2014/07/08 - 2014/07/09
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say13さん
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サンクトペテルブルグ2日目。今日はネフスキー通りの観光とネヴァ川クルーズを予定しています。
港からネフスキー大通りまでの交通手段は、バスと地下鉄を利用する方法とタクシーを利用する方法があります。当然公共交通機関を利用すれば安価ですが、バス時間が不確かで特に帰りは出港時間までに戻らないと大変です。
往復タクシーを利用しましたが、時間は問題なくクリアできタクシー料金も面白い結果になりました。
17世紀初頭ロシア最後の王朝のロマノフ王朝が誕生し、約100年後の1703年ピョートル大帝によってネヴァ川河口の泥沼地に造られた人口の都市がサンクトペテルブルグです。
なお王朝は1613年から1917年まで300年あまり続き、日本の江戸時代(1603年~)初期から大正時代(1912年~)の始まり頃までに当たります。
サンクトペテルブルグにはピョートル大帝、エカテリーナ二世、アレクサンドル一世、ニコライ一世、アレクサンドル二世、と続きニコライ二世がロマノフ王朝の最後の皇帝となったゆかりの地です。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 船 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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今日はゆっくりの朝食を食べ9時15分に下船です。入国審査を経てターミナルのタクシースタンドで1台呼んでもらいました。
昨日このタクシースタンドで申込みの仕方や、おおよその金額と時間を聞いておいたのでスムースです。ネフスキー通りのグランドホテルヨーロッパまで1250RUB(約4400円)をスタンドで支払いタクシーに乗り込みます。
タクシードライバーとは私のカタコト英語でなんとか話が通じました。道すがらたくさんの日本車、特にトヨタ車が多く走っています。ドライバー曰く、トヨタが一番安心で価格も高めだそうです。ドイツ車も多くみられましたが同じようなグレードであれば、トヨタが1000だとすればベンツは500くらいで二倍位の価格差になるそうです。 -
ネヴァ川を渡るときに少し渋滞に会いましたが約40分で目的のグランドホテルヨーロッパに到着です。
1875年創業の5つ星ホテルで、中に入ると吹き抜けのロビーです。トイレを拝借し街へ出かけます。 -
ホテルの入口はミハイロフスカヤ通に面しており、ネフスキー大通までホテルが続いています。
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ネフスキー大通りに出ると一番初めに目に留まったのは時計台の塔です。
はっきりしないのですが、市議会? のようです。 -
時計台の塔の道を挟んで左側(東側)にゴスチイーヌ・ドヴォール商業アーケード街(デパート)が見えます。
1785年に建設された二階建てのかなり大きな建物です。
また、ネフスキー大通りの南側に面した建物は、常に日蔭になっているため日陰側と言われています。
ちなみに北側に面した建物は日当り側と呼ばれます。 -
日当り側のカソリック聖カタリナ教会(キャサリーン教会)はローマ・カソリック教会です。グランドホテルヨーロッパの西隣にあります。
1705年の宗教緩和政策に基づいてローマ・カトリック教会の宣教が許可され1710年にカトリック教会ができました。
現在の教会堂は1783年に完成しその後ソヴィエト時代に教会は迫害を受け閉鎖され、倉庫として使われさらに1947年には火事で内部が焼け落ちたようです。
1992年に教会堂をローマ・カソリック教会へ返還する決定がなされ、修復が行われ、2003年に完全に復旧したそうです。12使徒の彫像があります。 -
内部はいたってシンプルです。
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礼拝が行われていました。
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キャサリーン教会を出るとすぐにグリボエードフ運河です。約500m先に血の上の救世主教会が見えます。
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ネフスキー大通とグリボエードフ運河沿いに建つシンガービルは1904年建築のアールヌーボー様式で、大きなガラスのドーム型の上に球を支えている人の像や鳥が羽を広げた彫刻が施されています。
現在は書店ドムクーニギになっています。 -
ロシア革命の前は、米国のミシン製造会社のシンガー社のロシア本社で、革命後に書店になったようです。
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ネフスキー大通りに面したドムクーニギの入口。二階にカフェ・シンガーがあります。
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書店ドムクーニギの南向かい側(日蔭側)にカザン聖堂があります。
ここは後で見学です。 -
書店ドムクーニギの西隣にルーテル聖ペテロ教会、通称ドイツ教会があります。
1705年の宗教緩和政策に基づいて1708年に初めてのルーテル教会が設立されました。現在の教会堂は1833年〜1837年にかけてドイツ出身の信者たちによって設立されましたが、ソヴィエト時代に迫害を受け閉鎖され、水泳プールとして使われていたそうです。
1990年代に教会堂をルーテル教会へ返還する決定がなされ、修復が行われ現在の姿になったようです。 -
ドイツ教会の向かいに(日蔭側)ZARAの入っているビルがあります。以前はメルテンス毛皮店だったようです。
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ZARAの西隣にストロガノフ宮殿があります。ロマノフ王朝時代のストロガノフ家の屋敷で、16世紀からロシアで勢力を広げロマノフ王朝に入り18世紀はじめの20年にわたる北方戦争での活躍により伯爵に昇格し、以降ロマノフ王朝の政治の中核を担いパトロンとして文化・芸術の発展にも大きく貢献したそうです。
また、ビーフストロガノフは代表的なロシア料理のひとつとして有名で、19世紀に帝政ロシアのストロガノフ伯爵のフランス人コック長が広めたとのことです。 -
ネフスキー大通りから見るモイカ川。ここにもクルーズ船乗り場があります。
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ネフスキー大通とモイカ川が交差する日当り側にある文学喫茶です。
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1815年創業のリテラトゥールノエ・カフェ(文学喫茶)は詩人プーシキンが決闘の前に立ち寄ったと言われ、文豪のゴーゴリやドストエフスキーも常連客だったようです。
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文学喫茶から70mほど歩き、ネフスキー大通を北に入ると旧参謀本部があります。
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アーチ型の建物の先に宮殿広場とエルミタージュ美術館があります。
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宮殿広場の真ん中にアレクサンドルの塔があります。
1812年の祖国戦争(ナポレオンに対する戦争)の勝利を記念して作られ、その高さは47メートルあります。
奥に見えるのはエルミタージュ美術館で冬宮の入り口になります。 -
振り返って見ると中央部に凱旋門が設けられています。
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凱旋門の上には、勝利の女神の騎馬像が宮殿広場を見下ろすよう建っており、これも1812年の祖国戦争(ナポレオン戦争)の勝利を記念して建てられました。
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宮殿広場の隅にバスを改造した有料トイレがありました。
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道なりに進むとモイカ川に架かる合唱団の橋に着きます。
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橋のそばにグリンカ記念合唱ホールがあります。
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合唱団の橋のそばに日本語オーデイオガイド付きの遊覧船乗り場があります。
午後1時からの運航開始で、1時までには時間がありすぎ断念です。 -
日本大使館があり、日の丸の旗が掲げられています。
この対岸にプーシキンの家博物館があるようなのですが、プーシキンインのホテルはあったのですが博物館は不明です。 -
運河沿いに歩くと血の上の救世主教会にたどり着きます。
ガイドブックには露店の土産物屋がたくさんあると紹介されていましたが、その場所には一軒も見当たらず、塀がめぐらされていました。 -
クリボエードフ運河にある船乗り場からクルーズ船に乗船です。12時発の船があり乗り込んで間もなくほぼ満席になりました。予定の10分前に出発です。
船内アナウンスはロシア語のみです。 -
約1時間のクルーズの始まりです。血の上の救世主教会が見えます。
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運河を北に進みます。キリストの絵が見えます。
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アレクサンドル三世が、暗殺された父アレクサンドル二世のために24年の歳月をかけ1907年に完成しました。
現在はイサク聖堂博物館の分室になっており、今日水曜日は休館日で訪れる人も少ないようです。 -
クリボエードフ運河からネヴァ川方面に進みます。エルミタージュ美術館の建物が見えてきました。
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右側の丸い屋根の建物はエルミタージュ劇場です。
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ネヴァ川にでました。ペトロパブロフスキー要塞はピョートル大帝の命でスウェーデン軍の侵略から市を守るために作られた要塞ですが、18世紀中半から政治犯の監獄として使われるようになりラジシチェフ、デカブリスト、ドストエフスキーやレーニンの兄達が収監されたそうです。
要塞内にある121mの金色の尖塔をもつペトロパブロフスク寺院にはピョートル大帝等ロマノフ王朝歴代ツァーリの棺があります。 -
ロストラの燈台柱は朱塗りの柱から船首の一部が突き出している風変わりな塔です。ロストラとは船首の部分を意味し、古代ローマでは勝利の記念として、敵軍の船首を切り取った風習がありこれに習って1810年に建てられたものです。
高さが32mある灯台で2つあます。 -
クンストカメラは自然と人間による珍奇かつ稀有なものを収集する目的で1727年に建てられ、グロテスクな収蔵品が多くあるそうです。
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聖イサク寺院が見えます。
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船はフランコヴェンスキー橋の手前でUターンです。
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宮殿橋 ドヴォルツオヴィ橋をくぐります。これも跳ね橋です。
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帆船がレストランになっている横を通りペトロパブロフスキー要塞があるザーチヤ島(ウサギ島)に入ってゆきます。
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ウサギ島に入ってきました。
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橋にたくさんの人がいて橋から少し離れたウサギの像に向かってコインを投げています。
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日光浴をしている人達がいました。
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再びネヴァ川に出て来ました。トロッツイー橋をくぐります。これも跳ね橋です。
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ネヴァ川から夏の庭園が見えます。18世紀後半に皇帝の夏の離宮付属のバロック様式オランダ庭園として造園されました。
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ピョートル一世の夏の宮殿。オランダ風の二階建て木造建築です。
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そろそろ終点です。血の上の救世主教会が見えてきました。
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船の航行ルートが書いてあります。約1時間のクルーズで一人600RUB(2100円)です。
アナウンスはロシア語のみで理解できませんでしたが、景色を堪能できました。
10時過ぎから1時間半ほど歩き多少疲れており、そのあと船で1時間はちょうどよい行程だと思います。また見学の視点が変わるクルーズ船の乗船はお薦めです。 -
船を下りてネフスキー大通に出るとカザン聖堂があります。バチカンのサンピエトロ寺院を手本にしたネオクラシック風の寺院でコリント式の136の列柱のある半円形の回廊で1811年に完成しました。
ロシア軍総司令官クトゥーゾフ将軍の像です。 -
正面入り口から入ります。
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ここはロシア正教の大聖堂です。
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1612年のポーランド軍撃退以来ロシアの守護神となったカザンの聖母イコンを安置するために造られたようです。
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ロウソクを灯してお祈りをする信者の人たちが大勢います。
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カザン聖堂から200m歩くとゴスチイーヌ・ドヴォール(デパート)があります。1785年に開設した商業アーケード街で二階建の黄色の三角形の形をした大きな建物です。
日用雑貨や洋服、ブランド店など様々なお店が入っています。 -
ゴスチイーヌ・ドヴォールの2階のレストランで遅いお昼です。
食べ物がショーケースにおいてありますが、キリル文字表記のみで読めません。
見た目で判断し肉のチーズ焼きジャガイモ添え、ハンバーグ風ライス添えとビールを頼みました。
ハンバーグ風は違和感がありませんでしたが、もう一品の肉はかなり強いレバー風味でかなり歯ごたえのある、あまり味わったことの無い様な食感です。
後でわかったことですがどうもトナカイの肉のようです。 -
レストラン内の装飾、特にカーテンがかかった絵が印象的です。
時間が遅いせいもあって、お客さんは地元の人と思われる小さな子供ずれの親子と、壁にかける絵を交換にやってきた若者達です。 -
再びネフスキー大通の散策です。
エリセーエフスキー食料品店はアールヌーボーの装飾が施された建物です。
商人エリセーエフが19001年に貴族の豪邸を改装し高級食料品店を開店したのが始まりです。 -
ネフスキー大通に面したショーウインドウには人形が飾られています。
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店内の装飾も素晴らしいのですが、なぜかYAMAHAのグランドピアノが置いてあります。
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生牡蠣です。
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サーモンやハムがあります。
ちなみに右下のサーモンは100グラム630円、右上は100グラム3000円の表示です。 -
お菓子がたくさんあります。100グラム880円程です。
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エリセーエフスキー食料品店の隣にコメデイー劇場がありました。
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出し物の看板です。
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フォンタンカ運河に架かるアニチコフ橋が見えてきました。
技術者のミハイル・アニチコフにちなんで名前がつけられたそうです。 -
橋の四隅に馬使いの像があります。
ロシアの彫刻家、ピョートル・クロートがデザインしたものです。 -
第二次世界大戦中の1941年、この橋がドイツ軍の砲撃にあうと彫像は台から外されアニチコフ宮殿そばの庭に埋めらました。橋は大きな損傷をこうむりましたが戦後修復されました。
彫像の台座に砲撃の傷跡とキリル文字の銘板がありますが内容の理解ができません。 -
ブロンズの馬使いの像。
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フォンタンカ運河に面したところに建っているアニチコフ宮殿。現在はは青少年会館で一般公開はしていません。
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アニチコフ橋のたもとのアイスクリーム屋さん。歩き疲れで一休み、おいしく感じました。
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日蔭側にあるエカテリーナ二世像、高さが15mあります。
後方の建物はアレクサンドリンスキー劇場です。
エカテリーナは北ドイツの小さな領主の娘で、ロシア皇太子ピョートルと1745年に結婚します。
1762年エリザベータ女帝の死去により、夫のピョートル皇太子が皇帝に即位しますが、エカテリーナは近衛兵隊、ロシア正教会らの支援のもと軍服の男装姿で軍隊を先導して無血革命でピョートルを帝位から降ろして幽閉します。夫ピョートル三世を殺害したと言われていますが真相ははっきりしないようです。
エカテリーナはロマノフ家の血どころかロシアの血を引いてませんが、ロシアの人間になろうと努力をしていた姿とその人柄が認められ、女帝として即位したようです。 -
ゴスチイーヌ・ドヴォールの向かい側の日当りにあるパサージュは、サンクトペテルブルクの上流階級のために建てられたアーケード街です。
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中はテナントの集まった商店街です。
ガイドブックにはパサージュの隣に地下から入るスーパーマーケットがあると書いてあったのですが見つかりません。近くにいた人に聞いてもわからず諦めました。海外で地元のスーパーマーケットを覗くと結構面白いのですが残念です。 -
ネフスキー大通にあるお土産屋の店内です。右端の赤いマトリョーシカを手に入れました。
手持ちのRUBは約4000で、帰りのタクシー代を残しておく必要があり2200RUB(7700円)の10ピースに決めました。
この時は、来た時のタクシー代1250RUB+αの現金を残しておけば安心と考えました。 -
カソリックのアルメニア教会を右に見ながらネフスキー大通りをグランドホテルヨーロッパに向かいます。
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グランドホテルヨーロッパのドアマンに、港まで行きたいのでタクシーを呼んでくれるよう頼みました。
すると、入口に止まっているタクシーなら1200RUBで、すぐに乗れる。10分ほど時間はかかるが電話で呼ぶと500RUBとの返事が返ってきました。
金額を聞いてチョット耳を疑いましたが多少時間に余裕があるので呼んでもらうことにしました。
中にいる案内係りのお嬢さんに改めて港までタクシーを呼んでもらうよう頼み、値段の交渉もお願いした結果、550RUBとのことでした。なんと半額です。
10分ほどロビーで待ち、タクシーに乗車し渋滞もなく40分弱で到着です。出港の約1時間前に無事帰ってきました。チップも含め600RUB(2100円)を支払いました。
料金が予測の半額以下だったので港の土産物屋でクリスマスツリーの置物を手に入れました。 -
ネフスキー大通で手に入れたマトリョーシカ、10ピースで2200RUB(7700円)です。絵柄がみんな同じように描かれています。
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港の土産物屋で手に入れた、ツリー・サンタ・スノーマン・ツリーの4ピースのツリーです。
値段は1575RUB(5500円)で手持ちのRUBは1210、残りをユーロで支払いました。
手持ちRUBがタクシー代に消えていたことを考えると、街中の土産物屋よりはるかに高めですが良しとするしかありませんネ。 -
夕食を済ませ、ロビーで歌のショーを聞きました。
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吹き抜けのセントラムに人が大勢集まっています。
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今日はアクロバットのショウーがセントラムで行われました。
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部屋に戻るとタオルの象さんが待っていました。
明日はエストニアのタリンに入港です。。
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