2012/07/25 - 2012/07/26
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inabayukiさん
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2012年の夏に8泊9日でバルト三国&フィンランドのヘルシンキに行ってきました。
2012年7月24日(火) フランクフルト→ビリニュス→トラカイ→ビリニュス(ビリニュス泊)
2012年7月25日(水) ビリニュス→カウナス(カウナス泊)
2012年7月26日(木) カウナス→シャウレイ→リガ(リガ泊)
2012年7月27日(金) リガ→ルンダーレ宮殿→リガ(リガ泊)
2012年7月28日(土) リガ→パルヌ→ムナレイド→キフヌ島(キフヌ島泊)
2012年7月29日(日) キフヌ島→パルヌ→タリン(タリン泊)
2012年7月30日(月) タリン→ヘルシンキ(ヘルシンキ泊)
2012年7月31日(火) ヘルシンキ(ヘルシンキ泊)
2012年8月01日(水) ヘルシンキ→フランクフルト
移動は基本的にバスです。ただ、フランクフルト→ビリニュス、ヘルシンキ→フランクフルトは空路、タリン→ヘルシンキは海路です。
今回バルト三国を選んだ理由はいろいろありますが、日本の猛暑を避け、涼しい北欧方面に行きたかったのが一つ。
また、旧共産圏は民主化から約20年とはいえ、まだいろいろな観光施設が整備中で、ホテルやユースホステルが新しいこと。
そして何より物価が他の西欧諸国に比べても安い!ごはんが美味しい!ビールが美味しい!これは行くしかないです。
バルト三国の人はちょっと無愛想なところもありますが、素朴で優しく、親切でした。噂に聞いていましたが美女が多いです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2012年7月25日(水)
ビリニュスを発ち、リトアニア第2の都市カウナスに向かいます。
カウナスは、ソビエト連邦併合以前のリトアニアの臨時首都でした。10世紀頃からの歴史のある街で、市の中心部は歴史的な建築物が多くのこっています。
本当はビリニュスからカウナスへは鉄道で移動したかったのですが、ちょうど良い時間の便が無かったので、バスで移動しました。バスの方が鉄道よりも便数も多くて便利です、やっぱり。
バスで移動したとはいえ、カウナス駅は見ておきたかったので、わざわざバスターミナルから歩いて行きました。 -
あまり便数もないためか、駅の周辺は閑散としています。
カウナス駅は、戦前の外交官・杉原千畝が、1940年9月5日に外務本省からの異動命令でベルリンへ旅立った駅です。彼は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民に対し、大量のビザを発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られています。
杉原千畝は、出発のぎりぎりまで、ユダヤ人のために車窓から手渡しされたビザを書き続けたと言います。
当時のことを思いながら、しばしホームをぶらぶらしました。ちょうどビリニュス行きの電車が出るところでした。 -
『旧在カウナス日本領事館』です。1939年、ここに杉原千畝は領事代理として赴任しました。
1940年当時、ドイツ軍侵攻に伴い隣国ポーランドから迫害を逃れて流入してきた大量のユダヤ人にとって、逃げ道は、シベリア鉄道を経て極東に向かうルートしか残されていませんでした。
そういう背景があって日本領事館にユダヤ人が殺到したわけですね。
現在、建物の内部は杉原千畝の記念館になっています。 -
しかし、ここに辿り着くのにバスターミナルから結構歩きました。普通の住宅街にぽつんとあるので、どこをどういったものか、事前にGoogle Mapで確認したものの、迷いかけました。
門柱に「希望の門、命のヴィザ」とあります。
記念館はこの門に向かって左手を少し下ったところにあります。 -
杉原千畝の執務机です。
外務本省からは、盟邦ドイツへの配慮から査証発給を避ける旨の訓令を受けていましたが、ユダヤ人に対して日本通過を可能とした査証を発給して欧州からの脱出を支援したそうです。
館内には、日本語の説明文やビデオ紹介もあるので、とても分かりやすいです。 -
杉原千畝記念館を発ち、中心街からは少し離れた『第9要塞博物館』に行きました。
バスターミナル前のタクシー乗り場でタクシーを拾いましたが、このタクシーにぼったくられました。道を間違えた上、通常料金の1.5倍です。博物館が閉館間近だったこともあり、ゴネずに払いましたけど…もう!
タクシーの信用度に流しと待ちタクとの差はあんまり無いんですかね。
第9要塞は、19世紀にロシアによって建造された要塞ですが、第二次大戦中はリトアニアを占領したナチス・ドイツによって、リトアニア各地から強制連行したユダヤ人らの強制収容所として使用されていました。
バルト三国に来る前は知らなかったのですが、バルト三国でも多くのユダヤ人が虐殺されたそうです。犠牲者数は諸説ありますが、リトアニアだけで16万〜25万人。この第9要塞では、約5万人が収容され、その多くが殺されたと言われています。
内部はガイドツアーで回れますが、私は到着が閉館1時間前で間に合わず。一人で回りました。
夏なのに内部はひんやりしていて薄暗く、係員以外誰もいません。
実際に多くの人が亡くなった場所なので、一人で回るのがちょっと怖かったです。
と、いきなりドーンと金属製の扉が閉められる音が。ドキッとして音がした方に行くと、係員のおばちゃんが展示室の扉を次々閉めていきます。
えー?まだ閉館まで30分以上あるのにー?
社会主義時代の名残的労働意欲? -
第9要塞のまわりは結構広い公園になっています。こちらは何かのモニュメントのようですね。
さて、ここからカウナス中心街へ戻ろうにも幹線道路がちょっと遠い(まあ歩ける距離ですが)。タクシーも無い。どうしよう?な状態です。本当は行きで使ったタクシーを待たせておけばよかったのですが、ぼったくられたことに立腹し、帰してしまいました。ああ…。
少し待つと一台のタクシーがやってきました。乗車交渉をしますが、予約車なので、ダメだけど、仲間のタクシーを呼ぶから待てとのこと。
公園の池で水浴びする家族やいちゃつくカップルを眺めながら待つこと約30分。本当にタクシーが来ました。良かった!
今度の運転手さんは寡黙だけど信頼できる感じで、お値段も良心的でした。 -
カウナス中心街へ帰ってきました。
夕食は旧市街のリトアニア料理店『BERNELIU UZEIGA』へ。
今日もしっかり歩いたので、喉が渇きました。バルト三国では基本的に「とりあえずビール!」です。
『BERNELIU UZEIGA』(http://www.berneliuuzeiga.eu/en/about-us) -
ビーツスープを頼んだので、てっきりシャルティバルシチェイが来るかと思ったのですが、濃い色のあったかいスープでした。
これはこれでウマいです。
なぜか茹でたじゃがいもが付いて来ました。 -
メインはリトアニア風ソーセージ。
正直ドイツとの差異がよく分かりませんが、美味しいことは間違いありません。
そして茹でたじゃがいも再びです…。ちょっと…多いかな?
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