2014/06/05 - 2014/06/05
10位(同エリア25件中)
ベームさん
6/5(木)、11日目午後。
コンピエーヌの後午後からはゴッホが人生最後の2か月を過ごし37歳で自殺を遂げたオヴェール・シュル・オワーズです。
パリの北西30キロ、今も田舎ですが当時はもっと静かであったろうこの地にゴッホは心の安らぎを求めてやってきたのでした。1890年5月のことです。
しかしゴッホの精神はここでも安定を得られず僅か2か月後に自ら命を絶ってしまいました。
この短い間にもゴッホは代表作「カラスのいる麦畑」とか「オヴェールの教会」など数十点の絵を残しています。
ゴッホだけではなくオヴェール・シュル・オワーズにはドービニー、セザンヌ、ピサロなどのゆかりの地で、ゴッホの眠る墓地には何人もの画家の墓があり、画家の村と名付けられています。
写真はゴッホの「オヴェールの教会」と同じ視点から見たノートルダム教会。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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パリ~コンピエーヌ~オヴェール・シュル・オワーズ~パリ。
オヴェール・シュル・オワーズ、オワーズ川沿いのオヴェール。
人口7千人ほどの町というか村というか、街を歩いていても観光客の方がずっと多かったです。 -
クレイユ駅。
12:04のコンピエーヌ発。クレイユで乗り換えます。 -
TERの車内、がらがらです。
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オヴェール・シュル・オワーズ駅13:39着。
ノートルダム教会の塔が見えています。 -
駅舎の中。
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ゴッホの絵が出迎えてくれました。
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オヴェール・シュル・オワーズ駅。
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駅前からだらだら坂を上ると、
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教会の足元に着きます。
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ノートルダム教会です。
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ゴッホの「オヴェールの教会」に描かれた教会です。
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聖母被昇天ノートルダム教会。
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コンサート(多分)の準備をしていました。
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うす暗くて少し殺風景な教会です。
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この教会を描いたゴッホの絵が掛かっています。
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なんとなく陰気な教会でした。
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教会は小高いところに建っています。
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ノートルダム教会。
マナーの悪さで世界中で顰蹙をかっている某国人の団体2グループ、50人くらいがたむろしていました。彼らの行動力は凄いです。何処へ行っても彼らの姿を見ない観光地はありません。 -
6/5~7/2、オヴェール・シュル・オワーズ・フェスティヴァル。
中でこの準備をしていたのですね。 -
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ゴッホの絵が描かれた場所です。
絵の看板が建っています。 -
「オヴェールの教会」。
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左テオとフィンセントの墓。
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坂道をゆっくり上ります。
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草原に出ました。
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なんだかゴッホの世界です。
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「雨」が書かれた場所のようです。
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墓地に着きました。教会から15分ほど。
広い草原の真っただ中にありました。 -
オヴェール・シュル・オワーズ、画家たちの村。
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某国人の一団が近づいてきます。彼らが来ないうちに見てしまいましょう。
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フィンセントとテオ兄弟のお墓です。墓地の端の塀際にありました。
フィンセント・ファン・ゴッホ:1853・3・30~1890・7・29。37歳。
テオドール(テオ)・ファン・ゴッホ:1857~1891・1・25。33歳。 -
左フィンセント、右テオドール。
テオドール(テオ)は兄の亡くなった後を追うように翌1891年1月オランダのユトレヒトで亡くなりました。後年フィンセントのそばに改葬されました。
碑には「フィンセント・ファン・ゴッホここに眠る。1853~1890」とだけ彫られています。 -
画商のテオは兄の面倒をよく見ました。しかし兄の死に面して一気に健康を害したようです。兄弟寂しくしかし仲良く隣り合って眠っています。孤独な兄弟にふさわしい墓でした。
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暑くなってきました。
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草原の間の道を行きます。
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「カラスのいる麦畑」を描いた場所。
この絵の前を某国人の一団が占拠していて代わる代わる写真を撮っています。居なくなるまでしばらく待ちました。
撮影ポイントの真後ろに工事関係の車が止まっていて邪魔。 -
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ゴッホはよくここを訪れたのでしょう。その風景は今も変わっていないと思います。
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別の道を村に降りてきました。
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シャルル・フランソワ・ドービニーの像。ドービニー通り。
バルビゾン派の画家ドービニーは1860年オヴェール・シュル・オワーズに移り住んでいます。1817~1878年。 -
ドービニー通り。
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暑い。暑さは一番こたえます。
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ドービニー美術館。
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日陰を伝って歩きました。
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ドービニーのアトリエです。
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ドービニーのアトリエ。1861年。
ドービニーは若い画家たちに広くこの門を開放したようです。 -
庭。
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「ドービニーの庭」。1890年、ゴッホの亡くなる年です。
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レリ通り。
前方を3人の中年の日本人女性が歩いています。少し話を交わしました。私と同じパリから日帰りで来たそうで明日はシャンティイに行くとのこと。
先ほど某国人の団体を見ているだけに日本人も来ているのだぞ、と気分がよくなりました。 -
オヴェール城です。
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1635年築。現在印象派記念館。
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庭園。
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庭園からの眺め。
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ガシェ医師通り。
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メゾン・デュ・ドクトゥール・ガシェ/ガシェ医師の家。
思ったより遠かったです。日差しが強く疲れました。 -
「医師ガシェの肖像」。
ガシェ。ポール・ガシェ。1828~1909年。
神経病方面の医師。美術愛好家で自らも絵を描いた。セザンヌ、ピサロ、ドービニーらと親交を持ちオヴェール・シュル・オワーズに集まる画家たちのパトロン的役割をも果たしている。
ゴッホは25歳年上のこの医師を頼ってこの地にやってきた。ガシェはゴッホを理解し兄弟のように交わっていたがついに救うことは出来なかった。傷ついたゴッホを診たときはもう手遅れだった。 -
代々の所有者のリストでしょう。
1872~1962年の間はガシェ家の所有で、いまはオワーズ県の所有のようです。 -
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先ほどの日本人の女性に撮ってもらいました。
先に私が彼女らに頼まれて撮ってあげて、代わりに撮ってあげると言われ断れませんでした。 -
来た道の一本下の道を町の中心部に向かいます。
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フランソワ・ヴィヨン通り。
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ちょっと晴れやかなところに来ました。
ドゴール元帥通り。 -
お花屋さん。
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イースターの時期は終わっていますがショーウインドーには兎と卵が一杯。
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国中どこでも見かける戦没者慰霊碑。
これは第1次、第2次世界大戦。 -
オテル・ド・ヴィル/村役場。
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役場の向かいにラヴー亭。
1890年5月から死の7月までゴッホが最後の時を過ごした家。 -
オーヴェルジュ ラヴー。
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1890年のラヴー亭。
軒下の”COMMERCE DE VINS RESTAURANT”の表示が今のと全く同じです。 -
ラヴー亭のフィンセント・ファン・ゴッホ。
アデリーヌ・ラヴーの肖像画。
アデリーヌはラヴー亭の主人の長女で13歳。 -
ラヴー亭の裏側がゴッホの家として公開されています。
ゴッホの部屋。4畳半位の小さな部屋でした。 -
このベッドが部屋の隅に置かれていたそうです。閑だったのか他に訪問者がいなかったからなのか、係の人が案内してくれました。
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説明してくれるのですが悲しいかなほとんど分かりません。
時々分かる言葉があると大きく頷いたりしてごまかします。すると相手はこちらがフランス語が分かると思ってますますまくしたてます。 -
ゴッホが使っていた水差しです。
係の人にオリジナルかと訊いたらそうだとの答え。 -
部屋の全景。
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ゴッホの足跡のスライドを見せてくれます。
ファン・ゴッホの足跡。1890年5月20日~7月29日。 -
「パリの騒々しさは僕に非常によくない影響を及ぼすから、田舎に逃げ出した方がわが身にとって賢明なことだと判断した」。
画面の左上にフランス語、左下に英語、右下に日本語でゴッホの言葉が書かれています。いろんな国のバージョンがあるのだろうか。それともフランス語、英語と並んで日本語が選ばれたのだろうか。そうだとすれば素晴らしい。よっぽど日本人の訪問が多いのだろう。日本人はゴッホが好きだから。
ちなみに客は私一人でした。 -
1890年のラヴー亭。
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ゴッホが住んだ頃のオヴェール・シュル・オワーズ。
「ここはパリから遠い。本当の田舎だと思うほど」。 -
「ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ風の静寂さ。工場は無く、そのかわり手入れされた美しい緑草が豊富にある」。
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「本当の田舎だ」。
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1890年7月14日、オヴェール・シュル・オワーズの祭日。
革命記念日です。 -
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ゴッホの数々の作品を鮮やかな色彩で再現してくれます。
画面左の写真が実物、右がゴッホの絵です。 -
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アデリーヌ・ラヴー。
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ガシェ医師。
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ラヴー亭を訪れたらこのスライドは一見の価値があります。
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オヴェール・シュル・オワーズには良い滞在をしました。
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帰りの車窓。
オヴェール・シュル・オワーズ17:05発、パリ・北駅18:03着。 -
北駅。
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駅前の日本語のメニューのあるレストランで夕食。
見るからに固そうな肉。ワイン500mlとカラフ・ド・ロー(水道水です)。水道水はタダです。
一人の食事は侘しいです。 -
500mlのワインを飲んでよい気持ちになり一歩き。
ストラスブール・サン・ドニ駅で地下鉄8号線に乗り換えマドレーヌへ。 -
マドレーヌ寺院の中が写真撮影可になっていると聞いたので行ってみるともう閉まっていました。
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ロワイヤル通りをコンコルド広場まで。
マキシム。この通りはシャネル、ディオール、グッチなど高級ブランド店が軒を連ねています。 -
コンコルド広場。
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オベリスク。
紀元前13世紀、ラムセス2世時代のもの、ルクソールから運ばれてきました。
1825年エジプト太守メフメット・アリからシャルル10世に贈られたものです。 -
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正面マドレーヌ寺院、右旧海軍省。
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広場の四隅にはフランスの8大都市を表す女性像が建っています。
リール・ストラスブール、リヨン・マルセイユ、ボルドー・ナント、ブレスト・ルーアン。
リール。 -
ストラスブール。
本日はこれで終わり、ホテルに帰ります。暑い1日でした。
テレビはノルマンディー上陸作戦の特集番組ばかり。明日からは2泊でブルゴーニュ地方に行きます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
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- コクリコさん 2014/11/15 17:56:48
- オーヴェル・シュル・オワーズ
- ベームさん、こんにちは。
ルーアン〜フェカン〜エトルタのコース、ベームさんの旅行記を参考にさせていただいたので全てスムーズに行きました。
ありがとうございました。
私たちはその後エトルタからル・アーブル経由でオンフルールへ行き、オンフルールに1泊して、オンフルールからバスでトゥルーヴィル/ドーヴィルまで行きパリに帰ってきました。
パリに帰ってきた翌日、オーヴェル・シュル・オワーズに行きました!
ベームさんはコンピエーニュからオーヴェルに入られたのですね。
私はオーヴェルの手前の駅シャポンヴァルから歩いてオーヴェルに入りました。
あそこら辺は長閑な田舎道で散歩するのに気持ちが良いですね。
シャポンヴァルからオーヴェルまでの道にも絵看板が所々に立っていたので楽しめました。
帰りはオーヴェルから列車に乗ったのですが駅舎には入らなかったので残念ながらベームさんが写されたゴッホの絵は見ませんでした。
ドービニーの美術館もアトリエも入りませんでした。
ラヴー亭は妹だけ入ったのですが、英語圏の団体さんで溢れていて騒がしく写真も撮れないし、スライドも見られなかったとがっかりしていました。
私は入らなかったのでベームさんの旅行記でラヴー亭を見させていただきますね。
ラヴー亭ではベームさん一人だけだったとのこと、ゆっくり見学できて良いひと時を過ごせたのですね!
ゴッホ公園では私たちと、中国人のカップル、韓国人のカップルだけがいて、
「ここに東アジア人だけいるなんてね」
と不思議な感じがしました。
お互い個人旅行者だったので和やかに挨拶しました。
そうそう、フランス人の年配のご夫婦ともここで親しくなりメールで写真の交換をしました。
オーヴェル・シュル・オワーズにいるとゆっくり時が過ぎてゆき、皆穏やかな気持ちになるのですね。
- ベームさん からの返信 2014/11/15 21:31:55
- RE: オーヴェル・シュル・オワーズ
- コクリコさん、
今晩は。
私の旅行記が少しでも参考になったのでしたら嬉しいです。
私はエトルタからバスでル・アーブル、オンフルールを経てカーンに行きそこで一泊しました。道中ずっと雨でした。カーンからバイユーまで足を延ばしマチルドのタピスリーなどを見て良い思い出になりました。
オーヴェール・シュール・オワーズは小さい村だと思っていましたが色々見て回ろうとすると結構広いのですね。ゴッホの墓からガシェの家までかなり歩きました。コクリコさんのように一駅ぶらぶら歩くのもいいですね、もう少し暑くない日にもう一度行ってみたいです。私が行った日はとても暑く疲れました。
続きを楽しみにしています。
ベーム
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