2014/05/03 - 2014/05/08
2170位(同エリア11216件中)
pippo77さん
- pippo77さんTOP
- 旅行記77冊
- クチコミ10件
- Q&A回答12件
- 183,112アクセス
- フォロワー20人
日本人は、なぜハワイ?
芸能人は、なぜハワイ?
老若男女、なぜハワイ?
なんでハワイに(同じ場所に)何回も行くの?
そんな疑問を感じつつ、今まで行く機会のなかったハワイ。
今回はヒョンなことから旅行先の優先順位としては低かった
ハワイに行く事と相成りました。
せっかくですので「日本人は、なぜハワイ?」の疑問を解くべく
お約束・定番なオアフの観光スポットを巡ってきました。
強行日程を終えた今、果たして答えは出たのか?
最終日の、パールハーバー編です。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
あっという間に最終日。
今日もパールハーバーと、セスナ遊覧飛行、アラモアナセンターと
貧乏性炸裂で予定びっしり。
写真は早朝ワイキキを散歩した際に遭遇した、どっかのホテルの
アクティビティーだと思われるフラダンス教室。
中には男性も。
当方は出来ません・・・ -
手前、モアナサーフライダーのプライベートスペース。
奥、ロイヤルハワイアンのプライベートスペース。
飛行機のビジネスクラスもそうだが、仕切りを設けてこっちは
入っちゃいけません的な区分けってちょっと…
ちなみに結構多い、「ビジネスクラスで行った***」や
「ファーストクラスで行った***」みたいな旅行記。
お約束のように空港ラウンジ、座席、食事まで旅行記の大半が
「高い座席で行ったんだぜぃ」アピール満載。
当方はそういった旅行記は見ません(笑) -
シェラトン近くのデニーズにて朝飯。
ここ完全に日本式で、会計はレシートを持ってレジ。
当然ウェイトレスとレジは違う人。
チップ込みの料金かと思ったら、チップは入ってない。
どのタイミングで誰にチップ渡すの???
当方は会計後、ウェイトレスのところまで行って直に渡した。
テーブルにチップを置いとくのがスマートだったかな? -
当方決して軍事オタクではないが、歴史、特に近代の戦史に思いれが強く、
その昔は思い余ってポーランドのアウシュビッツまで行った事も。
だからオアフと言えば、ここパールハーバーは何が何でも外せない。
ここは日本人率かなり低いので、「日本人は、なぜハワイ?」を探求する
主旨に合わないが、個人的思い入れで訪れた。
写真はパールハーバービジターセンター。 -
まずは全員ここで、一個3ドルで荷物を預ける。
自分のと嫁のをそれぞれ預けようとしたら、係の女性が
自分のバックに嫁のバックを詰め込めと指示。
そうすれば3ドルのコーヒーを一杯飲めるでしょう?とニコッ。
なかなか気が利いている。 -
ビジターセンターからシャトルバスに乗って、戦艦ミズーリへ。
いまでもここは米軍基地につき、シャトルバス車窓からの撮影は禁止。
バスを降りたここからは、どこを撮ってもOK -
戦艦大和よりも全長が7m長い。
呉にある大和ミュージアムに26.3mの十分の一レプリカがあるが、
実際のデカさってどうもピンとこないもの。
こうして同じ規模のミズーリが実在することで、大和の実際のデカさを
体感できる。
ちなみに幅は大和の方が太い。
ミズーリの幅はギリギリでパナマ運河を通れるよう設計したらしい。 -
大砲の口径は40.6cm
人と比べると巨大さが分かりやすいかと。
一方大和は46cm -
主砲が火を噴く戦艦ミズーリ。
日本軍の制海権がほぼ失われた日本近海で、硫黄島、沖縄、東京、
室蘭、日立とミズーリの主砲は火を噴きつづけた。 -
終戦の日は言わずもがな、8月15日。
ただ世界の認識は、降伏文書調印式がここミズーリ艦上で行われた9月2日。
日本だけじゃなく、まさに世界史の舞台。 -
当時、写真左側の丸いプレート上に机があって、そこで
調印式が執り行われた。 -
日本側を威圧するようにわざと長身の兵士を最前列に並べていた。
彼らは敬礼なしで、全権代表の重光外務大臣らを見おろしていた。 -
御存じダグラス・マッカーサーは、この扉の中の司令官室で待機していた。
ちなみにこの部屋は非公開。
予定の時間になりここから出てきて机を見下ろしたが、足が不自由な
重光らは急な階段を上るのに手間取って遅れていた。
そこでマッカーサーは戦勝国が敗戦国側を待つ必要なしと、再び部屋に
戻ってしまった。
そして日本側が到着後に満を持して登場。
バルコニーの上から日本側を一瞥し、ゆっくりと階段を下りてきた…
そういった、いちいち勝者と敗者を印象づける演出が成されていたという。 -
このへこみは、神風特攻隊が突っ込んだ跡。
近年の調査により突っ込んだ特攻隊員は、ほぼ特定されている。
当方、右でも左でもないが、日本人として手を合わさずにはいられなかった。 -
ウィリアム・キャラハン艦長はこの特攻隊員の遺体を、国の為に任務を
全うした名誉ある軍人として、敵にもかかわらず海軍式の水葬で弔った。
写真は突っ込んだとされる石野節雄二等兵曹とキャラハン艦長の生前の
写真と、水葬の様子。
水葬は特攻が敢行された翌日に行われた。
その際、軍隊式葬儀には欠かせない、亡骸をくるむ『日本の』国旗は当然無し。
そこで乗組員は一晩かけ、旭日旗を手縫いで作成したという。 -
乗組員の生活スペースも見学できる。
ここは食堂。 -
図書館
-
歯医者
-
郵便局
-
改造、リファインして湾岸戦争でも使用されたのでパソコン等もあり。
-
船員のプライベートスペースを下の階級から紹介。
一般の兵士たちは3段ベッド。
現在の日本の自衛隊でも、こうしたベッドの場合先任者が上段で
下っ端は下段と決まっている。
おそらく仕来たりは同じだろうから、先任者が上段だったのだろう。 -
ちょっと偉くなって二人部屋。
-
もっと偉くなって個室。
-
そしてこちらは一気に偉くなって、副艦長室。
-
奥にはベッドルーム。
-
シャワーも完備。
-
お待たせしました、こちらが艦長室。
残念ながらガラス越しに見るだけで中には入れず。
おそらく奥にあるであろうプライベートスペースも非公開。 -
こちらは湾岸戦争で一般人もニュースで知ることとなった、
巡航ミサイル「トマホーク」の発射ボタン。 -
この中に収められていたトマホークが、28発イラク領内に
打ち込まれた。 -
みやげ物屋で売っていた、1941年12月7日(日本時間12月8日)の
日本軍奇襲を伝える新聞の復刻版。 -
再びシャトルバスに乗って太平洋航空博物館へ。
零戦も展示されている。 -
奇襲の日、日本軍の攻撃がどんな兵器でどのように行われたのか、
この展示の前でアメリカ人ガイドが、アメリカ人の団体さんに説明
していた。 -
手前、航空自衛隊の主力戦闘機でもあるF-15
奥、映画トップガンでお馴染みのF-14
ちなみにF-15は、東京→大阪間を10分で飛ぶ。
軍事オタクにはたまらないでしょうが、特別な思い入れはないので
カッコいいなぁ程度の感想。 -
この格納庫79の青いガラス窓には、日本軍による弾痕が残っている。
-
シャトルバスに乗って再びビジターセンターに戻ってきた。
これは日本軍の人間魚雷「回天」
人間魚雷とは、つまり海の特攻用潜水艦。
人の命を何だと思っていたのか… -
並ぶ石碑にはアメリカ海軍の沈んだ艦船名と、それに伴い戦死
した人数が記されていた。
その向こうは潜水艦ボーフィン。
真珠湾攻撃で沈んだアリゾナの上に建つ「アリゾナ記念館」と
この潜水艦ボーフィンは、時間の都合でまわれなかった。
日本人率本当に低いが、これだけの規模の複合的で大規模な展示は
世界的にも希少なのだから、より多くの日本人が来訪すべきだと思う。
14時過ぎにここを後にし、セスナ遊覧飛行へ向かった。
つづきは最終回の、セスナ遊覧飛行とアラモアナセンター編。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
pippo77さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
36