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芭蕉翁の生家は伊賀線上野駅の正面を走る伊賀街道をやや東に進み、南北に走る大和街道との交差する角に立つ。<br /><br />芭蕉はこの家に29歳まで滞在したらしい。<br /><br />生家の裏には芭蕉が書斎として使用したと云う小さな建物が有り、芭蕉はここを「釣月庵」と名付け、旅から帰るとここを住家とし、句を編んだ。<br /><br />裏庭には「無名庵跡」と云う名称と、句碑を刻んだ石碑が建っていた。<br /><br />今は無いが、芭蕉が没する直前の、元禄7年8月門人たちがこの地に、庵を建て、芭蕉に贈ったもので、刻まれた句は、「無名庵」の披露に門人を招いた際芭蕉が呼んだもの。<br /><br />     冬籠り またよりそはん此のはしら  芭蕉<br />

1.芭蕉の生まれ故郷であり、最後の旅の出発地でもある伊賀上野1-3芭蕉翁の生家跡

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2013/11/29 - 2013/11/29

288位(同エリア452件中)

WT信

WT信さん

芭蕉翁の生家は伊賀線上野駅の正面を走る伊賀街道をやや東に進み、南北に走る大和街道との交差する角に立つ。

芭蕉はこの家に29歳まで滞在したらしい。

生家の裏には芭蕉が書斎として使用したと云う小さな建物が有り、芭蕉はここを「釣月庵」と名付け、旅から帰るとここを住家とし、句を編んだ。

裏庭には「無名庵跡」と云う名称と、句碑を刻んだ石碑が建っていた。

今は無いが、芭蕉が没する直前の、元禄7年8月門人たちがこの地に、庵を建て、芭蕉に贈ったもので、刻まれた句は、「無名庵」の披露に門人を招いた際芭蕉が呼んだもの。

     冬籠り またよりそはん此のはしら  芭蕉

同行者
一人旅
交通手段
新幹線 JRローカル 私鉄
旅行の手配内容
個別手配

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