2014/05/31 - 2014/06/01
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からみもちさん
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績渓を出た後、歙県(She xian)に行った。
績渓からは比較的近く、車で一時間もかからない。
歙県はそこそこ大きな町で、立派な城壁もあるが、見所はそんなになく、一日で見て回れる。
翌日は、北にある許村を見て、午後には東の北岸村を見、その足で上海へ帰った。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
歙県には、黄山市(屯渓)から路線バスが出ている。1時間くらいで着くらしい。
バス停は古城のまん前にある。
古城の入場料は100元。なかなか高いが、「魚梁[土貝]」という昔の水利施設も含まれている。 -
歙県は、昔は「徽州府」と呼ばれ、この辺一帯を統括する行政の中心だったという。
なのでここには立派な城壁で囲まれた古い町並みが残っており、そのエリアは「徽州古城」と呼ばれ、中国で「保存が完璧な四大古城」とされている。
その他の3つは雲南麗江、山西平遥、四川閬中で、この3つと比べると歙県はランクが落ちる。新しく作られた感じがひどいし、見所も少ない。 -
「許国石坊」という建築物。
明朝万暦年間に、許国という重臣のために建てられたという。
古城地区の中心にあり、歙県で一番の見所。
凝っていてすばらしい建築物だが、これが一番、と言われると、ちょっと寂しい。 -
徽州府。昔の県庁所在地。
きれいに建て直してある。
昔の規模は計り知れる。 -
徽州府の中。
99%は再建されたものだという。
柱とか梁とかに彫刻が一切なく、家具なんかも何もない。
広い土地に大きな建物が建っているが、土地がよく余ってたな、という感想しか持てない。 -
中和街という古城地区のメインストリート。
食べ物屋などがそこそこある。 -
斗山街の入口。
古民家が集中している地区。 -
斗山街の街並み。
とても素朴だ。
みやげ物屋等が何もなく、博物館等もない。見所がないので、路地をぶらぶらするだけ。
壁の高い古民居が立ち並び、昔で考えると相当立派な家々なんだろうな、と推測できる。 -
民家の壁。
毛沢東万歳と書かれていた跡が残っている。
こういう文化大革命の名残りみたいなものは、田舎町に多い。 -
案内板。日本語訳がわけわからない。
難攻不落ってどこから出てきたんだか想像つかない。
正しくは、こちらへお進み下さい。
こういう変な看板も田舎に多い。 -
許家庁、という古民居。
中を拝見できる家は数軒しかなく、それも入口の大庁しか見れない。
さすがに梁の彫刻なんかは、往時の徽州商人の隆盛を偲ばせる。 -
中山巷という横丁の入口。
この進入禁止標識は何の進入を禁止しているのか。 -
中山巷は階段になっていて、先のほうには小さな牌坊がある。
-
斗山街の別の入口。
こういう小さな牌坊が要所要所に建っている。 -
徽州古城の門の前は、駐車場と商業街になっていて、宿と食堂が並んでいる。
泊まったのは、この時尚客快捷酒店。 -
一泊100元だったが、パソコンが備え付けてあってインターネットもできるし、繋がらないときもちゃんと面倒見てくれてるし、なかなかのサービスだった。
-
古城門前の道路は、夜になると屋台が出る。
料理は、何故か海鮮が多い。 -
許国石坊は夜ライトアップされている。
立派なカメラをさげている人もちらほらいる。 -
徽州府前の広場は、夜はダンスホールに変わる。
-
徽州府の門も、見事にライトアップされている。
しかしこんなことで旅行客を集められると思うなよ、と言いたい。 -
徽商大宅院。入場料80元。
全県の徽派建築をここに集めて再建築したという、博物館みたいなもの。
値は張るが、昔の建築に興味があったら見てもいいかもしれない。
歙県内の、古城から程近いところにある。 -
徽商大宅院の中。
それらしい庭園なんかもあって、もとから一軒の家だったかのようだ。 -
入口の彫刻なんかもとても凝っている。
-
梁がまたいい感じの湾曲で、彫刻もちゃんとしてる。
徽州府も再建するときこのくらいできなかったかな。 -
何気ない透かし扉なのだが、よく見ると四つの扉それぞれで彫刻が違う。
この扉に限らず、一つとして同じ彫刻を設置しないのが、徽州商人の裕福さとか文化の成熟度なんかを物語っている気がする。 -
三階建ての立派な建物。
残念ながら、一階部分しか開放されていない。
全体としてがらんとしていて、食器とか服飾等の展示もないし、歴史とかも展示されてないし、何を見せたいのか良くわからない施設だ。 -
梁の彫刻。細かさもさることながら、ちゃんと顔も残っているのがよい。
こういうのは一体どこから回収してきたのだろう。
この施設は、案内板がとにかく少ない。
どこの地方のどういう家から集めてきたものなのかというのを一つ一つわかるようにしてほしい。
建築物も、地方の風土や建てた人の思いなんかもあるだろうし、そういうのが一切分からず一箇所に集めたのを見せられると、面白みが半減する。
お店で陳列品を見てるようなもんだ。 -
徽商大宅院もせっかく貴重な文物を集めたんだから、由来をもっと一つ一つしっかりと紹介すれば、値段に見合うもっといい施設になるんじゃないかと思うが。
-
次は、許村という古村へ行った。
許村は、歙県の北25キロあまり、県道7号線をまっすぐ行くと着く。
歙県から許村まではバスも出ているらしい。5元くらい。 -
この牌坊もなかなか見事だ。
古鎮の入場料は40元。 -
許村の街並み。
町並みの保存は完全ではなく、現代的な建築と昔のが入り混じってる中、たまにうまいこと昔の建物が続いているところもある。
この古鎮自体の見所も少なく、さすがにマイナーなだけのことはある。 -
見所の一つ、大郡伯第門楼。
後ろの建物が完全に景色を殺している。
パンフレットなんかだと、後ろの建物を合成して白く消している。 -
民家の壁にうっすらと、「無限忠于毛主席」と書いてある。
やはり文革の名残りだ。
反日デモが盛んだったころ、9月18日は中国にある多くの日本料理屋が店を閉めてドアに中国国旗のシールを貼ってたが、そんなような感覚だったのかな。
下のハートマークの中に忠は、可愛くなっちゃって、さすがにやりすぎなような気もするが。
逆におちょくってんのかと因縁つけられそうだ。 -
許村は例に違わず川沿いに栄えた古鎮だ。
昔はこの川沿いに歙県から古道が南北に通じ、それで栄えていたようだ。
遠くに見えるのは、この古鎮のメインの見所である廊橋。 -
この時は端午節だったので、おばちゃんが川の水で笹の葉を洗っていた。
洗った笹の葉でちまきを作るのかな。 -
一番の見所、高陽廊橋の近影。
-
高陽廊橋の中。
おじさんがチケットをチェックしてくる。 -
高陽廊橋を一番いい場所から撮ってみた。
さすがに雰囲気ある。 -
廊橋の隣には、牌坊と八角亭がある。
こういう配置はとても独特だ。 -
大観亭という名前だ。
デザインもいいが、よくみると上のフロアの天井や梁に絵が描いてあり、鮮やかで精緻な建物だ。 -
もう一つ、五馬坊と書かれた牌坊がある。
この向こうにさらに古鎮が続く。 -
許村文化博物館。特にたいした展示はない。
-
許村も、県道沿いに宿泊施設やら食堂やらがいくつかある。
古鎮らしく、川沿いの景色のいい宿とかだったらいいのだが、これだとただの田舎町の街並みだ。 -
食事は、迷った挙句ラーメン屋に入った。
乾豆腐の入った辛いラーメン。8元。味はそんなにない。
中国の田舎は本当にろくなメシがない。 -
この日もひどい雨だった。
本当は、許村の先に「徽青古道」という古道があり、黄山登山口付近までたどりつけるらしいのだが、ひどい雨で石畳の道もすべるだろうし景色も楽しめないと思ったので、断念した。
というわけで、昼過ぎで探索を終え、引き返した。 -
次に、北岸古村へ行った。
北岸古村は歙県から東に20キロくらいのところにある。
バスがあるかどうかは不明。 -
北岸古村はとくにチケットは要らない。
見所もほとんどないのだ。
写真は、呉氏宗祠。呉氏一族の先祖が祭ってある。 -
この時は閉門してて入れなかった。
しかし門の彫刻もとても細かい。 -
この村の見所は、なんと言ってもこの廊橋。
というか、これしかない。
明代末期の建築らしい。 -
廊橋を近くから撮影。
半円のアーチが美しい。 -
廊橋の中。
素朴。腰掛けが年季が入っている。 -
なぜか一箇所だけ、欄干がついていて、座って外が見れるようになっている。
歴史が長いらしく、こすれてつるつるになっている。 -
反対側から。
-
結局、この橋しかみどころがなかった。
しかし、上海へ帰る路上だし、入場料もかからないので、まあいいかなと思えた。
バスとかだったらわざわざ立ち寄るのは面倒かもしれない。
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