2014/01/22 - 2014/01/22
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ちびのぱぱさん
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映画や文学にこよなく愛された町、尾道。
志賀直哉に林芙美子、小津安二郎の「東京物語」に大林宣彦監督の一連の作品。
若い頃から来てみたかった町に、30年越しの思いがかなってやってきたら、そこは懐かしさが一杯になる町でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
倉敷 11:27−12:28 尾道
「海が見えた。海が見える。」
倉敷から乗った各駅停車は、ずうっと内陸の海が見えないところを走っていましたが、左手の車窓にきらきら光る海が見えた、そう思ったらもう、尾道の駅にするすると入ってゆくのでした。 -
尾道駅前は、期待を裏切るかのようにそっけなく、一抹の不安を胸に抱きつつ、商店街とおぼしき方に向かって歩き出しました。
-
そんな不安な気持ちの観光客を、まず出迎えてくれたのは林芙美子の像でした。
その像の前に、「放浪記」から取られた一文が刻まれていました。
「放浪記」というのは、森光子さんが一万回くらいでんぐり返しをした「あれ」ですね。
どうでもいい話ですが、「さん」付けにするかしないか、は生々しさで決めているようです(自分がです)。
林芙美子はすでに歴史上の人と感じますが、森光子さんはまだそのへんにいそうな存在感があります。
ただ、ここに来ると、どうも、芙美子さんと、さん付けにした方がいいような気分になってきました。
林芙美子(呼び捨て)の「放浪記」は、それなりに創作が入っているでしょうけど、しばらく内陸を走った後に見る尾道の海は、とてもきれいに見えました。
「海が見えた。」
はじめこの文章を眼にしたときは、どこか創作のニオイがしたものですが、実際に山陽本線の鈍行でここに来た印象では、
尾道で育った芙美子が、いろいろあった東京からここに戻って来て、素直に抱いた感想なのだと思えるようになりました。 -
駅からほど近い商店街の一角に、林芙美子が14才の頃に一年ほど過ごした家があります。
二階建ての小さな家に、親子三人暮らしたということになります。
門司だか下関だかで生まれた芙美子は、若松とか直方など、方々に住んでいますが、どうもここにいた時代が良かったんじゃないですかね。
良かった、というのは何が良かったかというと……
尾道をぶらぶらしているうちに、そう思ったのです。 -
「風琴と魚の町」の中で、
この家の庭には、石榴(ざくろ)の木が四五本あった。その石榴の木の下に、大きい囲いの浅い井戸があった。二階の縁(えん)の障子をあけると、その石榴の木と井戸が真下に見えた。井戸水は塩分を多分に含(ふく)んで、顔を洗うと、ちょっと舌が塩っぱかった。(青空文庫)
とあって、もしかするとこの木はザクロなのでしょうか。
「風琴」には、庭の井戸に、一階のおばさんが落ちて一騒動あったことが描かれています。
おばさんは、昔船乗りだった足の悪いおじさんを養うために昆布の佃煮を売り、挙げ句の果ては夜陰にまぎれて質屋通いをする際、井戸に落ちたという話です。
どさくさに紛れて、「14才のわたし」はおばさんの内職の佃煮をいくつかくすねて口に入れるのですが、「山椒がヒリッと舌を刺した」とあります。
山椒昆布は、ほんとうにうまいです。
というか、ヒリッと舌を刺したのは、「良心」だったのでしょう。 -
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二階は六畳間ですが、階段部分がありますから実質5畳。
せまくて、天井も低いのですが、養父の行商がうまくいって、ようやく満足に食事ができるようになった安堵感が、「風琴」の中に描かれています。
三度さんど食べられる、ということは幸せなことである、という大事な真理を人はすぐに忘れるものです。 -
二階に上がると着物や
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「放浪」の道具が置かれています。
西から東に向かう列車に乗り、この尾道の街が何となく面白そうなので、親子三人ふらりと途中下車してしまう。
そして、そのまましばらく居着いてしまう。
汽車の切符は、どうなったのだろうかと、変な心配をしました。
たとえば、大阪まで買った切符なら、前途無効にして流してしまったのか。
その日の食事にも苦労していた一家にとって、それは大きな決断になると思います。
それとも、払い戻してもらえたのか……。
妄想が、一人歩きしだしたので外に出よう。 -
通りに面しては、このようになっています。
入場無料 -
商店街を歩いていると、狭い路地から海が見えて、誘われるようにやってくると
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福本渡船は大人一人60円。
ずいぶん、安いです。
60円の瀬戸内海クルーズか、ちょっと、向島に行ってみるかな。
突然、そんな気分になって、ちょうど入ってきた渡船にあわてて乗り込みました。
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どうも、フェリーの定刻というのはなさそうです。
船が来て、乗る人がいるなら動く、いなければ……どうするのだろう。 -
尾道水道。
瀬戸内の海は、暖かい色をしているなあ。
小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」があたまを駆けめぐります。
かわいかったですね、あの頃は。 -
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「河のようにぬめぬめした海の向うには、柔やわらかい島があった。」
林芙美子が「柔らかい島」と呼んだ向島には、ほんの5分ほどで着きました。
向こう側では、係の丸っこいおじさん(見てたらごめんなさい)が、外した鎖を手に、にこにこと迎えてくれました。 -
島に着いたものの、船着き場は目のやり場に困るほど何もなく、観光客である私ら二人は、ただただとまどいました。
いま私たちが乗ってきた渡船は、こちらで待っていた車と人を乗せ終わり、鎖を持った係のおじさんが、「乗って帰るかい?」的な視線を投げかけてくるものの、
今来た船で引き返すのも、なにかしゃくな気がしまして、とりあえず、あたかも最初からそうする予定であったかのように、住宅街の道を歩き出しました。
手元のガイドブックの地図では、島の向こう側に別の渡船があるのですが、その「尾道渡船」の船着き場までは、日立造船所を挟んで結構ありそうです。
どうするか……。
今回の旅のテーマは、北海道における冬場の運動不足解消という、暗鬱として深刻なものであります。
歩くことにしました。
歩くことに本気であるということは、妻に言い含めて持ち物を減らし、わたしのデイパックと、妻は写真のリュックだけで旅に出ているということにも現れています。
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ミカン畑のある山を見ながら、狭い道を、ひとに訊き聞き歩くこと15分。
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少し賑やかになってきたと思ったら、このお店がありました。
大正5年創業という、住田パン。
ちょうど、林芙美子の家族が尾道にやってきたころですね。
中にはいると、わたしより少し若いぐらいのご主人が気さくに話し相手になってくださいました。
しかし、もうじき100周年を迎えるというのに、特に気負いもなく親しみやすいパン屋さんです。
「あちらから、けっこうありますね。」
「あっ、歩いたんですか。コッチから行く人には、やめた方がいいよ、なんていってますけどねえ。」
もう歩いちゃいました。
ご主人から聞いたのですが、この辺りの農家の方はむかしみんなミカンを作っていて、20キロ入りの箱一つで造船所の一月分の収入よりお金になったとか。
ちなみに、その頃造船所の職員は、とても良い給料をもらえたのだとか。
「今じゃ、家の近くの畑にちょっと作っているくらいのもので、若い人はほとんどやってません。」
なるほど。 -
住田さんのネジぱんとあんぱんは、妻の小さなリュックの中で、別の食べ物のように変わり果てておりました。
でも、おいしかったです。 -
尾道渡船の待合所は、そこから歩いて5分ほどのところにありました。
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福本渡船と違うところは、発着の場所と、料金がこちらは100円と「高額」(笑)であるところ。
これで、尾道側に戻ります。 -
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渡船が着いた船着き場から歩いて5分ほどで、尾道ラーメンのお店があります。
「朱華園」というお店。
有名店のようですが、もう午後の2時になりますから混んではいません。
昼時はいつも行列ができ、客あしらいが荒いように何かに書いてあったので、おそるおそる入りました。
「いらっしゃい!!」
元気の良いおば、いや、ご婦人が、カウンターの席を指し示してくださいましたが、交通整理のガードマンみたいに威厳があって、何人も逆らえない雰囲気があります。
どうも、過剰におどおどしている自分がいます。
ちなみに、あの交通整理というのはやってみると意外に難しくて、毅然として不動の自信に裏打ちされた指示を出さなければ、誰も従ってくれません。 -
550円。
「この白い玉、なんだろう。」
と、妻に尋ねると、
「あぶらみじゃない。」
わたしは、麺のあいだに浮いている物体が、小さなお麩かな、と思ったのですが、後で調べたら、背脂だそうです。
くどくはありません。
どちらかというと……、好きかな。
おば、いや、くだんのご婦人の目を盗んで写真を撮りました。
ちょっと手ぶれしています。
「何、おどおどしてんの?挙動不審。」
と、妻に言われました。 -
さらに少し歩くと、ロープウェイ。
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窓口で切符を買おうとすると、窓口に座る女性とは別に、隣で立っている女性がいて、
「往復440円、片道なら280円です。片道だけ乗って行かれる方が多いです。」
と、早口で説明してくださいました。
とても、しんせつです。
「じゃ、片道お願いします。」
お金は、座っている方の方に渡し、切符もその方がくださいました。
立って説明している方は、いったいどなた? -
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ガイドさんが、しばしガイドをしてくださいます。
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すれ違うケーブルカーの隣に、丸い石の乗った岩が見えています。
これは、千光寺の玉の岩といいます。
その昔の伝説で、この岩の上にあった丸い石が光って、町を照らしていたのだとか。
いま乗っている石は、光らないみたいです。 -
このロープウェイは、乗った方がいいでしょう。
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山頂の展望台の上からの眺め
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尾道水道を挟んで、絵のように広がる町
写真中央すこし右手、尾道水道のあちらがわ(向島)に、造船所が見えています。
そのすぐ右手に福本渡船の船着き場があります。
造船所の左のこんもりとした山の隣に、尾道渡船の船着き場があります。
こうして見ると、たいした距離ではないように見えるんだけどなあ。
ぐる〜っと後ろを回り込んでゆきますからねえ。 -
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巨岩の隙間の小径を、こびとになった気分で降りてゆきます。
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所々に文学碑
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千光寺裏に出ると、2000年に偶然発見された鏡岩。
松の木に覆われ、うもれていたそうです。 -
どのように使われていたか、詳細は分かっていないようですが、反射鏡として使ったとすれば、丸く円盤状に穿たれた部分に、磨かれた銅板でもはめ込んでいたのではないかと、想像します。
直径2mで、厚さは5mmということです。
月の光を受ければ、かなり遠くからでもその反射光を見ることはできたのではないでしょうか。
してみると、玉の岩伝説は、あながち根も葉もないことではないかも知れません。 -
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猫の細道の方に降りてゆく
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二十代のころ、友人に付き合って大林監督の尾道映画を見ました。
一人では入りづらいから、というのですが、わたしとしては、男ふたりが雁首そろえて見るのも、もっと抵抗がありました。
当時、入るのに勇気を必要としたその映画の主題は「時をかける少女」。
結局、十分にその映画を楽しんだわけですが、原田知世さんが初々しかったです。
その絵の美しさに心惹かれ、尾道をいつか訪れたいと思いました。
えいがのちから、ですね。 -
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少し脇道に入って彷徨う
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郵便配達さんも、なかなか様になってます。
しかし、たいへんそうだなあ。 -
映画のロケに使われた、「電柱のある坂道」
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その先
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振り返る
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さらに進む
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他人の愛情を受け入れることができず、逃げ出すネコ
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ネコに拒絶され、15時48分発の列車で尾道を後にする。
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