2014/01/27 - 2014/01/27
3632位(同エリア10367件中)
あおさん
東京に用事があったので、ついでに1日横浜観光ツアーに友人と行ってきました\(^o^)/
実際行けた場所は数か所ですが今回もとっても楽しい1日になりました!
思い出を少しここに残していきたいと思います♪
少しでも興味を持たれた方は見てくれると嬉しいです☆
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- JR特急 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅のしおりです\(^o^)/
いつも旅行に行くたびに作ります♪
が、どの友人もたいして見てくれませんが(笑)
でもスマホって天気いいと見にくいし、方向音痴な私はこのメモが結構たよりなので自分的には重宝してるんですよ☆ -
字が汚くてごめんなさい<(_ _)>
大まかな一日のスケジュールです -
西洋館の巡り方
もちろん公式サイトにモデルコースが載っていますが今回は時間の都合上
3つしか回らなかったので、途中からみなとみらい線元町中華街駅に行くように調整しました(*^_^*) -
裏側
センスなし(笑) -
今回の旅はこの二人で行ってきました(*^^)v
よろしくおねがいしまーーす -
朝9時前に東京池袋を出発し、横浜へ。
横浜からJRにて「石川町」駅にやってきました。
西洋館に向かう方は必ず「元町口」から出てくださいね
横浜で旅行バックもコインロッカーへ。
帰りはみなとみらい線に乗って帰ってくるので、みなとみらい線付近のロッカーにインします♪この気遣いがあとでとんでもないことになるとは…(^_^;) -
東京・神奈川と周ってびっくりしたのはコレ!!!
タッチパネルの自販機です\(^o^)/ -
ジュースをタッチするとこうやって説明もでます
お茶持ってたけど思わずお買い上げ(笑) -
元町口を出た所です。
友人はお疲れだったのかレッドブル(ーー;)
本来どっちに行くべきなのか分かりませんが、とりあえず感で左方向へレッツゴー -
私は興味本位でチョコバナナ。
はい死ぬほどまずかったですねコレ(>_<) -
徒歩2分くらいで右手側に橋・正面は行き止まりの場所に付きます。
ここを左に曲がりあがっていきます。 -
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左に曲がった所の風景
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歩きます
大丈夫少し坂ですが3分くらい。 -
おそらく本来はそのまま直進していくと、左に曲がる標識があるはずです。
ただいつも寄り道しまくるコンビ
この標識&階段に惹かれて登ってしまいました。 -
結果としては登りきった左手に外交官の家が見えます。
多分、正式な道より近いと思う。
ただし階段なのでご注意を! -
荷物が届くんでしょうかね?
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ここはカフェも併設されています。
洋館自体は9時半から空いていますが、カフェは10時からです -
本来の正面玄関。
正式な道を来るとここに着きます -
正面の庭
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外交官の家です
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おうちの説明です
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昔のアメリカのような重厚な雰囲気
あとは詳しい建築や歴史は分かりませんので写真をお楽しみください
一応公式HPから外交官の家の説明を…
外交官の家は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、東京渋谷の南平台に明治43(1910)年に建てられました。 設計者はアメリカ人で立教学校の教師として来日、その後建築家として活躍したJ.M.ガーディナーです。建物は木造2階建てで塔屋がつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残しています。室内は1階に食堂や大小の客間など重厚な部屋が、2階には寝室や書斎など生活感あふれる部屋が並んでいます。これらの部屋の家具や装飾にはアール・ヌーボー風の意匠とともに、アーツ・アンド・クラフツ(19世紀イギリスで展開された美術工芸の改革運動)のアメリカにおける影響も見られます。 平成9(1997)年に横浜市は、内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの館の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復元し、一般公開しました。そして同年、国の重要文化財に指定されました。室内は家具や調度類が再現され、当時の外交官の暮らしを体験できるようになっています。各展示室では、建物の特徴やガーディナーの作品、外交官の暮らし等についての資料を展示しています。また、付属棟には、喫茶スペースが設けられています。 -
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この扉は1階の扉の取っ手です。
これ覚えていてくださいね。
2階の住居スペースになると装飾がなくなりますので。
←シンプルがお好きだっただけかもしれませんが。 -
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このおうち、一角だが多角形の設計になっていて
サンルームになっていました。ここから綺麗なお庭が見えます -
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今は入る場所が違いますが、本来ここが正面玄関ですね。
玄関を入ってすぐ左手にお供の間があります -
すてきなステンドグラス
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お供の控えの間に小さい扉が。
何か理由があるのでしょうか? -
玄関にあった少女の置物
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階段も重厚で歴史を感じます(゜-゜)
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何で階段下に鏡があるんでしょうか?
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2階から見た階段
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踊り場の窓
3つも贅沢。光が差し込んで本当に綺麗 -
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ここは非公開で見れませんが気になる!
グラバー邸と同じような感じでしょうか -
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次は館のご主人さんの書斎です
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分かりますか?
1階のドアノブに比べると装飾があまりないですよね -
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当時をイメージしたのか本物か分かりませんが洋書が並びます
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ハートの装飾可愛い☆
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2階は装飾はシンプルでしたが、いたるところに細かなものはあります。
こんな目立たない所にもあるなんて贅沢ですね。 -
多角形の間の2階バージョン。
2階からは裏手にあるお庭が見えます。 -
綺麗に整備されています。
この日も数人の方が剪定などをされていました。
ここ無料なのでどうやって維持されてるのか(^_^;) -
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ご夫婦の寝室
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外交官の家のご当主
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奥様です
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見えにくくてごめんなさい。
本来この外交官の家は今ある洋風な建物の横に日本式のお屋敷が併設されていたようです -
次の館に向かいます。
外交官の家を出ると庭から直接ブラフ18番館の家につながる道があります。案内もあるしすぐにわかります(*^_^*)
外交官の庭を出るとこんな坂がありますので下ります -
下ると広場に出ます
その右手にブラフ18番館があります -
ここです
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イメージ的には最近流行の北欧テイストなおうちでした。
一応公式HPから家の紹介を載せておきます
イタリア山庭園の一郭に移築されたブラフ18番館は、関東大震災後に山手町45番地に建てられた外国人住宅です。戦後は天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として平成3(1991)年まで使用されてきました。 建物は木造2階建てです。1、2階とも中廊下型の平面構成で、フランス瓦の屋根、暖炉の煙突、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、南側のバルコニーとサンルームなど、震災前の外国人住宅の特徴を残しながら、外壁は震災の経験を生かし、防災を考慮したモルタル吹き付け仕上げとなっています。また、解体時の調査により、震災前に建築された山手45番地住宅の一部が震災による倒壊と火災を免れ、部材として利用されていることが判明しました。 平成3年に横浜市が部材の寄付を受け、山手イタリア山庭園内に移築復元しました。館内は震災復興期(大正末期〜昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現し、元町で製作されていた当時の横浜家具を復元展示し、平成5(1993)年から一般公開されています。また、本館につながる付属棟は、貸し出しスペースとして市民に利用されています。 -
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女子が好きそうな雰囲気ですよね(*^^)v
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このお花はボランティアの方が生けられたようです。
色々な人の協力でこんな素敵な空間が残ってるんですね〜 -
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ロウソク立てが変わってます。
所でこんなところにロウソクおいて、蝋が下にたれないんでしょうか・ -
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2階にあるサンルーム
ベランダつきです -
机の上のレースが可愛い♪
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木の上にブラフ18番館と英語でかいてありました。
オシャレ\(^o^)/ -
何故かスタイリッシュな雰囲気の部屋もあります
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あー素敵だった〜
さ、時間はあまりありませんので次に向かいます。 -
とりあえず外交官の家の門から更に上に上ります。
正面は行き止まり、左右に分かれた道に出ますので、そこは左へ。
そうするとまたまた、左右に分かれた道があります。
ここは標識がありますので山手公園の方に進みましょう。
分からなければ突き当たって左へ。坂を下ります。 -
ここからはひたすらまっすぐです。
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ズンズン進むと右手に山手カトリック教会が姿をあらわします。
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この日は葬儀があったため、外観のみバシャって次へ進みます
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そのまま歩いていくと、左手にフェリス女学院が。
言わずとしれたお嬢様学校です。
何と警備員っぽいおじさんが入ました\(◎o◎)/
うちの学校なんて入り放題だったけど。。。 -
更にまっすぐに進むと左手にベーリックホールが見えます。
ここまでの道、オシャレだけど石畳なので足が悪い方は少しきついかもしれません。
周囲はおそらく高級住宅街で落ち着いていて静かですし、どことなく西洋風なおうちが多いので歩くのは苦になりませんでした(*^_^*) -
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和と洋の融合って感じ。
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ベーリックホール正面
公式HPより
べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されました。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。 現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンです。モーガンは山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築を残しています。600坪の敷地に立つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。内部も、広いリビングやパームルーム、和風の食堂、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復元されているなど、建築学的にも価値のある建物です。 平成13(2001)年横浜市は、建物が所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄付を受け、復元・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から建物と庭園を公開しています。 -
入口。
格子がかなり凝っててオシャレです -
中に入ると格子の柄と光が合わさって、床が幻想的でした
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この花瓶…何でこういうモチーフなんだろう
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かなり広い!
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洋風建築なのに床の間の様な空間があります
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今でいうキッチン
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時々ここでコンサートなんかも行われているようです
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正面玄関前にある階段
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レッドカーペットだぁ〜って喜んだアホな私たち(笑)
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階段の手すり一つとっても芸術です
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窓が凝っててすごいです
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クローゼット広い
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夫人の部屋のバスルーム?だったかな。
この家何故か色々な国を創造させるつくりです。 -
この蛇口覚えておいてくださいね。
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主人寝室となってますが、今は机とタイプライター?が置いてあります
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鍵も今つけたら泥棒が入るでしょうが、可愛い♪
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客間のバスルームだったかな?
ここは先ほどのバスルームとまた趣が違います -
蛇口も違いますよね。
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当時、もう息子さんは成人していたようですが修復する際にわざと子供部屋に仕立てたようです。可愛い〜〜〜〜海外ドラマで見る子供部屋です(^O^)/
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ただしなぜか子供部屋が一番シンプルなバスルーム♪
何故か部屋にバスルームがあると怖いと思うのは私だけでしょうか(笑) -
何でどの部屋も均一に光が差し込むんだろう
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ライオンの口からシャーです(笑)
分かりますか?高級なおうちにあるであろう、動物の口からしゃーっと水が出るあれです
さてそろそろお腹がすいたので洋館めぐりは切り上げて中華街に向かいます!ベーリックホールを出てまたまた坂を下っていきます。
門を出て左ですよ! -
すぐお隣にエリスマン邸
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エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて山手町127番地に建てられました。設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。
当時は木造2階建て、和館つきで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、軒の水平線の強調など、設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られます。
昭和57(1982)年マンション建築のため解体されましたが、平成2(1990)年元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現されました。1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したものです。かつて3つの寝室があった2階は、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示しています。また、地下ホールは貸し出しスペースとして、昔の厨房部分は、喫茶コーナーとしてご利用いただけます。 -
エノキ邸?ごはん屋さんみたいでしたが休業日
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山手234番館です。
エリスマン邸のななめむかいにあります
エリスマン邸の斜め前、山手本通沿いに建つ山手234番館は、昭和2(1927)年頃外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に民間業者によって建設されました。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられ、設計者は、隣接する山手89-6番館(現えの木てい)と同じ朝香吉蔵です。
建設当時の施設は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられています。また、洋風住宅の標準的な要素である上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえます。
建築後、第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていましたが、平成元(1989)年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。平成9(1997)年から保全改修工事を行なうとともに、平成11(1999)年から一般公開しています。1階は再現された居間を中心に山手地区の洋館のパネル展示、2階は貸し出しスペースとして、ギャラリー展示や会議等にご利用いただけます。 -
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長崎にもあった自動電話!
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そのまままっすぐ本当にまっすぐ進むと左手に外国人墓地があります
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そのまままっすぐに行くとこういった看板があります。
みなとみらい線・元町中華街駅の方に行きたい方は、見尻坂を下ってください -
下っていくとこういった看板があります
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標識に従うとアメリカ公園だったかな?という公演がありますが、ここを突っ切って大丈夫!!
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そのまま奥に進むとはい「みなとみらい線・元町中華街駅」に到着です。
ここを入って下に下に下ると中華街方面への道に出ます♪
長くなったのでいったん終了!
最後まで読んで下さった方々本当にありがとうございました\(^o^)/
自分が方向音痴なのでとりあえず道案内も兼ねたつもりです。
少しでも皆様のお役にたてることを願って!
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