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パラオから帰国し「そろそろ秋の例大祭の時期」と思い靖国神社のホームページを見たところ、ペリリュー島でお会いした元海軍ニ等兵曹 土田喜代一さんが講演会をするとのこと<br /><br />先着順だったのですでに満席かと思って慌てて問い合わせすると、まだ少し余裕があったのでお話を聞きに行ってきました<br /><br />(写真は申し込んだものの体調不良で行けなかった第4回講演会の入場券です)<br />

まだまだパラオ旅行の続き

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2014/10/19 - 2014/10/19

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ともし

ともしさん

パラオから帰国し「そろそろ秋の例大祭の時期」と思い靖国神社のホームページを見たところ、ペリリュー島でお会いした元海軍ニ等兵曹 土田喜代一さんが講演会をするとのこと

先着順だったのですでに満席かと思って慌てて問い合わせすると、まだ少し余裕があったのでお話を聞きに行ってきました

(写真は申し込んだものの体調不良で行けなかった第4回講演会の入場券です)

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  • 定員は150名 <br />往復はがきにて事前予約が必要でしたが、満席でした<br /><br />土田さんがお話を始めたら、撮影禁止と言われていたので写真はこれ1枚です<br />13時から15時までだったにもかかわらず、16時近くまでお話しいただきました<br />必死になって書き留めていたら時間はあっという間に過ぎてしまいました<br />その中で印象に残っている話を1つご紹介したいと思います<br /><br /><br />壕の入り口を赤いものが走った。<br />おそらく戦車の大砲か火炎放射機だろう。<br />壕にいた陸軍の上官が「棒地雷3人!」と命令してきた。<br />棒地雷ってなんだ?と思ったら読んで字のごとく棒状の地雷を背中に背負って特攻することだそうだ。<br />すぐに陸海1人ずつ手を挙げた。<br />「あと1人」と言われて悩んだ。<br /><br />「いずれ死ぬと分かっていてももう少し戦ってから死にたいなぁ」<br /><br />と考えていた時、手を挙げた人がいた。<br />知ってる人だった。<br />『こでらかめざぶろう』と言う男で鹿屋航空隊で一緒だった男だった。<br />飲み込みが悪く銃の使い方も出来ない男で航空隊でからかわれていた男だった。<br />彼は<br /><br /><br />『日本を出る時、両親に死ぬ時は潔く死んでこいと言われました』<br /><br /><br />と言っていた。<br />そうしてこでら達3人は特攻していった。<br /><br />その後、上官より白米食べたいから水をとってこいと言われ壕を出た。<br />水汲み場に行くと真っ赤な火柱を2本あげて戦車が燃えていた。<br />黒人と白人が死んで燃えていた。<br />きっと『こでら』達3人が特攻した戦車だろうと思った。<br /><br /><br /><br /><br />このようなお話をしてくださいました<br />この話を聞いて日本では桜花などの航空機による特攻隊ばかりが注目されていますが、実際は様々な形で特攻が行われていたのだと思いました<br />また志願する者の気持ちと上官の気持ちの差に悲しくなりました<br /><br />今回、この講演会にはたくさんのメディアが来ていました<br />写真撮影は禁止されていたのですが、忠告を守らずシャッターを押していたのでその音で所々聴きとれない部分があり、残念でした<br />講演後名刺交換をしていたので、もしかしたらテレビ朝日かTBSか毎日新聞か時事通信かで終戦ドラマなり特集なり組まれるかもしれません<br />(蓋を開けてみると年明けから産経新聞がパラオ・ペリリュー島特集を組んでいました)<br /><br />文章で書くより、やはりご本人が直接お話ししている方が抑揚があり、引き込まれます<br />今回の講演内容が映像などで残って、遊就館などでたくさんの人の目に触れる機会があれば良いなと思います<br /><br />

    定員は150名 
    往復はがきにて事前予約が必要でしたが、満席でした

    土田さんがお話を始めたら、撮影禁止と言われていたので写真はこれ1枚です
    13時から15時までだったにもかかわらず、16時近くまでお話しいただきました
    必死になって書き留めていたら時間はあっという間に過ぎてしまいました
    その中で印象に残っている話を1つご紹介したいと思います


    壕の入り口を赤いものが走った。
    おそらく戦車の大砲か火炎放射機だろう。
    壕にいた陸軍の上官が「棒地雷3人!」と命令してきた。
    棒地雷ってなんだ?と思ったら読んで字のごとく棒状の地雷を背中に背負って特攻することだそうだ。
    すぐに陸海1人ずつ手を挙げた。
    「あと1人」と言われて悩んだ。

    「いずれ死ぬと分かっていてももう少し戦ってから死にたいなぁ」

    と考えていた時、手を挙げた人がいた。
    知ってる人だった。
    『こでらかめざぶろう』と言う男で鹿屋航空隊で一緒だった男だった。
    飲み込みが悪く銃の使い方も出来ない男で航空隊でからかわれていた男だった。
    彼は


    『日本を出る時、両親に死ぬ時は潔く死んでこいと言われました』


    と言っていた。
    そうしてこでら達3人は特攻していった。

    その後、上官より白米食べたいから水をとってこいと言われ壕を出た。
    水汲み場に行くと真っ赤な火柱を2本あげて戦車が燃えていた。
    黒人と白人が死んで燃えていた。
    きっと『こでら』達3人が特攻した戦車だろうと思った。




    このようなお話をしてくださいました
    この話を聞いて日本では桜花などの航空機による特攻隊ばかりが注目されていますが、実際は様々な形で特攻が行われていたのだと思いました
    また志願する者の気持ちと上官の気持ちの差に悲しくなりました

    今回、この講演会にはたくさんのメディアが来ていました
    写真撮影は禁止されていたのですが、忠告を守らずシャッターを押していたのでその音で所々聴きとれない部分があり、残念でした
    講演後名刺交換をしていたので、もしかしたらテレビ朝日かTBSか毎日新聞か時事通信かで終戦ドラマなり特集なり組まれるかもしれません
    (蓋を開けてみると年明けから産経新聞がパラオ・ペリリュー島特集を組んでいました)

    文章で書くより、やはりご本人が直接お話ししている方が抑揚があり、引き込まれます
    今回の講演内容が映像などで残って、遊就館などでたくさんの人の目に触れる機会があれば良いなと思います

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