2013/11/19 - 2013/11/22
175位(同エリア945件中)
いちごさん
2日目のつづき。
夕刻、津和野から萩に到着。
3日目、萩で【萩城下】を散策後、山口市経由で山陽自動車道を倉敷へ。
4日目、倉敷から総社市の【備中国分寺】・岡山市【吉備津神社】に参拝して
実家のある香川県へ向かいました。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
津和野から国道9号線を山口方面へ向けて走行。
津和野は昨年の7月豪雨で大災害を被っていて、JR山口線は今も地福駅〜津和野駅間は不通になっています。
津和野の街では、被害の爪あとは微塵も感じられなかったけど、こうして9号線を走っていると工事区間が多数あって、
途中川沿いに出てからは、おびただしい流木がアチコチに積み上げられていたり、JRの線路が宙に浮いていたりで、そんな光景を目の当たりにすると被害の大きさが察せられます。 -
【道の駅 うり坊の郷 katamata】(山口県萩市大字片俣)へ立ち寄るために、国道315号線経由で来ました。
地元の、安全で新鮮な野菜の品揃えがウリだそうです。
・・・が、この時期、それよりも雪の塊が珍しく、見た途端、冷えが足から駆け上ってきました。 -
萩、到着。
なんだか、入り口からして、歴史の街へ来たという感じ。 -
【ようこそ萩】の門の、すぐ近くにある
【道の駅 萩往還】
【萩往還】とは、萩城主の毛利氏が江戸時代、参勤交代で江戸へ向かうための【御成道】として開いた道だそうです。
山陰と山陽が直結するこの道は、当時の庶民にとっても重要な道で、多くの幕末の志士たちも、さまざまな思いを抱いてこの道を通って行ったのだとか。 -
萩は、ホントに優秀な偉人が多いのですね。
道の駅に併設されている【松陰記念館】の前に立ち並ぶ銅像は、いずれも幕末、維新の日本を動かした方々。
【吉田松陰】を真ん中に挟んで、【高杉晋作】【久坂玄瑞】(ひとつ前の写真)
向かいの植え込みの中に立っておられるのは、
【山縣有朋】【木戸孝允】【伊藤博文】
ほかにも、【天野清三郎】【野村和作】【品川弥二郎】【山田顕義】の銅像が。
私でも、社会の教科書やNHK大河ドラマで覚えのある、そうそうたる顔ぶれです。 -
夕刻も迫り、2日目の活動は、これにて終了。
今宵のお宿、東萩駅近かにある【萩トラベルイン】
夕食は、ホテルのプランのひとつ【萩うまいもんプラン!】を選んだので、ホテルの、道を隔てた向こうに見える灯台のお店【萩心海】で定食を。
店内の中央にある大きな水槽で、魚が自由に泳いでいる活け魚料理のお店です。
朝食はホテル1階で、トースト定食を入れたてのコーヒーとともにいただきました。 -
3日目、スタート。
萩城下を散策します、まずは【萩城跡】へ。
お城は、何でも明治時代に時の政府により、特別なお城以外は別の用途にするべく壊されたそうで、【萩城】も今は石垣と堀の一部を残すだけ。
正面に、築城した、毛利輝元公の銅像が。 -
矢倉跡。
立派な石垣です。 -
南門跡。
萩城は、別名、指月城とも呼ばれ、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなるお城だったそうです。 -
城跡のある場所は、【指月公園】として整備され、桜の名所です。
今の時期、桜の木々には紅葉した葉っぱが、わずかに残るだけだったけど。
公園の先に進むと、スグ、日本海。
萩は、歴史の街というイメージしかなかったけど、こんなに海が近くて、海辺の街でもあったんだ。 -
写真の中、常に登場するひとりの男性。
-
波と格闘されているようです。
-
車を駐車場に停めて、定番の【萩城城下町】を散策します。
これぞ!!萩!!
という、まち並みです。
一応、まち歩きコースのガイドを見ているけど、どこがどこやら、なかなか案内どおりにはいかず、適当に歩いて行きます。 -
【旧益田家物見矢倉】
永代家老益田家の長屋の一部で、
旧三の丸の【北の総門】近くにあり、物見を兼ねていたため【物見矢倉】と呼ばれていたということです。 -
江戸の面影を残した風情のあるお屋敷。
こうして写真に撮って眺めて歩いているけど、現に、お住まいになっておられる方がいらっしゃるようです。
表札にお名前がありましたから・・・・・お騒がせしております。。。 -
【北の総門】
萩城三の丸の東側にあたる出入り口。
平成16年に復元され、周辺の整備は平成23年に完了したということです。 -
当時、筋は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。
現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめていて
江戸屋横町には維新の三傑の一人である木戸孝允や、蘭方医・青木周弼の旧宅が並んでいます -
まるで塀の展示場のように、それぞれに、趣きのある塀が並んでいます。
-
石積みの塀。
大きい石と石の隙間に小さい石が、上手く入るように積まれています。
以前、テレビで、【滋賀県・坂本の穴太(あのう)積み】の職人さんの特集を見たけれど、熟練された職人さんには、「この隙間にはこの石が入る」とひと目で分かるそうです。
ここも、そんな職人さんの手によるものなのでしょう。 -
まち歩きには、各所に案内板が立っていて、スムーズに散策が出来るよう配慮されています。
地図を見ても、案内板を見ても、なぜか迷ってしまう人種もいますが(笑) -
【萩博物館】
【松林桂月翁没後50年記念 日本南画界の重鎮・松林桂月】展、開催中。
松林桂月翁は、萩が生んだ日本画家。
ちなみに【南画】というのは、中国の元・明の絵画に影響を受け日本で江戸時代後期におこった一つの画派をいうそうです。 -
あちこちの軒先からは、大きなミカンの木が。
夏みかんです。 -
白い塀に、ミカンの黄色と葉っぱの緑が映えます。
-
夏みかんは萩市の特産品だそうです。
あちこちにミカンのなる木を見て、初めて知りました。
ミカンの産地というと南国を思うけど、山陰でも立派な夏みかんが育っています。
でも、私は、あの酸っぱい夏みかんが苦手です。 -
【堀内鍵曲(かいまがり)】
【鍵曲】は、敵の侵入や攻撃に備えるため、左右が高い土塀で囲まれた見通しのきかない、道を鍵の手に曲げて迷路のようにした道路だそうです。
たしかに、見通し、ききません。
ここへ来て、見ようと思っていた【高杉晋作の立志像】を見ていないことに気づいたけど、もう〜だいぶ歩いたし、次へ進みます。 -
武家屋敷まちから車で約5分、【松陰神社】
明治23(1890)年に、吉田松陰を祀って建てられた神社で、現在の社殿は昭和30年に新しく完成したものです。
吉田松陰といえば、歴史上、ちょっと前の人というイメージがあるけど、神さまになられていたのですね。
御神体は、松陰が終生愛用した赤間硯と父兄宛に書いた文書が遺言によって納められているそうです。 -
境内にある【松下村塾】
松陰は25歳の時、下田で密航を企てて失敗。
江戸から萩へ送られて、実家に幽囚の身となります。
その時期、近所の青年たちも来れるようにと、実家の納屋を改造して『孟子』などの講義をしたのが【松下村塾】
元は、叔父の玉木文之進が開いた私塾の名前を継承したそうです。 -
元、納屋だったので、素朴な建物。
-
塾では身分の区別なく学ぶことができ、幕末維新期に活躍し、近代日本の原動力となった数多くの逸材が輩出されました。
あんな人も、こんな人も・・・・・ -
境内には、旧宅も残されています。
-
松陰が幽囚されていた部屋。
松陰は、安政の大獄により投獄され、29歳で処刑、
短くて激しい生涯を閉じましたが、
このような歴史の延長に、今の生活があるのだと、ちょっと殊勝な気持ちになりました。 -
ここ、萩北部にも昨年7月の集中豪雨は甚大な被害をもたらしたそうです。
萩にしても津和野にしても、残すべき大切な建造物や風景があります。
全国各地どこも同じだけど、どうぞ、もう〜、自然災害に会わないことを祈ります。
萩に別れを告げて、山陽自動車道から倉敷を目指します。 -
・・・の前に、もうスグお昼。
山口県は、以前には、秋吉台とか秋芳洞、岩国市の錦帯橋などを訪れたことがあるけど、山口市は初めて。
今後も来る機会もなさそうなので、山口市へ立ち寄って、ここでお昼ご飯を食べよう〜ということに。
・・・と、わざわざ寄り道したわりには、街中を少し歩いて、ショッピングモールの中の食事処で【うどん】いただきました。 -
山陽自動車道だけでも、起点の山口から倉敷・・・・・遠ぉ〜〜〜い。
だいぶ〜走って来たし、ドライバーさんの疲労が蓄積すると、わが身も危険にさらされるので、
広島の小谷SAで休憩。
ここまでの走行距離、170km、残すところ約100km。
ずぅ〜っと高速道路をスッ飛ばしてるし、助手席といえども、気が休まらない。。。 -
なんとか無事に、今宵のお宿
【倉敷ステーションホテル】に到着しました。
ナビの案内は、いつものように【目的地周辺です】で終わってしまって、「ここからが、大事やねん〜」という所が分からない。
1度通り過ぎてしまって、今度こそと入ったのが、ホテルの横の道ではあるものの、一方通行の細い路地。
あたりには駐車場らしきものも無いし、電話で確認して駐車場は離れていることが判明・・・・・またかぁ〜(泣)
重い荷物を下げてゴロゴロ引っ張って・・・・・学習しない私たち。 -
ホテルの前の大通りを挟んだ向かいにある徒歩1分の駐車場は、12時間¥500
少し離れた徒歩4分の駐車場は、24時間¥500
ここは、やっぱり、徒歩4分を選ぶしかない〜
4分以上かかったけど、フロントでチェックインを。
すると、【ツインご希望でしたが、トリプルのお部屋をご用意させていただきました】と。
一瞬、ラッキー!!と喜んだけど、その実、部屋は広いけどベッドが3台。
空きスペースは、ツインとあまり変わらないかも。
夫が、「そっちの2台、使ってええでぇ〜」と言ったけど、ひとりでベッドを2台使って寝る方法を、私は知らない・・・・・ -
4日目、旅行も最終日。
倉敷周辺では、白壁の屋敷や大原美術館がある美観地区が有名だけど、以前にも、何度か来たことがあるので、今回は、お隣の【総社市】へ。
吉備路を行きます。 -
【備中国分寺】
駐車場から道路を横切って、そこから見た、この風景に感動しました。
広々とした田畑の向こうに建つ五重塔。
なんともいえず、牧歌的です。素敵です。 -
奈良時代に、聖武天皇の勅願によって、諸国に建てられた国分寺の一つ。
緑豊かな田園にそびえる五重塔。
塔の周辺の公園や田園は、春はれんげ草や菜の花、梅や桃や桜の花、秋はコスモスが咲き乱れて、華やかな景色に変貌するらしい。
でも、稲刈りが終わって静かに冬を待つ、そんな風景も美しい。。。 -
【山門】
真言宗御室派の寺院。
本尊は薬師如来です。 -
【五重塔】
この塔は、江戸時代後期の1821年から二十数年をかけて建立されたものです。
総高約34mで、三層までは総ヒノキ造りですが、四・五層は松材が主体となっているそうです。
重要文化財です。 -
続いて吉備路を進んで、【総社宮】へ行こうとしていたのに、
どこで、何を、どう間違ったのか、
岡山市の、【吉備津神社】に、来てしまいました。 -
名前も知らず、知識も無く、たまたま訪れた【吉備津神社】だけど、大吉備津彦大神を主祭神とする山陽道屈指の大社だそうです。
また、釜の鳴る音で吉凶を占う【鳴釜神事】は有名で、この神事の起源は、大吉備津彦大神の温羅(ウラ)退治のお話しに由来しているのだとか。
それは、吉備に伝わる桃太郎伝説のルーツだとも言われているそうです。 -
たしかに桃太郎といえば、私の中では、なぜか、岡山というイメージがあります。
岡山の桃が有名だからでしょうか(笑)
でも、もとになったお話の【温羅(ウラ)】という凶悪で鬼のような一族は、海を渡って飛んできた、百済の皇子だというのです。
10月に百済最後の都プヨ(扶余)へ行って、悠久の百済の都に思いを馳せて陶酔してきた私にとって、そのお話しは受け入れがたいのですが・・・・・
とにかく、本殿・拝殿は【吉備津造り】という珍しい建築様式で国宝です。 -
全長約400m、自然の地形そのままに一直線に建てられた、長〜い【回廊】があります。
重要文化財です。 -
高低差10m。
-
行く回廊の左手には、アジサイ園や梅林があるそうで、とっても広い境内です。
右手側のところどころ、苔むした石灯籠や紅葉したモミジが、回廊に良く似合う。 -
ずぅ〜っと、端まで歩いてみます。
もう〜、どれだけ来たかと振り返ってみたら、途中で引き返される方も。 -
出口まで来ました。
周辺には、摂社や末社がいくつもありますが、この長い回廊は、そこをつなぐものだそうです。 -
吉備路で訪れた【国分寺】【吉備津神社】、とても印象深く心に残りました。
山陰から山陽へとたずねた旅も終わりを告げ、そろそろ、四国へ渡る時間が来ました。 -
【瀬戸大橋】を渡り終えたら、もう〜四国です。
-
・・・の前に、お昼なので、与島PAへ寄り道。
久しぶりです、、、与島。
四国へは年に何度となく帰省するけど、【瀬戸大橋】まで来ることはほとんどありません。
橋が出来た当初は、もっと賑やかで遊覧船も出ていたような記憶があるけど、規模は縮小されたかな? -
売店近くで、四国を走っている【アンパンマン列車】のポスター、見つけました。
アンパンマンが大好きな孫、いつか乗せてあげたい。
私も乗りたい〜 -
時刻表も貼ってあるから、助かる〜
でも、聞くところによると、3歳9ヶ月になった孫娘は、最近、【プリキュア】がお気に入りなのだとか。。。
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