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兵庫県加西市、旧海軍姫路航空隊鶉野飛行場、ここは第二次大戦中、ミッドウェー海戦の惨敗によって航空戦力に大きな打撃を受けた日本海軍が、パイロット養成を目的として昭和18年に急遽設置したものです。全長1200m×幅60mの滑走路跡を中心に、周辺に地下防空指揮所などの防空壕跡や対空砲陣地跡など、さまざまな施設が現在でも残る、いわゆる戦争遺跡のひとつです。<br /><br />この日は、「ひめじのれきし委員会」の方々を迎え、鶉野飛行場について長年調査、研究を続られている郷土戦史家、上谷さんによるガイドツアーが行われました。今回、飛び入りながらこのガイドツアーに同行させて頂き、貴重なレクチャーなどを一緒に聞かせて頂きました。<br /><br />加西・鶉野飛行場展 実行委員会のFacebookページです。<br /><br /> https://www.facebook.com/uzurano?fref=nf<br /><br />「加西 鶉野飛行場展 記念講演 残された技術 飛行艇」<br />H26年8月10日にアスティア加西での講演会の模様です。<br /><br />  http://4travel.jp/travelogue/10916199<br /><br /><br />今回のガイドツアーでは、北条鉄道法華口駅の駅舎にてまず、上谷さんから海軍姫路航空隊に関する歴史や全体概要に関してのご説明をうけ、その後、飛行場周辺に移動し、厚さ1mのコンクリートで覆われた弾薬庫跡や地下防空指揮所が置かれていた防空壕跡や対空砲陣地跡、ならびに滑走路跡などを見学、その際、上谷さんからそれぞれの施設にまつわる貴重なお話を伺えることができました。<br /><br />この鶉野飛行場では、パイロットの養成として当時多くの若者が全国から集まり、日々鍛錬に勤しんでいたということです。そして、戦況が逼迫する中、遂には神風特攻隊が編成され、その中に白鷺隊という名の隊がありました。これがこの鶉野飛行場で育った若者たちだったということです。パイロット育成とはいうものの、ここは特攻隊員育成の場ともなってしまい、その歴史なかにおいて隊員達と地元の人々とのふれあい、出会い、そして別れなど多くのエピソードが当時存在したようです。<br /><br />また、当時、川西航空機が姫路の工場で製造した半完成品状態の航空機をここに運び込み、この飛行場脇にあった工場で最終組立を行っていたそうです。飛行場の脇には工場の跡地と思しき場所があり、ここで完成した飛行機は試験飛行を行い、その後、各地へ実戦配備されていったということです。<br />川西航空機といえば第二次大戦中における傑作機、紫電改を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。正にあの世界に誇る名機、紫電改がこの地で完成し、そして大空へと飛び立っていった、なんとなくロマンを感じてしまいます。また、こんなところで姫路との歴史的接点があるなど、とても興味深い点も見えてきました。<br />

旧海軍姫路航空隊 鶉野飛行場跡 戦争遺跡を巡る

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2014/05/18 - 2014/05/18

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    兵庫県加西市、旧海軍姫路航空隊鶉野飛行場、ここは第二次大戦中、ミッドウェー海戦の惨敗によって航空戦力に大きな打撃を受けた日本海軍が、パイロット養成を目的として昭和18年に急遽設置したものです。全長1200m×幅60mの滑走路跡を中心に、周辺に地下防空指揮所などの防空壕跡や対空砲陣地跡など、さまざまな施設が現在でも残る、いわゆる戦争遺跡のひとつです。

    この日は、「ひめじのれきし委員会」の方々を迎え、鶉野飛行場について長年調査、研究を続られている郷土戦史家、上谷さんによるガイドツアーが行われました。今回、飛び入りながらこのガイドツアーに同行させて頂き、貴重なレクチャーなどを一緒に聞かせて頂きました。

    加西・鶉野飛行場展 実行委員会のFacebookページです。

     https://www.facebook.com/uzurano?fref=nf

    「加西 鶉野飛行場展 記念講演 残された技術 飛行艇」
    H26年8月10日にアスティア加西での講演会の模様です。

      http://4travel.jp/travelogue/10916199


    今回のガイドツアーでは、北条鉄道法華口駅の駅舎にてまず、上谷さんから海軍姫路航空隊に関する歴史や全体概要に関してのご説明をうけ、その後、飛行場周辺に移動し、厚さ1mのコンクリートで覆われた弾薬庫跡や地下防空指揮所が置かれていた防空壕跡や対空砲陣地跡、ならびに滑走路跡などを見学、その際、上谷さんからそれぞれの施設にまつわる貴重なお話を伺えることができました。

    この鶉野飛行場では、パイロットの養成として当時多くの若者が全国から集まり、日々鍛錬に勤しんでいたということです。そして、戦況が逼迫する中、遂には神風特攻隊が編成され、その中に白鷺隊という名の隊がありました。これがこの鶉野飛行場で育った若者たちだったということです。パイロット育成とはいうものの、ここは特攻隊員育成の場ともなってしまい、その歴史なかにおいて隊員達と地元の人々とのふれあい、出会い、そして別れなど多くのエピソードが当時存在したようです。

    また、当時、川西航空機が姫路の工場で製造した半完成品状態の航空機をここに運び込み、この飛行場脇にあった工場で最終組立を行っていたそうです。飛行場の脇には工場の跡地と思しき場所があり、ここで完成した飛行機は試験飛行を行い、その後、各地へ実戦配備されていったということです。
    川西航空機といえば第二次大戦中における傑作機、紫電改を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。正にあの世界に誇る名機、紫電改がこの地で完成し、そして大空へと飛び立っていった、なんとなくロマンを感じてしまいます。また、こんなところで姫路との歴史的接点があるなど、とても興味深い点も見えてきました。

    旅行の満足度
    3.5
    観光
    3.5

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    • 「鶉野飛行場平和祈念の碑苑」

      「鶉野飛行場平和祈念の碑苑」

    • 北条鉄道法華口駅 (1)<br />この日は爽やかな晴天に恵まれ、ご家族連れ、自転車を駆って訪れた方々、駅ナカのパン屋さんへパンを買いに来られた方、そして北条鉄道をご利用される方々など、朝から多くの人々がこの駅を訪れられていました。<br />

      北条鉄道法華口駅 (1)
      この日は爽やかな晴天に恵まれ、ご家族連れ、自転車を駆って訪れた方々、駅ナカのパン屋さんへパンを買いに来られた方、そして北条鉄道をご利用される方々など、朝から多くの人々がこの駅を訪れられていました。

      法華口駅

      北条鉄道法華口駅by Tam-Kさん
    • ガイドツアーは、まずこの法華口駅の駅舎内にて郷土戦史家、上谷さんによる鶉野飛行場にまつわる全体的な歴史背景など、全体概要についてのお話からはじまりました。<br /><br />第二次大戦勃発からミッドウェーでの空母機動艦隊の壊滅、これによって世界でも一線級の多くのパイロットを失った。このことによる航空戦力への大打撃を補う目的で姫路海軍航空隊が編成され、この鶉野飛行場が建設されるに至った経緯など、説明がありました。また、当時川西航空機で航空機の大増産を行う計画が持ち上がり、当時の川西航空機オーナー、川西財閥が傘下の企業、日本毛織の姫路(現在の姫路市JR京口駅前に工場があったそうです。)にある工場を、航空機製造工場に転用することとなったそうです。そして、ここで世界に誇る名機、紫電や紫電改などの製造が開始され、さらに最終組立が鶉野飛行場脇に建設された川西航空機の工場で行われたそうです。このように製造された航空機は、鶉野飛行場で試験飛行などを経て完成、その後、各地の戦場へ飛び立って行ったそうです。

      ガイドツアーは、まずこの法華口駅の駅舎内にて郷土戦史家、上谷さんによる鶉野飛行場にまつわる全体的な歴史背景など、全体概要についてのお話からはじまりました。

      第二次大戦勃発からミッドウェーでの空母機動艦隊の壊滅、これによって世界でも一線級の多くのパイロットを失った。このことによる航空戦力への大打撃を補う目的で姫路海軍航空隊が編成され、この鶉野飛行場が建設されるに至った経緯など、説明がありました。また、当時川西航空機で航空機の大増産を行う計画が持ち上がり、当時の川西航空機オーナー、川西財閥が傘下の企業、日本毛織の姫路(現在の姫路市JR京口駅前に工場があったそうです。)にある工場を、航空機製造工場に転用することとなったそうです。そして、ここで世界に誇る名機、紫電や紫電改などの製造が開始され、さらに最終組立が鶉野飛行場脇に建設された川西航空機の工場で行われたそうです。このように製造された航空機は、鶉野飛行場で試験飛行などを経て完成、その後、各地の戦場へ飛び立って行ったそうです。

    • 加西市のHPから鶉野飛行場に関する資料をお借りしました。<br />http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/kanko/11uzura/pic/110428.pdf<br /><br />この飛行場周辺に残る施設などが記されています。以下、この地図に記載されている番号で今回訪れた場所を示してみたいと思います。<br /><br />(1)北条鉄道法華口駅<br />(2)防空壕(素掘)航空隊への登り道沿い<br />(3)防空壕(コンクリート製)衛所前<br />(11)防空壕(コンクリート製)兵舎横<br />(12)防空壕(コンクリート製)兵舎横<br />(13)防空壕(コンクリート製)最大の防空壕<br />(20)防空壕(コンクリート製)倉庫<br />(21)防空壕(コンクリート製)正方形の入口<br />(22)対空砲陣地跡<br />(17)エプロン<br />(18)防空壕(コンクリート製)地下防空指揮所<br />(26)滑走路<br />(27)鶉野平和祈念の碑苑<br />(28)対空砲陣地跡<br /><br /><br /><br />

      加西市のHPから鶉野飛行場に関する資料をお借りしました。
      http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/kanko/11uzura/pic/110428.pdf

      この飛行場周辺に残る施設などが記されています。以下、この地図に記載されている番号で今回訪れた場所を示してみたいと思います。

      (1)北条鉄道法華口駅
      (2)防空壕(素掘)航空隊への登り道沿い
      (3)防空壕(コンクリート製)衛所前
      (11)防空壕(コンクリート製)兵舎横
      (12)防空壕(コンクリート製)兵舎横
      (13)防空壕(コンクリート製)最大の防空壕
      (20)防空壕(コンクリート製)倉庫
      (21)防空壕(コンクリート製)正方形の入口
      (22)対空砲陣地跡
      (17)エプロン
      (18)防空壕(コンクリート製)地下防空指揮所
      (26)滑走路
      (27)鶉野平和祈念の碑苑
      (28)対空砲陣地跡



    • 法華口駅でお話を聞いた後、実際に現存している戦争遺跡を上谷さんのご案内でひとつずつ巡って行きました。<br />法華口駅の東側の台地を登る道、この道を登りきった台地の上に姫路海軍航空隊の施設がありました。この道は法華口駅と航空隊を結ぶ道であり、航空隊にとっては重要な補給路、当時は道の脇に林などなく、ここを移動していると西方から飛来する米軍艦載機(主にグラマンなど)による機銃掃射の絶好の的となったそうです。このため、この道沿いには一時退避用の素掘りの防空壕が多く存在しています。

      法華口駅でお話を聞いた後、実際に現存している戦争遺跡を上谷さんのご案内でひとつずつ巡って行きました。
      法華口駅の東側の台地を登る道、この道を登りきった台地の上に姫路海軍航空隊の施設がありました。この道は法華口駅と航空隊を結ぶ道であり、航空隊にとっては重要な補給路、当時は道の脇に林などなく、ここを移動していると西方から飛来する米軍艦載機(主にグラマンなど)による機銃掃射の絶好の的となったそうです。このため、この道沿いには一時退避用の素掘りの防空壕が多く存在しています。

    • 道沿いの所々で、こういった具合に素掘の防空壕(2)がぽっかりと口を開けています。<br />

      道沿いの所々で、こういった具合に素掘の防空壕(2)がぽっかりと口を開けています。

    • 中を覗いてみると、入口部分は半分埋もれていますが、中は広くまた素掘りの表面もしっかりした感じで、保存状態はとても良いようです。<br />中は折れ曲がり、コの字型となり、もう一方の出口へと繋がっています。

      中を覗いてみると、入口部分は半分埋もれていますが、中は広くまた素掘りの表面もしっかりした感じで、保存状態はとても良いようです。
      中は折れ曲がり、コの字型となり、もう一方の出口へと繋がっています。

    • 先程の道を登りきった所にあるコンクリート製の防空壕(3)、ここにはかって衛所が有り、姫路海軍航空隊の正門にあたる場所だったそうです。

      先程の道を登りきった所にあるコンクリート製の防空壕(3)、ここにはかって衛所が有り、姫路海軍航空隊の正門にあたる場所だったそうです。

    • 先程の衛所、航空隊の正門であった場所のすぐ先は広々とした農地が広がっています。この辺は現在、神戸大学の農業試験場となっています。写真中央にはコンクリート製の防空壕(11)(12)があります。これらは本館庁舎や兵舎の横にあったようで、ひとつは発電機などが設置されていたそうです。

      先程の衛所、航空隊の正門であった場所のすぐ先は広々とした農地が広がっています。この辺は現在、神戸大学の農業試験場となっています。写真中央にはコンクリート製の防空壕(11)(12)があります。これらは本館庁舎や兵舎の横にあったようで、ひとつは発電機などが設置されていたそうです。

    • この場所には写真のような航空隊の建物が並んでいたそうです。<br />この建物は航空隊の本館庁舎(地下防空指揮所展示写真)だった木造二階建の建物です。かってはいくつもの兵舎がならんでいたようですが、現在はすべて農地となり、基礎なども残っていないようです。<br />ただ、防空壕に関してのみ、非常に分厚いコンクリートで覆われていたことから、撤去に多額の費用を要したこともあり、偶然にも現存することができたようです。

      この場所には写真のような航空隊の建物が並んでいたそうです。
      この建物は航空隊の本館庁舎(地下防空指揮所展示写真)だった木造二階建の建物です。かってはいくつもの兵舎がならんでいたようですが、現在はすべて農地となり、基礎なども残っていないようです。
      ただ、防空壕に関してのみ、非常に分厚いコンクリートで覆われていたことから、撤去に多額の費用を要したこともあり、偶然にも現存することができたようです。

    • 先程の航空隊がある台地への上り坂から少し東側に入る小道があります。ここを徒歩で進んでいくとその先に弾薬庫跡があります。

      先程の航空隊がある台地への上り坂から少し東側に入る小道があります。ここを徒歩で進んでいくとその先に弾薬庫跡があります。

    • 林の中にひっそりと佇む弾薬庫跡、<br />確かに厚さ1mのとても分厚いコンクリートで覆われた頑丈な構造です。<br />航空爆弾や機銃弾などがここに保管されていたそうです。<br />

      林の中にひっそりと佇む弾薬庫跡、
      確かに厚さ1mのとても分厚いコンクリートで覆われた頑丈な構造です。
      航空爆弾や機銃弾などがここに保管されていたそうです。

    • 弾薬庫内部に入ってみました。中は結構広く、ひんやりとした感じがしました。<br /><br />また、この弾薬庫の向かい側は高い土盛が設けられており、外部からの防御と共に、弾薬庫内での爆発などに備えたものだそうです。<br /><br />この周辺にはこのような弾薬庫が3つのあったそうです。現在では隣接地大きな倉庫などが建設され、その際、2つは撤去されてしまったそうです。

      弾薬庫内部に入ってみました。中は結構広く、ひんやりとした感じがしました。

      また、この弾薬庫の向かい側は高い土盛が設けられており、外部からの防御と共に、弾薬庫内での爆発などに備えたものだそうです。

      この周辺にはこのような弾薬庫が3つのあったそうです。現在では隣接地大きな倉庫などが建設され、その際、2つは撤去されてしまったそうです。

    • 続いて航空隊本館庁舎前から少し北に進んだ林の中へ向かいます。ここには対空高射砲陣地跡(22)がありました。<br />この位置は、滑走路の南端から数百メータ程度先に進んだ辺りになります。<br />

      続いて航空隊本館庁舎前から少し北に進んだ林の中へ向かいます。ここには対空高射砲陣地跡(22)がありました。
      この位置は、滑走路の南端から数百メータ程度先に進んだ辺りになります。

    • 円形のコンクリートの枠の中央にこの写真のような高射砲(地下防空指揮所展示写真)が据え付けられていたようです。<br /><br />

      円形のコンクリートの枠の中央にこの写真のような高射砲(地下防空指揮所展示写真)が据え付けられていたようです。

    • 円形の部分の地下に弾薬庫があり、この開口から地下へ降りる階段があります。<br />

      円形の部分の地下に弾薬庫があり、この開口から地下へ降りる階段があります。

    • 終戦が近づいた昭和20年当時、この航空隊がある周辺へは主に米軍のグラマン戦闘機などの艦載機が飛来し、爆撃や機銃掃射による攻撃が度々行われていたようです。敵機は西側の山の峰々を超えて飛来していたようで、機銃座はその方向に向かって据えられていたそうです。

      終戦が近づいた昭和20年当時、この航空隊がある周辺へは主に米軍のグラマン戦闘機などの艦載機が飛来し、爆撃や機銃掃射による攻撃が度々行われていたようです。敵機は西側の山の峰々を超えて飛来していたようで、機銃座はその方向に向かって据えられていたそうです。

    • 上の機銃座の近くに2つのコンクリート製の防空壕(20)がありました。<br />そうちのひとつ、この大きな防空豪は倉庫のように中にものが置かれてました。

      上の機銃座の近くに2つのコンクリート製の防空壕(20)がありました。
      そうちのひとつ、この大きな防空豪は倉庫のように中にものが置かれてました。

    • さらに奥側にあったもうひとつの防空壕(21)、<br />この裏側の台地には通信所の施設があったそうです。

      さらに奥側にあったもうひとつの防空壕(21)、
      この裏側の台地には通信所の施設があったそうです。

    • 神戸大学の広い農地の真ん中にある大きなコンクリート製の防空壕(13)、これはここで最大の防空壕です。

      神戸大学の広い農地の真ん中にある大きなコンクリート製の防空壕(13)、これはここで最大の防空壕です。

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      • by たらよろ さん 2014/07/20 10:35:40
        いろいろ考えさせられるものがありました
        こんにちは、Tam-Kさま。

        先日、永遠の0を読み、もちろん作者さんの主観も多々入っているでしょうから、
        フィクションの部分もあるのでしょうが、
        今まであまり知らなかった空中戦の様子がすごく理解できました。
        特攻隊のことも、色々な意味で考えさせられました。

        私は今、航空機を製造するお仕事に従事しており、
        その中で川西航空機さんともお取引しておりますが、
        恥ずかしながら、当時に川西航空機さんが、そんなに素晴らしい航空機を組み立てておられたことも知りませんでした。
        戦時中からある歴史ある会社さんということは知っていたのですが……
        日本の航空機事業は、長かったトンネルを抜けて今やっと始まったばかり。
        止まってしまった50年を取り返すため頑張らないとねー

        たらよろ

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