2014/02/14 - 2014/02/16
86位(同エリア1556件中)
のまどさん
塞ぎ込むような暗い北ヨーロッパの冬を逃れて、太陽の降り注ぐスペインへ。
居住地のベルギーから車で行くには遠すぎる、飛行機では近すぎる、電車はもっぱら高いという理由で今まで行く機会のなかったスペイン。でも、私は間違っていました。ヨーロッパ一の美食と言っても過言ではないでしょう。そして物価の安いこと!
アルハンブラはイスラム教の最高建築と言われているだけあり、訪れる価値は高いです。グラナダは大きな観光資源がある一方、庶民の生活が垣間見られる町でした。
<行程>
2/14 シャルルロワ発マラガ着、バスにて移動。グラナダ泊
2/15 グラナダ泊
2/16 マラガ泊
2/17 マラガ泊
2/18 マラガ発シャルルロワ着
<参考資料>
http://www.alhambra-patronato.es/index.php/The-Palatial-City/32+M5d637b1e38d/0/
http://www.alhambra.org/eng/index.asp?secc=/alhambra/alhambras_guide
Robert Irwin 'The Alhambra'
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ブリュッセルの自宅から車で移動。
LCCライアンエアーの発着先シャルルロワ空港は通称「南ブリュッセル空港」ですが、 -
実際はブリュッセルから60キロ離れています。一方、隣国フランスまでの国境わずか20キロ。名称に騙された旅行客も多くいたことでしょう。今は搭乗の際の目的地はシャルルロワと明記されています。
ブリュッセル行きバスのポスター。小便小僧こと我らがジュリアン君。
こういう発想は隣国特にオランダ人から真っ先に揶揄の対象になります。 -
ライアンエアー。安いチケット見っけと興奮して購入手続を進めていくと、荷物代やら席の予約やらで結局一人100ユーロ近くになってしまいました。これぞ、ライアンエアーの手口。
一時期EU以外のパスポート保持者は別料金ということもやっていたのですが、さすがに国籍差別と反発を受けたのだろう、今は撤廃されました。
この航空会社を使うと着陸時スリリングな思いをすることが多いです。今回も例外でなく。 -
マラガまでは2時間半。移動時間が2時間と2時間半ではだいぶ違います。
マラガのすぐ先は地中海ですが、陸地は砂丘のような山が連なり、地面は岩砂漠のように乾燥しています。地中海気候の国にやって来ました。マラガ空港 (AGP) 空港
-
ネットでは16:30の空港発グラナダ行きのバスがあったのですが、バス停に着いて手書きで16:00の表記。あらら、夏季だけの運行なのでしょう。マラガ市街まで出てグラナダ行きに乗るのが効率的ですが、何となくタイミングが合わないような気がしたので、2時間バブリーな空港で時間を潰します。
マラガはヨーロッパ人にとって絶好のバケーション先。海辺でごろごろと日光浴をしてあとは飲み食いというのが基本。そんな彼らが落とすお金で潤っているのが分かります。マラガ空港 (AGP) 空港
-
こちらは旧ターミナルでしょう。マラガ出身のピカソの名前を冠しています。
-
グラナダのホテルに着いたのは夜10時。結局移動に半日費やしてしまいました。
金曜日の夜、街中はものすごい賑わい。どのバルも溢れんばかりの人です。
そんな中運よく空いているバルを見つけました。
CAFE BAR EL ALEPH
Calle Varela, 15
18009 Granada -
女性二人で切り盛りしています。ここがこの旅一番の大当たり。日中仕込んで出す時は温めるだけのようですが、どれもきちんと作ってあることが分かります。
超カタコトのスペイン語でワインを注文。タパスはワイルドライスなどの五穀米。 -
トルティーヤ。この時点で11時。
-
2品だけ頼もうと決めたのに、誰かさんが2品追加し、更に2杯目のワインに付いてきたタパス。
もう食べられません、と思いきや6皿目のサフラン入り魚の団子も美味に反応して膨張した胃が抵抗なく受け付けました。
ワインもおいしかったし、30ユーロは安い。 -
翌日。
アルハンブラ入場は午後2時なので、ゆっくり起きてデパートEl Corte Inglesを下見します。
魚売り場。この品揃え、ドイツあたりでは考えられません。 -
同行者が時間を勘違いして、慌てて移動。
入り口かと思って彷徨った公園はCarmen de los Martires。今は市民の憩いの場だが、かつては監獄だったようです。 -
池や噴水など時間があればのんびりしたいものです。曲線の道はロマンチックですが、我々の目的は丘の上壁の向こうの宮殿にあるので、なかなか敷地を出られないもどかしさ。
-
無事に宮殿前に到着。ここでようやく同行者は一時間早く着いたことに気が付いたので、食事にします。
アルハンブラ宮殿入場門の近く、少し坂を上ったところにあるArrayan del Generalife。
ガスパチョをテラスで飲むのは乙です。でも、ちょっと酢がきつかったかな。 -
ハム盛り合わせ。
-
チョリソー、しょっぱかった。
-
イカリングのフライ。これはおいしかった。
頼みすぎました。
全体的な感想として観光名所近辺のレストランなので、こんなものかと言った感じです。 -
さて、時間になりましたので入場です。
糸杉の並木を抜けて。
アルハンブラ宮殿は889年に要塞として築かれた後、1333年(鎌倉幕府滅亡の年ですね)にユスフ1世によって王宮として完成。イスラム建築の最高傑作と謳われる。
私が読んだロバート・アーウィン(W.アーヴィングと名前が似ているのですが別人)によると、この時代のイスラム諸国は新しい王朝が起こるとその前の王朝の建物を壊していったため(中国の焚書坑儒のようなものでしょうか)、カトリック教徒による改築を受けながらも原型を留めていることで評価されているとのこと。 -
アグア(水)の塔。アルハンブラの下の谷を流れるダーロ川からポンプで水を汲み上げて、敷地内の町に流れ渡るようにしたそうです。イスラム国家は砂漠に起こったものが多いため、水をふんだんに使った宮殿は贅沢だったらしいです。
7世紀にアラビア半島で起こったイスラム教が100年ちょっとでアフリカ大陸を横断し、地中海を渡ってイベリア半島に渡った理由は、当時にしては進歩的な考えとともにこのような治水や建築技術が人々の需要を満たしたためでしょう。 -
あまり入る人はいませんでしたが、旧聖フランシスコ修道院です。
カトリック教徒の国土回復運動、レコンキシタが完了したのは1492年。ナスル朝最後のボアブディルの無血開城によって、アルハンブラはイサベルとフェルナンドの手に渡った。 -
信仰深い二人は異教徒の建物を自分たちの信条に合うように改築していった。ここもモスクであったのを僧院に変えたようです。奥にはイサベルとフェルナンドの墓だか碑があります。
あんなに敵視していたイスラム教徒の建築物を宮殿とした当時のカトリック王も現代の西欧人と変わらずエキゾチズムにナイーヴな好奇心を抱いていたのでしょう。 -
そして今は四つ星ホテルに改装されたようです。覗くに留めます。
歴史的建造物がホテルにというのは興ざめですが、異教徒の建てた物が徹底的に破壊されずに、今日まで生きていることはありがたいです。
個人的にレコンキシタは失敗に終わった十字軍に代わって、カトリック教徒の連帯を促すための仮想の敵との戦いだったように思います。ナスル朝終焉までの700年間、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が対立し合うことはあっても迫害を受けることはなかった。それがレコンキシタが完了すると異端尋問が一斉に始まった。
この辺どう思うのよ、とカトリックの同行者に尋ねると(←意地悪)「事実関係を知らないので答えられません」との回答。歴史の授業で習わなかったそうです。 -
アベンセラヘス家の敷地跡。19世紀のナポレオン進駐の際に破壊されたとのこと。一族の一人が王妃と恋に落ち、宮廷への不法侵入の罪で一家が処された。何て残酷な。
ここから歩いて数分の所にメディナの標識の立つ敷地。アルハンブラのこの小さな敷地に宮殿や貴族のお屋敷、町が混在していたことはどうも想像できないのですが。 -
刈込の通路の端は中門のようなチェックポイントで、その先もアルハンブラ敷地内ですがホテルが2軒ほどありました。こんな所にも泊まれるのね。
坂を下ります。 -
我々、モロッコ以来ハマムにはまっておりまして。元はモスクに隣接していたハマムに入ります。モスクの隣りということは祈る前に体を清めるためか、祈りの後の社交場だったのか。
この馬蹄形のアーチはモーロ建築独特のようです。 -
湯気を逃がすための天井の穴も星形で、これから見る山ほど見るであろう幾何学模様に期待できます。
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低くなっているところにお湯が貯まって、部屋中湯気が籠って、そこに空気孔から太陽光が一筋伸びて、などと使われていた当時の様子を想像してみます。
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アーウィンがこき下ろしていた聖マリア教会。確かに中に入っても凡庸な感じがします。
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かの有名な神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世が建てた宮殿。アーヘン出身の皇帝に建築を任されたペドロ・マチューカはミケランジェロの弟子または友人と言われていますが、この宮殿を設計した経歴以外はよく分からない人物だそうです。
財政難などの理由で工事が中断し、スペイン・ルネサンス様式の宮殿が完成したのは1619年。
それにしてもこの宮殿が建てられる前は何があったのだろう。冬の離宮があったとも言われていますが定かではありません。 -
作業に当たってマチューカに与えられた家は写真中央。その前の庭園はマチューカの庭と呼ばれます。
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ナスル宮に入るにはワインの門とカルロス宮殿の横に広がる庭園に伸びた列に並びます。時間前行動を心掛けて並んでいたら、まだ早いと端に追いやられ列がめちゃくちゃに。係員のいい加減な誘導で後から来た人に抜かれ。もっと混み合うだろう夏季もこんなに手際が悪いのでしょうか。
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いよいよナスル宮の中に入ります。
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ナスル朝最盛期を築いたモハメッド5世が預言者の聖誕祭の時に用いたろうそく時計。
ろうそくが中で燃え尽きると銅の玉が皿に落ちて音が鳴る仕組みのようです。 -
メシュアール。スルタン(王)主催の会議が行われていた。つまり立法機関を司る場所だった。
真ん中の仕切りのような木製の欄干に違和感があるが、ここはカトリック教徒によってチャペルに変わったことから、カトリック教会に見られるあれか、派手な彫刻を施した螺旋階段の上にあるお立ち台。いや、ゴスペルを歌うような舞台と考える方がまっとうだ。 -
祈りの間。敬虔なムスリムは1日5回メッカの方角を向いて祈る。アルハンブラ宮殿内には大モスクを囲んで様々な祈祷所があり、スルタンから召使まで方々でムスリムの義務を遂行できるようになっていた。
現在のものは1917年に再建されたもの。破壊される前はムハンマドの「祈りなさい、己を啓蒙するために」という言葉が刻まれていた。 -
黄金の間の対面にあるコマレス宮の正面。かつては鮮やかな色で塗装されていた。
慣習に従ってこの広間で王が大衆の前で演説をし、または裁きの申し渡しを行っていた。
ナスル宮は入り口に近い部分が公的な建物で、奥に進むほど皇族のプライベートな空間として使用されていたようです。 -
このような噴水の水盤が低い位置にあり、大理石の床に流れる水路は仕切がないので、壮麗な壁や天井の装飾を見上げながら気付ずに歩くと悲惨なことになりそうです
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花、蔓、葉などに見える文様が無数に連なる壁の装飾。
このアラベスク装飾の漆喰技術はダマスクス(現シリア)に端を発し、モロッコのモーロ人が改良を加えた。そうです、スペインの対岸から渡ってきてグラナダの礎を築いたのは彼ら。 -
アラビア文字も刻まれています。
現在のものは16世紀に修復されたようです。 -
続いて、アルハンブラ一の高さ45メートルのコマレスの塔。名前の由来はバルコニーの色つきガラスにあります。
ダーロ川を見下ろすこの塔の中でイスラム側とカトリック側が協議を行い、無血開城が決まりました。一説によるとコロンブスがアメリカへの航海をイサベルとフェルナンドに説いたのもこの場所だったようです。
アラヤネスの庭園、水面に映るこの姿はアルハンブラの象徴的な一枚。 -
塔の手前にある大使の間。この正方形の間では外国の大使の晩餐会、高官の会議や戴冠式など格式の高いイベントが行われていた。
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そのため、壁、天井、窓のどれを取っても意匠に凝っている。ナスル朝の権力の象徴。
そして、至る所に神への礼賛やその加護など祈りの詩が刻まれているようです。 -
アラヤネスは天人花。池を囲む生垣が白い壁とのコントラスとなり、南北の宮殿を引き立てる。
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南側のコマレス宮。写真の鍾乳洞のようなムカルバス(直線と曲線が交わってプリズムのように見える漆喰の装飾)とともに刻まれている言葉は神への祈りと主君への忠誠。
カルロス5世宮建設の際に大部分が壊されたため中は狭いです。 -
中世の傑作とされるガセレスの花瓶。
複製ですが、壁のムカルバスとモザイクのタイルに映えます。 -
さて、ここからはスルタンのプライベートな空間です。
風が吹き抜ける回廊が囲む中庭はライオンの庭。モーロ建築の特徴が集約される。 -
エレガントな美貌王と言われる父ユスフ1世の遺志を継いだモハンマド5世はライオンの庭建設に大変力を入れたらしい。
このライオンは、王宮よりも大規模な邸宅を作ろうと試みたことから非難されたユダヤ人の宰相より没収されたというのが有力説です。12体はユダヤ12支族を表しているとのこと。 -
アベンセラヘスの間はスルタンの私的な空間であったため、壁に窓を付けず、ムカルバスの天井から光が入る仕組みになっている。
この空間の用途はハーレム、スルタンには通常4人の妃がおり、彼女たちと過ごす場だったのです。王妃たちは2階に常駐していたらしい。家族を外の世界と関わらせないように私的な空間は厳密に隔離されていました。 -
八角の星の上は万華鏡のように見える。その昔、ここを訪れた人があまりの美しさに日暮れまで我を忘れて見入ったとも言われている。
また、ボアブディルがここで36人の騎士を殺害したとの言い伝えは史実が疑わしいが、床には血痕が残っている(らしいです)。
我々が今や知ることができない生々しい歴史をこの美しい天井は目撃してきたのです。 -
ライオンの庭東側の棟は王の間。中もムカルバスの装飾がふんだんに施され、アーチ型天井の絵が建物の名前の由来となった。
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王の間の天井。アベンセラヘスの間とこの後の二姉妹の間と同じようなムカルバスが長方形の天井に施されています。これも光とのコントラストが映えてきれいです。
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モーロ人と聞いて連想するのがオルセー美術館所蔵、アンリ・ルニョー作「即決の斬首刑」(拙訳)。
褐色の肌をした異国の王が王宮で無残にも謁見者の首を討った直後を生々しく描写しているもの。非常に衝撃的である一方、アルハンブラ宮殿らしき背景は見る人のエキゾチムに対する好奇心を掻き立てます。 -
背景のモデルになったのはコマレスのファサードでしょうか。それともこのようなアーチなどパーツを組み合わせたのか。
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二姉妹の間。名前の由来は床の部分に使われた1対の大理石。
アベンセラヘスの間と似ていますが、こちらは星形ではなく八角形。
モハメド5世が新しいメシュアールにすべく建てたため、宰相の会議場という公的な役割があったそうです。後の時代にはボアブディルの母がここで軟禁に近い状態で子供たちと暮らしていたなど、やはり私的な要素が強くなったようです。
確かここは元の姿のまま現在に至ると思います。 -
リンダラハの望楼は画家、詩人、建築家のアトリエだった。谷を挟んだ向こう側にアルバイシン地区が見えます。
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コマレス浴場の入り口。ここより先は撮影禁止。(この腰掛については不明です)
ナスル宮の中で一番印象深かったのがこの浴場。ここだけは当時使われていたことが鮮やかに想像できました。 -
望楼リンダラハの中庭。
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オレンジはポルトガル人が極東から持ち込むまでは観賞用の植物だった。バレンシア原産のものは苦味があり、食べられるものではなかった。
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もう一度ワインの門の方に戻り、今度はアルカサバを見学します。ここは防衛の機能があり、アルハンブラの敷地の中で最も古い所です。
要塞を上るとアルマス・プラザが一望できます。 -
壁の中腹の窪みに置かれた大量の陶器。謎・・・
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三日月型の敷地内の一番先端に位置する時計塔。この時計は農夫たちに時刻を知らせるとともに市民に災害などの警鐘を鳴らす役割を担っていました。
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要塞だけあって、シェラ・ネヴァダ山脈まで見渡せます。
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この日(だけ)は快晴だったので、グラナダの市街もアルバイシン地区もきれいに見えました。
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最後はヘネラリフェ離宮。
多くのトラベラーさん同様、私もタレガ作曲の「アルハンブラの想い出」が似合う庭園だろうと思っていましたが、噴水の音が結構けたたましく、いとも簡単にトレモロを消し去ってしまいました。 -
回廊からはさきほど回ったナスル宮が見えます。
ヘネラリフェは皇族の夏の離宮として使われ、庭園や畑が整備されていたようです。 -
高貴なお屋敷ですが、Generalifeと書くとどうしても一般的な生活と読めてしまう私はれっきとした平民です。アーウィンによるとこの名称の由来は不明だそうです。
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写真を撮る人が絶えないので覗いてみたら、貯水池のようです。ヘネラリフェの水場はここから潤されているのでしょう。
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浴場を壊して作られたスルタンの庭に望む寝殿はバロック様式。
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階段の手摺が水路になっているのは新鮮です。上の運河から水を引いて来て、手摺を伝って踊り場の噴水となって、水盤に落ちた後は再び下段の手摺を伝って最後はヘネラリフェの池に注がれるそうです。
アルハンブラにはほとんど生活感がありませんでした。むしろその方がこの宮殿の物憂げな美しさが引き立つのでしょう。ここを舞台に広げられた栄枯盛衰のドラマの数々。天上のものとも思えるような装飾芸術は彼らが見ていた夢なのかもしれません。
3時間以上歩きました。これでも人ごみの多いナスル宮などはわりと足早に歩きました。
足も頭もくたくたなので、休憩しましょう。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- captainfutureさん 2014/03/28 19:39:36
- 文化の入り混じったところに魅力を感じました♪
- 紹介文、ありがとうございました。
こんなふうに仰って頂き、嬉しかったです♪
ベルギーにお住まいとか。素晴らしいところに住まわれていますね。
僕の初海外はベルギーだったので、特別に親近感を感じます。
遥か昔の学生時代、ユースホステルとユーレイルパスでヨーロッパ一周した際、起点としたところでした。
今でも異国への第一歩を踏み出した感動、強烈に覚えています。
先月はスペインでしたか!
イスラムの影響漂うグラナダの雰囲気、楽しませて頂きました。
イラン、”いつか行ってみたいところ”なんですね。
一度入国してしまえば、人々は旅行者にとても優しく、見どころも満載なので、オススメです。
まだフォローをさせて頂いていませんでした。
是非フォローをさせてください。
今後とも宜しくお願い致します♪
- のまどさん からの返信 2014/03/28 21:07:52
- フォロー、ありがとうございます!
- captainfutureさん、こんにちは
コメントをいただき、フォローまでしていただくことになり、大変ありがとうございます。
> 僕の初海外はベルギーだったので、特別に親近感を感じます。
そうなんですか!感激です。ベルギーを起点にということはサベナが飛んでいたころですね。良い時代でしたね。
> イスラムの影響漂うグラナダの雰囲気、楽しませて頂きました。
イスラムの最高建築がカトリック国にあるというのは感慨深いですよね。
> 紹介文、ありがとうございました。
気に入っていただけて何よりです。貴イラン旅行記は一瞬にして引き込まれてしまいましたから。
> イラン、”いつか行ってみたいところ”なんですね。
アルハンブラを見て、イスファハンにも行けたらとしきり思っていました。ベルギーから500ユーロで行けますし、観光ルートの中部はまだ治安の問題がないので是非行きたいのですが、EUの中には渡航禁止を出している国もあり、毎年地団駄を踏んでいます。
> 是非フォローをさせてください。
私の穿った見方と辛口コメントがお恥ずかしいですが、嬉しい限りです。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします♪
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