2014/04/13 - 2014/04/13
145位(同エリア238件中)
ひま人さん
大河ドラマ「軍師 官兵衛」が佳境に入っていますが、有岡城主・荒木村重が信長に反旗を翻したので、官兵衛が有岡城に赴き、村重に信長陣営に留まるように説得をしましたが、村重は翻意することはありませんでした。逆に捉えられ有岡城に幽閉されました。その後信長軍の総攻撃に遭い有岡城は落城、官兵衛は救出されました。
有岡城は城跡は僅かに石垣と土塁、本丸跡等が残るだけで、当時の城全体像は想像もつきません。古文書によると現在のJR伊丹駅から猪名野神社当たりまで広大な城郭だったそうです。
その有岡城跡、荒木村重の菩提を弔っている荒村寺から有岡城の土塁がのこっている猪名野神社、発音寺、多田街道・辻の碑を経て教善寺へと伊丹市内の歴史に触れた一日でした。
表紙写真は、雨除けの覆屋で守られている辻の碑(いしぶみ)です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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有岡城跡石碑。
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有岡城跡石垣。現在、JR伊丹駅前に国指定史跡としてその一部が保存整備されている有岡城は、南北朝時代の文献に登場する摂津国人伊丹氏の居館として、鎌倉時代末期に猪名川西方に当たるこの地に設けられたのが最初とされています。戦国時代を経て堅固な城構えとなり、伊丹城と呼ばれるようになったようですが、天正2年(1574年)に織田信長軍の荒木村重の攻撃で伊丹氏は追放され、村重が城主となりました。
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有岡城跡石垣。村重は城を修築し、名を有岡城と改め、伊丹段丘の高低差を利用して南北1.6km、東西800mの惣構を築き、要所に岸の砦、上臈塚砦、鴨塚砦を配して壮大な城郭とし、城下町も整備して現在の伊丹郷町の礎を築きました。
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有岡城跡石垣。
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有岡城本丸跡の井戸跡、土で埋められていました。
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荒村寺(こうそんじ)山門と本堂。曹洞宗。本尊は十一面観音像。天保年間(1830〜1834年)に伊丹城(有岡城)跡に寺地を移し城山庵と号しました。その後、荒木村重の菩提を弔って荒村庵と改められ、昭和25年(1950年)に法地開山して古城山荒村寺となりました。
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荒村寺扁額。
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荒村寺境内の句碑。伊丹が生んだ俳人、上島鬼貫(おにつら:1661〜1738)が詠んだ「古城や茨くろなる蟋蟀(きりぎりす)」と読めます。
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荒村寺境内の「喝」の彫り込み石碑。
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猪名野神社鳥居。
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猪名野神社拝殿。
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猪名野神社本殿。伊丹の氏神として猪名野坐大神を祀る神社で、境内に酒造家・商人の寄進した97基の石灯篭が並ぶ旧県社です。創立時期は不明ですが、延喜4年(904年)に猪名寺から現在地に遷座されたとも言われます。本殿は江戸時代前期の貞享4年(1686年)に建立されたもので、神域は1万5千?あり、「戎神」「天神」など17社が祭祀されています。
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有岡城土塁跡。荒木村重の有岡城の惣構の北端「岸の砦」が置かれていた所で、猪名野神社境内西側にその土塁の堀後が残っており、駅前の有岡城本丸跡とともに国指定史跡となっています。
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有岡城土塁跡。
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発音寺山門。
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発音寺本堂。浄土宗。本尊は十一面観世音菩薩立像。慶安元年(1648年)の建立で仏像三体は伊丹市指定文化財となっています。本尊は室町時代以降の作と推定されいます。(写真がピンボケで申し訳ないです。)
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多田街道の辻の碑の石碑。
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辻の碑(いしぶみ)。表紙写真のアップです。多田(川西市)へ向かう多田街道と京都から下ってきた西国街道と交差しますが、その交差点に「辻の碑」が顕彰されています。碑は、今は雨除けの覆屋で守られていますが、高さ92?、幅76?の上方に尖った自然石で辻標では珍しい形です。
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教善寺山門。
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教善寺本堂。浄土真宗興正寺派。本尊は阿弥陀如来立像。寛永20年(1643年)再建の記録がありますが、それ以降も何度か大修理が行われたようです。幕末の国学者で、天誅組の志士、・伴林光平の隠れ部屋が残されています。
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