2014/09/11 - 2014/09/12
997位(同エリア2989件中)
ひま人さん
日本城郭協会選定の100名城巡りをしていますが、既に選定前に50余の城廻をしていました。しかし、100名城のスタンプ帳を入手してから、100名城スタンプを押印すべく鈍行列車(各駅停車)で山陽路の城巡りをしました。
朝早く、大阪方面から、新快速で姫路(姫路城は訪問済み)乗り換え、相生経由で約1時間50分で播州赤穂駅へ、徒歩15分で赤穂城跡へ到着。歴史博物館見学後、城跡へ遺構の数々を見て、大石神社参拝後駅へ戻り、播州赤穂から相生経由、1時間30分で岡山駅へ到着。昼食後路線バスで烏城とも呼ばれる岡山城へ入城し、折り返し岡山駅から50分で福山駅へ到着。福山城は駅北側に位置し、徒歩5分で天守閣に到着、内部は博物館になっているので展示物を見学後、本日はここまでとホテルへ。翌日は、9時頃ホテルを出発、約2時間かけて広島駅に到着。市内循環のループバスで広島城へ、天守閣へ登城後、周辺の遺構を見学しました。
今回初めて、ジパング倶楽部の割引運賃で鈍行列車での、のんびりと地元と触れ合いながらの旅でしたが、又、次回の鈍行列車旅を計画しているところです。
表紙写真は岡山城天守閣です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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赤穂市立歴史博物館。平成元年(1989年)開館。郷土の歴史に関する資料の収集、保管、調査研究及び展示するのを目的としています。
多くの人々から親しまれている赤穂義士と塩を啓発する拠点となることをめざし、愛称を「塩と義士の館」と呼ばれています。 -
赤穂市立歴史博物館。
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赤穂城跡石碑。慶安元年(1648年)から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城は、近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。徳川幕府が始まって約50年後に築かれたにも関わらず、その構造は戦いを強く意識しており、複雑に折れ曲がる石垣、角度を違える諸門に特長があります。敷地は三方を山に囲まれ、東に千草川、南は瀬戸内海に面し、舟が出入りできるようになっています。
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大手門。
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本丸表門。
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本丸跡。
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天守台。
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天守台上部。
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大石神社。
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大石神社、参道右側の四十七義士像。
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参道左の四十七義士像。
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大石神社本殿。赤穂城家老・大石内蔵助良雄を祀っています。四十七義士とともに、江戸城松の廊下の刃傷事件で切腹させられた浅野藩主の仇討ちを実行しました。
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大石良雄宅趾。
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岡山城城門。二代目藩主池田忠雄の代に完成した岡山城は、全域が32棟の城門で守られていましたが、明治維新後の廃城で石山門1棟を残すだけとなりました。
城の建物は空襲で天守閣始めほとんど焼失しました。この門は天守閣と同時の再建です。 -
岡山城天守閣。戦国時代、備前に”国盗り”の雄として登場した宇喜多直家の子、秀家は豊臣秀吉の厚遇を受けて、慶長2年(1597年)壮麗な岡山城を築城しました。それは秀吉の大坂城を偲ばせる古式の名城です。黒い下見板張りの外観から烏城と呼ばれ、最上層を金箔の瓦で葺き、金の鯱を上げていたと伝えられています。
創建時の岡山城は昭和20年の戦火で焼失しましたが、昭和41年に再建。築城400年を機に創建時を想定して平成8年に金の鯱を上げ、往時の輝きを再現しています。 -
岡山城天守閣。
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天守閣を再建する際の旧天守閣の礎石です。
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岡山城は豊臣時代の城が、増改築をされた江戸時代にも引き続いて使用されたため、石垣に構築技法の発達の様相が示されています。築城時の「野面積(のずらずみ)」から江戸時代初頭の「打込ハギ(うちこみぎ)」、その後の「切込ハギ(きりこみはぎ)」と各時期の石積が観察できます。特に本丸本段の野面積による高石垣は、この時期の全国有数の遺構といえるそうです。
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岡山城石垣。
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岡山城石垣。
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福山城天守閣。元和5年(1619年)、福島正則に替わって徳川譜代の臣・水野勝成が備後10万石の領主となり、新たに築城し城下町を福山と名付けました。その後、水野氏5代、松平1代、阿部氏10代と廃藩置県にいたるまで福山城が藩治の中心となりました。
明治6年(1873年)、天守閣、伏見櫓、御湯殿を除いて、殆んどの建物が取り壊され民間に払下げられました。昭和20年の戦災により天守閣と御湯殿も焼失しましたが、昭和41年(1966年)福山市制50周年記念事業として天守閣、月見櫓、御湯殿が復元されました。 -
福山城天守閣。五重六階地下1階。高さ26.36m、石垣を含めると高さ33.64m。
内部は博物館として利用され、近世福山藩の歴史を中心に福山の歴史を物語る貴重な文化遺品を数多く展示しています。
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福山城伏見櫓(国重要文化財)、もと京都伏見城内にあったものを移築したもので、本来は着見櫓のことです。追手側も入江方面も展望できる南東隅に築かれ、藩主等の到着を見極める役割をなしていました。
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廊下門。
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初代藩主・水野勝成公像。
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広島城・御門橋と表御門、二の丸は出撃の拠点である馬出しの機能を持ち、本丸の正面を守る役割を果たしていました。
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広島城天守閣。広島城は、天正17年(1589年)中国地方の大半を領有する戦国大名・毛利輝元によって太田川デルタに築城を開始されました。同時に城下町の建設も進められました。関ケ原の合戦後、毛利氏に代わって入城した福島正則は、広島城の整備をさらに進めました。しかし、城郭の修業届の不備をとがめられ、元和5年(1619年)に福島氏は改易され、その後和歌山から浅野長晟(あさのながあきら)が城主として入城しました。以後浅野氏が12代にわたり城主を務めました。
昭和20年8月6日、原子爆弾によりすべての建物が壊滅しました。現在の天守閣は昭和33年に復元されたものです。 -
広島城天守閣。高さ26.6m、石垣を含めた高さ39m。内部は武家文化を中心に紹介する歴史博物館になっています。
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平櫓(復元)。
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太鼓櫓(復元)。
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