />1538年のサンレモベストハウスに選ばれた家だそうですが、宮殿と言う名に値するかどうかは微妙だと思っております。<br />私は、トンネルばかり喜んで撮っておりました。

    マナラ宮殿Il Palazzo Manaraの説明板は見たのですが、肝心の宮殿がどこにあるのかわからずじまいでした。トホホ・・・

    1538年のサンレモベストハウスに選ばれた家だそうですが、宮殿と言う名に値するかどうかは微妙だと思っております。
    私は、トンネルばかり喜んで撮っておりました。

  • 左にまた、上る道が現れました。ポインセチア一杯のベランダが見えています。

    左にまた、上る道が現れました。ポインセチア一杯のベランダが見えています。

  • 今更ですが、イタリアのよろい戸は、殆ど緑色に塗られていることに気がつきました。外側の壁の色は本当に様々ですが、何故かよろい戸は皆さん揃って、緑です。

    今更ですが、イタリアのよろい戸は、殆ど緑色に塗られていることに気がつきました。外側の壁の色は本当に様々ですが、何故かよろい戸は皆さん揃って、緑です。

  • さりげなく置いてある植物を載せる台が可愛らしいですね。

    さりげなく置いてある植物を載せる台が可愛らしいですね。

  • しかし、どんなに小さな道にも名前がついているのには感心させられます。日本の住居表示は本当にわかりにくい。今更ですが、全ての通りに名前をつけることは難しいのでしょうか?<br /><br />にこにこ通りとか、木漏れ日小路とか、5時から横丁とか、無理ですかねえ・・・

    しかし、どんなに小さな道にも名前がついているのには感心させられます。日本の住居表示は本当にわかりにくい。今更ですが、全ての通りに名前をつけることは難しいのでしょうか?

    にこにこ通りとか、木漏れ日小路とか、5時から横丁とか、無理ですかねえ・・・

  • 最初に入った聖セバスティアーノの反乱通りリヴォルテ・サン・セバスティアーノに戻ってきました。ここだけ、鋼鉄で、窓や壁が補強されています。<br /><br />実はこの建物、崩壊の危機があった為に、総額200万ユーロをかけて補修を行ったのだそうです。1ユーロ140円として2億8千万円!それだけかけても壊さない!お見事!!

    最初に入った聖セバスティアーノの反乱通りリヴォルテ・サン・セバスティアーノに戻ってきました。ここだけ、鋼鉄で、窓や壁が補強されています。

    実はこの建物、崩壊の危機があった為に、総額200万ユーロをかけて補修を行ったのだそうです。1ユーロ140円として2億8千万円!それだけかけても壊さない!お見事!!

  • 馬蹄形の右側の道に入りました。道は徐々に上りに差し掛かります。

    馬蹄形の右側の道に入りました。道は徐々に上りに差し掛かります。

  • この絵、松ぼっくりのイメージにぴったりですね。ラ・ピーニャ出身の犯人が逃げ込んだら、カスバ同様、警察だって見つけ出すことはできないでしょう。

    この絵、松ぼっくりのイメージにぴったりですね。ラ・ピーニャ出身の犯人が逃げ込んだら、カスバ同様、警察だって見つけ出すことはできないでしょう。

  • 緑が多くなって、目にも優しい風景になってきました。

    緑が多くなって、目にも優しい風景になってきました。

  • 途中で降りる道を見つけたので、下っていきます。松ぼっくりにお別れです。十分堪能いたしました。いや〜二度目も楽しかったです。

    途中で降りる道を見つけたので、下っていきます。松ぼっくりにお別れです。十分堪能いたしました。いや〜二度目も楽しかったです。

  • それにしても、毎日この道を重い荷物持って上がって行くのは大変そうですね。

    それにしても、毎日この道を重い荷物持って上がって行くのは大変そうですね。

  • 昨日、最初にここに上ってきたトンネルに出ました。昨日はここに入るのに随分ためらったのですが、慣れとは恐ろしいものです。

    昨日、最初にここに上ってきたトンネルに出ました。昨日はここに入るのに随分ためらったのですが、慣れとは恐ろしいものです。

  • 最後のおまけは、町のおもちゃやさんのウインドウ。今年はワールドカップ開催の年だったので、町のおもちゃやさんも、サッカー一色でした。<br /><br />この続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その38 サンレモ(4)で。

    最後のおまけは、町のおもちゃやさんのウインドウ。今年はワールドカップ開催の年だったので、町のおもちゃやさんも、サッカー一色でした。

    この続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その38 サンレモ(4)で。

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