ルツェルン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ツェルマットを夕方4時頃出発して、ルツェルンに向かう。地図上では2時間ほどの距離なのであるが、ここは予想以上の峠道だ。最高地点はフルカ峠の2,436m、「ゴールドフィンガー」の撮影にも使われたというヘアピンカーブの連続の絶景ルートで、しかも濃い霧が出て非常に視界が悪い。すれ違う車は多くはないが、時々大型車とすれ違う時は少々ヒヤヒヤした。何とか明るいうちに峠道を超えて高速道路に入り、雨の中を一路北に向かい、ルツェルンには8時頃到着した。ルツェルン湖とカペル橋が見渡せる市庁舎のレストランで、名物のソーセージを注文、やっと一息つくことができた。<br /><br />ルツェルンと言えば夏のルツェルン音楽祭が知られる。学生の頃、よくNHKFMの海外の音楽会をエアーチェックしていたが、カラヤンは夏のルツェルン音楽祭の常連、彼の幾つかのライヴ録音は今でもカセットテープに残っている。ザルツブルクと並ぶ質の高い音楽祭だった。<br /><br />ルツェルンの人口は約8万人、スイスでは第7位、標高は436m、ドイツ語圏にある観光都市。ローマ時代から小さな集落が形成され、8世紀にサン・レオデガー修道院が創建され、12世紀末に市民が自治権を持つ。13世紀にサン・ゴッタルト峠を越える道が開通したことにより、ルツェルンの重要性は高まった。13世紀末にハプスブルク家によりルツェルンの自治が圧迫されたが、1386年のゼンパッハの戦いでハプスブルク家の軍隊を打ち破り、ルツェルンはスイス建国の歴史に大きな役割を果たした。<br /><br />ここで思い出されるのはヴィルヘルム・テル、14世紀初頭にルツェルンからほど近いアルトドルフの伝説の英雄で、弓の名手として知られている。ハプスブルク家から派遣された悪代官ヘルマン・ゲスラーは、その中央広場にポールを立てて自身の帽子を掛け、その前を通る者は帽子に頭を下げてお辞儀するように強制した。テルは帽子に頭を下げなかったために逮捕され、ゲスラーは、テルの息子の頭の上に置いた林檎を見事に射抜く事ができれば彼を自由の身にすると言い放った。<br /><br />我が子の頭上を的に、意を決したテルは矢を放ち、一発で見事に林檎を射抜いた。しかし、矢をもう一本持っていた事を咎められ、ゲスラーはテルを連行する。テルはゲスラーの手を逃れ、ゲスラーを陰から狙撃し射殺。町へ戻った彼は英雄として迎えられ、この事件は反乱の口火を切り、スイスの独立に結びついた。面白いことに、世界中にあまねく知られるロッシーニ作曲のヴィルヘルム・テル序曲(恐らくは序曲のみ)は、ウィーンのハプスブルク家に対する勝利の曲なのである。<br /><br />さて、ルツェルンの第1の見所はカペル橋。14世紀にロイス川に作られた屋根付き木造の橋で、城砦の一部として建造された。見張り塔の八角形のヴァッサートゥルムとともにルツェルンのシンボルになっている。橋の天井部分には、ルツェルンとスイスの歴史や守護聖人にまつわる伝説などを描いた絵が架けられている。1993年8月の火災により大部分を焼失し、1994年4月に再建された。日が沈みかかった夕刻、この橋を渡って写真を撮った。白鳥が群れをなし、優雅なスイスの夕暮れを楽しんだ。<br /><br />翌朝、第2の見所であるライオン記念碑を訪れた。この記念碑は意外なことに、1792年にフランス革命時にパリのチュイルリー宮殿でブルボン王家を守り、勇敢な死を遂げたスイス傭兵を偲んで作られたという。スイスならではのお話である。8世紀創建の、ホーフ教会近くの砂岩の岩壁を削って作られた。また、ライオン記念碑から歩いて10分ほどにあるムゼック市壁は、ルツェルン旧市街の北側に残る市壁で、建造は1386年。合計9つの見張り台とともに建造当時の姿を留めている。<br /><br />ルツェルンを昼前に発って東に進路を取り、中世以来の歴史を誇り、世界遺産に登録されているザンクト・ガレン修道院を訪れた。この修道院の基礎は613年、アイルランドから来た聖ガルスによって築かれた。ザンクト・ガレンの名は、聖ガルスにちなんでいる。9世紀、ローマ教皇ハドリアヌス1世はカール大帝の要請を受けて、グレゴリオ聖歌詠唱を普及していた聖歌隊をローマから派遣したこともある。<br /><br />現在の建物は18世紀に建造されたものであって中世修道院の面影はないが、バロック建築の傑作である。内部の手の込んだ装飾は素晴らしく、息を飲むほどだ。かつてベネディクト会の中心的修道院であったこの修道院の付属図書館には、数多くの写本などの貴重な蔵書が収蔵されている。修道院の周辺の街並みも落ち着いた佇まいで、ゆったりとした時間が流れて行く。チューリッヒ近くで渋滞のため1時間ほどロスしたこともあり、修道院を眺めることのできるカフェで慌ただしくランチタイムを過ごすことになった。もう少し時間を割くべき所だったと家族から苦情が出た。<br />

スイス・ドライヴの旅No.5:スイス独立の拠点ルツェルンと世界遺産のザンクト・ガレン修道院

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2014/08/12 - 2014/08/13

84位(同エリア497件中)

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ハンク

ハンクさん

ツェルマットを夕方4時頃出発して、ルツェルンに向かう。地図上では2時間ほどの距離なのであるが、ここは予想以上の峠道だ。最高地点はフルカ峠の2,436m、「ゴールドフィンガー」の撮影にも使われたというヘアピンカーブの連続の絶景ルートで、しかも濃い霧が出て非常に視界が悪い。すれ違う車は多くはないが、時々大型車とすれ違う時は少々ヒヤヒヤした。何とか明るいうちに峠道を超えて高速道路に入り、雨の中を一路北に向かい、ルツェルンには8時頃到着した。ルツェルン湖とカペル橋が見渡せる市庁舎のレストランで、名物のソーセージを注文、やっと一息つくことができた。

ルツェルンと言えば夏のルツェルン音楽祭が知られる。学生の頃、よくNHKFMの海外の音楽会をエアーチェックしていたが、カラヤンは夏のルツェルン音楽祭の常連、彼の幾つかのライヴ録音は今でもカセットテープに残っている。ザルツブルクと並ぶ質の高い音楽祭だった。

ルツェルンの人口は約8万人、スイスでは第7位、標高は436m、ドイツ語圏にある観光都市。ローマ時代から小さな集落が形成され、8世紀にサン・レオデガー修道院が創建され、12世紀末に市民が自治権を持つ。13世紀にサン・ゴッタルト峠を越える道が開通したことにより、ルツェルンの重要性は高まった。13世紀末にハプスブルク家によりルツェルンの自治が圧迫されたが、1386年のゼンパッハの戦いでハプスブルク家の軍隊を打ち破り、ルツェルンはスイス建国の歴史に大きな役割を果たした。

ここで思い出されるのはヴィルヘルム・テル、14世紀初頭にルツェルンからほど近いアルトドルフの伝説の英雄で、弓の名手として知られている。ハプスブルク家から派遣された悪代官ヘルマン・ゲスラーは、その中央広場にポールを立てて自身の帽子を掛け、その前を通る者は帽子に頭を下げてお辞儀するように強制した。テルは帽子に頭を下げなかったために逮捕され、ゲスラーは、テルの息子の頭の上に置いた林檎を見事に射抜く事ができれば彼を自由の身にすると言い放った。

我が子の頭上を的に、意を決したテルは矢を放ち、一発で見事に林檎を射抜いた。しかし、矢をもう一本持っていた事を咎められ、ゲスラーはテルを連行する。テルはゲスラーの手を逃れ、ゲスラーを陰から狙撃し射殺。町へ戻った彼は英雄として迎えられ、この事件は反乱の口火を切り、スイスの独立に結びついた。面白いことに、世界中にあまねく知られるロッシーニ作曲のヴィルヘルム・テル序曲(恐らくは序曲のみ)は、ウィーンのハプスブルク家に対する勝利の曲なのである。

さて、ルツェルンの第1の見所はカペル橋。14世紀にロイス川に作られた屋根付き木造の橋で、城砦の一部として建造された。見張り塔の八角形のヴァッサートゥルムとともにルツェルンのシンボルになっている。橋の天井部分には、ルツェルンとスイスの歴史や守護聖人にまつわる伝説などを描いた絵が架けられている。1993年8月の火災により大部分を焼失し、1994年4月に再建された。日が沈みかかった夕刻、この橋を渡って写真を撮った。白鳥が群れをなし、優雅なスイスの夕暮れを楽しんだ。

翌朝、第2の見所であるライオン記念碑を訪れた。この記念碑は意外なことに、1792年にフランス革命時にパリのチュイルリー宮殿でブルボン王家を守り、勇敢な死を遂げたスイス傭兵を偲んで作られたという。スイスならではのお話である。8世紀創建の、ホーフ教会近くの砂岩の岩壁を削って作られた。また、ライオン記念碑から歩いて10分ほどにあるムゼック市壁は、ルツェルン旧市街の北側に残る市壁で、建造は1386年。合計9つの見張り台とともに建造当時の姿を留めている。

ルツェルンを昼前に発って東に進路を取り、中世以来の歴史を誇り、世界遺産に登録されているザンクト・ガレン修道院を訪れた。この修道院の基礎は613年、アイルランドから来た聖ガルスによって築かれた。ザンクト・ガレンの名は、聖ガルスにちなんでいる。9世紀、ローマ教皇ハドリアヌス1世はカール大帝の要請を受けて、グレゴリオ聖歌詠唱を普及していた聖歌隊をローマから派遣したこともある。

現在の建物は18世紀に建造されたものであって中世修道院の面影はないが、バロック建築の傑作である。内部の手の込んだ装飾は素晴らしく、息を飲むほどだ。かつてベネディクト会の中心的修道院であったこの修道院の付属図書館には、数多くの写本などの貴重な蔵書が収蔵されている。修道院の周辺の街並みも落ち着いた佇まいで、ゆったりとした時間が流れて行く。チューリッヒ近くで渋滞のため1時間ほどロスしたこともあり、修道院を眺めることのできるカフェで慌ただしくランチタイムを過ごすことになった。もう少し時間を割くべき所だったと家族から苦情が出た。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
家族旅行
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
鉄道 レンタカー 徒歩 飛行機
  • カペル橋は14世紀にロイス川に作られた屋根付き木造の橋で、城砦の一部として建造された

    カペル橋は14世紀にロイス川に作られた屋根付き木造の橋で、城砦の一部として建造された

  • カペル橋は見張り塔の八角形のヴァッサートゥルムとともにルツェルンのシンボル

    カペル橋は見張り塔の八角形のヴァッサートゥルムとともにルツェルンのシンボル

  • 夕刻の八角形のヴァッサートゥルム

    夕刻の八角形のヴァッサートゥルム

  • 夕刻のカペル橋

    夕刻のカペル橋

  • 夕刻のルツェルン湖畔の風景

    夕刻のルツェルン湖畔の風景

  • ルツェルン湖畔の教会

    ルツェルン湖畔の教会

  • カペル橋近くで群れをなす白鳥たち

    カペル橋近くで群れをなす白鳥たち

  • カペル橋の天井部分には、ルツェルンとスイスの歴史や守護聖人にまつわる伝説などを描いた絵が架けられている

    カペル橋の天井部分には、ルツェルンとスイスの歴史や守護聖人にまつわる伝説などを描いた絵が架けられている

  • カペル橋から近代的なルツェルン中央駅を見る

    カペル橋から近代的なルツェルン中央駅を見る

  • ライオン記念碑、1792年にフランス革命時にパリのチュイルリー宮殿でブルボン王家を守り、勇敢な死を遂げたスイス傭兵を偲んで作られた

    イチオシ

    ライオン記念碑、1792年にフランス革命時にパリのチュイルリー宮殿でブルボン王家を守り、勇敢な死を遂げたスイス傭兵を偲んで作られた

  • ライオン記念碑の近景、砂岩の岩壁を削って作られた

    ライオン記念碑の近景、砂岩の岩壁を削って作られた

  • ヴィルヘルム・テル、14世紀初頭にルツェルンからほど近いアルトドルフの伝説の英雄

    ヴィルヘルム・テル、14世紀初頭にルツェルンからほど近いアルトドルフの伝説の英雄

  • ルツェルンの街並み

    ルツェルンの街並み

  • ルツェルンの街並み

    ルツェルンの街並み

  • ムゼック市壁は、ルツェルン旧市街の北側に残る市壁で、建造は1386年。合計9つの見張り台とともに建造当時の姿を留めている

    ムゼック市壁は、ルツェルン旧市街の北側に残る市壁で、建造は1386年。合計9つの見張り台とともに建造当時の姿を留めている

  • ムゼック市壁と見張り台の一つ

    ムゼック市壁と見張り台の一つ

  • ルツェルンの北方にある世界遺産の一つ「アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群」、紀元前5000年頃から前500年頃までにアルプス山脈周辺で建設された杭上住居の遺跡群

    ルツェルンの北方にある世界遺産の一つ「アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群」、紀元前5000年頃から前500年頃までにアルプス山脈周辺で建設された杭上住居の遺跡群

  • 同上、何の看板も案内もない

    同上、何の看板も案内もない

  • 世界遺産のザンクト・ガレン修道院は中世以来の歴史を誇る、この修道院の基礎ははアイルランドから来た聖ガルスが613年によって築かれた

    イチオシ

    世界遺産のザンクト・ガレン修道院は中世以来の歴史を誇る、この修道院の基礎ははアイルランドから来た聖ガルスが613年によって築かれた

  • ザンクト・ガレン修道院の側面

    ザンクト・ガレン修道院の側面

  • ザンクト・ガレン修道院の中庭

    ザンクト・ガレン修道院の中庭

  • ザンクト・ガレン修道院の荘厳な内部

    イチオシ

    ザンクト・ガレン修道院の荘厳な内部

  • ザンクト・ガレン修道院の天井画

    ザンクト・ガレン修道院の天井画

  • ザンクト・ガレン修道院の聖壇

    ザンクト・ガレン修道院の聖壇

  • ザンクト・ガレン修道院の精緻な装飾

    ザンクト・ガレン修道院の精緻な装飾

  • ザンクト・ガレン修道院の内部

    ザンクト・ガレン修道院の内部

  • リアルな色彩のピエタ

    リアルな色彩のピエタ

  • ザンクト・ガレン修道院の北側に位置する聖ロレンツォ教会のファサード

    ザンクト・ガレン修道院の北側に位置する聖ロレンツォ教会のファサード

  • 聖ロレンツォ教会の内部

    聖ロレンツォ教会の内部

  • ザンクト・ガレンの街並み

    ザンクト・ガレンの街並み

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この旅行記へのコメント (1)

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  • tadさん 2014/09/16 16:14:33
    再建されたカペル橋
    カペル橋の写真を見て、天上の木の色がきれいなので、そうだ、私が1975年に見た後、焼失したのを思い出しました。あの時の橋はもっと年季がはいって、相当古めかしく見えたのを覚えています。絵もあまり綺麗には見えなかった記憶があります。

    ルツェルン音楽祭は、アバードがやっているうちに行きたいと思ったことがありますが、とうとう実現しませんでしたね。

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