2014/06/05 - 2014/06/05
4位(同エリア19件中)
ベームさん
6/5(木)、11日目。
1430年5月23日はジャンヌ・ダルクにとって運命の日となった。
フランス軍(シャルル7世軍)が支配していたコンピエーヌをイングランドと手を結ぶブルゴーニュ公国軍が攻略してきた。
シャルルの命によりわずかの兵を連れてジャンヌはコンピエーヌ救援に向かう。コンピエーヌ入城は果たすも数に勝るブルゴーニュ軍との戦いのうちついにジャンヌは捕らえられてしまう。一説には退却するフランス軍のしんがりで戦っていたジャンヌが城に入る前に城の守備隊が堀にかかる跳ね橋を引き上げてしまった、という。
当時は捕虜は身代金を払って取り戻すことが出来た。だがシャルルは身代金を払ってジャンヌを救出しようとはしなかった。いわば見捨てたのである。ブルゴーニュ軍はジャンヌをイングランド軍に売り渡した。後は歴史の示す通り、ジャンヌは宗教裁判にかけられ異端者/魔女としてルーアンで処刑される。1431年5月31日、19歳の短い生涯だった。
ジャンヌの手引きによりランスで正式にフランス国王として戴冠したシャルルはそれで満足したのかそれ以上積極的に戦おうとせず、むしろブルゴーニュ公国、イングランドと和平することを求めた。
ここで神のお告げによりあくまでイングランド軍をフランス国土から駆逐するべきと主張するジャンヌとシャルルの間に隙間風が入ってくる。
シャルルの積極的な支援の無い中でジャンヌはパリ攻略に失敗するなど神の加護も薄れていったようで、その後の戦いで目覚ましいものは無い。
ジャンヌを見捨てたシャルルは確かに恩知らずである。しかしシャルルは政治的、外交的手腕を持っていた。一少女の命よりも和平を望んだ。1435年ブルゴーニュ軍と和解が成立すると攻勢に転じ、1453年カレーを除きイングランド軍を大陸から駆逐し100年戦争を収束させた。
写真はコンピエーヌ城大広間。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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パリの北東80キロ、オワーズ川に望む古都。人口5万人弱。
いろいろ歴史的出来事に事欠かない町です。
メロヴィング朝のクロヴィス1世はここをフランク王国の首都としたこともある。
カール大帝シャルルマーニュの孫で西フランク王国の禿頭王シャルル2世がここに最初の宮殿を建てた。888年には後のカペー朝に繋がるウード1世がこの地で戴冠している。
今のコンピエーヌ宮殿はルイ15世、ルイ16世により建てられたが、1770年当時王太子だったルイとマリー・アントワネットが初めてここで会っている。
世継ぎが生まれないジョゼフィーヌと離婚したナポレオン1世は二人目の妃となるオーストリア皇帝フランツ1世の長女マリー・ルイーゼと1810年ここで初めて会ったとか。
1630年には息子ルイ13世との権力争いに敗れたアンリ4世の未亡人マリー・ド・メディシスがこの地に追放されたとか。
1918年11月コンピエーヌの森で第1次世界大戦の休戦協定が連合国側とドイツとの間で結ばれ、大戦は実質的に終結したとか。
などなど。
近くにピエールフォン城があります。 -
パリ・北駅発7:37のアンテルシテでコンピエーヌ着8:16。
昨日とうって変わって快晴です。 -
コンピエーヌ駅。
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ソルフェリーノ橋でオワーズ川を渡ります。
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橋を渡り右にアルレ通りを行くと古い遺跡が有ります。
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王の大塔といい12世紀初めの城跡です。
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コンピエーヌで捕らえられたジャンヌ・ダルクがここに入れられたので別名ジャンヌ・ダルクの塔といわれます。
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オーステルリッツ通り。
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アントワーヌ・ヴィヴネル博物館。
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幼稚園児か保育園児か。フランスにはスクールバスというものがあるのか無いのか知りませんが小さい子は必ず親が伴っています。
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サン・タントワーヌ教会。
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サン・コルネイユ通りのサン・コルネイユ図書館。
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通りの先に見えるのは市庁舎。
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サン・コルネイユ大修道院。
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市庁舎前広場と市庁舎です。
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市庁舎。
16世紀に建てられ19世紀に改修されています。
塔はサン・ジャック教会にあったもので1303年に造られた鐘が有ります。高さ47m。 -
塔の上部に3人の兵士がいて15分ごとに鐘をたたくそうです。
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市庁舎前広場のジャンヌ・ダルク像。
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凛々しい乙女。
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市庁舎前広場。
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ショッピングセンター。
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1階にはサンドイッチ屋とか保険代理店とか。
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郵便局。
ここで日本に宛て絵葉書を出しました。0.98ユーロ。 -
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ロンバール通りの面白い木組みの家。
商売は不動産屋です。
木組みの家はフランスではColombage/コロンバージュ、ドイツではFachwerkhaus/
ファッハヴェルクハウスというそうです。 -
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サン・ジャック教会。
13~18世紀。 -
ジャンヌ・ダルクが捕らわれる日の朝、この教会でお祈りをしたと言われています。
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以下サン・ジャック教会。
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内陣。
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美しいです。
私は髭もじゃの聖人像は好きません。 -
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ジャンヌ・ダルクが戦いに勝つよう祝福を受けている場面に見えます。
しかしこの日運命が暗転するとは。 -
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ジャンヌ・ダルク。
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装飾が素晴らしい教会でした。
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コンピエーヌ城の前の広場に来ました。
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後ろを振り返るとダオメイ通りとサン・ジャック教会。
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コンピエーヌ城。
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コンピエーヌ城。
左翼。 -
正面。
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右翼。
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中庭。
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宮殿内。
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回廊。
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マリー・アントワネットはこの宮殿をことのほか好んで、自ら改装の指揮をしたり好みの家具調度類を調えたといいます。
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しかしそのうち革命がおこり、アントワネットはついにここに住むことは出来なかったようです。
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アントワネットが誂えたものが残っているのかどうかは分かりませんが実にきらびやかな調度類です。
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ナポレオン1世、ナポレオン3世もこの宮殿に手を付け、特に3世はここでしばしば豪華な宴会を催したそうです。宮殿の裏から続くコンピエーヌの森は絶好の狩猟場でした。
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今まで沢山城とか宮殿を見ましたがこの宮殿の調度類が一番センスがあるように思えました。
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天蓋から下がるカーテンを天使らしいのが捧げています。
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タピスリー。
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ルイーズ・マリー・ドルレアン。
フランス国民の王ルイ・フィリップの娘で、ベルギー国王レオポルト1世妃。レオポルトとコンピエーヌ城で結婚しました。 -
レオポルト1世。
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大広間。
ヴェルサイユ宮殿の鏡の間みたいにギラギラしていなくこじんまりしていてずっとシックです。 -
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天井が素晴らしい。
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天井にはめ込まれている絵。
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街の中華屋でカレーライスを注文したらこんなのが出てきました。
日本風のご飯の上にカレーがドロっとかけてあるのを想像していましたが。
1664はフランス各地で飲まれているビール。アルザス地方のブランドのようです。 -
お花屋さん。
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駅に向かいます。
オワーズ川の橋の上から市街地の方。左の建物の袖看板にシチズンの名が有ります。 -
オワーズ川。
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セーヌ川の支流です。
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ここにもジャンヌ・ダルクの像。
ここにも、といってもどこだったか思い出せません。多分橋の袂でしょう。
オヴェール・シュル・オワーズに向かいます。
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