2013/04/14 - 2013/04/14
121位(同エリア261件中)
もっちさん
ひこにゃんの誕生会の翌日、当初は岩村城を歩く予定でしたが、大幅に寝坊。
それならば、ということで東海道線で関ヶ原で途中下車。
関ヶ原古戦場を歩くことにしました。
重度の花粉症なので杉の森林の中を歩くのは大丈夫かな、と思いましたが、花粉は全然飛んでませんでした。ラッキー!
所要時間:約5時間(徒歩)
表紙写真は古戦場のメイン!ともいえる大谷吉継の墓です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
関ヶ原駅に到着〜。
今回は徒歩でじっくり歩いてみることにしました。あまり予習はしてませんでしたが、大体の武将と陣地は把握していたので、早速スタート!
駅前の観光協会で地図をいただいてからスタート。
実際は車で来て笹尾山の駐車場に止めている人が多かったと思います。 -
早速地図通りに歩いていくと、東首塚。首実検を行った場所と思われます。
この付近は井伊直政と娘婿の松平忠吉の陣地があったところです。
直政は徳川家の先鋒を務めていました。 -
陣地の跡です。
さすが徳川四天王の1人だけあって、駅から徒歩5分で陣地です(あんま関係ない)w
先に先陣を切った福島隊に激怒したそうなw -
ちゃんと井戸が残ってました。
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道なりに進むと田中吉正陣地跡が見えてきます、ここら辺はまだ舗装されていて大変歩きやすいのですが・・。
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家康が最後に陣を牽いた場所。その名も陣場野跡公園、そのまんま。
当初桃配山に人を牽いていましたが、形勢有利と見るや、徐々に前に陣を進め、山を下ります。 -
歴史民俗資料館はパスして先に進みます。
ここから山に入るのと、人が一気に少なくなるので注意(みなさん笹尾山に行かれているみたい)。
ここは(現在大河ドラマ放映中)黒田長政・竹中重門の陣地跡です。
ねね(北政所)に養育された長政はどんな思いでこの戦いに臨んだのか・・。 -
景色もなかなかで(なにしろ人が少ない)、他の武将の陣形もわかりやすいのでおすすめです。
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ただ、注意しないとこういう看板があって、ちょっと怖い。
念のため、鈴やラジオを持って行ったほうが安全かもしれません。 -
3つの池を通りすぎます。
釣り堀になっているみたいで、釣りしている人もいました。でもさみしい場所。 -
池を経由し、下に降りてきて関ヶ原決戦地までやってきました。
このすぐ近くの山が三成が陣取った笹尾山なのでいかに三成が戦況を把握しやすい有利な場所に陣取ったのかがわかります。
ま〜、陣地がいいだけでは勝てないのは当たり前ですが・・(私は三成はちょっと苦手)。
ちなみにこの近くにコンビニがあります。
あまりコンビニは多くない場所なので、ここで燃料補給されるのがいいかと(歩きの方は)。 -
下から笹尾山を見上げたところ。駐車場スペースが多いのと、ここが三成の本陣だったこともあり、人口密度が一番!
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はい、駐車場。
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山頂の眺めからは全軍の陣形がきれいにわかります。ここに陣取り、小早川の裏切りを知り、戦況不利となった三成は近江方面に敗走するのですが・・。
本当に三成の軍師であった島左近が不憫でなりません。
大体、三成自体は人望はないし、戦いに慣れてないんだし(忍城でもそうだし・・)。
でも左近といい、吉継といい彼らが周囲にいたということはまぎれもない事実なので慕われてないたのかな?
敗軍の将ですからなんとでも悪く後世の人間は書けるからね。 -
陣形のマップもあるのでわかりやすい。
西軍・東軍とわかるようになってます。
明治維新の時、ドイツの軍事戦術家にこの陣形を見せた時に「西軍の勝利」と言い切ったそうです。
それでも負けたということはやっぱり小早川?
裏切って、翌年20歳で死んでは意味ないやん(徳川はラッキー、って感じ?) -
お天気がいいので、お昼をここで食べる方も。
気持ちよさそう! -
三成の家紋幡もあります。
基本、陣地跡はお墓の後には家紋入りの幡があるので、非常にわかりやすい(家紋が分かる人には)し、テンションが上がりますW -
島左近の陣地跡。
三成に過ぎたるもの2つあり。「三和山の城に島左近」は有名ですね。
島左近を家臣にしたくて三成は自分の領地あげちゃうくらいの勢いだったそうです。 -
笹尾山をしっかり見学し、365線を通過し、西軍の激戦地へ向かいます。
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島津義弘の陣地跡。
ちなみに参勤交代時に島津家はこちらに立ち寄っていたそうです。
関ヶ原の煮え湯を忘れず、幕末に影響を及ぼしたのはこのおかげなんじゃろうか、と妄想W -
有名な敵中突破はここから始まりました。
鹿児島までは遠い・・。
島津義弘のおい、豊久は身代わりになります・・。 -
ここ小西行長の陣地跡付近が実際の開戦地。
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西軍の将であった小西行長、キリシタンだったと思いますが・・。
秀吉は伴天連追放令(1585年?)と出していたはずです。
たしか子息は逃げたけど、すぐつかまってしまった。 -
ここから一気に山中〜、といった感じになってきます。
本当にこんな道が大谷吉継のお墓まで続くのですw
夕方に歩いてはいけません。 -
大変さみしい神社でしたよ、天満神社。
宇喜多秀家の陣地跡です。 -
神社の中にひっそりと宇喜多秀家の陣地跡があります。
前田利家の娘、豪姫が奥さんですがそれを持ってしても流罪になり、岡山に戻ることはありませんでした。 -
さて、クライマックス!
大谷吉継のお墓に参りましょう〜。
ちなみにダムがあり、これを超えていかないといけません。
看板にお墓までの→があり、ありがたいです。 -
はい、ダム(藤古川ダム)
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ダムを超えるのにこんな急な階段が・・。
自転車が楽、という方もおられますが、地図通りに行こうとすると必ず無理がありますのでやはり徒歩のほうがいいのでは?と思います。
(特に365線超えた陣地跡に行く場合) -
ずんず〜ん!舗装なんてされてません。
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ここは少し歩きやすいですね!
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雨が降ったら絶対滑る・・。
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やっと来ました!
お墓を見て思うこと!
それは「真」の関ヶ原の勝者は「大谷吉継」ということ!
理由?
①お墓が一番大きい
②案内版が一番多い
③お墓のお供え物が一番多い -
お墓を作成したのは近くに陣地を牽いていた「藤堂家」です。
大谷は小早川の裏切りの可能性を見抜いてて松尾山に陣取る小早川を牽制する意味を込めて付近に陣取り、脇坂隊らも監視役にさせてました(のち裏切り)。
小早川の裏切りで大谷隊はこらえきれなくなり、ここで吉継は自害します。
交錯は家臣の湯浅がするのですが、湯浅は藤堂高虎のおいに見つかってしまいます。この時に湯浅は自分の首と引き換えに吉継の首のありかを話さないよう、藤堂のおいに懇願するのです。
のち、家康から吉継の首のことをいわれても高虎のおいは絶対に話さなかったといいます。
それに感心した家康は藤堂家に千羽織を渡したそうな・・。 -
敦賀のお酒ですね。
吉継は当時敦賀藩主です。
敦賀城は今は全く残ってません。 -
私はこの場所が山中にあることもあり、とても神聖な場所に思えました。
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吉継が好きな人でないとここまで来ないと思います。
本当に山中なのですが、至るところにこのような案内版があります。人気の高さがうかがえます。 -
東海道線を超えて、主に東軍が陣取っていた陣地に行きたいと思います。21号線は車量が多いので注意が必要かと。
ちなみに大谷吉継の墓だけ行きたいという人は逆ルートで結構簡単に行けます。 -
東海道前を超える手前に平塚為広陣地あとがあります。
平塚家はこの付近を領主でした。
大谷吉継の盟友でもあります。 -
もうくどいほどの吉継の案内版・・。
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春日神社(福島正則陣地)。
福島も秀吉の子飼だったにもかかわらず、三成に嫌気がさして西軍参加。
子の代で改易されたはず・・。 -
近くの中学のすぐそばに藤堂高虎・京極高知の陣地跡があります。
京極としては、奥さんが茶々とお江の姉妹ですから、立場としては大変苦しかったはずです。
茶々も京極家が東軍についたことを予期せず、かなりショックを受けたとか(京極家は茶々たちの実家、浅井家の旧本家でした。下剋上で立場は変わりましたが)。 -
京極の陣地跡のすぐ近く!に西首塚があります。
こちらでも首実験してたのかしら? -
最後に私の大好きな本田平八郎忠勝陣地跡。なんと、ここ、民家の裏にあります(そんなあ〜)。たぶん私有地ではないはずです。
邪魔にならないようにひっそりある感じ。
ここから関ヶ原駅に戻りました。
戦国オタクなら、有名どころの武将がたくさんでてきるのでかなり楽しめる場所かと。ただ、真夏に歩くのは危険ですよ〜!!(基本日陰なし)
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