2014/06/01 - 2014/06/01
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morino296さん
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梅雨入り前の夏日、友人S君と堀切菖蒲園から松尾芭蕉が奥の細道に旅立った千住を散策しました。
菖蒲まつり初日のため、花の見頃には少し早かったようです。
(葛飾菖蒲まつりは、6月25日まで、堀切菖蒲園と水元公園で開催。)
千住には馴染みがなく、初めて散策をしましたが、いろいろ見どころも多く楽しめました。
(他の旅行記と順序が逆転してしまいましたが、宜しければご覧ください。)
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堀切菖蒲園(葛飾区堀切2−19−1)
東武電車の駅名にもなっている堀切菖蒲園。
駅から菖蒲園までは徒歩10分ほど。
真夏日となったこの日は、歩くだけでも暑いのに、この着ぐるみくんたちは大変だったことでしょうね。 -
堀切菖蒲園(葛飾区指定名勝)
昭和50年に葛飾区公園として開園、広さは7,736?。
菖蒲まつり初日とあって、園内の開花状況は、まだ少し早かったようです。
堀切で最初の菖蒲園は、江戸末期に開園した小高園で、明治に入ると、武蔵園・吉野園・堀切園・観花園などが開園し、全盛期は明治中期から大正末期とのこと。
堀切の花菖蒲の様子は「江戸百景」に数えられ、鈴木晴信・安藤広重などの浮世絵にも描かれています。
江戸菖蒲200種6,000株が鑑賞できるそうです。
先日、明治神宮御苑の花菖蒲の説明にも書きましたが、ここ堀切の花菖蒲を明治神宮御苑に持っていったのですね。 -
堀切菖蒲園
菖蒲の種類が多いので名札が頼りなのですが、花の位置と名札が微妙にずれていて対比が難しかったです。
左:?
右:七小町 -
堀切菖蒲園
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堀切菖蒲園 「虎嘯(こしょう)」
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堀切菖蒲園 「子持熊」
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堀切菖蒲園 「霞の奥」
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堀切菖蒲園
左上「雪千鳥」、右上「霞の衣」
左下「愛知の輝」、右下「五湖の遊」 -
堀切菖蒲園
左「遊女の姿」、右「波乗船」 -
堀切菖蒲園
左上「江戸紫」、右上「七福神」
左下「鳴海潟」、右下「蛇の目傘」 -
堀切菖蒲園
左「鶴の毛衣」
右「笑布袋」 -
堀切菖蒲園
左上「十二単衣」、右上「八重玉宝連」
左下「七変化」、右下「業平」 -
堀切菖蒲園
左上?、右上?
左下「蒲生川」、右下「初霜」 -
堀切菖蒲園
左 ?
右「初紅」 -
堀切菖蒲園 「妹背川」
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堀切菖蒲園 「長生殿」
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堀切菖蒲園 「夢野の鹿」
花菖蒲の名前には、鹿や熊が使われるのは何故なのでしょうか? -
堀切菖蒲園 九番田
もう少し時間が経つと、もっと花が咲くのでしょうが。
菖蒲田がいくつもに分けてあるのは、株分けした時期が違うもののようです。 -
堀切菖蒲園
琴の演奏やお茶席もありました。
琴を弾かれている左端の方は、帯が菖蒲の図柄でした。 -
堀切菖蒲園
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堀切菖蒲園
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堀切菖蒲園 フェイジョアの花
フェイジョアは、フトモモ科の常緑低木で南米原産で、日本には、昭和5年頃に入って来たそうです。。
果物として食用に栽培される他、庭木や生垣用としても評価が高いとのこと。 -
堀切菖蒲園
菖蒲園のすぐ横は荒川、そして荒川に沿って首都高速中央線が走ります。
炎天下で、1時間余り花菖蒲を楽しませてもらいましたが、兎に角、暑かったです。
この後、菖蒲園の近くを散策しました。 -
新田稲荷神社 (堀切1−12−17 谷部家の敷地内)
大正12年、荒川放水路が完成した時に取り残されたお稲荷さんを地元の有志が移設して祀ったもの。
毎年2月の第4日曜日に地元の子供囃子の町御などが伝統行事として行われるそうです。
住所を頼りに訪ねましたが見つからず、地元の方に聞いて見つかりました。 -
郷倉 (堀切2−42−2 堀切小学校校庭)
200年ほど前に建てられたもので年貢を一時的に納めておく倉だそうです。 -
銭湯 亀の湯 (堀切2−47−9)
地元の方の話によると、この亀の湯は、漫画こち亀にも登場する銭湯だそうです。
漫画を読んでいないので確認できていませんが。
この辺りには、まだ、銭湯が数多く残っているようです。 -
菖蒲七福神 (堀切3−1)
大正15年、荒川放水路の開削に伴い埋め立てられた池を清め、その地に弁天社を祀り、その後、平成6年にこの地の発展繁栄福徳を祈念して設置されたものだそうです。 -
天祖神社 (堀切3−11−2)
旧堀切村の鎮守だそうです。
祭神は天照皇大神、誉田別命。
堀切菖蒲園駅の近くでランチをして、京成電車で千住大橋へ移動しました。 -
京成 千住大橋駅
駅前の商店街は線路の下にあります。 -
橋戸稲荷神社 (千住橋戸町25−1)
延長4年(926)創建。
当時の渡し場ほとりの小高い丘の上にあったので、土地の開拓農民や荒川の上流から江戸に荷物を運ぶ船頭たちの信仰を集めたとのこと。
本殿は、延徳2年(1490)建立の土蔵造りで、扉を開くと左右に伊豆長八作の鏝絵、狐の親子と稲穂の漆喰の彫刻があるそうです。
開扉は年3回のみで、普段は、そのレプリカを見ることが出来ます。 -
橋戸稲荷神社 拝殿
拝殿は文久2年(1862)建立。 -
橋戸稲荷神社
拝殿の扉に伊豆長八の鏝絵のレプリカが飾られています。 -
奥の細道行程図
元禄2年(1689)旧暦3月27日、門人河合曾良を伴い深川を舟で発った松尾芭蕉(1644〜94)は、隅田川をさかのぼり千住で上陸。多数の門人たちに見送られて、関東から東北、北陸を経て美濃国・大垣に至る旅に出発。
その行程は600里余り、約150日にも及ぶ大旅行だったとのこと。
600里を150日で旅するためには、1日平均4里(=16Km)、45歳を過ぎての旅はさぞかし大変だったことでしょうね。
でも、芭蕉は、忍者だったとの説もありますので、大丈夫だったのかも?
この週の初めには、大垣で奥の細道のゴール地点を訪ねましたが、まさかこの日、スタート地点を訪ねるとは思いませんでした。 -
奥の細道 矢立初めの地
千住大橋の袂にあります。
文禄3年(1594)、隅田川に最初に架けられた橋は、長さ66間(120m)、幅4間(7m)の橋で「大橋」と呼ばれ、現在より200mほど上流にあったそうです。
この橋の完成により、それまで橋場の渡しを経由していた佐倉街道、奥州街道、水戸街道の街道筋がこの橋に移りました。 -
千住大橋
江戸幕府は防備上、隅田川にはこの橋以外に橋を架けることを認めなかったが、後に明暦の大火等もあり交通上、安全上のため両国橋等が完成してから「千住大橋」と呼ばれるようになったそうです。
千住大橋は何度も架け替えや改修が行われ、明和4年(1767)の架け替えで、ほぼ現在の位置になったそうです。
最初の架橋から明治18年(1885)の台風による洪水まで、流出が一度も無く江戸300年を生き抜いた名橋と言われます。
関東大震災後の震災復興事業の一環として、昭和2年(1927)に現在の鉄橋が架橋され、昭和48年に交通量増大のために、下流側に新橋(写真の右側)が架けられ、上下線を分けて使われています。 -
千住大橋脇の橋戸河岸
深川から舟で千住まで上ってきて上陸したとのことですが、舟着場がここであったかどうかは分かりません。 -
千住大橋際の歴史資料空間
浮世絵に描かれた千住大橋が紹介されています。
右は、初代広重の画で、千住橋戸町の河岸が描かれ、川面には多くの舟や筏が見えます。
左は、葛飾北斎の作品。葱と思われる荷を背負った馬と人が千住から富士を眺める構図。 -
千住大橋際の歴史資料空間
右は、江戸期(年代不詳)の河番付。
左は、江戸後期に造られた橋番付。 -
東京都中央卸市場 足立市場(千住橋戸町)
川魚・青物・米穀を中心にとした市場で天正年間に始まったといわれ、奥州・常陸に通じる街道の要衝の地として発達し、神田・駒込と並ぶ江戸3大青物市場の一つに数えられ幕府の御用市場となりました。
東京都が、昭和17年に現在地を買収、施設を整備し、20年2月に千住河原町にあった青果市場荷受組合(千住河原町)と東京北魚市場(西新井村本木町)を収容した総合市場として中央卸売市場足立市場を発足させたが、昭和20年4月に戦災にあい全焼。
戦後は、市場整備のための用地買収が行われ、昭和43年から新しい施設の建設が始まりましたが、取扱量の増加に伴って施設が手狭となったため、昭和54年に青果部門を足立区入谷に分離・移転させ、足立市場は水産物の市場として改めて発足し、現在に至っています。(中央卸市場のHPより) -
奥の細道プチテラスに立つ松尾芭蕉像
足立市場の脇にあります。 -
旧日光街道
今はマンションも多く建っています。
京成電車の線路を潜り北へ向かいます。 -
旧日光街道 やっちゃ場(南詰)
やっちゃ場の由来では、問屋のセリ声が、「やっちゃい やっちゃい」と聞こえてくる場所(市場)から来たと言われています。
戦国の頃に旧奥羽街道(日光街道)の両側に青空市場から始まり、江戸・明治と続き、大正・昭和が盛んだったそうです。
街道の両側に三十数の青物問屋が軒を並べ、毎朝威勢の良いセリ声が響き渡っていたそうですが、大戦の勃発により閉鎖され、以来青果物市場は東京青果物市場へと変わり、やっちゃ場という名前だけが残りました。 -
旧日光街道 やっちゃ場
街道の両側に軒を並べる青果物問屋。 -
千住宿歴史プチテラス (千住河原町21−11)
やっちゃ場の中ほどに、地域の歴史的建物を復原した展示館があります。
江戸時代から続く地漉き紙問屋横山家の内蔵を移築したもので、地元の「千住プチテラス維持会」方々によって管理され、ミニ展示会などに使われていて、ガイドの方が、いろいろな説明をして下さいます。 -
源長寺 (千住仲町4−1)
慶長15年(1610)石出掃部亮実胤により創建。
本山は、京都の知恩院。
江戸時代には日光門主の通行寺に本陣の代わりを勤め、また将軍の鷹狩りの御善処となったそうです。 -
源長寺
延命地蔵と境内の石仏 -
お休み処 千住 街の駅 (足立区千住3−69)
昭和レトロな雰囲気のお休み処で、足立区の情報を知ることが出来ます。
この時、丁度、NHKの小さな旅などに出演している国井さんが、近くであった講演会の後で立ち寄っていました。 -
お休み処 千住 街の駅
この建物、元は魚屋さんだったそうで、大きな冷蔵庫が残っていました。
今は、冷蔵庫ではなく、押し入れとして使っているそうです。 -
旧日光街道のレトロな建物
洋品店ですが、維持するのは大変なことでしょうね。 -
旧日光街道のレトロな建物
何のお店か分かりませんでしたが調べてみるとバーだそうです。
昼間はインパクトたっぷりのイラストが描かれた雨戸が立てられていて、夜になるとオープンするバー八古屋(やっこや)でした。 -
旧日光街道 商店街
シャッターには日光街道の宿場街の絵が描かれています。 -
絵馬屋。吉田家 (千住4−15−8)
江戸時代後期から、際物問屋として絵馬、地口絵紙、凧などを描いてきた当代で8代目の老舗。
東京で数少ない手書きの絵馬屋だそうです。 -
旧日光街道 横山家住宅 (千住4−28−1)
千住宿の北のはずれに、江戸時代に建てられた地漉き(じすき)紙問屋で、伝馬屋敷の面影を今に伝えています。
「浅草紙」(トイレットペーパー)として農家から漉き返しの再生紙を買い入れ、日本橋方面へ売りさばいていました。
明治維新の上野戦争の折に彰義隊士によってつけられた刀傷が街道近くの柱に残っています。
太平洋戦争でも火災を免れ、今に残っています。 -
旧日光街道の名物団子屋「かどや」 (千住5−5−10)
建物は最近建て替えられたようですが、昭和27年創業の千住の名物団子屋さん。
店先のベンチに座って「槍かけ団子」をいただきましたが、なかなか美味しかったです。
かつて、清亮寺の山門のすぐ近くに立派な松があり、水戸黄門が休息の折、槍を立掛けたということから名付けられた「槍かけの松」があったことから、「槍かけ団子」と呼ばれるそうです。 -
旧日光街道 名倉医院 (千住5−22−1)
江戸時代以来、骨接ぎといえば名倉、名倉と言えば骨接ぎの代名詞となるほど関東一円に知られていたそうです。
下妻道に面し、旧日光街道、水戸佐倉道分岐点を間近にして便が良かったため駕籠や大八車で運ばれてくる骨折患者がひしめいていたそうです。
名倉家は秩父の出身で享保年間(1716〜36)頃千住に移り、明和年間(1764〜72)に骨接ぎを開業したと伝わり、現在も江戸時代から昭和中期まで盛業時の病院の建物が残されています。
かつて名倉医院の周辺には、患者が宿泊して加療できる下宿屋が数軒あり、その主人が医院で治療に当たる医師・接骨医を兼ねていたそうです。 -
千住本氷川神社 (千住3−22)
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千住本氷川神社
旧社殿には大黒天が祀られています。 -
千住本氷川神社 社殿
祭神:素盞嗚尊
徳治2年(1307)に千葉氏によって、牛田に千葉山西光院と共に、氷川神社として創建され、江戸時代初期、当地に分社として建立。
明治43年(1910)荒川放水路建設のため、牛田氷川神社を合祀。
現在の社殿は、昭和45年に新築されたそうです。 -
飴屋さん「石黒」
昔ながらの手作り飴を量り売りしています。 -
銭湯 大黒湯 (千住寿町32−6)
東京のキングオブ銭湯とも言われるようです。
寺のような立派な建物の銭湯です。
入口は正面ではなく向かって右側になります。 -
大黒湯の入り口の看板
板に「わ」と書かれていますが、これを「わ・いた」と読ませるそうです。
お湯が「わいた」で営業中だそうです。
そして、修了すると「ぬ」と書かれた板がぶら下がります。
「ぬ・いた」、お湯を抜いたことを表すそうです。 -
大橋眼科医院 (千住3−31)
北千住駅西口から徒歩3分くらいにある洋館のような建物。
調べてみると、昭和57年の建築で、大正6年(1917)に建てられた建物を再現したものだそうです。
(ちなみに、現在の院長は鈴木さんだそうです。)
暑い日でしたが、堀切菖蒲園の花菖蒲と千住の街歩きを楽しみました。
16:50頃、新橋まで移動して、冷えたビールで乾杯!
S君との街歩きは、何故か、歩き過ぎてしまいます。
(おしまい)
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この旅行記へのコメント (2)
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- ゆうこママさん 2014/07/12 19:53:02
- 奥の細道
- 奥の細道むすびの地、大垣の旅行記とあわせて拝見しています。
始点と終点を最初からセットで計画されていたのかと思いましたら、そうではなかったとのことですが、両方を体験できて、格別な思いを感じたのでは。
おっしゃるとおり、わずか5ヶ月であの長距離を歩き、そのうえに多くの作品を残したことに驚かされます。
- morino296さん からの返信 2014/07/13 00:39:41
- RE: 奥の細道
- ゆうこママさん
続けてご覧いただき有難うございます。
奥の細道は、恥ずかしながら、どんなコースだったのか今回知りました。
東北のイメージが強く、大垣まで歩いたとは思いもよりませんでした。
そして、始点と終点を1週間で訪ねるとは、これも不思議な縁ですね。
道も然程整備されていなかったであろう時代に、あれだけの距離を
5ヶ月で歩いちゃうとは、芭蕉の忍者説、案外、本当かも知れませんね。
morino296
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