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6泊7日でクラクフに滞在した際、プワシュフ強制収容所跡地を歩いてみました。<br /><br />シンドラーの工場跡にできた博物館を訪れたあと、“ゲットーの英雄広場”に戻って市電に乗り、そこから2つか3つ先だった“Cmentarz Podgorski(斜面の墓地?)”停車場で市電を降り、そのまま市電の進行方向である南に向かって歩きます。<br /><br />

プワシュフ強制収容所跡を歩く

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2013/06/05 - 2013/06/05

305位(同エリア1012件中)

2

59

ハナママゴン

ハナママゴンさん

6泊7日でクラクフに滞在した際、プワシュフ強制収容所跡地を歩いてみました。

シンドラーの工場跡にできた博物館を訪れたあと、“ゲットーの英雄広場”に戻って市電に乗り、そこから2つか3つ先だった“Cmentarz Podgorski(斜面の墓地?)”停車場で市電を降り、そのまま市電の進行方向である南に向かって歩きます。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • まもなく見えてくる標識に従い、Jerozolimska通りに入ります。

    まもなく見えてくる標識に従い、Jerozolimska通りに入ります。

  • この右手には、むかし鉄道駅があったそうです。その先(西の方向)に広がる緩やかな丘は、木々や低木や雑草で鬱蒼と覆われていました。

    この右手には、むかし鉄道駅があったそうです。その先(西の方向)に広がる緩やかな丘は、木々や低木や雑草で鬱蒼と覆われていました。

  • やがて見えてきた看板。

    やがて見えてきた看板。

  • この丘こそがプワシュフ強制収容所があった場所であるゆえ、その悲劇的な歴史に配慮を促すものでした。<br />同じ看板は、その後も何度か見掛けました。

    この丘こそがプワシュフ強制収容所があった場所であるゆえ、その悲劇的な歴史に配慮を促すものでした。
    同じ看板は、その後も何度か見掛けました。

  • 目指していた最初の家、Grey Houseです。戦前は隣接するユダヤ人墓地の斎場でした。戦中はナチスの将校たちの宿泊施設として使われましたが、屋内の一部は独房、地下室は拷問室として使われ、プワシュフの生残者によると、この家に連行された囚人は誰一人として生きて戻らなかったそうです。<br />ネット情報によるとこの家は、映画『シンドラーのリスト』でアーモン・ゲート(プワシュフ強制収容所長)の家のセットとして使われたそうです。外観はあまり似ていないから、内部だけが使われたのでしょうか。

    目指していた最初の家、Grey Houseです。戦前は隣接するユダヤ人墓地の斎場でした。戦中はナチスの将校たちの宿泊施設として使われましたが、屋内の一部は独房、地下室は拷問室として使われ、プワシュフの生残者によると、この家に連行された囚人は誰一人として生きて戻らなかったそうです。
    ネット情報によるとこの家は、映画『シンドラーのリスト』でアーモン・ゲート(プワシュフ強制収容所長)の家のセットとして使われたそうです。外観はあまり似ていないから、内部だけが使われたのでしょうか。

  • Grey House(木の陰になってます)の近くには、ふたつの慰霊碑がありました。この慰霊碑の碑文をグーグル翻訳してみたところ:<br />「1939年9月10日 クラクフに侵略したナチスは最初のポーランド人の虐殺を行った 1984年9月10日 彼らの思い出を讃えて」<br />ネット情報によると、1939年9月10日にここで、13人のポーランド人がナチスによって殺害されたのだそうです。

    Grey House(木の陰になってます)の近くには、ふたつの慰霊碑がありました。この慰霊碑の碑文をグーグル翻訳してみたところ:
    「1939年9月10日 クラクフに侵略したナチスは最初のポーランド人の虐殺を行った 1984年9月10日 彼らの思い出を讃えて」
    ネット情報によると、1939年9月10日にここで、13人のポーランド人がナチスによって殺害されたのだそうです。

  • Grey Houseの真後ろにあるこちらは、ナチスによって破壊されたユダヤ人墓地に埋葬されていたユダヤ人教育者Sarah Schenirer(1883−1935)の石碑を、没後70周年だった2005年に再建したものだそうです。

    Grey Houseの真後ろにあるこちらは、ナチスによって破壊されたユダヤ人墓地に埋葬されていたユダヤ人教育者Sarah Schenirer(1883−1935)の石碑を、没後70周年だった2005年に再建したものだそうです。

  • さらに道を進むと見えてきたのは、Red House。

    さらに道を進むと見えてきたのは、Red House。

  • その残酷さで悪名高い、プワシュフ強制収容所長アーモン・ゲートに与えられていた住居です。売家になっているようでした。

    その残酷さで悪名高い、プワシュフ強制収容所長アーモン・ゲートに与えられていた住居です。売家になっているようでした。

  • さらに歩くと、電柱の上の方に見えた標識。それに従って右折します。

    さらに歩くと、電柱の上の方に見えた標識。それに従って右折します。

  • 舗装されていない道をどんどん歩いていきます。

    舗装されていない道をどんどん歩いていきます。

  • ヒュヨヴァの丘。ナチスはここに直径50m・深さ5mの穴を掘らせ、合同墓所として数千に上る遺体を埋めました。<br />プワシュフの閉所が決まると、戦争犯罪の証拠隠滅のためナチスは、埋められていた数千もの遺体を掘り起こし、荼毘に付したそうです。<br />丘には、有刺鉄線の輪をつけた木製の十字架が立っていました。

    ヒュヨヴァの丘。ナチスはここに直径50m・深さ5mの穴を掘らせ、合同墓所として数千に上る遺体を埋めました。
    プワシュフの閉所が決まると、戦争犯罪の証拠隠滅のためナチスは、埋められていた数千もの遺体を掘り起こし、荼毘に付したそうです。
    丘には、有刺鉄線の輪をつけた木製の十字架が立っていました。

  • 歩いてきた道を、さらにひたすら歩き続けます。

    歩いてきた道を、さらにひたすら歩き続けます。

  • 開けた場所に出ました。この辺りに、収容所内に二つあった合同墓所のうちのもうひとつがあったそうです。

    開けた場所に出ました。この辺りに、収容所内に二つあった合同墓所のうちのもうひとつがあったそうです。

  • ネット情報によると、クラクフのユダヤ人コミュニティーによって建立されたこの慰霊碑は、プワシュフで犠牲になったすべてのユダヤ人に捧げられたものだそうです。

    ネット情報によると、クラクフのユダヤ人コミュニティーによって建立されたこの慰霊碑は、プワシュフで犠牲になったすべてのユダヤ人に捧げられたものだそうです。

  • 2000年に設置されたこの碑は、プワシュフを経由してアウシュヴィッツに送られ殺害されたハンガリーのユダヤ人女性たちを慰霊するためのもののようです。

    2000年に設置されたこの碑は、プワシュフを経由してアウシュヴィッツに送られ殺害されたハンガリーのユダヤ人女性たちを慰霊するためのもののようです。

  • 2012年11月に建立されたばかりらしいこの碑は、プワシュフ強制収容所で殺害されたポーランド人警察官や兵士を悼んでいます。

    2012年11月に建立されたばかりらしいこの碑は、プワシュフ強制収容所で殺害されたポーランド人警察官や兵士を悼んでいます。

  • 高さ7mもある、ひときわ大きな慰霊碑。これはクラクフの高名な建築家によってデザインされ、1964年に設置されました。<br /><br />裏面に彫られているポーランド語は:<br />「1943年から1945年にかけてナチスによって殺害された、すべての殉死者へ」。

    高さ7mもある、ひときわ大きな慰霊碑。これはクラクフの高名な建築家によってデザインされ、1964年に設置されました。

    裏面に彫られているポーランド語は:
    「1943年から1945年にかけてナチスによって殺害された、すべての殉死者へ」。

  • 巨大な慰霊碑の向こうには、主要道路が走っていました。

    巨大な慰霊碑の向こうには、主要道路が走っていました。

  • 慰霊碑を前面から撮るため、ちょっとその先まで下りてみます。

    慰霊碑を前面から撮るため、ちょっとその先まで下りてみます。

  • この慰霊碑は“Memorial of Torn−out Hearts”というそうです。<br /><br />彫られた5人はそれぞれが、プワシュフで犠牲になった人々の5つの出身国を象徴し、・・・

    この慰霊碑は“Memorial of Torn−out Hearts”というそうです。

    彫られた5人はそれぞれが、プワシュフで犠牲になった人々の5つの出身国を象徴し、・・・

  • ・・・胸の位置にはしる大きな裂け目は、突然終わらされた命を表しているそうです。

    ・・・胸の位置にはしる大きな裂け目は、突然終わらされた命を表しているそうです。

  • 巨大な慰霊碑のある辺りは、収容所のほぼ南端にあたります。<br />当時はこの写真に写ったあたり一面が、収容所だったことになります。

    巨大な慰霊碑のある辺りは、収容所のほぼ南端にあたります。
    当時はこの写真に写ったあたり一面が、収容所だったことになります。

  • 慰霊碑を後にして、北西に向かいます。

    慰霊碑を後にして、北西に向かいます。

  • 慰霊碑が遠くなりました。

    慰霊碑が遠くなりました。

  • しばらく歩くと、廃墟が見えてきました。

    しばらく歩くと、廃墟が見えてきました。

  • 右が正規のフットパスですが、左の廃墟へと通じる非正規のフットパスにちょっとだけ入ってみます。

    右が正規のフットパスですが、左の廃墟へと通じる非正規のフットパスにちょっとだけ入ってみます。

  • ネット情報によると、ここは収容所の食料貯蔵所だったそうです。

    ネット情報によると、ここは収容所の食料貯蔵所だったそうです。

  • 廃墟の間を抜けてさらに進むと、・・・

    廃墟の間を抜けてさらに進むと、・・・

  • ・・・採石場を取り囲むようにそびえる崖に達しました。非正規フットパスはこの先も右手に細く続いているようでしたが、ビビリの私は当然、正規のフットパスに戻ります。<br />向こう側に見える小山は、クラクス・マウンドです。

    ・・・採石場を取り囲むようにそびえる崖に達しました。非正規フットパスはこの先も右手に細く続いているようでしたが、ビビリの私は当然、正規のフットパスに戻ります。
    向こう側に見える小山は、クラクス・マウンドです。

  • 採石場。遠くに見える錆びた建物は、石灰窯だそうです。

    採石場。遠くに見える錆びた建物は、石灰窯だそうです。

  • 見るからに不気味な建物です。

    見るからに不気味な建物です。

  • 正規のフットパスを歩いてクラクス・マウンドを目指します。

    正規のフットパスを歩いてクラクス・マウンドを目指します。

  • 映画『シンドラーのリスト』撮影のため、この採石場にプワシュフ強制収容所のセットが造られたそうです。

    映画『シンドラーのリスト』撮影のため、この採石場にプワシュフ強制収容所のセットが造られたそうです。

  • なるほど、撮影のため再現されたらしい道や柵の杭が、まだ残っていました。

    なるほど、撮影のため再現されたらしい道や柵の杭が、まだ残っていました。

  • (これはネットからの借り物画像です)<br /><br />青い線がユダヤ人墓地の墓石を敷いて造った道、赤い線がフェンスの位置を示しているようです。<br />ちなみに石灰窯ですが、これは戦前からあったもので、二人のユダヤ人実業家が1873年に設立したものでした。

    (これはネットからの借り物画像です)

    青い線がユダヤ人墓地の墓石を敷いて造った道、赤い線がフェンスの位置を示しているようです。
    ちなみに石灰窯ですが、これは戦前からあったもので、二人のユダヤ人実業家が1873年に設立したものでした。

  • (これもネットからの借り物画像です)<br /><br />映画の撮影が終わってまだそれほど経っていない頃の写真のようです。

    (これもネットからの借り物画像です)

    映画の撮影が終わってまだそれほど経っていない頃の写真のようです。

  • (『シンドラーのリスト』の一場面:これもネットからの借り物画像です)<br /><br />映画では所長のアーモン・ゲートはバルコニーから囚人を狙い撃ちしていました。でもRed Houseの裏手は緩やかな上り斜面になっていたため実際にはあれは無理で、ゲートは馬に乗るか徒歩で外に出、囚人を撃っていたようです。

    (『シンドラーのリスト』の一場面:これもネットからの借り物画像です)

    映画では所長のアーモン・ゲートはバルコニーから囚人を狙い撃ちしていました。でもRed Houseの裏手は緩やかな上り斜面になっていたため実際にはあれは無理で、ゲートは馬に乗るか徒歩で外に出、囚人を撃っていたようです。

  • (同上)<br /><br />映画のセットでは、ゲートの家は石灰窯の隣に建っていましたが。

    (同上)

    映画のセットでは、ゲートの家は石灰窯の隣に建っていましたが。

  • 途中右手に、戦後に造られたユダヤ人墓地がありました。

    途中右手に、戦後に造られたユダヤ人墓地がありました。

  • ヴァヴェル城を建造したとされるクラクス王が永眠しているとの伝説があるクラクス・マウンドです。<br />麓の直径60m、高さは16m。

    ヴァヴェル城を建造したとされるクラクス王が永眠しているとの伝説があるクラクス・マウンドです。
    麓の直径60m、高さは16m。

  • 頂上はハゲていました。

    頂上はハゲていました。

  • そこから見た、霧雨に煙るクラクフの街。<br />

    そこから見た、霧雨に煙るクラクフの街。

  • プワシュフの見取図。<br /><br />1 ゲートの家(Red House)<br />2 鉄道駅<br />3 合同墓所(ヒュヨヴァの丘)<br />4 採石場<br />5 火葬場<br />6 以前のユダヤ人墓地(ドイツ軍が破壊)

    プワシュフの見取図。

    1 ゲートの家(Red House)
    2 鉄道駅
    3 合同墓所(ヒュヨヴァの丘)
    4 採石場
    5 火葬場
    6 以前のユダヤ人墓地(ドイツ軍が破壊)

  • 私が歩いたルートです。黄色の細線は、上の収容所の境界線を示します。<br /><br />プワシュフはドイツ軍によって徹底的に破壊されたため、当時を思わせるものは何も残っていません。緑に覆われた傾斜の緩やかな丘といった風情です。時折ある慰霊碑が、この場所の歴史を思い起こさせるだけでした。<br />それでも、あの場所を実際に歩いてみられてよかったです。<br /><br />

    私が歩いたルートです。黄色の細線は、上の収容所の境界線を示します。

    プワシュフはドイツ軍によって徹底的に破壊されたため、当時を思わせるものは何も残っていません。緑に覆われた傾斜の緩やかな丘といった風情です。時折ある慰霊碑が、この場所の歴史を思い起こさせるだけでした。
    それでも、あの場所を実際に歩いてみられてよかったです。

  • ≪ オマケ① ゲットーの壁の名残り ≫<br /><br />プワシュフ跡地に行く途中、市電の窓から偶然、あまり知られていないらしいクラクフ・ゲットーの壁の名残りを発見。<br />そう遠くなかったので歩いて行ってみました。

    ≪ オマケ① ゲットーの壁の名残り ≫

    プワシュフ跡地に行く途中、市電の窓から偶然、あまり知られていないらしいクラクフ・ゲットーの壁の名残りを発見。
    そう遠くなかったので歩いて行ってみました。

  • 住所はこれです。

    住所はこれです。

  • 振り返ってみるとこんな感じでした。

    振り返ってみるとこんな感じでした。

  • 壁は岩壁に達して終わっていました。

    壁は岩壁に達して終わっていました。

  • 「1941年から1943年まで存在したクラクフ・ゲットーの壁の名残り<br /> クラクフのユダヤ人を記念し、モスベルク財団により修復された」で、いいのかな?

    「1941年から1943年まで存在したクラクフ・ゲットーの壁の名残り
     クラクフのユダヤ人を記念し、モスベルク財団により修復された」で、いいのかな?

  • ≪ オマケ② “あの階段” ≫<br /><br />ユダヤ人が多く住むカジミエシュ地区の、Meiselsa通り。突き当たりはおいしいザピエカンカ(バゲットのピザ風)で知られるPlac Nowy(Nowy広場)です。<br />右手のアーチにご注目。

    ≪ オマケ② “あの階段” ≫

    ユダヤ人が多く住むカジミエシュ地区の、Meiselsa通り。突き当たりはおいしいザピエカンカ(バゲットのピザ風)で知られるPlac Nowy(Nowy広場)です。
    右手のアーチにご注目。

  • ここはパブStajniaの裏口ですが、お客じゃなくても入って大丈夫。

    ここはパブStajniaの裏口ですが、お客じゃなくても入って大丈夫。

  • お邪魔しま〜す・・・

    お邪魔しま〜す・・・

  • もう皆さん、おわかりでしょうか。

    もう皆さん、おわかりでしょうか。

  • この角度からなら絶対?

    この角度からなら絶対?

  • 実はこの建物、映画『シンドラーのリスト』の撮影に使われたんです。

    実はこの建物、映画『シンドラーのリスト』の撮影に使われたんです。

  • 壁には映画のシーンのセピア色の写真が飾られていました。

    壁には映画のシーンのセピア色の写真が飾られていました。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ぷーぶーこさん 2024/05/13 14:38:00
    プワシュフ強制収容所跡を歩いてきました。
    2024年5月、プワシュフ強制収容所跡を歩いてきました。ハナママゴンさんが行かれてから10年近く経ちましたので、分かる次第でその後を・・。Grey Houseは少し補修されたようでした。Red Houseは、きれいに補修されて、個人のお住まいになって居ました。前面の三角屋根と下の〇模様(?)はそのままで、駐車場が脇に増設されていました。この丘自体、全体的に補修されたようで、昔ここには何がありましたという、小さな石碑があちこちに設置してありました。(時計店とか、靴修理とか)食糧貯蔵所は廃墟のままで、その奥に石灰窯も見る事が出来ましたが、やはり、少し劣化はしているのかと。ボロボロのままで有刺鉄線のポールも残ってました。石灰窯の前に人がいましたね。近くまで行けるんですね。クラクスマウントは夕日スポットらしく、若いカップル等がたくさんいました。丘全体が地元民の散歩コースのようですね。一見、果実園かと見まごう感じでした。
    ハナママゴンさんの旅行記がとても参考になりましたので、コメントさせて頂きました。ありがとうございました。

    ハナママゴン

    ハナママゴンさん からの返信 2024/05/21 07:26:36
    Re: プワシュフ強制収容所跡を歩いてきました。
    ぷーぶーこさんは、なんと今月、行ってこられたんですね!10年ひと昔と言いますから、私が訪れた頃とは大分変わっていたのでは。Red House も丘全体もより良く補修されていたのなら嬉しいです。
    クラクフ、本当に素敵な街ですよね。久しぶりに思い出して懐かしく、また行きたくなってきました。コメントをありがとうございました!

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