2014/08/24 - 2014/08/24
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JBさん
7月、錯覚についてのTV番組「錯覚の科学('14):放送大学」がありました。菊池先生(信州大学)を主任講師に15回シリーズ(第1学期分でしょうか?)でしたが、その中でも紹介された美術館です。
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錯覚の科学('14):授業の目標から転載
錯覚とは客観的には「誤った」認知であるが、それは必ずしも人の認知の欠陥や能力不足のために起こるものではない。より効率的で適応的な認知を実現するために、人はあえて世界を歪めてとらえることがある。こうした「人間らしい」認知の性格を知り、人が世界を認識するということはどういうことなのかを理解することが第一の目標である。さらに、そうした認知の歪みが、あるときは芸術や文化を生み出し、同時に詐欺や欺瞞につながっていることもぜひ理解したい。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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こんにちは。 京王線の終点(=始点)のひとつ、高尾山口駅です。
この旅行記を綴り始めてまもなく2年になります。その間、自身でも想定外の変化が数多くありました。
徒然草には「人は皆、死ある事を知りて待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る」とありますが、まあそんなものでしょうか。 -
幻影は虚構ですが、錯覚は事実です。ここを訪れた私の興味は、錯覚する方がむしろ自然な感覚だという「人が錯覚する仕組み」にあります。
改札を出て甲州街道を渡ったところが美術館の入り口です。 -
外観3階建て(館内4層)で、山の斜面を利用した建築です。
エントランスまで階段を上った上階を1階と名づけることで、そこから更に上を2階、地下も2階まであるとして(おそらくココが1階)、上下の煩わしい動線を交差階段で迷宮的に楽しませる創りに建築されています。 -
1階は古代エジプトイメージ、何かを期待させる「怪しさ」からのスタートです。
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オジさん目線では「映画のセット」というと味気ないですが、そんな壁面ボードの間を進みます。
大ホールを変形の小部屋に間仕切ることで、子供ダマシのトリックでも「次こそ新たな発見を」という期待感を感じます。 -
カバ半分。上半分は鏡に写ったカバです。
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時々こうしたクイズ的な絵が置いてあります。
雑誌の懸賞にありがちな擬態画ですが、動物の姿を探して仲良く互いを盛り上げる親子連れを見ることができます。
何と言っても、今さっき入場料を払ったばかりですからネ。 -
ディズニーランドは虚構要素が大ですが、ここは絵による錯視の美術館です。
存在しないものをイメージさせて!という疑似体験ではなく、普通には「見えるハズが見えなかったり、誤認してしまう」そういう、人の無意識な感覚を理解する。
事実と自己感覚のギャップをあじわうとでもいいましょうか (=^・^=) -
この空中神殿風の部屋では、描かれた以外の構造物(突起物)を探します。
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時計
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煉瓦?まあ石積みの出入り口ですか。
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石積み壁面の破片。
相当な広さのホールですが、ココって間違い探しだけのスペースなの?
ところで・・・、
錯覚は群居性動物(人)の日常生活でも普通にみられます。 -
重要問題に直面した時、解決に向けて何の行動も取らないという人はいないと思います。私にはそれは当然の感覚ですが、巷では異なる光景をよく目にします。
考える人ではなく「我慢する人」です。我慢とは自我への慢心から現況を軽視するとの仏教用語が源ですが、今日的な辛抱の意味で捉えても、対応へのアガキよりも我慢する姿の方が賛美されることもあります。
一致協力する為の報告・連絡・相談をする体制が戦前社会の・・・、そして戦後の自由平等社会を実現した体験が我慢とは(>_<) -
封建社会で夫を失えば、遺族保障ではなく、それに耐える姿を美徳と讃えて寡婦の不満を抑えよう(現状認識への意識をすり替えよう)ともしました。そういう施政者都合の規律維持策が、我慢美化の始まりのようにも感じます。
女性が耐え忍ぶ姿を美しいものとして今も女性同士でさえ賛美し合いますが・・・、ハテ、花嫁は新たな人生に我慢を期待して結婚したのでしょうか? -
「我慢は美徳」と、実際への対処ができないためにそこに気持ちを治めることもあるでしょう。しかしジッと我慢の末に期待できる成果とは、時間経過による感情の鎮静化や記憶の風化に伴なう問題のウヤムヤさ、だけかもしれません。
本来、我慢や辛抱・忍耐はそれが単独での解決手段というよりも、何かの施策(作戦)実施で成果が現れるまでの時間的な猶予を意識する言葉のはずです。我慢してもしなくも時は過ぎ去り、死(現世活動の終焉)は確実に近づきます。 -
我慢が、例えば「今は動かぬ」という行動の選択だったとしても、美徳と讃えられるうちに、手段であるはずの我慢という行動姿勢そのものが目標と化してしまえば、本来目指すべき問題解決は、さてどうなるのでしょう。
美徳や恐怖の「錯覚」は、統治者がいつの世も使うプロパガンダですが・・・。 -
「アレ?あの人いったいどうしちゃったんだろう」っていう視線を感じつつも・・・。
でも「ココってそういう場所なのか」という雰囲気が創れると、観客だった人も参加者に変身です。
そう、ココが我慢のシドコロ?(ゲーミフィケーションでいうポイント)です・・・(=^・^=)
錯覚自体は誤認なので改めれば良いだけですが、それを経験として刷り込むには真摯な反省が不可欠です。 -
ということで、せいぜい意識はこんな感じでも・・・
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せめてコレくらいのリアクションを取らないと・・・、
クジラじゃなくて私が浮き上がります。その点お子様は、み〜んな私の味方です。 -
これ見て!
オリバーも飛びつくかなあ・・・。 -
こちらはデカすぎか・・・。
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奥の壁面が全て鏡になった・・「鏡の部屋」?
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なぜか後ろの鏡に、私は映りません・・・。
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マジックの「人体切断」で見かける、錯覚というよりこれはトリックですよね。
「鏡の部屋」と違って「鏡の机」カナ? -
私の次にマネして足を出したお子様は、お母様から「コラあっ!」って叱られていました。おそらくは・・・、
「頭の固いオジさんの二番煎じじゃダメでしょ!せめて逆立ちで両足くらい出さなきゃ」っていう意味でのイエローカードだったのでしょう。 -
エイムズの部屋。
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何という事もない部屋ですが。
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視点を置く場所によっては、巨人化(部屋の縮小化?)を錯視させられます。
見る人の錯覚ですから、部屋の中に入った人が楽しい思いをするとは限りません。もちろん、スベリ台にして遊ぶ部屋でもありません。 -
階段
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実は立体じゃないよ〜というだけでなく、エイムズの部屋と同じく距離錯視の原理で、階段上と階段下(手前)に人が立つことで、巨人と小人画像を創ることも出来たようです。
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ゴリラ〜!
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で、オジさんも仲良く順番に並んだのですが、お子様専用サイズだったようで前歯が欠けちゃいました。
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キリン。キリ〜ン・・と。
・・そういえば、そろそろノド渇いたなあ。 -
見る位置「視点」によっては、な〜んだかですが
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コーヒーカップです。
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こちらはますます?ですが、円柱を立てるとそこに映ることで図柄が判明します。
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上から見たのと下からじゃ本数の違う柱。
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9個の●があるのですが、一度に全部の●を見るのは至難という絵。
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4人じゃなく7人の顔があるラシュモア山。
7人目は左下の林の中らしいのですが、・・・未だに私には、不明。 -
動く家。
コレはお勧めの一枚です。 -
手の影をご覧いただくと分かるように、凹凸の立体画なんです。
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それもワザと視線で想う頂点と実際に工作した凹凸の頂点が食い違うように創られています。
色も凹んでいる方を明るい配色にします。 -
左右だけでなく上下にも動きます。
フォートラ書くより先に、早速、我が家でも創っちゃいました (=^・^=) -
おかしな絵ばかり連続で見ていると、流石に感覚が疲れます。
常識人の私には、やはり錯視よりも「自然の風景画」の方が癒されるようです。
皆様も長らくのお付き合い、どうもお疲れさまでした。
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