2014/05/31 - 2014/05/31
4位(同エリア39件中)
ベームさん
5/31(土)、6日目。
ソーミュールの後アンジェに来ました。
古来この地方にはガリア人が住んでいたが9世紀にアンジュー伯がノルマンの来襲に備え拠点を構えてから16世紀までアンジュー公国の都でした。
ではアンジュー帝国ってなに?。いろいろ調べましたがどうもよく分かりません。分からないなりにまとめてみますと。
12世紀初め、この地を治めていたアンジュー家の一つプランタジネット家のジョフロワ・プランタジネットとイングランド王ウイリアム1世(ノルマン征服王)の孫マチルダが結婚した。1128年。
二人の間に生まれたのがヘンリー(アンリ、後のイングランド王ヘンリー2世)。
ヘンリーは父からアンジュー、ノルマンディー他の公国、母からイングランド王位継承権を取得し、さらにアキテーヌ女公アリエノール(アリエノール・ダキテーヌ、フランス王ルイ7世の妃だが離婚した)と結婚することによってアキテーヌ公国(フランス南西部ガロンヌ川流域からピレネーにいたる)も取得した。
1154年ヘンリーはイングランド王ヘンリー2世として即位、プランタジネット朝を開いた。ここにイングランド並びにフランス大陸南西部の広大な地域がプランタジネット家のものとたなった。カペー家のフランス王国を遥にしのぐもので、これを後世歴史家が「アンジュー帝国」とよ呼ぶようになった。
写真はアンジェ城にある「黙示録のタピスリー」の一部。
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アンジュー帝国の強大化に危機感を抱いたのは当然フランス王だが、ルイ7世の次のフィリップ2世(尊厳王。パリに最初の城塞ルーヴルを築く)は英明な策士だった。ヘンリーとアリエノールの仲が冷えるのをとらえ、アリエノールとヘンリーの間の二人の息子リチャード(後の獅子心王リチャード1世)、ジョン(後のジョン欠地王)を焚き付け共同でヘンリー2世に対抗した。身内に背かれフィリップ2世にも敗れたヘンリーは1189年シノン城に逃げ込みそこで憤死した。
のちフィリップ2世とリチャード1世はともに十字軍遠征中仲違いし、リチャードはその後も戦いに明け暮れたが1199年受けた矢傷がもとで父と同じくシノンの町で亡くなる。 -
アンジェ・サン・ロー駅。ソーミュール発13:38、アンジェ・サン・ロー着14:11。
獅子心王リチャード1世の後を継いだ弟ジョン欠地王はフィリップ2世との戦いに負け続け1204年頃にはプランタジネット家の大陸の領土を本拠地のアンジェを含めあらかた失ってしまう。残ったのはガスコーニュ地方のみ。
ここにアンジュー帝国と呼べるような広大な領土は無くなり、プランタジネット家はもっぱらイングランド経営に専念するようになった。1154年から半世紀ほどの帝国だった。
もっともイングランドのプランタジネット朝は1485年リチャード3世の死によりテューダー朝が始まるまで続いている。
アンジュー公国はプランタジネット家から別のアンジュー家に与えられ16世紀まで存続した。 -
駅前風景。
1066年ノルマンディー公ギヨームのイングランド征服(ウイリアム1世)以来大陸の領邦君主がイングランド王になり、大陸に於いてはフランス王に臣従、イングランド王としてはフランス王と対等、というややこしい両国の関係が後の100年戦争の一因といわれている。
ジョン欠地王のあだ名の由来をジョンが大陸の領土を次々と失ったからと思っていましたが、父ヘンリー2世から相続する土地が無かったからだということが調べているうちに分かりました。 -
駅前の高級ホテル、オテル・ド・フランス。
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ヴィシタシオン広場のマルグリット・ダンジュー像。1429~1482年。
アンジュー家の出。イングランド王ヘンリー6世の妃。
1453年100年戦争が終わった2年後、イングランド内で同じプランタジネット家の血を引くランカスター家(赤いバラ)とヨーク家(白いバラ)の間で権力闘争が始まった。世に言うばら戦争です。1455~1487年。
時のイングランド王はランカスター家のヘンリー6世。対抗したのはヨーク公リチャード。やや精神に異常のある夫ヘンリーに代わりランカスター家を率いたのがマルグリット。夫も息子もこの戦争で失い1482年アンジェで亡くなる。 -
アカデミー広場。
ばら戦争は一進一退の後一旦はヨーク側が勝利をおさめヨーク朝が成立したが、フランスに亡命していたランカスター家の血を引くヘンリー・テューダーがフランス王の支援を受けイングランドに侵攻、1485年ヨーク朝リチャード3世を敗死させヘンリー7世として即位してテューダー朝を開き、1154年のヘンリー2世以来のプランタジネット朝は終わりを告げた。 -
リチャード3世とはシェークスピアの戯曲「リチャード3世」に悪役として描かれているあのリチャードです。リチャードはまだ12歳だったエドワード5世とその弟をロンドン塔に幽閉し殺害して王位を簒奪してリチャード3世となった。
映画「リチャード3世」でローレンス・オリヴィエ扮するリチャード3世の悪人ぶりが思いだされます。
ヘンリー6世とマルグリット・ダンジューの子エドワード王子の妃で、夫エドワードが戦死したのちリチャードに強引に求婚されその妻となったアン王妃をクレア・ブルームが演じていましたがこれがまた美しかった。チャップリンの映画「ライムライト」でバレリーナ役を演じたイギリスの女優です。
1955年の日本封切りのパンフレット、大事に取ってありました。
なんだか旅行記と離れたしまったようですが全くアンジュー家と関係がないわけでもありません。
リチャード3世の風貌はシェークスピアの「リチャード3世」で描くところの醜かいな悪人としたイメージがありますが、近年その葬られた場所から発掘された頭蓋骨をDNA鑑定などで調べたところ、リチャード3世のものと判定され、顔を復元したところ意外や美男子だったそうです。頭には多くの切り傷があったそうですが映画でも最期はめった切りにされます。 -
アカデミー広場のサン・ロー教会。
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以下サン・ロー教会。
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内陣の祭壇。
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アンジュー伯フルク5世のステンドグラスの説明。
上:フルク5世、十字軍遠征に出発。
中:エルサレムでのフルク5世の戴冠。
下:フルク5世、正当な十字架を持ってサン・ロー教会に帰還。
フルク5世(1095~1143)は後にイングランドでプランタジネット朝を開いたヘンリー2世の祖父。1131年第1回十字軍遠征でエルサレムに入城しエルサレム王女メリザンドと結婚、エルサレムの共同王位に就く。
これを見るとこの教会は当時からあった古く由緒ある教会なのですね。 -
ピエタ/キリスト哀悼。
マリアがキリストの額に口づけしています。 -
キリスト埋葬。
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ここでジャンヌ・ダルク像を見ることが出来ました。
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プレジダント(プレジデント)・ケネディ広場。
またアメリカ大統領の名が出てきました。フランス人はあまり国籍とか肌の色などでよそ者、地元の分け隔てをしません。そんな感覚でよその国の人の名前を自国の土地の名につけるのも抵抗ないのでしょう。 -
広場の角からアンジェ城が始まります。
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17本の塔を持ち城壁の長さは約1キロ、メーヌ川の高台に建つ。
9世紀にアンジュー伯がノルマン人に対抗するため拠点を築いた。今の城は13世紀、聖王ルイ9世の母ブランシュ・ド・カスティーユが摂政時代に建設を始めルイ9世のとき完成。 -
シャルル・ド・ゴール通りに沿って続く城壁。
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塔の高さは大体30mに揃えられています。
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こういう城壁の形を見るのは初めてです。
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石を積み上げた円形の塔が並ぶ様は壮観です。
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通りを城に沿って下るとメーヌ川に出ます。ロワール川の支流です。
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下シェヌ橋から。
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巨大な石の堆積です。
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ケネディ広場の角まで戻ってきました。
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水の無い堀跡は綺麗な花壇になっています。
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ケネディ広場。
奥にサン・ロー教会。 -
観光トレインが来ました。
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城を半周して反対側です。
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では城内へ。
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シャトー・ダンジュー。
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入り口。
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城内の庭園。
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北の角の塔で風車塔といいます。かって上に風車があったそうで一番高く40mあります。
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礼拝堂。1410年頃。
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小城塞。15世紀。
物見やぐらの形が面白いですね。 -
代々のアンジュー家一族の紋章でしょう。
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小城塞を潜り抜け反対側から。左の建物は礼拝堂。
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左王の館、右礼拝堂。
14世紀の再建。 -
小城塞と礼拝堂と王の館。
前景は領主の中庭。 -
領主の中庭。
後方の建物に有名なヨハネ黙示録のタピスリーが収められています。後で入ります。なおタピスリーの写真は枚数が多いので最後に回します。 -
王の館。
アンジュー公ルネ・ダンジュー。1409~1480年。
最初の方の写真にあるマルグリット・ダンジュー(イングランド王ヘンリー6世の妃)はルネの娘。 -
城壁の上に登ってみました。
一番高い風車の塔です。 -
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礼拝堂。
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メーヌ川。
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城壁の上からの眺望。
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サン・モーリス大聖堂。
最後にタピスリーを見て城を後にしました。 -
大聖堂のあるサント・クロワ広場に来ました。
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サン・モーリス大聖堂。
お城からトゥッサン通りの先、サント・クロワ広場に面しています。 -
12~13世紀の建設。
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以下大聖堂です。
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内陣のステンドグラスは12世紀のものだそうです。
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主祭壇。
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北のバラ窓。
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バラ窓の説明です。
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南のバラ窓。
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共に15世紀のもの。
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南北のバラ窓とステンドグラスの配置図。
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広場の片隅のアダムの家。
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15世紀。
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壁面の柱には奇妙な彫刻が一杯あります。
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ラ・メゾン・ダダム/アダムの家。
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サント・クロワ広場。
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駅の方に戻りつつ。
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サン・トーバン塔。
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ベネディクト派サン・トーバン修道院の鐘楼だった。
アンジェで最も古い建物。17~18世紀に改築されています。 -
今は催し会場のようです。
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メーヌ・ロワール県庁。
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アンジェー美術館。
時間がなく入りません。 -
ダヴィッド・ダンジェー・ギャルリー。
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駅に戻ってきました。
17時20分の列車でナントに向かいます。 -
アンジェ城最大の見もの「ヨハネ黙示録のタピスリー」です。
城の北西の隅にある1954年に建てられた黙示録ギャルリーに収蔵されています。
タピスリーの左端、スタート部分。 -
最初は黙示録の作者とされている福音書記者聖ヨハネ。
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以下は順番通りではありません。
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1375年にアンジュー公ルイ1世の注文で作成され1382年に完成したとされています。
ヨハネの黙示録が主題ですが、100年戦争や流行したペスト、飢饉の様子も描かれているそうです。 -
高さ4.5m、長さ100m(当初は133mあった)、世界最大のタピスリーです。
2010年にバイユーのタピスリーを見ましたが幅50cm、長さは70mでした。 -
ヨハネ黙示録とは新約聖書の最後の書ですが読んだことが無いので織られているものが何を表しているのかは分かりません。
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やや色あせているものの600年以上前に作られたものがこんなに美しいままで保存され目の当たりに見ることが出来るなんて驚きです。
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写真は明るさを修正しています。たくさん撮りましたのでごゆっくりご覧ください。
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かすかな照明で足元は真っ暗、目が慣れるまでは怖くてそろそろとしか進めません。
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終わり。
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この旅行記へのコメント (2)
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- マリアンヌさん 2015/03/17 12:35:31
- はじめまして
- はじめまして、ベームさん。
そしてイイねをありがとうございました。
歴史解説、最高です。楽しく読ませていただきました。
フランスはまだまだ行ってみたいところがたくさんあります。
英語、フランス語、出来ないのでどうも後回しになっています。
でもいつか・・・
たくさんの旅行記、またおじゃまさせていただきます。
マリアンヌ
- ベームさん からの返信 2015/03/17 15:03:25
- RE: はじめまして
- マリアンヌさん、
こちらこそ、沢山の投票有難うございました。
マリアンヌさんのイタリアへの思い入れは凄いですね。素晴らしい写真の数々、イタリアを知らない私にはとても刺激になります。なかなかドイツ、フランスを卒業できなくてイタリアへ行くことは出来そうもありませんが、マリアンヌさんの写真を拝見しながら行った気にさせて頂きます。
ベーム
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