2014/05/24 - 2014/05/24
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横須賀はちょこちょこ行ったことはあっても、いつかちゃんと街歩きをしてみたいと思っていていました。そうしたら、くりはま花の国のポピー祭りが始まっていたのに気が付いて、これを機会に行ってみることにしました。
今回予定したエリアは広いので、それなりに歩きでがあるし、ちょっとしたハイキングになったかも。歩いてみると、横須賀駅の北側とかも意外に隠れたスポットがあるし、戦艦三笠ももっと早く見るべきだったとちょっと反省。ただ、やっぱり印象に残ったのはグルメでしょうか。海軍カレーや横須賀バーガーの抜群のうまさは、改めて横須賀の底力を見たような気がしました。
スケジュールがたまたま空いた中での街歩きでしたが、それなりの収穫はあったようです。
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京急久里浜の駅を降りて商店街に向かうと、立派な店構えの和菓子屋さんがありました。寄ってみると、店頭には神奈川県指定銘菓 夢窓と書かれたお菓子。
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厳選した大納言小豆で仕上げた本格的なものだそうですが、京都だと見た目は雲龍みたいな感じですね。ちなみに、夢窓というのは、夢窓国師の夢窓。夢窓国師は、鎌倉にも作庭した寺がありますが、この近くでも修業をしていた時代があるのだそうです。
さて、ここからくりはま花の国までは歩きです。 -
久里浜天神社は、京成久里浜駅からくりはま花の国に行く途中。三浦半島には、88の神社があるそうですが、菅原道眞を主祭神としてお祀りする天神社はここだけ。
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江戸初期に、葦原だった久里浜一帯の新田開発を行った砂村新左衛門という人物が創建したということです。
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くりはま花の国に到着。この公園は、在日アメリカ軍の倉庫があった土地が返還されたのを機に横須賀市が整備した公園。第一駐車場から、第二駐車場まで、小山を越えて行く遊歩道を歩きます。
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くりはま花の国では、ポピーまつり。。
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第一駐車場から入ると、
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目の前は一面ポピーのお花畑。
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山に囲まれた緩やかな斜面に、
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赤や
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ピンクのポピーが
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イチオシ
風に
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揺れていました。
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谷に渡されたこいのぼりも風に揺れて、
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イチオシ
初夏ののどかな光景です。
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しかし、ポピーってなかなか撮り辛いですね。
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どんなふうに撮ったら
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この感じ伝わるでしょうか。
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あれこれ工夫したつもりでしたが、
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私としては、これくらいが限界のようです。
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さて、
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コスモス・ポピー園の奥からは階段を登って、
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しばらくは上り坂。さっきのポピー園が下の方に見えています。
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この汽車は有料ですが、アップダウンもあるし、それなりに価値はあるでしょう。
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そして、ゴジラの滑り台のある冒険ランド、ハーブ園が続きます。
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けっこう迫力がありますね。
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イチオシ
また汽車が走ってます。
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遊歩道をさらに進んでハーブ園から
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このレストランの前庭からは、
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イチオシ
こんな風に港や海が見えたりする場所があって、この眺めもとても素晴らしいと思います。
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ということで、花の国を後にして。
この住吉神社は、久里浜の散策ガイドにも載っています。この神社は、吾妻鏡の中にも出てくるようで。栗浜大明神として三浦一族の水軍の船霊として信仰され、源頼朝も政子とともに参詣したということです。 -
そこから久里浜海岸へ。ペリー公園と道路を挟んだ海側の砂浜です。
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堤防に守られて波も穏やかで、海水浴もできる感じですが、実は海水浴はできません。海岸でバーベキューをしている人たちがいましたが、そんな利用の仕方なんだろうと思います。久里浜港に出入りする船がよく見えました。景色はいいです。
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ペリー公園にも寄ってみます。
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イチオシ
ペリー記念館は、見学自由ができる施設。
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ペリー来航に関する歴史的資料や模型などが展示されていて、とても分かりやすい。四隻の黒船が浦賀に現れた際のジオラマもあって、これは近代日本の出発点。ワクワクするような光景です。
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開国橋は、ペリー公園から久里浜海岸沿いに東へ進んだところ。平作川の河口に架かるコンクリートの橋です。
幕末の開国にちなんで命名された名前であることは明らかですが、橋自体は特徴的なものではありません。 -
ただし、上流に向かっての平作川の風景に、久里浜海岸から久里浜港の景色は
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ゆったりした川岸に船が係留されていたり、開放感あふれる景色。見るべきものはあると思います。
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久里浜駅に帰ってきて、
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横須賀中央駅に移動します。
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横須賀では、海軍カレー。これまでなぜか機会がありませんでした。
調べておいたのはカリーすなっく ベンガル。海軍カレーの街、横須賀で40年以上愛されてきたカレーの専門店です。 -
ただ、評判はよくても、カレーには好みがあるので、期待は半分くらいでした。おばちゃんたちがやっている家庭的な感じに、カレーの見た目もごく普通のような。。ただし、食べ始めるとそのうまさには脱帽。特別な香辛料を使ってますといった専門店がありますが、ここはそういう意味では家庭でも食べているような普通のタイプ。しかし、優しい味わいの奥に、深い旨味があるんですね。まさしく歴史を積み重ねてきた味だと思います。これはうまい。ごちそうさまでした。
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YYポート横須賀も、すぐ近く。ただ、むしろ横須賀海軍カレー本舗のビルといった方が分かりやすいかも。このビルの一階で、お土産物の販売や観光案内所もあって、横須賀の街歩きの際は、ちょっと寄って見たい施設。関口牧場のソフトクリームも目当てだったのですが、これは、よこすかポートマーケットの方に移転していました。
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諏訪神社は、若松マーケットの入口を入ってすぐのところです。
かつては、現在の下町商店街地区にあって漁業の守護神だったようですが、明治に入り横須賀軍港が造られるにあたって、当地に移ってきたようです。 -
で、その若松マーケットは、横須賀中央駅を出て、市街中心部に向かって歩くとすぐのところに入口があります。入口の看板には、スナックやバーの名前がずらりと並んで、これは、飲み屋街なんですね。レトロな一角として知られているようですが、お昼に行っても仕方ないようです。
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なんか、屋台が出ていましたが、お祭りのようですね。
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イチオシ
そこから、駅の北側に出て、中央公園へ。
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名前は平易ですが、高台に展望所があって、横須賀の中心市街から猿島沖の方までの素晴らしい景色を見ることができます。それもそのはず。ここは、旧日本軍の演習砲台跡を利用して造られた公園です。
一角には「核兵器廃絶、平和都市宣言」を記念して建てられた「平和のモニュメント」も建っています。 -
横須賀市自然人文博物館は、中央公園の隣り。
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ペリーが来航して開国を迫った幕末の風物関係の資料が、黒船の精密な絵など豊富に展示されていましたが、
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江戸時代初期に、乗っていたリーフデ号が豊後に漂着したところを捕えられ、その後、徳川家康に外交顧問として仕えたイギリス人、三浦按針を紹介するコーナーが入口すぐにあって、これも扱いが大きい。ちょっと認識を新たにしました。
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今度は、うみかぜ公園に向かいます。
途中にあったのは玉屋さん。 -
豆大福があって、これをいただきました。横須賀の和菓子ってどんな感じだろうと興味津々だったのですが、例えば、銀座のあけぼのの豆大福と同じ系統。もっちりしたお餅と少し歯ごたえのある豆に比較的甘みの強い餡子がそれぞれ自己主張をしていて、メリハリのある仕上がり。横須賀がそうなのか、この店がそうなのかは分かりませんが、どっちにしても関東で支持されるタイプの豆大福だと思います。
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三吉野も同じ商店街です。
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道に面した売り場があって、どれにしようかなあという感じでしたが、結局、みたらし団子をいただきました。もっちりしただんごは、これはこれでいいのですが、びっくりしたのは、塩味がきついというか醤油の味が前面に出ていて、ここまで徹する味付けはちょっと他ではないでしょう。潔いというか、思い切りがいいというか。一応、成り立ってはいるのですが、かなり大胆な味付けです。
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さて、うみかぜ公園は、猿島を正面に眺める海辺の公園。
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海辺に設置されたウッドデッキも明るい雰囲気です。
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ただ、一番驚いたのは、賑やかなバーベキューの光景。とてもたくさんの人が来ていましたが、横須賀市内だけじゃないような。ここは、多分、バーベキューのメッカなんでしょう。
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そこから、今度はよこすかポートマーケットへ。
施設は思ったほどは大きくないんですが、「地産地消」「旬産旬消」をテーマにした地場産物総合販売所というだけに、確かに全体の活気はかなりのもの。魚や野菜など、その新鮮さに目を奪われるような感じです。ただ、支払いは最後にレジで行う形式。これでは一気にスーパーのような気分になってしまうので、何とかならないかなあと思いました。 -
中にある横須賀ジェラートファクトリーは、関口牧場のソフトクリームがあるお店。もともと、これが目当てでした。
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ただ、濃厚な味わいを想像していたのですが、意外にすっきりした味わい。シンプルな直球のソフトクリームです。
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そして、晃進は、よこすかポートマーケットの一番奥の方。葉山牛のコロッケというのがあって、人気番組「ぴったしカンカン」にも出たんだそうです。そうですか。それならいただいて見ましょうか。
葉山牛のうまさはよく分かりませんでしたが、それよりイモのうまさが半端ではないような。ソースも付いていまして、これをパンにはさんで食べるようにと専用のパンまで売っていました。いろいろ工夫をしていて、話題性は確かにありますね。 -
イチオシ
今度は、三笠公園に向かいます。
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三笠桟橋は、三笠公園の隣り。猿島への定期便は、この桟橋から出ています。桟橋の周辺からは、戦艦三笠もよく見えるし、警備艇などが停泊しているのも、いかにも佐世保らしい風景。限られた一角ですが、雰囲気のある場所だと思います。
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この記念艦三笠は、今は三笠公園に保存されていますが、昭和38年、日露戦争の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を破った連合艦隊の旗艦です。
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東郷平八郎、秋山真之が乗り組んだ戦艦は、全体が資料館となっていて、
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ビデオなどの解説も、日清戦争から開戦に至るまでの経緯、海戦の推移など詳しいし、臨場感にあふれたものでした。
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それは、日本が世界を驚かせ、列強に仲間入りする転換点となった輝かしい歴史ではあるのですが、
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結局は太平洋戦争への道に一本道でつながってしまったことを思えば、
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やっぱり少し複雑な気持ちにならざるを得ない。
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ただ、事実は事実だし、
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評価をする前に
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どういうことが起きていたのかを正確に知ることは必要です。
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イチオシ
想像以上に充実した内容で、横須賀の街にはふさわしい施設だと思いました。
ちなみに、海上自衛隊の五大基地と言われるのは、横須賀、呉、舞鶴、佐世保、大湊です。大湊は気が付きませんでしたが、それぞれに海軍の歴史資料館のような施設を持っています。単独では、佐世保が一番充実していると思いますが、ここはそれに次ぐ規模でしょう。
ペリーが来航した地であるといったことのほか、鎖国を解いた徳川幕府は軍事増強のため、ここに造船所を設置します。維新政府は、それを引き継いで日本海軍の旧横須賀鎮守府を設置したという歴史です。徳川幕府のためにはほとんど役に立ちませんでしたが、日本の近代化、日本海軍の発展には貢献しました。恩人、小栗上野介もあの世では納得してくれているのではないかと思います。 -
三笠ビル商店街まで帰ってきました。横須賀市街では一番賑やかな場所かもしれません。お店が軒を連ねているのですが、これは商店街共同ビル。全長180mの4階建ての細長い三笠ビルに店舗が入居して商店街になっているんです。
なお、名前の三笠は、戦艦三笠の三笠から付けられました。 -
豊川稲荷 横須賀別院は、三笠通りから。靴屋さんの地球堂の脇から、けっこう急な石段があって、これを登った先にありました。ここは、崖に面した場所で、正面には、目線の高さに横須賀市街のビルが見えます。市街に隣接するのに、秘境の雰囲気もあって、そのギャップが面白いです。
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ここからは、どぶ板通りを通ってヴェルニー公園へのコース。ここまでもかなり歩きましたが、もう一息です。
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丸半三笠焼は、途中の大滝商店街の一角。三笠焼きというのは、今川焼のことですね。
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ただ、ちょっと形は変わっていて、ドラ焼のように中央が盛り上がっています。それと、水分が多めで、時間が経つと紙袋がかなり湿ってきます。時間をおいてもおいしいというのも一般的にはいいのですが、これは早く食べた方がおいしく食べられるというのが特徴ではないかと思います。
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どぶ板通りです。
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このTSUNAMIは、どぶ板通りでは、ダントツの人気店。プレーンのネイビーバーガーをいただきました。
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イチオシ
パテの肉は、いかにも炭火で焼いたワイルドな味わい。それなりに噛みごたえもあって、ステーキ肉でも食べているような食感にはちょっと驚きました。いろんなバーガーがありますが、横須賀バーガーも一つのジャンルに分けられる際立った特徴があると思います。
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最後のヴェルニー公園です。
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ここには、多くの碑があって。
まずは、正岡子規の文学碑。碑文は、「横須賀や 只帆檣の 冬木立」。明治21年、正岡子規は夏期休暇を利用して、浦賀から横須賀を回ったのだそう。子規の句碑は呉にもありますが、戦争が身近なものであった時代。戦地への思いも強かった子規の行動が現れていると思います。 -
隣りは軍艦沖島の碑。
軍艦沖島は、昭和11年に竣工した日本海軍最大級の敷設艦。機械水雷の敷設艦として、遠くは南太平洋海域の海戦にも参加しましたが、昭和17年、ソロモン群島で沈没しています。 -
続いて、軍艦長門碑。
軍艦長門は、連合艦隊の旗艦。大正6年から9年にかけて、呉の海軍工廠で造られました。その後、横須賀鎮守府に所属し、太平洋戦争の終戦に至るまで生き残った唯一の戦艦です。 -
隣りは、国威顕彰の碑。
変わった形ですが、重巡洋艦高雄型の艦橋を模して作られたもの。高さは4mあります。
元は横須賀軍港逸見門の内側にあったので、海軍人に対する顕彰碑であったようです。 -
まだまだあって、軍艦山城之碑。
軍艦山城は、太平洋戦争において、昭和19年、フィリピンのレイテ湾への突入をめざしたスリガオ海峡夜戦を戦った西村艦隊の旗艦。魚雷攻撃で沈没し、戦死者は1600余名。生存者は10名足らずだったということです。 -
最後は海軍の碑。
浦賀に黒船が現れて、鎖国を迫られた幕府は、諸外国に対抗するため、横須賀に製鉄所を建設し、近代海軍の整備に着手します。明治維新後、日清・日露戦争を機に海軍が増強されたのですが、その最重要基地は、横須賀。海軍終息から50年の節目にその記念碑が建てられました。 -
少し歩くと開港碑です。
小栗上野介忠順とヴェルニ―の胸像が並ぶ、その傍らです。幕末の開港は、長い鎖国の日本にとっては、苦渋の選択。尊王攘夷の思想が吹き荒れて、結局は、それが討幕へのエネルギーに火をつける。開国の意味をもっともよく理解していた小栗上野介忠順をも飲み込んでしまったのは、皮肉なことかもしれません。 -
旧横須賀軍港逸見波止場衛門は、旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所で、明治の末頃のもの。高さ約4mの八角形の鉄筋コンクリート造りの外壁はタイル張り。左右に2棟立っていて、それぞれ「逸見上陸場」、「軍港逸見門」と表示されています。
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せっかくなので、浄土寺まで足を延ばします。
ここは逸見の市街。さっき博物館で大きく取り上げられていた三浦按針ゆかりの寺です。三浦按針は英国人で、本名はウイリアム・アダムズ。徳川家康の信任を得て、逸見村に250石の領地を与えられ旗本の身分も与えられます。お寺には三浦按針の関係の資料を展示する部屋があり、頼めば見せてもらえるようでしたが、この日はちょっと時間が遅かったので、控えることにしました。
以上で、たっぷり一日がかり。歩いた距離も相当でしょう。お疲れ様でした。
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