2012/12/30 - 2012/12/30
63位(同エリア211件中)
トッティさん
初めて首長族の村を訪れたのは1994年の12月でした。
その後2回ほどこの村を訪れましたが、
その度に新しい人がいたり、
(これは以前に会ってなかっただけということもありますが)
いた人がいなくなっていたり不思議に思っていました。
2008年に訪れた時、以前写真を撮っていた女の子が
たぶん30歳くらいで亡くなったという話を聞いて
その理由が首長族特有の病気らしいという伝聞から
この人たちの寿命はすごく短いのかなとも思っていました。
ところが今回訪れた時、以前に比べて相当人数が減っていたのです。
写真を見せながら、首長族の人たちと話してみると
どうも外国に養子として移住したようです。
彼女たちの幸せを選んだのでしょうが、
生まれ育った場所を離れなければならないというのも寂しいなという気がしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エアアジア 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
今回最初に会った人たちです。
この人には以前にもあったことがあります。
それが下の写真です。 -
これが1997年8月に撮った写真です。
娘さんはこの時はリングをしてたんです。 -
これは2008年1月に訪れた時の写真です。
昔の写真を持って写ってもらいました。
この時、娘さんはいませんでした。 -
1994年に訪れた時に13歳だったこの子は
3年後に訪れた時いませんでした。
どこに行ったか聞いたら
「移動したと言われました。」
メーホンソン周辺の首長族の村に移動したのかな?
それともミャンマーに戻ったのかな?
なんて思っていました。 -
この子も同じで1997年に行った時には
「移動した。」と言われました。 -
1994年12月の写真です。
この子は3年後もいました。 -
1997年8月の写真です。
右側の子が上の写真の子です。
この当時まだ10代だったと思います。
ところが2008年1月に行った時には
亡くなっていました。
メーホンソン空港の旅行会社の人の話では
首長族特有の病気で亡くなったと言われました。
30歳前後で亡くなってしまうなんて
すごく寿命が短いんだなと思いました。
ちなみに左側の子も2008年1月にはいませんでした。 -
1997年8月の写真です。
-
2008年1月の写真で上の子の写真です。
以前より首が短くなっている感じですね。
ところがこの子も今回の旅行では会えませんでした。
聞いてみたらこの村の人たちは
多くの人たちが、アメリカ、カナダ、オーストラリア
などに移住したそうです。
もうひとつよく聞いた国の名前はジュシランドですが
ニュージーランドかな?それともイギリス?
イスラエルじゃないよね。
よくわからない国名でした。
もともとこの人たちはミャンマーから逃れてきた難民なので
難民を受け入れる国に移住したようです。 -
2008年1月の写真です。
この子はアメリカに移住したそうです。 -
右側のお母さんは上の子の母親だそうです。
親子で移住したわけじゃないんですね。
簡単に会えなくなるってどうなんだろう?
この村でメールとかできるのかな?
左側のお母さんは以前にも会ったことありますね。
それが下の写真です。
しかしこの2人顔がよく似てますね。
双子かな。 -
2008年1月撮影です。
-
2008年の写真ですが
この人もアメリカに移住したそうです。
子供たちも一緒に行けたのかな? -
今回撮った写真です。
白い民族衣装だけではなく
色のついた衣装を着ている人も増えています。
この子に5年前の写真を見せたところ
下の写真に自分が写っていると言っていました。 -
どの子だろう?
-
今まで見たことない人も何人かいました。
この子と下の写真の子。
しかし随分寂れたなという感じがしました。
この日は日曜日だったので学校も休みのはずですが
子供達がまったくいません。
この村からどんどん人がいなくなってしまうのかな。
今度来る時、この村あるのかな?
なんて考えました。 -
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