2014/09/27 - 2014/09/29
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dapuqiaoさん
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春秋戦国時代の「斉」の都「臨湽」を旅して来ました。
斉の都のあった臨湽は、今の湽博市臨Zi区になります。
斉は、太公望の名で親しまれる姜太公が起こした国、春秋時代初の覇者となった桓公、桓公を助けた菅仲と鮑叔牙、名宰相晏嬰、田氏斉の時代の孟嘗君、秦に最後まで抵抗した田横などが有名、秦に滅ぼされるまで約800年続いた国です。
いずれも宮城谷晃光氏の小説「太公望」「春秋の名君」「管仲」「晏子」「孟嘗君」「香乱記」に描かれています。
そんな彼らの足跡を訪ねての旅です。
その二は、斉古城内の遺跡を巡るの前半(三王塚から桓公台建築遺跡)です。
写真は、斉国歴史博物館に陳列されている故城内からの出土品。
旅程
9/27
上海虹橋 → 湽博火車駅 高鉄 4時間47分
湽博火車駅 → 臨湽(Hotel) Taxi 約30分
臨湽(Hotel) → 管仲記念館 Taxi 約10分
管仲記念館 → 四王塚 Taxi 約20分
四王塚 → 二王塚 Taxi 約08分
二王塚 → 姜太公祠 Taxi 約18分
姜太公祠 → 臨湽(Hotel) 徒歩 約13分
9/28
臨湽(Hotel) → 三士塚 Taxi 約15分
三士塚 → 謖下学宮遺跡 Taxi 約26分
謖下学宮遺跡 → 斉国歴史博物館 Taxi 約06分
斉国歴史博物館 → 臨湽石刻館 Taxi 約05分
臨湽石刻館 → 桓公台建築遺跡 Taxi 約08分
桓公台建築遺跡 → 斉国故城城垣遺址 Taxi 約05分
斉国故城城垣遺址 → 晏嬰墓 Taxi 約03分
晏嬰墓 → 斉故城排水道口 Taxi 約09分
斉故城排水道口 → 東周殉馬館 Taxi 約12分
東周殉馬館 → 営丘城故址 Taxi 約04分
営丘城故址 → 石仏寺 Taxi 約16分
石仏寺 → 孔子聞韶処 Taxi 約19分
孔子聞韶処 → 臨湽中国古車博物館 Taxi 約10分
臨湽中国古車博物館 → 臨湽足球博物館 Taxi 約75分(Lunch Time)
臨湽足球博物館 → 臨湽(Hotel) 徒歩 & Bus 約20分
9/29
臨湽(Hotel) → 姜太公植物園 Taxi 約07分
姜太公植物園 → 斉園 Taxi 約20分
斉園 → 湽博市博物館 Taxi 約45分
湽博市博物館 → 中国陶瓷器館 徒歩 約03分
中国陶瓷器館 → 湽博火車駅 バイクTaxi 約20分
湽博火車駅 → 上海虹橋火車駅 高鉄 4時間59分
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
9/28 7:30
運転手さんから7時半にもうホテルの前についているとの電話、あわてて出発します。
しかしながら、予報通り朝から小雨がぱらついています。
ホテル備え付けの地図を頼りに今日は10か所を巡る事になります。 -
9/28 7:50 三士塚へ到着。
春秋時代景公に仕えた孫捷・田開彊・古冶子の三勇士の墓だそうです。 -
三王塚。
三人の勇士は、奢っている行為が目に付いていたので、晏嬰が景公に桃をふたつ送り、三人に論功行賞を与えることを謀ったところ、三人は功を誇り、たがいに譲らず、感情を抑えることができず、あいついで自殺してしまった(二桃三殺)、景公は士の礼をもってここに葬ったとの事。 -
雨が降って石碑もぬれています。
-
天日干しのとうもろこしには一応シートがかけられています。
-
三士塚から斉国歴史博物館に向かう途中にあった石碑。
この辺りは南関村ですが、功徳碑とはなんなんでしょう??? -
08:02 斉国歴史博物館
斉国歴史博物館に到着、中に入ってみます。 -
しかし博物館の赤い扉は閉まっています。
-
こちらの売店らしき所で聞くと8:30開館との事。
なので、先に稷下学宮遺跡に行く事にします。 -
08:11
稷下学宮遺跡があるという大王家洼村に来ましたが見当たりません。
向こうのスーパー(超市)で尋ねたところ行き過ぎていました。 -
08:17
路の向こうにそれらしきものが、・・・ -
車を降りて畑に分け入ってみます。
-
畑の中に稷下学宮遺跡はありました。
威王 (在位前 357?320) ,宣王 (在位前 319頃?301頃) の頃を中心に臨Ziの稷門 (城の西門) 外に学堂を建て,広く天下の学者を集めて邸宅を与え,自由に研究させたそうで、それがこの辺りなのでしょう。 -
8:18 稷下学宮遺跡。
稷下学とは、戦国時代の斉の学問の事を表すそうです。 -
08:24 斉国歴史博物館
博物館に戻りましたがまだ早いのでみやげ館前の説明板を見ながら開館を待ちます。 -
説明板。
これから向かう遺跡がどこにあるのか赤丸の数字でわかります。 -
そして遺跡の説明もなされています。
-
時間前ですが服務員さんが現れたのでチケット売り場へ行ってみます。
今のところ私の他に客はいないようです。 -
斉国歴史博物館の入場チケット。30元。
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漢代兵馬俑展なるもののチケットも合わせて購入させられてしまった。10元。
チケット売り場に隣接する建物で開催(?)されています。 -
8:26
まず漢代兵馬俑展へ入ります。
小ぶりの兵馬俑が陳列されています。 -
臨淄の兵馬俑坑は、2008年に発見されたとの説明があります。
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発掘現場の写真。
小さな陳列室なので数分で見学を終了、歴史博物館へ向かいます。 -
博物館の戸口に門衛さんやもぎりのおじさんたちも現れています。
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8:30
博物館の入り口ホールです。
雨傘を床に広げたまま適当な場所に置いて館内見学に出発。 -
斉という国の名前の由来と、斉という漢字の変遷が説明されているようです。
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こちらは斉国の位置。
今の山東省に当たりますが、山東省にはもうひとつ「魯」と言う国もあった事がわかります(白点線)。
魯は小さな国ですが爵位は斉より高く(斉は外様、魯は親藩)、孔子が出たことでも有名です。
だからなのか現在の山東省の車のナンバープレートには「魯」が使われています。 -
春秋戦国時代に先立つこと数千年前の足跡(后季、大汶口、竜山文化)が展示されています。
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そして姜太公さんの登場になります。
周の軍師として武王を補佐し、殷の王である紂を牧野の戦いで破り、殷王朝を滅ぼし周王朝の創設に大きく貢献しました。
その功によって営丘(現在の臨Zi区)を中心とする斉の地に封ぜられたのが紀元前1021年ごろとの事。
姜太公の始めた「姜斉」と後の「田斉」の系譜も展示されています。 -
同時代の漁具なのでしょう。
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桓公と管仲。
-
鄄之会盟。
このころ周王室は衰微しており、諸侯間の対立を抑えることもままならなかった。
一方管仲の改革を受け入れた桓公は、諸国にその名声が伝わり、諸侯は周王朝に代わって諸侯間の問題を桓公に審議してもらうようになった。 -
そして、紀元前679年、桓公は鄄に諸侯を集め会盟を執り行い、ここに覇者第一号となった。
実際には会盟はそれ以前にも行われていたようですが、大国の君主が出席したこの鄄之会盟をもって覇者と認められたようです。 -
こちらは、晏嬰さん(?〜紀元前500)。
霊公、荘公光、景公の3代に仕え、上を憚ることなく諫言を行い名宰相として評価が高い。 -
この時代の楽器。
向こうに「孔子聞韶処」の板が見えます。
晏嬰の時代に孔子さんはこの地を訪れ就職活動をしていて、その折、音楽を楽しんだという場所が残っているそうです。
因みに、孔子さんの就職活動は晏嬰の反対で失敗したとか、・・・。 -
戦国時代の勢力図。
斉も戦国七雄の一つとしてとして健在ですが、のちのち他の6国ともども秦に滅ぼされてしまいます。 -
田斉の威王。
中国戦国時代の田斉の第4代君主、孫氏の兵法の孫臏を用い国力を高め、他の戦国七雄に倣い王と称するようになる。
バックにある四王塚に埋葬された第一号。 -
こちらが、孫氏の兵法の「孫臏」と「孫武」。
孫武は春秋時代の呉の国で活躍しました。
兵法書「孫子」は、孫武のものを『呉孫子兵法』82巻・図9巻、孫臏のものを『斉孫子兵法』89巻・図4巻と記し、両書はそれぞれ異なる著作であると見なされているとの事。 -
斉故城の模型。
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当時の瓦、屋根類。
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稷下学宮の説明とそこに集った諸子。
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そしてこちらの展示は、「武門毬 & 門毬」???
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なんとこの門毬なるものサッカーの「起源」だそうで、FIFAも認定しているようです。
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こちらがその門毬なるものの再現図。
日本の蹴鞠が行われたのが平安時代ですから、紀元前の斉の時代なんて想像もつきませんね。 -
田単。
燕の楽毅に攻め取られた斉の国を復興した英雄
紀元前284年、燕の将軍・楽毅率いる5ヶ国の連合軍によって斉が敗北し臨淄が占領されるが田単の働きによって奪回。
この時田単が用いた「火牛の計」は有名。 -
項羽と劉邦の時代の劉邦の将軍「韓信」も斉王としてこの地にいたので臨淄とは因縁があったようです。
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09:00
斉国歴史博物館を後にします。 -
博物館を後に石刻館へ向かいます。
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09:05 臨淄石刻館
石碑には「西大寺造縁」と刻まれています。
石刻館は、西大寺内に設けられているようです。 -
どうやら建築工事の最中のようです。
なんなんでしょう。 -
入場チケット。5元。
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中に入ると雨で中断中ですが、確かに工事をやっています。
そこで門衛のおじさんから左に行けとの指示。 -
確かに左からの廊下伝いに石刻が並んでいます。
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これまで野ざらしだった二つの仏像さんに屋根付き建屋を建設中なんですね。
右下は以前の様子(貰い物写真)です。 -
石墓門の前に自転車なんぞが置かれています。
一応これらも重要芸術品なのでは、・・・ -
ここにおかれているものはずっと時代は下がって北魏のものが多いようです。
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新しく作られたこちらの建物に、・・・
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お釈迦様が鎮座いや立(?)されています。
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仏教の神様やら道教の神様やらがごっちゃに並べられています。
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こちらでは仏様たちが整然と並んでいます。
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09:12
臨淄石刻館を後にします。 -
09:21 桓公台建築遺跡
畑の中に見えてきたのが桓公台建築遺跡でしょう。
ぬかるむあぜ道を中に入って確かめます。 -
確かに石碑には桓公台建築遺跡と刻まれています。
登るのはやめて次は、斉国故城城垣遺址です。
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