2013/11/16 - 2013/11/16
25位(同エリア86件中)
アリヤンさん
クマール家のプジャ(法事)は中休みとなり、ワタクシたちも一息いれます。
しかし、一家総出&一族郎党総出のプジャではワタクシたちの食事どころではなかろう。
((・Θ・;)アセアセ…)
ナントカせねば、、、
だが、部屋で食事を作るわけにもいかず、他に美味しいダルバートを食わせてくれるレストランもなく、、、、
こんな時は温泉にでもつかって、考えるとするか。。。。
*緊急避難ページ:2014年3月22日完成(全3ページ)
http://www.geocities.jp/ariyan9907/2013eightth-2_038.html
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
プジャのなか休み中に自分たちの部屋に入ってみたが、外は法事(プジャ)でみなさんお忙しい。
これでは部屋にじっとしてられません。 -
風呂の用意をして温泉に向かいます。
こりゃあ本当に長期戦だ。 -
パートナーが温泉に浸かっているあいだ、ワタクシは源泉かけ流しの湯で足湯です。
今日はちょっと寒いので湯当たりぶったおれを警戒しての足湯です。
川の音と湯治客のざわめきしかない静かでおだやかな秘湯の里でニッポンのおジイさん、うつらうつらです。 -
イチオシ
ストライキで交通が途絶えているので、もう外界から新たに入ってくる人もおらず、シンハ温泉はますます秘湯と化していっています 。
聞こえるのは、川の音と遊ぶ子供らの声のみ。
ホント、のどかです。
パートナーもワタクシが湯当たりしないように警戒して、珍しく早く温泉から出てきました。
ワタクシには足湯が良いようです。
ハダカで温泉に浸かって外に出ると冷たい外気にあたる。
それがいけないのです。
足湯だけでよさそうです。
冷えることはない。 -
温泉で気持ちよくなって宿に帰ってみると、ナント、お食事が待っていました!
まあ、食事といっても、朝から食べていたセルローティにタルカリ(おかず)が付いているだけです。
ま、ダル・セルローティならぬタルカリ・セルローティだ。
カレーとドーナツだ!?
なんとも奇妙な取り合わせだが、参加者にとっては1年に1回あるかないかのご馳走のようです。
ありがたく手を合わせていただきました。 -
さて、プジャ再開です。
-
牛クンにはタルカリ・セルローティはありません。
草でももらった様子もありません。
かわいそうにホッタラカシ状態でトイレのドアに繋がれています。 -
「ボクにも何かタベルモノをクレー!!
ベ~、べへ~、べへ~~」とトイレの前で泣きまくっています。
カワイソウニ、、、
く( ̄△ ̄)ノガンバレェェェ!! -
護摩焚き、ホラ貝、お経、鐘の音が響きわたり、クマール家のプジャは続きます。
シツコイほど続きます。
それをシツコイほど付き合っているヘンな日本人夫婦もかなりな偏執狂ですナ。
でも、こんなプライベートなプジャは滅多に見られるものではないし、人種はインド人だが様式はネパール様式だし、同じヒンズー教でもヒマラヤ山中の田舎のプリミティブな宗教慣習や感覚も付いているだろうから、珍しくもあり、ありがたがって見ているのです。 -
イチオシ
一同、輪になって手をあわせお祈りです。
おそらく先祖の霊にたいして呼びかけているのでしょう。
言っておきますが、プジャはこの場だけで、一歩外に出れば子供は道路で遊んでいるし、村の人たちは日向ぼっこをしてるし、ここの末っ子のカリーナ3才は店の棚に寝転んでテレビでアニメを見ているのです。
通りには車は通らず、歩く人が時々通るのみです。
この聖地のエリアだけが天界と通じているかのようであったのでした。 -
ネパール人の主食=お米登場です。
それになにやらいろんなものが添えられます 。 -
親戚一同様、ご近所一同様、みんな聖地の背後にひかえております。
そんな中からタンバリンや鉦や太鼓を鳴らしてのオラが歌と踊りが繰り広げられているのです。 -
とうとう神様の使い?神様の乗り物であった牛クンの登場です。
登場といってもイヤイヤ引きずり出されたのでありますが、、、、 -
なるほど、神様の乗り物=牛クン=先祖の霊が乗って帰る乗り物?なのか、牛クンの毛深いオデコにもティカが付けられています。
-
クマール家家族一同が牛クンの周りを回り始めました。
なにやらお供え物を持って、ソバでお坊さんがお経を上げています。
ホラ貝が吹かれます。
どうも、今日のプジャのクライマックスのようです。 -
経典を読み上げるお坊様。
-
ついには牛クンの尻尾をみんなで持ち上げてなにやら念じています。
その時、なんと牛クンがタマらずべへ~と泣きながらオシッコをジャージャーと垂れ流したのでありました!
すると、ナント!
エライことが起きました。
クマールのお母さんが手でオシッコを受けて、ナントッ!
それを飲んだのでした!!!
馬のションベンは長い、と言いますが、牛のそれも長い。
続いて、お母さんはまたソノモノをすくってはお嫁さんに飲ませようとしました。
嫁さんはイヤがって逃げ惑いますが許されません。
それでもお姑さんが強要するので、カタチだけなめるように口をつけました。
あまりに珍しい風習を目撃したワタクシは目を丸くして近寄ってみていたら、クマールが「アンタも飲むか?」と聞いてきた。
パートナーは自分も勧められると思い、先にキャーッと声を上げて逃げ惑いました。
周りの人はゲラゲラ大笑いでした。 -
ここでワタクシ、思い出しました。
たしかカトマンドゥのサターデイ・マーケットで売っていた「牛のオシッコ(蒸留したヤツ)」が売られていました。
その時もらった「牛(牝牛)のオシッコの効能書」です。
「牛のオシッコは殺菌作用があって、カラダ に大変良いもの。。。云々」
なるほど、昔の人たちは本当に牛のオシッコを飲んでいたのだろう。
日本でも独特の健康法だといって「自分のオシッコを飲む」ヒトがいるのです。
お仕事時代の銀行出身のCEOがそうだった。
なるほど、オシッコ健康法は古式インド健康飲料だったのだ。 -
イチオシ
クマール家のプジャはクライマックスを迎え、参列のギャラリーからは自然発生的に音楽が鳴り出し、まずは子供が踊りだしました。
-
女性のみなさんが次々と踊り始めました。
中々優雅な踊りで、クマールのお母さんの踊りなんぞは、どこか日本舞踊のように優雅なものでした。
パートナーが担ぎ上げられ踊れといわれたのですが、「無理、むり、ムリムリムリ!」と辞退した。
それではみなさんに悪いと思い、代わりにワタクシが踊りました。
昔ディスコで取ったキネヅカです。
ヤンヤ、ヤンヤの喝采を浴びました。
以来、ワタクシども夫婦はシンハ・タトパニ村の有名人となって、知らぬものはいない、という存在になったのでありました。 -
14年間居るだけで困難なサウジアラビアでの出稼ぎ生活を通して勝ち得たお金で大きな家を買って、お母さんにも田んぼや家をプレゼントして、去年からゲストハウスを始めてこれから大きくしようと言っているところです。
出稼ぎから帰ってきて2年目、やっと生活も落ち着いてきた今年、やっとクマール家の法事(プジャ)をひろく行えるようになった喜びと満足を味わっているのでしょう。
プジャの終わりには、クマールはうれしそうにみんなにお礼を伝えていました。
*お礼は1人づつに祭壇の前でお金を渡すのです。
日本のように包んでわたすのではなく、お札をハダカで手渡すのです。
ティカをオデコに付けては手渡すのでした。
ワタクシたち部外者にもティカを頂きました。
残念ながらお札はもらえませんでした。
(客のワレワレはお金を払う立場なので、ちゃんと立場を踏まえてのティカだけの授与となったのでしょう。
まあ、お金は多くても大抵が何百円くらいなものでした。 -
やっとプジャから開放されて外に出て見ると、いつもと変わらず遊ぶ子供たちが居ました。
バス・車が通らぬ江戸時代にワープした、あるヒマラヤの片隅の村での出来事でありました。
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