2014/09/18 - 2014/09/18
49位(同エリア157件中)
櫻さん
3日目は鹿港を訪れました。
オランダ統治時代から清朝時代に掛けて貿易港として栄えた、古き良きかつての港町です。
日本統治時代に鉄道建設の受け入れを拒否。
加えて、土砂の堆積で港の水深が浅くなり、大型船による海上輸送の時代の変化についていけず没落。
当時の近代化から取り残され、それが逆に昔ながらの街並みを残すキッカケとなり、今の観光地化へと繋がったそうです。
「三歩一小廟、五歩大廟(三歩歩くと小廟に、五歩歩くと大廟と出会う)」と言われるほど、多くの寺廟がある街としても有名です。
一歩歩くごとに汗が吹き出るほどの暑さの中、懸命に観光して参りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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3日目の朝です。
5時起床。
遊びとなると、どうして苦もなく早起きできるんだろう? -
昨日と同様、台中干城站。
看板が出ていませんが、本日は彰化客運のお世話になります。 -
バスの乗車風景。
目的のバスが来たら、バス停に到着する前にワラワラと車道に出て、我先にと乗車します。
日本人特有の奥ゆかしさは一切通用しません。 -
さて乗車。
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そして2時間後。
“火車站前”というバス停で下車。 -
ここは日本統治時代、台湾製糖株式会社が敷設したサトウキビ運搬用の鉄道の駅だったそうです。
現在は駅舎だった建物を観光案内所として利用。
建物の裏には当時実際に走っていた(のかな?)ディーゼル機関車が置かれていました。 -
本日も尋常ではないほどの暑さです。
鹿港最初の観光スポット。
バス停から歩いて数分の所にある『龍山寺』。 -
鹿港は台湾に初めて仏教が伝来した場所とされ、この龍山寺は台湾最古の寺院だそうです。
元々は別の場所にありましたが、老朽化に伴い18世紀に現在の場所に移されました。
台北・淡水・台南・鳳山の龍山寺とともに、台湾五大龍山寺と呼ばれているそうです。 -
山門の八角天井。
最近この天井を見るのが好きになりました。 -
まだ9時過ぎなのに、あちぃあちぃ。
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何の木か確認するのを忘れましたが、樹齢200年と書いてありました。
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正殿へ。
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正殿の観音菩薩像。
日本統治時代には学校や仏教の布教所としても利用されたそうです。 -
後殿へ。
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こちらは1898年に日本の本願寺が布教場所として使用しました。
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その際に本願寺から持ち込まれた阿弥陀佛像が祀られています。
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後殿の後ろにあった池。
暑いわ。
いっそ泳ぎたいわ。 -
池の脇にあったトイレ。
古びたお寺のわりに綺麗でした。 -
早くも暑さにバテながら、ホトホト歩いて『摸乳巷』へ。
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この道を真っ直ぐ進んで。
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落書きだらけの残念な壁が見えてきました。
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ここですね。
幅70cmの狭い道です。
通風、採光、防火、通り道などの機能があるそうです。 -
女性が通る時は相手にぶつからないよう、必ず自分の胸を抱きしめなければならなかったことから『摸乳巷(手で胸を触って路地を通る)』と呼ばれるようになったそうな。
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幅70cm。
私の肩幅がこれくらい。
ひと一人分の幅しかありません。
あまりの日差しの強さに、足の甲がこのサンダル跡でガッツリ日焼けしてしまいました。 -
さて、お次のスポットに向かう前に朝食を。
今日は鹿港名物を色々食してみようと思います。
この界隈には観光客にも人気の包子屋さんがありますが、お目当ての店はあちらではなく…。 -
途中、小学校の校門です。
立派過ぎる。 -
こちらの『阿振肉包』で買ってみます。
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“芋泥包”や“純芋泥球”も捨て難かったんですが。
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“牛[女及]饅頭”と“桂圓黒糖饅頭”をゲッツ。
“桂圓〜”は龍眼入りです。
龍眼好きなもんで。
“牛[女及]饅頭”は弾力があり過ぎて、手でちぎるのが困難なくらいモッチモチ〜。 -
“古き良き”という言葉がシックリ来るような建物が連なっています。
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かつて港町として栄えていただけあって、台南の街並みと雰囲気が似てる気がする。
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さて、鹿港で有名なスポットの1つ。
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『九曲巷』です。
上に架かる橋のような物は『鹿港十宜楼』。
“琴、棋、詩、酒、画、花、月、博、煙、茶”で“十宜”。
詩人や文人などがここによく集まって、色々嗜んでいた場所だったそうです。 -
村を開発する際に川沿いに家を建てたため、このような曲がりくねった道となりました。
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消火栓として利用されているらしい、現役の井戸。
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うねってますね。
砂や塵が防げたり、寒い冬に歩いていても春のように暖かく感じる道だそうです。 -
九曲巷を抜けると、賑やかな場所に出ました。
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市場ですね。
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人もお店もたくさん。
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美味しそうな果物も。
おっと、釈迦頭。 -
市場の片隅にある、こちらの麺線糊屋さんに。
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鹿港名物の麺線糊。
台北などで見る麺線と何が違うかと言うと、彰化沿岸で取れる蝦が入っています。
味の違いは…、すみません、不味くなければイイという味覚の持ち主なので、グルメレポーターのような的確な表現ができません。
とにかく美味いっ! -
今度は、あの交番の脇の道を入って。
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こんなモノが出てきます。
日本式の漢字で表現すると『甕壁』。 -
あの上の方に並んでいる甕が、それです。
清朝時代、大陸の泉州からの貿易船が船室を安定させる為に使った甕だそうです。
台湾に運んだ後は、酒作りや漬物作りに用いたそう。
あのように並べるのは、“生活美学の究極の表現である”とかなんとか。 -
都市開発と共にこの甕壁は取り壊され、現在保存されているのはココだけだそうです。
そのかわり、この道沿いには写真で誤魔化した甕壁がズラ〜。 -
誤魔化されたまま進むと、こんな広い道に出ました。
次の目的地は左手奥に見える洋館。 -
『鹿港民俗文物館』です。
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日本統治時代における実業家・辜顕栄(コケンエイ)氏の官邸だった建物です。
下関条約で日本は台湾を割譲されました。
日本軍が上陸した直後は抵抗した台湾の人々も少なくありませんでしたが、そんな中、将来を見越して日本に国の行く末を委ねた方がイイと考えた人々もいました。
辜顕栄氏もその一人。
日本軍を台北に無血入城させた人物です。 -
庭園も堪能したいんですが、冗談じゃないくらい暑いです。
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日陰にいないと死ぬ。
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台湾の国旗って、青空に映えるわ〜。
最近ようやく“青天白日満地紅旗”というフルネームを覚えられました。 -
それでは入りましょう。
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館内は写真撮影禁止でした。
人目を盗んで隠し撮り。
ゴメンなさい。 -
当時の寝室。
隠し撮り。
内部には、高貴な方々が着てたような中華風の衣装や調度品、そのほか生活用品などが展示されていました。
辜氏からをはじめ、地方の住民からも寄付された物だそうです。 -
涼しかった。
あとを去り難いけれども、次へ進まねば。 -
次の目的地の手前。
私の心を鷲掴みにする店名。
しかし開店前なのか休業なのか。
後編へつづく。
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