2014/06/17 - 2014/06/17
549位(同エリア1074件中)
ひま人さん
今回は、半兵衛が名軍師として天下に名を馳せるきっかけになった出来事を中心に、稲葉山城(現、岐阜城)周辺を巡りました。難攻不落とされ、織田信長も手をやいた斉藤氏の居城でしたが、半兵衛は16名の手勢で城を掌中に納めました。
最初に訪れたのは、金華山麓の正法寺のご本尊で「籠大仏」「紙大仏」と呼ばれる珍しい仏さまでした。金華山の麓の岐阜公園内にある歴史博物館で事前の勉強をした後、金華山ロープウェイで上り、岐阜城天守までは山頂を徒歩8分ほどで着きました。斉藤氏もここから自らの領地を遠望したことでしょう。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス 私鉄 徒歩
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黄檗宗金鳳山・正法寺(しょうほうじ)。第11代惟中和尚は、歴代の大地震および大飢饉の災霊の祈願をたて、奈良東大寺大仏の聖徳を敬って、ここに大釈迦如来像の建立を行いました。
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正法寺大仏。この大仏は周囲1.8mの大イチョウを真柱として、骨格は木材をもって組み、外部は竹材にて編み粘土を塗り一切経、阿弥陀経、法華経、観音経などを張り、その上に漆を施し、金箔をおいた日本一の乾漆仏です。
大仏は像高13.7m、顔長さ3.63m、目長さ0.66m、耳長さ2.12m、口幅0.71m、鼻高さ0.36mあり、胎内仏として薬師如来像(県重文)が安置されています。日本三大仏(奈良、鎌倉)と言われています。 -
食事処・鵜の庵「鵜」。ここで昼食をとりました。長良川の鵜飼の鵜匠・山下純司さんの自宅に併設した食事処です。もちろん鮎料理で、鮎の塩焼き、唐揚げ、甘露炊き、最後に鮎雑炊を頂きました。
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夜の鵜飼まで、庭に放し飼いされている鵜。鵜飼用の鵜は川鵜でなく海鵜でないと鮎取りは出来ないそうです。
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海鵜。長良川の鵜飼いは、1300年の歴史があり、岐阜の夏の風物詩となっています。
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夜の鵜飼い用の舟上で焚くマキ。
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岐阜公園内に設置されている「板垣退助像」。明治15年4月6日午後1時、自由党総裁・板垣退助が中教院にて演説を行い、参列者100余名、夕刻すべてを終え玄関から数歩出るや「国賊」と叫び、」相原尚褧が総理の胸を刺しました。総理「板垣死すとも自由は死せず」と有名な言葉を残したのです。ここは板垣遭難の地なのです。
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岐阜市歴史博物館。岐阜公園内にあり、「ぎふ歴史物語」として、原始・古墳、古代・中世、近代・現代、そして近世へと展示されています。
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展示品の「美濃国古絵図」。
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楽市楽座の再現。
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楽市楽座の再現。
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織田信長居館跡、岐阜城冠木門(復元)。
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岐阜城登城口。
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二の丸門。
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岐阜城天守閣。金華山(旧名を稲葉山)標高329mの頂きにあり、信長が稲葉山城から岐阜城に改めたと言われています。
家督を継いだ竹中半兵衛は、菩提山城主となり当時の美濃の国主・斉藤義龍に、さらに永禄4年(1561年)に義龍が死去すると、その跡を継いだ斉藤龍興に仕えました。
永禄7年(1564年)弟の久作とともに士卒16名で、城主・龍興留守中の稲葉山城(後の岐阜城)を乗っ取りました。が、後に龍興に返還。しかし、その軍略が美濃と周辺諸国に知れ渡り、出仕を誘う話があちこちから舞い込みました。結局、信長に攻められますが、半兵衛は秀吉の軍師として活躍するようになりました。しかし、病弱のため後を官兵衛に託すべく松寿丸に軍扇を預けました。 -
岐阜城展望台からの岐阜市街および長良川。残念ながら曇天のため眺めはもう一つでした。
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岐阜城展望台からの岐阜市街および長良川。
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岐阜城資料館。稲葉山城からの城の歴史および資料の展示をしています。
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