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Sos Del Rey Catolico ソス デル レイ カトリコ  アラゴン州 サラゴサ県北部のこの小さな町で、1452年、後のアラゴン王フェルナンド2世は生まれました。<br /><br />妻のカスティージャ女王イサベル1世と共にグラナダ王国を滅亡させて、約800年に渡るイベリア半島のレコンキスタに終止符を打ち、その偉業を讃えられ、ローマ法王よりイサベルと「カトリック両王」の称号をもらう、あのフェルナンドです。<br /><br />カトリック両王は、コロンブスのインド西回り航路(新大陸発見)の援助をしたことでも知られています。<br /><br /><br />フェルナンドの持った称号は実に多く、<br />アラゴン・バレンシア・マヨルカ・サルデーニャ・コルシカ王 バルセロナ伯(在位 1479-1516)<br />カスティージャ王(在位 1475-1504)<br />シチリア王 (在位 1468-1516)<br />ナポリ王(在位 1504-1516)<br />ナバーラ王(在位 1512 - 1515)<br /><br />フェルナンドは、カスティージャ王・アラゴン王として、自らも多くの戦に参加、将軍としての実績も残しています。<br /><br />トラスタマラ王朝の家系で、妻イサベルは又従姉に当たります。<br /><br />イサベルとの間には1男4女をもうけ、イサベルの死後再婚したヘルマーナとの間には1男(生後すぐに死去)。他にも知られているだけで、愛人との間の私生児が4人。<br /><br />カトリック両王のとった婚姻政策で、王子王女はそれぞれ、ポルトガル・イングランド・神聖ローマ帝国の王子王女と結婚。三女マリアは次期ポルトガル王ジョアン3世の母、四女カタリナはイングランド女王メアリー1世の母、そして次期スペイン女王の次女フアナは神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)の母。<br /><br />カトリック両王が、「太陽の沈まぬ国」の基礎を築いたのです。<br /><br />そんなフェルナンドが生まれた町を散策してみましょう。<br /><br /><br />因に、妻イサベルの生誕地 マドリガル デ ラス アルタス トレス はこちら ↓<br />http://4travel.jp/travelogue/10824902

アラゴン王フェルナンド2世(カトリック王)の生誕地 ソス デル レイ カトリコ = 町歩き

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2014/10/04 - 2014/10/05

38位(同エリア128件中)

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MILFLORES

MILFLORESさん

Sos Del Rey Catolico ソス デル レイ カトリコ  アラゴン州 サラゴサ県北部のこの小さな町で、1452年、後のアラゴン王フェルナンド2世は生まれました。

妻のカスティージャ女王イサベル1世と共にグラナダ王国を滅亡させて、約800年に渡るイベリア半島のレコンキスタに終止符を打ち、その偉業を讃えられ、ローマ法王よりイサベルと「カトリック両王」の称号をもらう、あのフェルナンドです。

カトリック両王は、コロンブスのインド西回り航路(新大陸発見)の援助をしたことでも知られています。


フェルナンドの持った称号は実に多く、
アラゴン・バレンシア・マヨルカ・サルデーニャ・コルシカ王 バルセロナ伯(在位 1479-1516)
カスティージャ王(在位 1475-1504)
シチリア王 (在位 1468-1516)
ナポリ王(在位 1504-1516)
ナバーラ王(在位 1512 - 1515)

フェルナンドは、カスティージャ王・アラゴン王として、自らも多くの戦に参加、将軍としての実績も残しています。

トラスタマラ王朝の家系で、妻イサベルは又従姉に当たります。

イサベルとの間には1男4女をもうけ、イサベルの死後再婚したヘルマーナとの間には1男(生後すぐに死去)。他にも知られているだけで、愛人との間の私生児が4人。

カトリック両王のとった婚姻政策で、王子王女はそれぞれ、ポルトガル・イングランド・神聖ローマ帝国の王子王女と結婚。三女マリアは次期ポルトガル王ジョアン3世の母、四女カタリナはイングランド女王メアリー1世の母、そして次期スペイン女王の次女フアナは神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)の母。

カトリック両王が、「太陽の沈まぬ国」の基礎を築いたのです。

そんなフェルナンドが生まれた町を散策してみましょう。


因に、妻イサベルの生誕地 マドリガル デ ラス アルタス トレス はこちら ↓
http://4travel.jp/travelogue/10824902

旅行の満足度
4.0
  • フェルナンドが誕生した15世紀中旬のイベリア半島は、5つの王国から成り立っていました。<br /><br />フェルナンドが生まれたアラゴン王国(ARAGON)は、半島内のアラゴン、バルセロナ、バレンシアの3地方と、地中海のバレアレス諸島、シチリア、ナポリにまで勢力を及ぼし、アラゴン連合王国として確立していました。<br /><br />一方、フェルナンドの妻となるイサベルの生まれたカスティージャ(CASTILLA)は、13世紀にレオン王国(LEON)と統合してひとつの王国となっていました。<br /><br />ポルトガルはそれより以前の1143年にカスティージャから分離して独立王国となっていました。<br /><br />ナバーラ王国(NAVARRA)は、12世紀には経済的文化的に繁栄していたものの、この頃には強国カスティージャとアラゴンとフランスに挟まれて、政治的には弱小国でした。<br /><br />この4王国は、それぞれにどこかで血縁関係があり、複雑に関わっています。<br /><br />レコンキスタは進んで、イベリア半島内に残るイスラム教国はナスル朝グラナダ王国(GRANADA)のみとなっていました。イサベルとフェルナンドによって、このグラナダ王国は1492年に滅亡し、イベリア半島における国土回復運動(レコンキスタ)が終結しました。

    フェルナンドが誕生した15世紀中旬のイベリア半島は、5つの王国から成り立っていました。

    フェルナンドが生まれたアラゴン王国(ARAGON)は、半島内のアラゴン、バルセロナ、バレンシアの3地方と、地中海のバレアレス諸島、シチリア、ナポリにまで勢力を及ぼし、アラゴン連合王国として確立していました。

    一方、フェルナンドの妻となるイサベルの生まれたカスティージャ(CASTILLA)は、13世紀にレオン王国(LEON)と統合してひとつの王国となっていました。

    ポルトガルはそれより以前の1143年にカスティージャから分離して独立王国となっていました。

    ナバーラ王国(NAVARRA)は、12世紀には経済的文化的に繁栄していたものの、この頃には強国カスティージャとアラゴンとフランスに挟まれて、政治的には弱小国でした。

    この4王国は、それぞれにどこかで血縁関係があり、複雑に関わっています。

    レコンキスタは進んで、イベリア半島内に残るイスラム教国はナスル朝グラナダ王国(GRANADA)のみとなっていました。イサベルとフェルナンドによって、このグラナダ王国は1492年に滅亡し、イベリア半島における国土回復運動(レコンキスタ)が終結しました。

  • Sos Del Rey Catolico ソス デル レイ カトリコのパラドールに宿泊しました。<br />パラドール旅行記はこちら  http://4travel.jp/travelogue/10937333

    Sos Del Rey Catolico ソス デル レイ カトリコのパラドールに宿泊しました。
    パラドール旅行記はこちら http://4travel.jp/travelogue/10937333

  • 1日目夕方、散策に出ました。<br />統一された石造りの美しい町並。18−19世紀の家屋が残っています。

    1日目夕方、散策に出ました。
    統一された石造りの美しい町並。18−19世紀の家屋が残っています。

  • Portal de Sangüeza サングエサ門。 ナバーラ王国との国境近くにあるソスの町は、防衛の必要上、城壁に囲まれていました。今でもその半分くらいが残っています。<br />

    Portal de Sangüeza サングエサ門。 ナバーラ王国との国境近くにあるソスの町は、防衛の必要上、城壁に囲まれていました。今でもその半分くらいが残っています。

  • フェルナンドの父フアン2世(1397生)は、アラゴン王のフェルナンド1世の次男。アラゴン王位を継承したのは兄アルフォンソ5世でしたが、アルフォンソはナポリ王国征服後はそちらの宮廷に居座り戻って来なかったため、フアンがアラゴンを実質的に統一していました。嫡男がなかった兄アルフォンソが世を去ると、フアンがアラゴン王国を継承します(1425)。<br /><br />また、フアンはナバーラ王の娘ブランカと結婚していました(1419)。父ナバーラ王の死後、ブランカは王位を継承し、夫であるフアンも共同君主としてナバーラ王となりました(1425)。2人の長男カルロス(1421生)はビアナ公(ナバラ王国の王位継承予定者の称号)となり、女王ブランカは王位継承者をカルロスとなるように遺言しました。が、ブランカの死後(1441)、フアンはこれに異を唱え、実の父と息子の間でナバーラ王位継承を巡って戦が始まります。<br /><br />フアンはブランカの死後、1444年にフアナ エンリケスと再婚します。そして、この2人の間にフェルナンドが誕生するのです。

    イチオシ

    フェルナンドの父フアン2世(1397生)は、アラゴン王のフェルナンド1世の次男。アラゴン王位を継承したのは兄アルフォンソ5世でしたが、アルフォンソはナポリ王国征服後はそちらの宮廷に居座り戻って来なかったため、フアンがアラゴンを実質的に統一していました。嫡男がなかった兄アルフォンソが世を去ると、フアンがアラゴン王国を継承します(1425)。

    また、フアンはナバーラ王の娘ブランカと結婚していました(1419)。父ナバーラ王の死後、ブランカは王位を継承し、夫であるフアンも共同君主としてナバーラ王となりました(1425)。2人の長男カルロス(1421生)はビアナ公(ナバラ王国の王位継承予定者の称号)となり、女王ブランカは王位継承者をカルロスとなるように遺言しました。が、ブランカの死後(1441)、フアンはこれに異を唱え、実の父と息子の間でナバーラ王位継承を巡って戦が始まります。

    フアンはブランカの死後、1444年にフアナ エンリケスと再婚します。そして、この2人の間にフェルナンドが誕生するのです。

  • 門を出た所からの眺め。   (夫撮影)

    門を出た所からの眺め。   (夫撮影)

  • 可愛らしい民家。アラゴンの家の特徴的な煙突がアクセントを加える。<br />

    可愛らしい民家。アラゴンの家の特徴的な煙突がアクセントを加える。

  • この家は売りに出ていました。

    この家は売りに出ていました。

  • 比較的新しい1900年建設の家。もっと古い家が多くありました。  (夫撮影)

    比較的新しい1900年建設の家。もっと古い家が多くありました。  (夫撮影)

  • 狭い路地。丘の上にある町なのでアップダウンが多い。

    イチオシ

    狭い路地。丘の上にある町なのでアップダウンが多い。

  • 肉屋の窓柵。 可愛い♪

    肉屋の窓柵。 可愛い♪

  • ソスの中心地 Plaza de la Villa にある Casa de la Villa 町役場、16世紀の建物。<br />この前を通って、フェルナンドの生まれた家へ向かいます。 (夫撮影)

    ソスの中心地 Plaza de la Villa にある Casa de la Villa 町役場、16世紀の建物。
    この前を通って、フェルナンドの生まれた家へ向かいます。 (夫撮影)

  • 1452年3月10日、この館でフェルナンドは生まれました。<br />当時、ナバーラ王国のサングエサに滞在していた母フアナ エンリケスは、夫フアン2世とその長男カルロスとの間のナバーラ王国継承権を巡る戦が激しくなっていたナバーラから逃げ、アラゴン王国で子を生むためにソスまで移ります。<br />サングエサはソスから13kmの町です。http://4travel.jp/travelogue/10561397<br />

    1452年3月10日、この館でフェルナンドは生まれました。
    当時、ナバーラ王国のサングエサに滞在していた母フアナ エンリケスは、夫フアン2世とその長男カルロスとの間のナバーラ王国継承権を巡る戦が激しくなっていたナバーラから逃げ、アラゴン王国で子を生むためにソスまで移ります。
    サングエサはソスから13kmの町です。http://4travel.jp/travelogue/10561397

  • この地の貴族、サダ家の館でした。(15世紀)<br />今は、アラゴン王フェルナンド2世ビジター センターとして、フェルナンドに関する展示解説が見られます。見学は2,90ユーロ。

    この地の貴族、サダ家の館でした。(15世紀)
    今は、アラゴン王フェルナンド2世ビジター センターとして、フェルナンドに関する展示解説が見られます。見学は2,90ユーロ。

  • 館の前にあったモニュメント。

    館の前にあったモニュメント。

  • 館は、13世紀の教会 Iglesia San Martin de Tours に隣接して建設されました。

    館は、13世紀の教会 Iglesia San Martin de Tours に隣接して建設されました。

  • フェルナンドの誕生後、アラゴン王から礼を受け、サダ家は館を増築します。

    フェルナンドの誕生後、アラゴン王から礼を受け、サダ家は館を増築します。

  • フアン2世が、息子フェルナンドがこの家で生まれたことを記した公正証書。

    フアン2世が、息子フェルナンドがこの家で生まれたことを記した公正証書。

  • “En la qual cassa nacimos e venimos a la luz deste mundo.”<br />フェルナンド自身が後年サダ家に贈った文書に、「この家で生まれ、世の光を見た」と書いた。

    “En la qual cassa nacimos e venimos a la luz deste mundo.”
    フェルナンド自身が後年サダ家に贈った文書に、「この家で生まれ、世の光を見た」と書いた。

  • 将軍としてのフェルナンドを現した部屋。床には、フェルナンドが参加した戦が書かれています。フェルナンドの剣のレプリカも置かれています(本物はグラナダにある)

    将軍としてのフェルナンドを現した部屋。床には、フェルナンドが参加した戦が書かれています。フェルナンドの剣のレプリカも置かれています(本物はグラナダにある)

  • ソスの町並の木製の模型を作っているのは、バルセロナの模型作りを趣味とするご夫婦で、毎夏ソスに休暇で来る度に少しずつ作成しているとか。20年やっているそうな。

    ソスの町並の木製の模型を作っているのは、バルセロナの模型作りを趣味とするご夫婦で、毎夏ソスに休暇で来る度に少しずつ作成しているとか。20年やっているそうな。

  • 館の窓から見たソスの町。<br />奥に見えるのは城の塔とフェルナンドが洗礼を受けたサン エステバン教会。

    館の窓から見たソスの町。
    奥に見えるのは城の塔とフェルナンドが洗礼を受けたサン エステバン教会。

  • サダ館の裏はユダヤ人街でした。 (夫撮影)

    サダ館の裏はユダヤ人街でした。 (夫撮影)

  • ユダヤ人街のみでなく、街全体に細い路地がクネクネと迷路のように入り込み、迷子になりそうな楽しい町並です。  (夫撮影)

    ユダヤ人街のみでなく、街全体に細い路地がクネクネと迷路のように入り込み、迷子になりそうな楽しい町並です。  (夫撮影)

  • ユダヤ人街

    イチオシ

    ユダヤ人街

  • 16世紀の貴族の館 Palacio Español de Niño

    16世紀の貴族の館 Palacio Español de Niño

  • 町役場付近に戻ってきました。これは Soportal ソポルタル、14世紀に市場が開かれた場所です。建物の下のアーケード状になった場所で、悪天候でも市場を開けた。今はカフェテリアがテーブルを並べています。20年以上前にもソスに来たことがありますが、記憶にあったのはパラドールとこのソポルタルでした。

    町役場付近に戻ってきました。これは Soportal ソポルタル、14世紀に市場が開かれた場所です。建物の下のアーケード状になった場所で、悪天候でも市場を開けた。今はカフェテリアがテーブルを並べています。20年以上前にもソスに来たことがありますが、記憶にあったのはパラドールとこのソポルタルでした。

  • アーチに彫られた 1 vara aragonesa(772mm アラゴンで使われた長さの単位)、これとこの三角形の穴に置かれた秤で、売り物の計量のコントロールをした。

    アーチに彫られた 1 vara aragonesa(772mm アラゴンで使われた長さの単位)、これとこの三角形の穴に置かれた秤で、売り物の計量のコントロールをした。

  • ソポルタルから見たビジャ広場。

    イチオシ

    地図を見る

    ソポルタルから見たビジャ広場。

  • ビジャ広場。

    ビジャ広場。

  • Lonja Medieval  中世の市場

    Lonja Medieval  中世の市場

  • Iglesia de San Esteban サン エステバン教会。<br />ここには、フェルナンド2世が洗礼を受けた洗礼桶が残っています。<br />入り口の彫刻は12世紀のロマネスク様式。右側は風雨に晒されてかなり傷んでいます。

    Iglesia de San Esteban サン エステバン教会。
    ここには、フェルナンド2世が洗礼を受けた洗礼桶が残っています。
    入り口の彫刻は12世紀のロマネスク様式。右側は風雨に晒されてかなり傷んでいます。

  • この日はもう教会は閉まってしまったので、翌朝戻ることにしました。

    この日はもう教会は閉まってしまったので、翌朝戻ることにしました。

  • 教会からの眺め。 

    教会からの眺め。 

  • 最初にイスラム教徒によって城が975年に建てられ、レコンキスタ後、11-12世紀に改築された。現在は、町を囲む城壁の一部とドンジョンが残る。

    最初にイスラム教徒によって城が975年に建てられ、レコンキスタ後、11-12世紀に改築された。現在は、町を囲む城壁の一部とドンジョンが残る。

  • 城の敷地内には自由に入れます。残っている塔には上がれませんが。  (夫撮影)

    城の敷地内には自由に入れます。残っている塔には上がれませんが。  (夫撮影)

  • こっちの低い方には登れます。

    こっちの低い方には登れます。

  • 私が塔に登っている間に、ミニ三脚を取り出して夫が何か頑張っていると思ったら、月を撮っていました。  (夫撮影)

    イチオシ

    私が塔に登っている間に、ミニ三脚を取り出して夫が何か頑張っていると思ったら、月を撮っていました。  (夫撮影)

  • 城から見たソスの町並。中央にある建物がフェルナンドの生まれた館です。<br />元々、町の名はただ Sos だったのですが、20世紀初旬にフェルナンド王の生誕地であることに因んで、当時の王アルフォンソ13世の許可を得て、Sos del Rey Catolico と付け加えました。

    城から見たソスの町並。中央にある建物がフェルナンドの生まれた館です。
    元々、町の名はただ Sos だったのですが、20世紀初旬にフェルナンド王の生誕地であることに因んで、当時の王アルフォンソ13世の許可を得て、Sos del Rey Catolico と付け加えました。

  • Sos の名の意には諸説あります。「高台の」の意、ここにあったローマ時代の集落の名、“Sancti Oppidum Stephani”(聖エステバンの村)の意。<br /><br />サン エステバン教会の町側の姿。

    Sos の名の意には諸説あります。「高台の」の意、ここにあったローマ時代の集落の名、“Sancti Oppidum Stephani”(聖エステバンの村)の意。

    サン エステバン教会の町側の姿。

  • パラドールに戻りましょう。 

    パラドールに戻りましょう。 

  • ドアノッカー 

    ドアノッカー 

  • 翌朝の散策。<br />パラドールから城壁外をちょっと行って、サングエサ門から町中に入ります。

    翌朝の散策。
    パラドールから城壁外をちょっと行って、サングエサ門から町中に入ります。

  • (夫撮影)

    (夫撮影)

  • こっちを上がれば、教会へすぐ行けるはず。

    こっちを上がれば、教会へすぐ行けるはず。

  • この城壁の先です。

    この城壁の先です。

  • サン エステバン教会。土地に高低差があるので、町側から裏側に出るのにトンネルがあります。

    サン エステバン教会。土地に高低差があるので、町側から裏側に出るのにトンネルがあります。

  • トンネル部分に彫られている十字。

    トンネル部分に彫られている十字。

  • サン エステバン教会入り口は裏側。見学料1ユーロ、中の写真撮影は禁止。11世紀に建設されたクリプタのゴシック様式のフレスコ画が、鮮やかに赤色が残っていて素晴らしい。写真でお見せできないので、ソスの観光局HPでご覧ください。他にフェルナンドが洗礼を授かった8世紀の洗礼桶も残っています。<br />http://www.sosdelreycatolico.com/contenido/iglesia-de-san-esteban

    サン エステバン教会入り口は裏側。見学料1ユーロ、中の写真撮影は禁止。11世紀に建設されたクリプタのゴシック様式のフレスコ画が、鮮やかに赤色が残っていて素晴らしい。写真でお見せできないので、ソスの観光局HPでご覧ください。他にフェルナンドが洗礼を授かった8世紀の洗礼桶も残っています。
    http://www.sosdelreycatolico.com/contenido/iglesia-de-san-esteban

  • 中世の城とくっついた教会で、要塞の役目もしています。こういう教会=城塞はアラゴン地方に多い。

    中世の城とくっついた教会で、要塞の役目もしています。こういう教会=城塞はアラゴン地方に多い。

  • 中央の建物がパラドールです。

    中央の建物がパラドールです。

  • 教会。フレスコ画の素晴らしいクリプタはこの下部。

    教会。フレスコ画の素晴らしいクリプタはこの下部。

  • 昨日通っていない道を行きましょう。

    昨日通っていない道を行きましょう。

  • ひっそりとしてます。

    ひっそりとしてます。

  • 良い天気!

    イチオシ

    良い天気!

  • 比較的新しい人家のファサードに取り付けられていた牛の彫刻。可愛い〜♪

    比較的新しい人家のファサードに取り付けられていた牛の彫刻。可愛い〜♪

  • Sos del Rey Catolico 良い町です。

    Sos del Rey Catolico 良い町です。

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