
2014/01/11 - 2014/01/11
116位(同エリア377件中)
杏仁豆腐さん
深川七福神巡りの続きです。
前半はこちら
http://4travel.jp/travelogue/10849167
4箇所目の円珠院から富岡八幡宮までです。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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龍光院を出て、円珠院に向かう途中、間宮林蔵の墓がありました。
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間宮林蔵墓
間宮林蔵は、安永9年(1780、一説に安永4年)、常陸国(茨城県)筑波郡上平柳村に生まれ、天保15(1844)年に深川蛤(はまぐり)町の家で没しました。名は倫宗(ともむね)といい。伊能忠敬に測量を学び、寛政12年(1800)年に幕府の蝦夷地御用雇となり、蝦夷(北海道)をはじめとする北地探検と測量に従事しました。文化5(1808)年、幕命により松田伝十郎とともに樺太(サハリン)を探検した林蔵は翌年7月2日単身樺太からシベリアへ渡って沿海州に入り、黒竜江(アムール川)をさかのぼりデレンに達しました。この15ヵ月間におよぶ探検で、樺太が島であることが明らかとなりました。林蔵は後に間宮海峡と命名される海峡を奥州人にさきがけて発見したことにより、地理学者、探検家として世界的に有名となりました。
平成2年2月1日 江東区教育委員会 -
円珠院
大黒天です。 -
円珠院は、享保のころ旗本永見甲斐守の娘、お寄の方が起立しのち、円珠院殿妙献日寄大姉の法名で、享保十五年末(1730年)に此の寺に葬られました。
享保五年(1720年)十一月十三日画かれた大黒天の掛軸があり、木造の大黒天が安置、境内に石造の破顔大黒天が安置されています。江戸時代から、深川の大黒天として有名でした。 -
滝沢馬琴生誕の地
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滝沢馬琴誕生の地
江戸時代後期の小説家。明治4年(1767)6月9日、旗本松平信成の用人を勤める下級武士の五男として、この地にあった松平家の邸内で生まれ、嘉永元年(1848)11月6日、82歳で病没しました。名は興那、曲亭馬琴・著作堂主人などと号しました。
安永4年(1775)、9歳で父親と死別し、その後は、松平家の孫の遊び相手として一家を支えていましたが、安永9年(1780)、14歳の時に松平家を出ました。門前仲町に住み、文筆で身を立てようと、寛政2年(1790)山東京伝のもとに入門しました。翌寛政3年(1791)正月に処女作として、京伝門人大栄山人の名で黄表紙「尽用而二分狂言」を発表しました。以後、儒教思想にもとづく教訓、因果応報による勧善懲悪を内容とした読本を続々と著し、読本作家の第一人者と称されました。
天保5年(1834)ころより眼を患い、晩年は失明しながらも、口述・代筆で著作を続けました。
読本・黄表紙から随筆にいたるまで、約470種にものぼる著作を残しています。
平成9年(1997)3月 江東区教育委員会 -
本を積み重ねた形をしているのがユニークです。
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仙台堀川
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心行寺に到着。
福禄寿です。
着いた時は、七福神巡りの団体さんがいて、すごい人でした。 -
福禄寿の安置してある心行寺は、元和二年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立された浄土宗の寺で開山は観智国師の高弟である屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室、養源院殿であり、寛永十年(1633年)現在地深川寺町に移った由緒ある名刹である。関東大震災と昭和二十年の戦災により二度も焼失したが、現在の本堂は昭和四十二年に再建された。昭和五十年に福禄寿が安置されている六角堂が完成した。
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宝筺印咒塔(川口直供養塔)。
直は文化文政の頃の名妓、清元節の名人で、のちに『川口』という料亭を開きました。夫の忠七は笛の名手でした。 -
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影窓院地蔵。
この石造地蔵菩薩立像は、当時に影窓院と正壽院の二つの塔頭があり、影窓院にあったので、この称号があります。結緑地蔵として縁むすび、願いごと成就の地蔵尊として参詣者で賑わいます。 -
五重石塔。
元亨4年(1324年)3月24日の銘あり。
江東区に現存する最古の金石文です。 -
法乗院、深川閻魔堂です。
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日本最大の閻魔大王座像。
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19のご祈願に対しお賽銭を投入すると、仏様より様々な説法を聞くことが出来るシステムを日本で初めて採用したゑんま像です。
私も家内安全にお賽銭を投入して、説法を聞いました。 -
法乗院は、寛永6年(1629年)深川富吉町(東京・江東区)に創建され、同18年に現在地に移りました。開山は覚誉憎正、本山は十一面観音で有名な大和長谷寺です。
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曽我五郎の足跡石
曽我五郎は、日本三大仇討ちの一つである曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)で、兄 曾我十郎と共に父親の敵である工藤祐経を討ったことで知られています。また、歌舞伎「曽我物語」の主人公として、庶民の支持を受けています。足跡石は、歌舞伎に縁深い当山に移されたもので、若くして一生を父の仇に終始した曽我兄弟の五郎が老母を背負い、工藤祐経の菩提と老母父の仇の報告をした帰りに残されたものと言い伝えられています。 -
陽岳地を通過。
向井衛将監源忠勝を開基として創建された寺で,境内に忠勝の墓があります。
また,天明の大飢饉(1783〜87)のころ,山城国伏見奉行の悪政に苦しんで幕府に直訴した伏見義民墓があり,都の旧跡に指定されています。 -
冬木弁天堂です。
弁財天。 -
冬木弁天堂は、木場の材木豪商、冬木弥平次が宝永二年(1705年)、茅場町(中央区)から、深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置しました。そのためいまでもこの町を冬木町といいます。この弁財天は、等身大の裸形弁天にして、毎年一回衣装の着替行事をおこなってきましたが、大正十二年の関東大震災に焼失しました。冬木弁天は、明治三年から一般に参詣を開放しました。現在の弁天堂は、昭和二十八年に再建されました。尾形光琳が、冬木家に寄寓中、冬木家の妻のために書いた秋草の小袖が、上野国立博物館に保存されています。冬木弁天堂は、古義真言宗に属しています。
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岡野知十句碑(おかのちじゅうくひ)
名月や 銭かねいはぬ 世が恋し -
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冬木辨財天お己
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銭洗のためのザルがあります。
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深川七福神巡りも最後となりました。
富岡八幡宮に到着です。
恵比寿神です。 -
深川七福神の恵比須神がお祀されている富岡八幡宮は、寛永四年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた小島に創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と居住地を開き、今日の八幡宮境内・深川公園地・富岡町・門前仲町を含む、総じて六万五百八坪の社有地を得ました。
以来隅田川両岸一帯(深川及び現中央区新川・箱崎地区)の氏子を始め、広く世の崇敬を集めている江戸最大の八幡さまで、「深川の八幡様」として親しまれています。 -
富岡八幡宮本殿。
江戸最大の八幡様です。 -
店も出て、人で賑わっていました。
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本殿の裏には、横綱力士碑があります。
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富岡八幡宮の例祭は8月15日を中心に行われます。俗に「深川八幡祭り」とも呼ばれ、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられています。
3年に1度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼ばれ、大小あわせて120数基の町神輿が担がれ、その内大神輿ばかり54基が勢揃いして連合渡御する様は「深川八幡祭り」ならではのものです。 -
富岡八幡宮には元禄時代に豪商として名を馳せた紀伊国屋文左衛門が奉納したとされる総金張りの宮神輿が3基ありました。
しかし関東大震災で惜しくも焼失、それから68年の時を経て平成3年に日本―の黄金大神輿が奉納され宮神輿が復活しました。 -
伊能忠敬銅像です。
50歳を過ぎてから天文学・測量術を学んだ忠敬。深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては必ず当宮を参拝していたことから縁りの地であるこの八幡宮に銅像が建てられました。 -
深川東京モダン館
深川東京モダン館は、国登録有形文化財建造物「旧東京市深川食堂」をリノベーションした施設で、江東区全域を対象とした観光案内スペースとして、また、新たな文化の発信スペースとして活用しています。 -
旧東京市深川食堂
東京市深川食堂は、東京市が社会事業施策として、大正9年(1920)から順次設置した16ヵ所の市設食堂のひとつです。延床面積は106坪。関東大震災の復興事業の一環として、昭和6年(1931)に着工、翌昭和7年(1932)に竣工しました。市設食堂とは低所得者のために安くて栄養のある食事を提供する施設のことです。昭和11年(1936)に閉鎖されましたが、昭和13年(1938)に東京市深川栄養食配給所として活動を再開、東京大空襲で被災しましたが全焼をまぬgれ、戦後部分修復して、東京都の職業斡旋施設となり、昭和32年(1957)には授産機能、昭和36年(1961)には福祉機能が追加されました。昭和54年(1979)に江東区へ移管され、「江東区内職補導所」と改称し、数度の名称変更を経て、平成18年(2006)に閉鎖されるまで利用されました。
構造は2階建て鉄筋コンクリート、外壁はモルタル下地吹上仕上げ。大震災の教訓を活かし、当時の最先端技術である鉄筋コンクリートが採用されました。デザインの特徴は、明るく開放的な吹き抜け空間になっている階段室と、2階南側のスチール・サッシュ窓にあります。震災復興の近代建造物としての稀少性が認められ、平成20年(2008)に国登録文化財に登録されました。
平成21年(2009)9月 江東区教育委員会 -
お昼も過ぎ、だいぶ歩いたので、お腹がすきました。
深川東京モダン館のすぐそばにある、イベリコバル門仲で、ランチです。 -
イベリコ豚料理専門店です。
http://www.spainclub.jp/monnaka/ -
イベリコステーキランチをいただきました。
サラダ、スープです。 -
イベリコ肩ロースステーキ150g
スペイン産パンがつきます。
土曜日・日曜日・祝日限定です。
イベリコ豚が胃袋に収まり、疲れも癒されました。 -
深川不動尊
前本堂は昭和20年3月10日の東京大空襲にて焼失。
現在の建物は、千葉県印旛沼のほとりに建つ竜腹寺(文久2年1862年建立)が移築されたもの。昭和26年落成で江東区最古の木造建築です。
賑わっていました。 -
深川不動堂は、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院です。
外壁はお不動様のご真言に包まれた「真言梵字壁」です。 -
近為の深川2号店です。
漬物を購入しました。 -
参道も賑わっていました。
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伊勢屋
創業明治40年です。
和菓子だけでなく、お惣菜も充実しています。 -
深川もちを購入しました。
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帰宅して、お茶とともにいただきました。
疲れました。深川七福神巡り。
でも、充実の散策でした。 -
御利益がありますように!!
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