2013/11/17 - 2013/11/17
34位(同エリア85件中)
アリヤンさん
クマール家のプジャは無事終わり、ワタクシたちの生活もこれで落ち着きそうです。
きのうの早朝、山間部で木から落ちて怪我をしたあのヒマラヤの少女はどうなったのか?
が気にかかり、今日は彼女のお見舞いに行こうと言うことになった。
怪我が大きくなくてなにも無ければ良いのだが、、、
ワタクシたちシニア・救助探検隊は今朝もハヨから出動です。
*緊急避難ページ⇒ http://www.geocities.jp/ariyan9907/2013eightth-2_042.html
2014年4月1日完成。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
今朝は非常によいお天気です。
朝の陽光が部屋の中まで差し込み、気持ちが良い。 -
8時過ぎに宿を出発してタトパニ村の西はずれのつり橋を渡ります。
-
川向こう村の人たちが日向ぼっこをしています。
-
朝はもう寒くなっており、日のあたるところはホント、極楽みたいなものです。
暖房設備の無い家の中に居るよりは、日向に座っているほうがどんなに気持ちがいいものか。
ほとんどの人が稲刈りも終わったので、こうしてヒマに日向ぼっこをしているのです。 -
ここらもカトマンドゥやポカラと同じく「薄く剥がれる石」が取れるので、塀や屋根瓦かわりに利用されています。
どうしてこんな薄く剥がれる岩が多く出るのか?
考えてみると「ヒマラヤはインド大陸がぶつ かって来るまでは海のそこだったのだ。海の底が衝突の衝撃で盛り上がり、今では世界の屋根とまで呼ばれる超高山地帯となっている」からだろう。
海の底で何百万年、何千万年、何億年、何十億年と降り積もった土砂がなん層にも降り固まって出来上がったのが、今ココにこうして掘り出されてネパールの人の塀や屋根瓦として利用されているのだろう。 -
そんなとりとめも無いことを考えながらやってきました。
木から落ちた女の子を発見したあたりで、彼女のお姉ちゃんが農作業をしていて、お姉ちゃんが「あっ、妹に親切にしてくれた日本人だ」と気がついて、彼女の家まで案内してくれました。
田んぼは川沿いにあるが、住んでいる家は大分山の中に入り込んだところにありました。
2、3の掘ったて小屋然とした住居と家畜小屋がかたまってあるところでした。
どの家も必ずニワトリとヤギと牛を飼っています。 -
木から落ちた女の子のお母さんが薪わりをしていました。
-
イチオシ
妹たちです。
お姉さんの婿さんです。 -
イチオシ
家族の中で唯一英語のわかるお姉ちゃんが「木から落ちて怪我をしたヒマラヤの少女」の妹を呼び出してくれた。
きのうからずっと寝ていたようです。
暗い家の中からのっそり出てきた女の子はまさにワタクシたちが近所中にワーワー言って救い出したあのヒマラヤの少女でした。
彼女もワタクシたちの顔を見て、照れくさそうにしていました。
お姉ちゃんの話では、別にたいした怪我でもなかったらしい。
血を出していた右足がどうなったかを確かめるために「ちょっと歩いて見せて」とパントマイムをすると、ちょっとビッコを引くが別段痛そうでもなく、大丈夫そうであった。
それを見て、ワタクシたちも一安心しました。
ま、これで今日のワレワレ「ヒマラヤの少女救助隊」の任務はコンプリートしたのですが、お姉ちゃんがお茶をのんで行け、というのでお茶を頂くことにしました。
そのお茶というのは、ぱっと見た目は「白湯」なんですがよっく見るとお茶の粒がひとつだけ底に沈んでいました。
この家庭では最上のおもてなしなのでしょう。
貴重なお茶の葉を使った、という訳でしょう。
かほどにここらの人々の生活は厳しい、ということが察しられるのです。
ワタクシたちは最初「エッ?これがお茶?ただのお湯じゃんか~、でもお茶の粒らしきものが底に沈んでイル!ア~、お茶はここの人達にはとっても貴重なものなんだ~無理してお茶を入れて出してくれてるんだ~」
そんな心中を悟られることの無いように、ありがたそうにそのお茶を頂きました。
*中国でも三国志の時代(2~3世紀)ではお茶はとても貴重なもので劉備玄徳は母親のために黄河のほとりの港まで出向いて一握りのお茶を求めたらしい。(吉川英治の小説・三国志に書かれてあった。このフレーズがこの時頭に浮かんだ。) -
少女のお母さんは薪割りの手を休めることなくずっと薪を割っていました。
これからの寒い季節には薪は絶対必要なものですから。
小さな妹たちは周辺でちょろちょろとあそんでいます。
お兄ちゃんや義理のお兄さんたちは刈った稲束を広げていた作業の手を休めてひと休み中です。 -
一番小さな妹はさっきからお義兄さんの陰に隠れてばかりでした。
-
母屋の入り口の上にすでに亡くなったのだろう、おじいちゃん、おばあちゃんなどの写真が貼られてありました。
-
ワタクシたちは玄関口に座らせてもらっていました。
その玄関から正面に見える風景です。
この森の向こうにミャグディ川が流れているのですが、このような風景をこの家族はみんな毎日見ているのです。 -
庭に広げられた稲束。
乾燥させた稲束からモミをはずす作業をこれからするのでしょう。
なんせ石に束をぶつけての重労働なので、長居はできません。 -
イチオシ
英語の少しわかるお姉ちゃんに頼んでみんなに集まってもらいました。
記念撮影です。
家族はみんな怪我をした女の子を真ん中においてポーズをしてくれました。
ワタクシたちが心配して見舞いに来てくれたことを理解してくれていました。
左端のお兄ちゃんが女の子を背負って家に連れて帰ったお兄ちゃんです。
その隣が英語のわかるやさしいお姉ちゃんです。
お母さんも忙しい手を休めて寄ってきてくれました。
なんかほのぼのとしたものが感じられました。 -
今日はネパールの貧しい人々の心にちょっとだけ触れられた気分で、ワタクシたちも気持ちが良いです。
ヒマラヤの少女はじめみんなにバイバイをして、ヒマラヤ山中に佇む家を後にしました。
川沿いのあの一家の田んぼのあるところまで戻ってきました。
この田んぼがあの一家全員を支えている大事な田んぼなのです。 -
川向こうの山は陽光に照らされ、あったかそうです。
清清しい気分です。 -
ワタクシたちは足取り軽く、シンハ・タトパニ村の方面に帰ります。
-
まだ朝の9時台ですが、ワレワレは宿に帰ってこれから今日の早いランチの注文(=ダル・バート)をして1時間ほどした10時半ころに食べて、正午近くになったら温泉に浸かりに行く予定です。
正午前後が一番空いている時間帯なので、ゆっくりと温泉を味わえるからです。
途中で出会ったヤギは「アンタラ、温泉でっか。ヨロシュウまんナア!」といわんばかりの顔をしてこちらを眺めていました。 -
つり橋をわたります。
-
午前中ですから陽光は東から差しているので、川の下=東側は光って見えます。
-
この東側のさきに温泉があるのです。
川原を掘って作ってある仙人風呂のある和歌山の熊野本宮近くの川湯温泉とよく似た環境です。 -
ワレラが宿=ヒマラヤンGHに帰着。
きのう盛大に執り行われたプジャの聖域あとです。
まだ1週間ほどは周りの飾りつけは取り払われないそうです。
とりあえずワタクシたちには元の静寂が戻りました。
それに長女のサンガムチャンとお母さんの作るおいしいダル・バートが食べられるのが一番です。 -
ランチを済ませるとイソイソと温泉に出かけました。
ワタクシは「浸かりすぎぶっ倒れ」を警戒して足湯だけにしています。
湯船のそばで足だけつけています。
これは男湯の隠し撮りです。
やっぱり堂々とお風呂の写真を撮るのは気がひけるし、ヒンズー教でもハダカを撮るのは良くないのでは?と考えたからです。
でもその心配は杞憂でした。
後から分かったのですが、地元民などはどんどん写真を撮っていましたカラ。 -
洗い場では陽気な女の子がしきりに話しかけてくるので、写真を撮らせてもらいました。
ま、体を洗う作業は斯様な状態なのです。
洗っているうちに体が冷えてしまいそうです 。
ワテらシニアには寒いくらいなので、室内洗い場を作ってほしいのですが、、、 -
11月下旬で川の水は冷たいはずなのに、地元の子供たちは元気に泳いでいます。
-
ひとり、ふたりと飛び込んで流れに逆らって 泳ぎ始めました。
-
イチオシ
ワタクシの生まれ育った故郷の川が夏の間の子供たちのプールがわりでして、このようにしてよく泳いでいました。
でも毎夏ひとりやふたりは必ず溺れて死んでいました。
流れによって非常に深いところや水が冷たいところがあったりして足をとられるからです 。
そんなことを知っているワタクシは結構ハラハラしながらこのミャグディ川カッパたちを見ていました。 -
温泉に飽きると、また散歩です。
シンハ・タトパニ村からちょっと離れた集落にクマールのお母さんが住んでいますが、これはお母さんの田んぼです。
珍しく稲刈りがまだ終わっていなかったのでワレワレはちょっと心配してクマールに「お母さんの田んぼの稲刈りの手伝いをしなきゃアカンがな~」と言っていまし た。
プジャ明けの今日、早速親戚かご近所かの人たちが稲刈りをしていました。
クマールのお母さんもワタクシたちに気がついて稲刈りの手を休めて手を振ってくれました。
プジャで踊りを披露したせいか?
みなさん親しげに手を振ってくれました。 -
川原が崩れかけているトコロの向こう岸の緩やかな棚田がいかにも美しいので、そこでしばらく見とれていました。
-
怪我をしたヒマラヤの少女の一家の住む辺りから夕餉のしたくか?
煙がたなびいていました。 -
お日様は西に傾き、山あいの谷を暗くし始めていました。
なんとも穏やかな夕暮れでした。 -
プジャ明けのヒマラヤの少女救助隊任務終了一日の足取りです。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9910n/131117Map.jpg
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
アリヤンさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
33