2011/08/18 - 2011/08/21
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彷徨人MUさん
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1). 旅の始めに
鼓楼貫く 艶なき風に 秋の空
渤海と黄海に面する「蓬莱市」へは、海岸線に沿って西へ向かった。「蓬莱」には、嘗て『登州都督府』があり、「徐福」が始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求め、渤海に浮かぶ「蓬莱島」へ、出港した港があった場所だとも、言われている。
2).市の「文物部」へ
「蓬莱」市の、「鐘楼東路」と「鐘楼西路」が交差する付近に、「鼓楼」があった。明時代の街並みが復元され、倭寇との戦で活躍した『戚継光』の故里も、再現されていた。この街の歴史を些か辿ろうと、「北関路」にある市の「文物部」を訪ねた。
「日本から来た者ですが、嘗てこの地を訪ねた日本人僧侶を追っ駆けているのですが…」と、話し掛けたら、4,5人の職員が、一斉に僕の方を見て立ち上がり、上司らしい男が、「日本人僧侶とは、円仁和尚のことですか」と、問い返してきた。
名刺を見ると、「文物部」の申部長であった。パソコンに整理された写真を見ながら僕の質問に答え、唐代の城内の絵図も見せて頂いた。蓬莱市の地図の上に、城壁位置を赤鉛筆で書き込み、「登州府」、「開元寺」、当時の「上水門」の場所などを記入しながら、「円仁さんのシンポジュームの開催を考えているのですが、貴方も参加してくれませんか」と、誘って頂いた。聊か躊躇しながら、「その時は、参加させて頂きたいですね」と応え、お礼を述べ、庁舎を後にした。
3).旧「登州府」、そして「開元寺」跡地へ
その足で、「登州府」跡地に向かった。現在の市庁舎がある、「鐘楼北路」と「鐘楼東路」の交差点を中心とする一帯に、小川を跨ぎ城壁があった。坂の上から、嘗ての城内を眺めると、「上水路」より西側の高台に、中低層共同住宅が建ち並んでおり、その辺りに、「開元寺」があったそうだ。
円仁さん一行は、ここ「登州」では、「開元寺」に宿泊し、「都督府」に、申請と陳情に出向いている。また「開元寺」での法要に参加したり、この城内にあった役人のお屋敷などにも招待され、歓待されたようである。その上、食料やお布施などを拝領し、驢馬まで戴いていた。(下記【年表①】参照)
4).「登州」(現在の蓬莱市)から「青州市」へ
午後、「青州」に向けて出発した。「蓬莱西インター」から「栄鳥高速道路」に入り、渤海に面する「龍口」方面に向かった。「長寿の郷」の「莱州」を通り、「凧揚げの町」で有名な「○坊市」(○は、さんずい偏に、旁は維)を過ぎ、「寿光市」に入ると、一面のビニールハウス畑であった。日本向けの蔬菜類の生産基地で、日本の市場動向を勘案し、ビニールハウスの温度管理をし、出荷調整しているようだ。
午後5時少し前に、「青州」での宿泊先の『青州青都国際大飯店』(Days Hotel & Suites Qingzhou)に到着した。 僕が、4時間ほどで来た「蓬莱」から「青州」までを、円仁さんは、驢馬を引きながら10日掛けて、到着している。
5).「青州古城」へ
「雲門山南路」を南に下り、「東関街」で東に入ると、古い低層の商店街があった。この一帯はイスラム教徒の住む町であり、「東関街」の商店には、豚肉を使っていないという「清真」の文字の看板が掲げてあった。その近くに、イスラム寺院である「真教寺」があった。この地方にイスラム教徒が、定住し始めたのは、唐の時代である。元時代には、モンゴル、漢族や、その他の少数民族などとの通婚が見られ、定住化が進んだ。現在「青州市」の回族は、人口の10%の2万人余である。
古惚けし 石文濡らす 時雨かな
翌日、ホテル前の「駝山南路」を南に下り、『青州博物館』に出かけた。 この「博物館」付近に、「五台山」巡礼の通行許可を得るため、円仁さんが「王府」に来た時、宿泊した「竜興寺」があった。博物館のガイドに、当時の手掛かり等を尋ね、円仁さんが巡礼許可を得るため訪れた「節度府」の場所をも確認した。
博物館を南に下り、交差する「衡王府西路」の傍らに、文字が掠れた『竜興寺跡地』と彫られた石碑を見つけた。円仁さんは、この寺には、3月21日到着し、4月1日に、旅の許可書を得て、4月3日に、「五台山」へ旅立っている。(年表②参照)
6).旅の終りに
「青州」駅は、開発区に出来た新しい駅であった。乗車予定の列車は、1時間遅れ、「青島」には、午後5時少し前に到着した。駅前のタクシー乗り場は、車を待つ人の行列であったので、僕は、スーツケースを転がしながら、海岸通りを、「太平路」にある宿泊先の「青島泛海名人酒店」(Oceanwide Elite Hotel)まで歩いて行った。(完)
参考文献:「入唐求法巡礼行記」東洋文庫 足立喜六訳注、塩入良道補注
【年表①】
840年
3月02日 登州(現在の蓬莱市)に到着す。開元寺に宿泊す。
3月03日 登州府に刺史(知事)を訪問。米などを給する命令書をを受領。
3月04日 開元寺で、刺史なども参加した法会が催される。円仁は、聖地
を巡礼し、師を求め、法を学ぶために、五台山等へ行く、公の 通行証を要請す
3月08日 刺史への「挨拶状」と「通行許可書」の発行の手紙を出す。
3月11日 登州府(都督府)に参内。通行許可書の発行権限は 、節度府
にあるため、節度府宛の書類などをもらう。
3月12日 未明に登州を出発する。
【年表②】
840年
3月21日 青州王府(節度府)に到着、「竜興寺」に宿泊。
3月24日 竜興寺境内の「朝鮮僧院」に移る。
3月25日 節度使に巡礼のための通行証を正式に申請する。
4月03日 青州を出発し、五台山に向かう。
* Coordinator: Gu Hong
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 飛行機
-
蓬莱市、
嘗ての【登州】の城内にあった【鼓楼】
鼓楼貫く 色なき風の ささやきか -
蓬莱市、
復元された明代の町並みの入り口付近にある、倭寇との戦いに功績のあった明代の軍人、【戚継光故里】の石碑 -
蓬莱市、
【登州】城内の【鼓楼】の背後にある、復元された明代の街並み。 -
蓬莱市、
登州】城内の【鼓楼】の背後にある、復元された明代の街並み。
円仁さんが登州に来たころには、この辺りに、円仁さん一行が宿泊先としていた【開元寺】があった。 -
蓬莱市、
【登州】城内の【都督府】があった辺り、現在の市役所を含む街並み。 -
蓬莱市、
【登州】城内の【都督府】があった辺り、現在の市役所を含む街並み。 -
蓬莱市、
【登州】城内の【都督府】があった辺り、現在の市役所を含む街並み。 -
蓬莱市、
【登州】城内の【都督府】があった辺り、現在の市役所を含む街並み。 -
蓬莱市、
【登州】城内を流れていた上水路の脇にあった【上水門】の記念碑。 -
蓬莱市、
【登州】城内に所在した【開元寺】があった辺り、現在は住宅地になっている。城壁の一部が復元されている。手前用水路は、嘗て城内へ引き込まれていた上水路である。 -
蓬莱市、
【登州】城内に所在した【開元寺】があった辺り、現在は住宅地になっている。城壁の一部が復元されており、そこに建てられ城壁の記念碑である。 -
蓬莱市、
【登州】城内にあった【開元寺】付近、現在は住宅地になっている。そのあたりは、城壁の一部が復元されており、写真は城壁の南側にあった【上水門】である。 -
蓬莱市、
【登州】城内にあった【開元寺】付近、現在は周辺は住宅地になっている。【上水門】を入り、城内へ引き込まれていた上水路に添って走る道路。 -
蓬莱市、
【登州】城内にあった【開元寺】付近、現在は住宅地になっている。南側の城壁の一部が復元されている。復元された【上水門】と、そこを流れる、嘗て城内に引き込まれていた【上水路】。 -
蓬莱市、
【登州】城内にあった【開元寺】付近。手前水路は、嘗て城内へ引き込まれていた【上水路】。 -
蓬莱市、
【登州】城内の南西地区にあった【開元寺】跡地付近。現在は住宅地になっている。 -
蓬莱市、
【登州】城内の南西地区にあった【開元寺】跡地付近。現在は住宅地になっている。 -
蓬莱市での昼食
裕祥大酒店
向かって右:銀魚炒蛋
向かって左:粉糸炒小白菜(油菜) -
蓬莱市での昼食
裕祥大酒店
姜葱炒蛤蜊(蛤の葱炒め) -
蓬莱市での昼食
裕祥大酒店
清蒸扇貝(蒸しホタテ) -
蓬莱市での昼食
裕祥大酒店
蒸海鮮餃子 -
【蓬莱】から【青州】に向かう【寿光市】付近の高速道路の両側には、ビニールハウスが何処までも並んでいる。日本向け蔬菜類などの農作物のハウスだそうだ。
-
青州市、
【青州古城】
イスラム教徒の回族が、元代ごろから住んでいる古い街並み -
青州市,
【青州古城】
イスラム教徒の回族が、元代ごろから住んでいる古い街並み -
青州市,
【青州古城】
イスラム教徒の回族が、元代ごろから住んでいる古い街並み -
青州市,
【青州古城】
イスラム教徒の回族が、元代ごろから住んでいる古い街並み -
青州市,
【青州古城】
イスラム教徒の回族が、元代ごろから住んでいる古い街並み -
青州市での夕食
青州青都国際大飯店2階のレストラン
油淋海皇三脆 -
青州市での夕食
青州青都国際大飯店2階のレストラン
清炒鮮蝦仁
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青州市
青州青都国際大飯店2階のレストランでの夕食
珊瑚瑶柱湯 -
青州市での夕食
青州青都国際大飯店2階のレストラン
木瓜燉雪蛤
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青州市、
【青州博物館】であるが、嘗てこの辺りに【竜興寺】があり、840年円仁さんは青州節度府に、五台山などへの巡礼の許可を求めるため、ここ竜興寺内の【新羅院】に滞在して、節度府に巡礼の許可を陳情した。 -
青州市、
博物館から眺めた、嘗て円仁さんの宿舎であったの【竜興寺】周辺。 -
青州市、
博物館から眺めた、嘗て円仁さんの宿舎であった【竜興寺】周辺。 -
青州市、
博物館から眺めた、嘗て【竜興寺】があった辺り。中央建物は、僕が泊まった【青州青都国際大飯店】。 -
青州市、
博物館周辺の街並み。 -
青州市、
博物館の南に隣接する街角に建つ【竜興寺跡】の石碑。 -
青州市、
博物館の南に隣接する街角に建つ【竜興寺跡】の石碑。
古惚けし 石文濡らす 時雨かな -
青州市、
博物館から東近くを南北に走る【駝山南路】と、東西に走る【衡王府西街】の交差する辺りに、嘗てあった【青州節度府】跡。現在は住宅地として開発されている。 -
青州市、
博物館から東近くを南北に走る【駝山南路】と、東西に走る【衡王府西街】の交差する辺りに、嘗てあった【青州節度府】跡。現在は住宅地として開発されている。 -
青州市、
博物館近くの【範公亭西路】の、雨降りの街並み。街路は、【槐】の並木道である。 -
青州市、
博物館近くの【範公亭西路】の、雨降りの街並み。街路は、【槐】の並木道である。 -
青州市、
僕が宿泊した【駝山中路】にある【青州青都国際大飯店】 -
青州市
開発区にある新しい【青州駅】の構内 -
青島市、
青島駅構内 -
青島市、
青島駅外観 -
青島市、
青島駅外観 -
青島市、
青島駅外観 -
青島市
青島海岸通りから【桟橋】を眺める。【桟橋】は昔ドイツ軍、その後この地を占領した日本軍が艦船の桟橋として利用していたものらしいが、今は観光客で溢れている。 -
青島市
青島海岸通りの【桟橋】から、青島の新興市街地のビル群を眺める。 -
青島市
青島海岸通りにある、僕が宿泊した【青島泛海名人酒店】 -
青島市での夕食
宿泊したホテル【青島泛海名人酒店】の二階レストラン
蟹肉菠菜○(向かって右、蟹の身とほうれん草の和え物)
香麻海○ (クラゲ料理) -
青島市での夕食
宿泊したホテル【青島泛海名人酒店】の二階レストラン
鮑参翅肚羹 -
青島市での夕食
宿泊したホテル【青島泛海名人酒店】の二階レストラン
○○娃娃菜(炭焼き野菜) -
青島市での夕食
宿泊したホテル【青島泛海名人酒店】の二階レストラン
XO醤爆澳洲帯子
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