2014/08/30 - 2014/08/30
336位(同エリア2522件中)
ベームさん
8/30(土)、11日目。
今日からいよいよ首都ベルリン、私にとってはじめての訪問です。
1244年に文献に現れたベルリンは、1415年ホーエンツォレルン家のフリードリヒ6世がブランデンブルク辺境伯になりベルリンを首都として以来、ブランデンブルク選帝侯領、1701年のプロイセン王国、1871年統一ドイツ帝国、1919年ヴァイマール共和国、1933年ヒトラーの第三帝国まで常にその首都であり続けた。
第2次世界大戦後のドイツ分裂後、1949年東ドイツ建国によりその首都となり1990年ドイツ再統一であらためて新ドイツの首都となる。
プロイセン王国からヒトラーの第三帝国まで常にベルリンは軍事力により他国を侵略する国家の首都としてあり続けたこと、それににたいする反感がこれまで私をしてベルリンに足を踏み入れさせなかった理由です。ベルリンと聞くと今でも文化、平和よりも軍事、ヒットラーなどを連想してしまいます。
ベルリンの壁崩壊25年の今なお町のどこを歩いても復興と創造の大きなクレーンが動き回り、どちらかというとドイツ中・南部の眠れるような小さな町を見てきた私には新鮮で刺激的でした。短時間の滞在ではベルリンの全てを見ることは叶いませんので関心のあるところを優先に回りました。
一番の目的は博物館島です。
写真はネフェルティティの胸像。新博物館蔵。絵葉書です。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
4泊したハンブルクを後にし9:06発のICEでベルリンに向かいました。
混んでいて、座席指定を取ってあったのですが8人の席が纏まっていなくまごつきました。大きな荷物を幾つも持った人が私たちのシートを占めていて、どいてもらうのがかえって気の毒でした。
仲間の一人が大きなスーツケースを網棚にあげるのに苦労していると大きなドイツ人がケースを軽々と持ち上げ、二三回ゆすってみせて網棚に揚げてくれました。皆拍手。 -
10:40、ベルリン・シュパンダウ駅で乗り換え。
ホテルはツォーロギッシャー・ガルテン駅の近くです。 -
ツォーロギッシャー・ガルテン駅、一般にツォー駅と呼ばれます。
ベルリンが東西に分かれていた時は西ベルリンの中心駅でした。 -
サヴォイホテル。
駅から5分ほど、4つ星の良いホテルでした。
ツォー駅近辺は市の中心部に出るには(ツォー駅辺りも中心の一つですが)バス便などを考えると中央駅より便利です。 -
私の部屋はふた間続きの大きな部屋でした。ほかの人に訊くとそうではないとのこと、ドウシテ私だけでしょう。
-
12時過ぎ。ウンター・デン・リンデン。
ツォー駅からウンター・デン・リンデン方面には100または200番のバスが便利です。仲間の中にベルリンに何回も来ている人がいて色々教えてくれました。 -
ウンター・デン・リンデン。
西のブランデンブルク門から東の博物館島まで約1.4キロの大通り。
途中にベルリン国立歌劇場、フンボルト大学があります。
名前の通り菩提樹の並木が続きます。幅60m。 -
ブランデンブルク門。
以前ベルリンを取り囲む関税門の一つとしてあったブランデンブルク門の跡に1791年プロイセン王国の凱旋門として造られました。高さ26m、幅65m、奥行11m。
門の上の彫刻はカドリガ(四頭立ての二輪馬車)で、騎乗しているのはローマ神話の勝利の神ヴィクトリアです。四頭の馬が横一列に並んでいるのが特徴です。
製作者はドイツ古典主義時代の彫刻家ヨハン・G・シャドウ。いま門上にあるのは模型です。 -
パリ広場。
先の大戦後ベルリンが東西に分割された時、境界線が門のすぐ西に引かれベルリンの壁もその上に造られた。「分裂の象徴」です。ブランデンブルク門は東ドイツに含まれることになりました。 -
門の両側ではいろいろな催しが行われています。
門の西側にはかってベルリンの壁が立ちはだかっていました。 -
ここでちょっとおさらいをします。主にウイキより。
占領下のドイツ全体。
赤がソビエト管理:東ドイツ。中の黒い印がベルリン。
緑(イギリス)、黄色(アメリカ)、青(フランス)管理:西ドイツ。
赤の中の黒い印がベルリン。 -
ベルリン。
赤がソビエト管理:東ベルリン。
青(フランス)、緑(イギリス)、黄色(アメリカ)管理:西ベルリン。
西ベルリンは東ドイツの真っただ中、「赤い海に浮かぶ自由の島」でした。
この西ベルリンの周りをぐるっと壁が取り囲んだのです。 -
ベルリン封鎖:1948年6月、東西冷戦が進む中ソビエトは空路を除き西ベルリンに通じる陸路をすべて封鎖。西ベルリン市民の動揺と連合国側との離反を狙った。
ベルリン大空輸:アメリカを主に連合国側は直ちに空路を使い(ベルリン回廊)生活物資を西ベルリンに空輸開始。
西ベルリン市民はかえって連合国側に感謝と親愛の感情を持つようになり、ソビエトの意図は失敗、1949年5月ベルリン封鎖解除。
ベルリン、テンペルホーフ空港に到着する空輸機と見上げる西ベルリン市民。 -
ブランデンブルク門の西側にあるベルリンの壁の跡。
1949年5月西ドイツ、同10月東ドイツ建国。
東から西へ毎年多数の市民が流出、東ドイツ政府は特に技術者など頭脳技術者・労働者の流出を恐れた。1949~1961年の間流出者の数は260万人に上ったといわれる。そこで行われたのが西ベルリンをぐるっと取り囲む壁の構築。
ベルリンの壁:1961年8月、突然壁の建設開始。1975年完成。総延長155キロ。壁は約30mの間隔をおいた2重のものでした。上の地図の西ベルリンを全部ぐるっと囲んだのです。これにより東ドイツ国民は西ベルリンに入れなくなりました。 -
1989年には東欧諸国で民主化が進んでいました(東欧革命)。
1989年8月、ハンガリーがオーストリアとの国境を開放し、東独の国民がハンガリーへ殺到した。東独政府の頼みとするソビエトもゴルバチョフがペレストロイカ、民主化を進めていた。ゴルバチョフはホーネッカーにこう言った。「あまりに遅れてくる者は人生に罰せられる」。頑なに冷戦に固執するホーネッカーを揶揄したもの。
東独内でも7万人が参加したライプチヒのニコライ教会の10月9日の月曜デモに代表されるように国民の民主化要求の動きは抑えようがなかった。
ホーネッカーは失脚した。 -
実質東独国民の囲い込み/流出防止が出来なくなった東独政府は1989年11月9日、ついにベルリンの壁の検問所を開放した。
11月10日、市民は壁の取り壊しを始めた。
1990年10月3日、東西ドイツは再統一した(東ドイツの西ドイツへの編入)。
ベルリンは統一ドイツの首都となった。 -
ベルリンの壁の歴史の説明板が建っています。独、英、仏、ロシア語で。
アメリカ、レーガン大統領の1987年壁の前での演説写真があります。「ゴルバチョフさん、この壁を開けなさい/壊しなさい」。
でも一番有名なのは1963年、ケネディ大統領のベルリンでの演説「わたしは一人のベルリン市民だ」でしょう。Ich bin ein Berliner./イッヒ ビン アイン ベルリナー。
壁は1989年11月壊されます。 -
門の上には4頭立ての馬車と勝利の女神ヴィクトリア。
-
ウンター・デン・リンデンにあるレストランのテラスでベルリン名物カリー・ブルストを食べました。
雰囲気からしてもこれは屋台みたいなスタンドで立ちながら食べるほうがおいしいようです。
両端はもう食べてしまっています。 -
ウンター・デン・リンデンの途中からブランデンブルク門を振り返える。
通りを博物館島まで歩きました。 -
ベルリン・コーミッシュ・オーパー。
東独時代に設立。 -
9月の演目、真夏の夜の夢とか魔笛、バレエなど。
-
「ベルリンへようこそ」。
大きな熊が手を広げて愛嬌を振りまいています。
熊はベルリンのシンボルで市の紋章になっています。 -
アンペルマン・グッズの店。
Ampelとは交差点などにある信号機のこと。東独政権が残した最大のヒットでしょう。 -
フンボルト大学ベルリン/ベルリン大学。
1810年、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトにより設立。
ウンター・デン・リンデンの両側に大きなキャンパスがあります。 -
他のドイツの大学に比べ歴史はそう古くはないが錚々たる教授、学生を輩出しています。
教授:フィヒテ、ヘーゲル、シェリング、グリム兄弟、アインシュタイン。
学生:シュトルム、マルクス、リルケ、フォイエルバッハ、ブレヒト。日本人でも寺田寅彦、新村出など。 -
ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ。1821~1894年。
生理、物理学者。この大学で学び教授となる。 -
ヴィルヘルム・フォン・フンボルト。1767~1835年。
言語学者。フンボルト大学創設者。
弟が地理、博物学者のアレクサンダー・フォン・フンボルト。 -
ベルリン国立歌劇場。
フリードリヒ大王の頃王立歌劇場として設立。
大工事中。 -
ダニエル・バレンボイムのピアノとか、バレンボイム指揮のウイーン・フィルとか、
-
パーヴォ・ヤルヴィ、ズービン・メータの指揮、ダムラウのアルトなどすごいメンバーです。
-
魔笛の看板。
-
歌劇場の裏に聖ヘドヴィッヒ聖堂。
入り口を探していると紙コップを持った老婆がここだ、と教えてくれたので帰りに幾ばくかコップに入れました。 -
1773年献堂されたプロイセン最初のカトリック教会。
1943年焼失し1963年再建。 -
ドームの下の円形の堂内。
-
モーツアルトの「レクイエム」とかベートーヴェンの「第9」の合唱によく聖ヘドヴィッヒ聖堂合唱団というのが出てきますが、この聖堂の合唱団なのでしょうか。
-
ピエタ。
-
構図といいマリアの顔といいミケランジェロのピエタそっくりです。
-
-
-
-
-
-
博物館島のベルリン大聖堂の方に向かいます。
フンボルト大学の並びに旧兵器廠、現歴史博物館。ベルリン最大のバロック建築、1706年。
左にちょこっと見えるのは新衛兵詰所/ノイエヴァッヘ。 -
ベルリン大聖堂。
ホーエンツォレルン家の墓所。
起源は1465年まで遡るが今の建物は1905年ヴィルヘルム2世により改築されました。先の大戦で大きな被害を受け戦後修復。 -
ひときわ目立つ高さ114mの天蓋。
-
入り口のタンパンの装飾。
-
聖堂内。
-
プロイセン王国の威信をかけた大建築。
-
-
祭壇。
-
ドーム。
-
-
さすが王家の教会らしく豪華なものです。
-
説教壇。
-
-
地下のクリプタ。
ホーエンツォレルン王家の墓所。代々の選帝侯、国王が眠っています。 -
-
-
旧博物館。
これから博物館島の幾つかの博物館を回ります。旧博物館、新博物館、旧ナショナル・ギャラリー、ペルガモン博物館、ボーデ博物館と五つありますが観たのは初めの三つです。 -
旧博物館。
1830年プロイセン王国の王室コレクション収蔵の目的で、ヴィルヘルム3世の命により建設されました。1966年再建。博物館島最初の博物館です。
古代ギリシャ、ローマの彫刻、陶器類が展示されています。 -
以下展示品の数々。
-
-
ルーヴル美術館にケラミエスのコレーというこれとそっくりの立像がありました。やはり首がありません。首は細いのでもげやすいのですか。
-
-
-
-
-
混酒器?。
-
-
-
他の博物館のも含めよくもまあこれだけ集めたものです。
-
-
ロトンド/ロタンダ。
博物館の中央にある円形の部屋。 -
拡大。
-
-
ナポレオンがエジプト遠征で沢山の美術品をルーヴル美術館に持ち帰ったのに対抗してせっせと集めたのでしょう。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
サテュロスとヘルマフロディトス。2世紀。
-
-
次は旧ナショナル・ギャラリー。
1876年、銀行家ヴァーゲナーの寄贈品をもとに開館。
18~20世紀の絵画、彫刻。
特にリーバーマン、フリードリヒ、ベックリンなどドイツ絵画、マネ、セザンヌ、ルノワールなどフランス印象派の絵画を収蔵しています。 -
エントランス。
-
ラインホルト・ベガス:アモールとプシケ。
1857年。
絵の名前は私の適当な訳です。 -
ドラクロワ:座っている女性/マドモワゼル・ローズ。
1821年頃。 -
クールベ:エトルタの岩。
1869年。 -
ナルシス・ディア・ド・ラ・ペナ:東洋の婦人と子供。
1865年。 -
アドルフ・メンツェル:サンスーシ宮殿でのフリードリヒ大王のフルートコンサート。
1852年。
有名な絵です。大王はフルートの名手でした。
大王の右でチェンバロを弾いているのが大バッハの息子エマヌエル・バッハ。大王に長年仕えました。大バッハを大王に引き合わせたのもエマヌエルでした。
大バッハはこの時大王から与えられた主題をもとに「音楽の捧げもの」を作曲し大王に献呈しました。 -
メンツェル:フリーデリケ・アーノルト。
1845年。 -
メンツェル:1861年のケーニヒスベルクでのヴィルヘルム1世の戴冠。
1861年。 -
メンツェル:舞踏会の晩餐。
-
フランツ・フォン・ステュック:罪業。
1912年。 -
マックス・クリンガー:散歩する人たち(待ち伏せ)。
1878年。 -
クリンガー:貝の車に乗るヴィーナス。
1885年。 -
クリンガー:水の精ナイアスと戯れるトリトーン。
1885年。 -
窓から。
-
セガンティーニ:帰郷。
1895年。 -
ルノワール:ヴァルゲモントでの子供たちの午後。
1884年。 -
ルノワール:花盛りのカスターニエンの木。
-
ルノワール:夏に。
1868年。 -
セザンヌ:ポントワーズのクールーヴルの粉ひき小屋。
1881年。 -
セザンヌ:果物と食器のある静かな生活。
1871年。 -
マネ:温室にて。
1879年。 -
モネ:ヴェトゥイユ・スュール・セーヌの眺め。
1880年。 -
モネ:パリのサン・ジェルマン・ロクセロワ教会。
1867年。 -
ゴーギャン:タヒチの漁師たち。
1891年。 -
マックス・リーバーマン:アムステルダムの幼児教室。
1880年。 -
フリッツ・フォン・ウーデ:ツァンドヴォールトの手風琴弾き。
1883年。 -
ローヴィス・コリント:チェザーレ・ボルジア。
1914年。 -
ユリウス・シュノール・フォン・カロルスフェルト:受胎告知。
1820年。 -
カロルスフェルト:クァントのクララ・ビアンカ。
-
フェルディナント・ヴァルトミュラー:教会の祭りからの帰り。
1860年。 -
ヴァルトミュラー:放課後。
1841年。 -
花輪を編む女たち。
-
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヘルヴィッヒ:芸術化の家族。
1824年。 -
カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ:雪中のもみの木。
1829年。
フリードリヒの作品はハンブルク市立美術館でも見ましたがこちらの方が多いです。ただ「氷の海」、「雲海の上の旅人」の代表作2点はハンブルクにありました。 -
フリードリヒ:リーゼンの山並み。
1835年。 -
フリードリヒ:雪に覆われた山小屋。
1827年。 -
フリードリヒ:ヴァッツマン山。
1825年。 -
フリードリヒ:孤独な木。
1822年。 -
フリードリヒ:グライフスヴァルトの港。
1820年。 -
アントン・グラフ:ユリアーネ・ヴィルヘルミーネ・バオゼ。
1785年。 -
次は新博物館。
博物館島で2番目の博物館。古代エジプト、先史から有史にかけての工芸品を収蔵。
ネフェルティティにお目にかかれますように。 -
-
この博物館、旧博物館の次につくられたので新。開設は1855年ですが先の大戦で被害を受け閉鎖、2009年修復し再オープンした。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
アモン神の妻シェペヌペット2世のスフィンクス。
-
アメンホテプ1世。
-
オシリス神の前のセティ1世。
彫られた柱の断片。 -
ラムセス2世の妃ネフェルタリ。
古代エジプト4大美人の一人。すなはちネフェルティティ、ネフェルタリ、ハトシェプスト、クレオパトラの4人。 -
奉献壺を持ち跪くハトシェプスト女王。
紀元前15世紀頃。
古代エジプトの4大美人の一人。 -
セソストリス3世。
-
二本の羽の王冠をかぶるティイ女王。
アメンホテプ3世妃。 -
アメンホテプ3世。
-
-
-
-
-
-
-
最後にネフェルティティの胸像。これだけが写真撮影禁止でしたので絵葉書を借用します。
新美術館最大の目玉で特別の部屋に展示されていました。
紀元前14世紀、エジプト第18王朝のアメンホテプ4世妃。
古代エジプト4美人の一人と言われます。
紀元前1345年、彫刻家トトメスの作。
じっと目を見ていると吸い込まれるような気がしました。高さ47センチの小さなものです。 -
展示室。
パンフレットより。 -
最後にペルガモン博物館に行きましたが本日の入館は終了といわれあえなく退散。明日リベンジします。
シュプレー川を見て帰途につきました。 -
シュプレー川と旧ナショナル・ギャラリー。
-
ハッケッシャー・マルクト駅からSバーンでツォー駅に帰りました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- blumentalさん 2020/07/24 12:05:56
- 同じ日のベルリン
- ベームさん、
こんにちは、ひと月以上4トラから離れており、久々に旅行記を投稿したとたん、ベームさんからのいいね第1号ありがとうございます。
ベームさんと同じ日のベルリンですね。我々の方がベームさんより1時間早いICEで移動したようです。前日のリューベックを書き上げた後、ベームさんの旅行記と何度も見比べたのですが、同じ場所に行っていながら、訪問時間がどれもずれていて接点を見出せませんでした。
こちらのベルリンの旅行記となると、行く場所が多すぎて接点探しはまず無理でしょうが、同じ日のブランデンブルク門や大聖堂の風景を拝見でき記憶が蘇りました(旅行記を書きあげたばかりですからなおさらです)。それにしても、ベームさんはどこに行かれても、博物館・美術館をしっかりと見ていらっしゃいますね。博物館島にいつか再訪する時の参考になります。
ベルリンには1995年に、ちらっと立ち寄る機会があり、ネフェルティティだけは見ることができました。当時はシャルロッテンブルク宮殿前にエジプト博物館があり、そこに展示されていました。博物館島をいつか再訪できれば、新博物館でぜひネフェルティティにあってきたいと思います(といっても、この情勢でいつ実現できるか)。
blumental
- ベームさん からの返信 2020/07/24 20:44:00
- Re: 同じ日のベルリン
- blumentalさん、
メッセージ有難うございます。久しぶりのアップですね。
同じ日に同じ場所から1時間違いでベルリン入りだったのですね。
私たちはベルリンに2泊したので、幾つか美術館や博物館を見ることが出来ました。それでもblumentalさんが行かれた絵画館、ポツダム広場、ホロコースト記念碑は漏れています。時間があればベルリンフィルを聴くくらいの余裕が欲しいものです。大都市ベルリンを見尽くすのには1週間位は要りますね。
ベルリン以降のblumentalさんの旅程を拝見すると、いずれもかって私も足跡をしるしたところです。アップを楽しみにしています。
ベーム
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
158