2014/09/22 - 2014/09/22
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naniwa ladyさん
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高野山を6回に分けて歩くツアーに参加しました。
高野山へは車や、電車とケーブルカーを使って何回か行きましたが、まだ歩いて登ったことはありません。今回は6回に分けて登っていくツアーがあるとのことで参加しました。なにせ一気に行くのはしんどいですものね。
第1回慈尊院から第3回高野山大門までは今年9月から11月まで、そして大門から奥の院までと女人道は来年の春に行きます。
今回は第1回から3回まで慈尊院から大門までをご紹介します。
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【第1回】 9月22日 晴れ
高野山は平安時代、空海が真言密教の根本道場として開創されて以来、広く信仰を集めています。
高野山へ向かう道はいくつかありますが、主なものは七つで、その七つの道を高野七口(大門口・不動坂口・黒河口・龍神口・相の浦口・大滝口・大峰口)とよんでいます。 -
今回はその一つ、ここ慈尊院から山上西口の大門へ通じる表参道、大門口を歩きます。
まずはここ慈尊院から出発です。 -
この慈尊院は空海のお母さんが亡くなられたとき、お母さんが信仰していた弥勒菩薩を安置して建てられましたが、弥勒菩薩を慈尊ということから慈尊院と名付けられました。
空海のお母さんは高野山が女人禁制のためにこの地にとどまって弥勒菩薩を信仰されていました。そのことから、女人禁制の高野山に対し、この慈尊院は女人高野とよばれるようになって参拝者が増えたそうです。 -
この慈尊院から奥の院へ至る道がこのような蓮の花で図解されています。
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この赤いよだれかけをしたワンちゃんは空海のお供をしたといわれれるクロです。空海とともに石像になって祀られています。
空海は白と黒の紀州犬を連れた狩場明神の導きによって、天野の地で丹生明神に会い、高野へ辿り着いたと言われています。 -
この慈尊院から西口までの道にはこのような町石が建てられているので、高野山町石道(ちょういしみち)とよばれています。
開山のおり、空海が木製の卒塔婆を建てて道しるべとしたそうで、鎌倉時代になって木の代わりに石造りの五輪塔型の町石が1町(約109m)ごとに建てられました。
西口、大門まで180の町石が建てられており、まずは180番から出発です。 -
慈尊院から119段の石段を登ると、このような鳥居がありました。
ここは丹生官省符神社です。丹生(にう)は水銀と硫黄の化合物で朱色を出した鉱物のことで、丹生都比売(にうづひめ)を祀っています。
空海が慈尊院創建のとき、その鎮守社として建てられたものです。 -
竹藪の中を歩いていきます。
町石を見ながらなので、なかなか楽しいハイキングです。語り部の方がついてきてくれて、一つ一つの町石を示してくれます。 -
この町石は109m、1町ごとに建てられているのですが、風雨に壊れたりして、このように継ぎ足したり、横に新しく建てられたりしています。
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180から一つずつ町石を数えながら、お弁当タイムも含めて3時間が経過しました。
137、町石は43個通りすぎたことになります。 -
慈尊院から丹生官省符神社、勝利寺、銭壺石、弘法大師石仏、一里塚と過ぎ、六本杉に着きました。今日はここまでです。
町石は180から137まで。 -
六本杉からバスの待機場所、丹生都比売(ニウヅヒメ)神社へと行きます。
山から天野の里へ出てきました。ここは日本の原風景100選に選ばれているそうです。 -
丹生都比売神社です。高野山の入り口に位置していることから、高野山参拝の際には必ず、ここを参拝する習わしがあったそうです。
第1回はこれで終わりです。バス・電車を乗り継いで帰宅。お疲れさまでした。 -
【第2回】 10月21日 くもり
前回の解散地、丹生都比売(ニウヅヒメ)神社に到着です。時間はお昼前になっていますので、お弁当を頂いてから出発します。今回は6回のうちで一番長い距離、9.8kmを歩きます。 -
前回の最後の町石があった六本杉のところへ来ました。
今日は矢立まで行きます。木と木の間から初めての町石が見えました。町石は136番から始まります。 -
この町石は番号の後に、十方施主という字が彫られています。十方とは東西南北、東南・西南・東北・西北そして上下を指し、まぁあるゆるという意味でしょう。あらゆる施主によって建てられたということでしょうか。。
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二つ鳥居のところへ来ました。
鳥居が仲良く二つ並んでいます。空海によって建立されたといわれています。もともとは木製でしたが、江戸時代に石に造りかえられました。
二つとも高さ約6mの花崗岩製です。 -
二つ鳥居の横は展望台になっています。
丹生都比売神社から六本杉に行くとき通った、日本の原風景100選に選ばれた天野の里が遠くに見えました。 -
白蛇の岩です。
ここを通った僧が岩に入る白蛇を杖で驚かし、再びこの前を通ったとき大きな白蛇が岩に巻きついて待ち構えていたため、非を悟った僧が丹生都比売神社で御祈祷をしてもらうと大蛇が消えたという言い伝えがあり、それからここには白蛇が住み着き、白蛇を見ると幸運が訪れるといわれています。 -
ここは世界遺産の中にある紀伊高原ゴルフ場です。世界遺産にゴルフ場があるのは珍しく、ここだけだそうです。世界遺産の中でゴルフをするなんて素敵ですが、高野町石道にゴルフボールが落ちているので、ちょっと危ない。。。
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神田地蔵堂です。
ここは平家物語の横笛が滝口入道をここで待ったといわれるところです。 -
神田地蔵堂から笠木峠を越えて、三里石のところへ来ました。一里石、二里石、四里石とあります。
慈尊院から約3.9kmごとに一里、二里、三里石とあります。 -
今回の最後の町石60番のところ、矢立に来ました。
町石は136から60まで。
今は午後4時、休憩も含めて4時間歩きました。お疲れさまでした。ここからバスに乗ってJR和歌山駅へ特急くろしおに乗って天王寺駅へと帰ります。 -
【第3回】 11月10日 晴れ
前回解散したところ、矢立へ来ました。
ここでお弁当を食べてストレッチをして出発です。ここのやきもちは美味しいそうで、お土産に買いました。今回は約6kmを歩きます。 -
町石は59番からスタートです。
奥に六ではなく七地蔵があります。本当は六地蔵で、どこかからお地蔵さまが一体増えたみたいです。
お地蔵さまというのはあの世とこの世を行ったり来たりする仏さまだそうで、六という数字は天国・修羅・人・餓鬼・畜生・地獄の六世を指すそうです。 -
袈裟掛石です。
空海の伝承を伝える三石の一つです。
空海がこの石に袈裟を掛けたと言われていて、この石の間の隙間を通ると無病息災になると言われているらしいですが、ちょっと通り抜けるのは難しそうです。ダイエットかなぁ。。 -
押上石です。
これも空海の伝承を伝える三石の一つです。
空海の母上が女人禁制の高野山へ入ろうとしたところ、雷雨がとどろき、空海がこの石を押し上げて母上を匿ったと伝えられています。
木の根を押し上げているように、根っこにくっついています。 -
この町石は二つ並んでいます。前にもこのように町石が二つ仲良く並んでいましたね。
町石が地震か台風で流されてなくなったので新しく造り直したそうですが、元の町石が出てきたために、こうして二つ並んでいるそうです。
さてどちらが新しい方か、向かって右の綺麗な方が鎌倉時代の町石で、左が大正時代に造られた新しい町石です。ちょっと逆みたいですが、字を見るとわかります。 -
見晴らしの良い展望台のところへ来ました。
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四里石のところへ来ました。
ちょうど半分、3キロ近く歩いてきました。1里は約3.9kmなので、最初の町石、慈尊院の180町石から15.6km歩いてきたことになります。 -
鏡石です。
空海の伝承を伝える三石の最後の一つです。
ここにも書かれているように鏡のように平らなことから呼ばれているそうですが、ここで真言を唱えると必ず成就すると言われているそうです。 -
十方施主と彫られているのは見ましたが、この町石は金剛三昧院と彫られています。
金剛三昧院は高野山にある寺院であり、宿坊にもなっています。 -
九町石です。大門はすぐそこです。
町石は59から9まで。 -
大門です。
高野山の西の入り口にある大きな朱塗りの門で、高さ25.8mです。江戸時代1705年に再建されました。 -
大門には金剛力士像がいます。法橋運長によって造られました。
この像は口を開けているから阿形です。金剛力士像は門番のようなものだそうです。
慈尊院から大門まで約19kmを三回に分けて歩きました。次は大門から奥の院へ行きますが、冬の間は取り止め、来年の春までおあずけです。
この続きはまたらーーいねん〜
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