2014/02/10 - 2014/02/19
14位(同エリア13件中)
luguさん
シーサケットに用事が出来て車で行くことになった。
チェンマイからシーサケットはGoogleマップで調べると約1000km。
長距離ドライブは辛いし、夜は走りたくない。
そこで、一日300kmを目安に宿を見つけて泊まりながら往復することにした。
以前貧乏旅行を繰り返していた頃は「地球の歩き方」一冊で、宿と交通手段を確保しながら旅をしたが、この4、5年の間に世の中大きく変わったように思う。
当時は安宿はネット予約など出来なかったのが、今ではagodaで一泊1000円の宿も予約出来るようになっているし、車での移動ならiPadがあればgoogle mapがカーナビになって知らない土地、知らない道でも迷わずに目的地に着くことが出来る。
しかし、それは良いことなのだろうか?
世の中がつまらない方向つまらない方向に進んでいるように感じながらのドライブ旅行だった。
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地図の赤いラインが往路。黒い星印が泊まったところ。
Chiang Mai⇒Phisanulok⇒Khon Kaen⇒Roi Et⇒Sri Saketと1000?を途中3泊しながら移動した。 -
ピサヌロークは以前来たことがあるが、夕方着いて翌朝出発する日程なので、ホテルはagodaで前日に予約しておいた。車での旅行なので、町はずれの駐車場のあるホテルになる。
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部屋からの街並み。
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川沿いのナイトマーケットで夕飯を食べようと行ってみた。
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前来た時もそうだったことを思い出したが、この川沿いのマーケットは夜の6時7時頃は準備が始まったところでまだオープンしていなかった。
早く休みたいので、近所の常設市場の食堂で夕飯を軽く済ませた。 -
ピサヌロークの夜明け
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ピサヌロークと言えばこの民芸館。
ホテルで聞いたら朝8時半オープンだというので、それなら、と朝一で寄ってみた。 -
4,5年前来た時随分楽しかったのでまた来てしまった。
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この男が、周りから変人扱いされながらも、身近にあるさまざまな物を買ったり分けてもらったり捨てられていたものを拾ったりしながら集めた、今となっては貴重な歴史文化資料館になっている。
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よくもこれだけのものを一代で集めたものだ。
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秋篠宮殿下も訪れたようだ。
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前には無かった水族館(?)があった。
ピサヌローク出身の有名人を紹介する部屋などもあり、ピサヌロークのあらゆるものを愛している様子が伺えた。 -
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この男は芸術家でもあり、陶器や仏像を作っていて、隣に仏像製作所も併設している。
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ピサヌロークからコンケーンまでは山道が続く。
一車線道路だったところを二車線にするために全面的に工事が行われていた。 -
コンケーンに近づくにつれてサトウキビを積んだトラックを見かけるようになった。
もっと大きな車両を連結したようなトラックも多く見かけたが写真には撮れなかった。 -
コンケーンは恐竜の骨が発見されたとかで、恐竜博物館もあり、車で走っているとこのようなものをいくつか見ることができる。
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宿に荷物を下ろして、車で町中をうろうろしているうちに、町はずれの公園に来てしまった。
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公園では大勢の市民が夕暮れの時間を運動をしたり、散歩をしたり、語らったりと、それぞれに楽しんでいた。
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当初はコンケーンからシーサケットに一日で行く予定だったが、途中にあるロイエットにも寄ってみることにした。
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町に入る手前にBig Cというショッピングセンターがあったので・・・
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弥生軒という日本食のレストランがあった。
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宿にチェックインしたあと、宿の部屋からも見える仏像を見に行ってみた。
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バンコクのカオサンの近くにもかなり高い立像があったが、この仏像はコンケーンの町のどこからでも見えるくらい高いものだった。
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これがホテルの部屋からの景色。
遠くに仏像が見える。 -
夕暮れ、ホテルの近所を散歩していると、大きな湖にたどり着いた。
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この後ホテルに戻る途中見かけたベトナム料理屋で夕食をしたが、とても美味かった。料理の写真も撮り忘れ、店の名前も覚えていないが場所だけはわかるので、次にもう一度ロイエットに行ったら必ず寄ろうと思っている。
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ホテルのシャワールームにこのような張り紙が・・・。
もうこのあたりはイサーン地方で毎年水不足で農民や住民が苦しんでいるのを思い出した。 -
ホテルにはこの地方の観光地のポスターがはってあった。
このお寺、通り道にあるのなら寄ってみたいと思ってホテルの人に聞いたら、全然違う方向に70?ほど行くらしいので諦めた。 -
これはコンケーンの恐竜博物館のポスターか。
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車で出発して、近くの市場で食事をしようとしたら、大学脇の通りにこのような屋台があった。
バレンタインデーだった。 -
食事を終え車まで戻ろうと歩いていたらこのような行列が・・・。
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湖の前の大通りを音楽に合わせて踊りながら歩いていた。
よくわからないが、これから結婚式にでも向かっているのかな。 -
シーサケットに入る手前の町でお昼を食べた。
本場のソムタム(パパイアサラダ)、カオニャオ(もち米)、ガイヤーン(焼き鳥)。 -
本場だけあって、間違いない旨さだった。付け合せの野菜にハスの茎が付いていた。甘くて美味しかった。
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シーサケットに着いて、まず最初に3年前にお世話になった家に挨拶にいった。
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生まれたばかりの赤ん坊だった子が・・・
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お兄ちゃんも大きくなっていた。
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翌朝、何かのお祭りらしく、お寺に村人が集まってもち米を串に刺して焼いていた。
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焼きあがった五平餅(?)はまず寺に供えられ、そのあとにみんなで食べるようだ。
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自分は特別だと言われて、焼きあがった五平餅をすぐに食べさせてもらえた。
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3年前は田んぼだったところが埋め立てられて整地されていた。
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最近そこでマーケットが開かれるようになった。
こんな片田舎でも少しずつ変わっている。 -
村に唯一ある屋台で食べたランチ。
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夕方になるとこの光景を見ることができる。
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変わった種類の牛。
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近所のおばさん。
田んぼで取れた蟹をつぶして夕飯の料理を作っていた。 -
泊まっていた家の前では毎朝6時すぎになると・・・
このお坊さんとも顔なじみだ。 -
世話になっているおじさんが役場に行くというので付いて行った。
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この村は勿論wifiなどないのでネットが出来なかったが、この役場だけはwifiフリーで待っている間思いっきりネットが出来た。
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近所の人が高利貸しのところに行くというので付いて行った。
自分が泊まっていた村から車で10分ほど行った隣村だ。
泊まっている村も相当貧しい感じだが、隣村も負けないくらい貧しそうだった。 -
高利貸しというものに何かドキドキする興味があった。
どんな家に住んでいるのだろうか、どんな顔をしてどんな態度をとるのだろうか、とイメージを膨らませて来たが、普通の貧しい農家だった。
ドストエフスキーの「罪と罰」を思い出してしまった。
シーサケットに1週間ほど滞在しているうちに、3年前に半年間暮らした時のことが走馬灯のように思い出された。
初めのうちは全てに興味深々で楽しかったが、毎日のちょっとした不便さや不条理がボデーブローのように自分の心と身体を蝕んでいった。
農民の生活は本当に厳しい。
やはりここは自分の住める場所じゃないな、
と改めて納得しながら帰路についた。 つづく
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