2013/11/20 - 2013/11/27
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peruruさん
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伊501、伊502、伊506と同型の潜水艦が現存しているらしいということで、シカゴ産業科学博物館を訪れてみました。実は伊501らは旧ドイツ海軍の??型U-Boat(U181、U195、U862)で太平洋で活動していました。ドイツが降伏した際に乗員は連合軍に引き渡すのを拒否して、日本に渡され旧日本海軍の軍籍になったとされています。
この博物館に展示されているU505も数奇な運命を辿っています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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シカゴ産業科学博物館です。米国の有名なデパートであるシアーズ・ローバックの社長だったローゼンウォルドが、ドイツ博物館に訪れた際に感心して、シカゴにも同様の博物館を作りたいと巨額の寄付を投じて設立された博物館です。
ここに数奇な運命を辿るU505が保存されて展示されています。 -
この博物館はU505展示にかなりのスペースをとっており、展示の入口付近では大戦当時にUボートが如何に猛威を振っていたか、それに対して連合軍がどのように対策を講じてきたかを詳細に展示説明しています。この展示は大戦当初のUボートの攻撃を受けた様子。
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Uボートと言えば、Wolfgang Petersenの映画Das Boot(Uボート)を思い浮かべる方も少なくないと思います。この映画は過酷なUボートの戦いを描いた秀作でしたが、この映画のモデルとなってるUボートは潜水時850トンの??型で、乗員は54人、最高水上速度17ノット、航続距離は6,500〜9,500マイルだったとのことです。
ここに展示されているU505は??型で、潜水時1,232トン、乗員は最大60人、最高水上速度19ノット、航続距離は13,450マイルと遠洋まで活動できる大型のUボートです。 -
??型は商船を狙って、カリブ海等遠洋で単独で活動していました。こうした海域では警戒や防御体制も弱く、商船撃沈の戦果につながりました。
また、連合軍側は中心的な戦線となるヨーロッパからはるばる離れたこうした海域まで航空機や艦船で哨戒せざるを得なくなるので、連合軍の戦力を拡散させることも一つの戦略的な狙いでした。 -
U505は1941年に進水して以来、3人の艦長が指揮をとります。初代の艦長はアフリカ沖、カリブ海で連合軍サイドの商船を次々に撃沈して戦果を挙げます。
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しかしながら、カリブ海では中立国であるコロンビアの帆船を撃沈してしまい、怒った同国がドイツに宣戦するという事態が起きてしまいます。
こうした経緯もあったのか、病気を患っていたこともあって初代艦長はU505から降ろされます。 -
二代目の艦長は権威によって部下を統制するタイプであったようで、初代艦長のように華々しく戦果を挙げるという訳にはいかなかったようです。
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連合軍側はレダー、ソナー等の探知機器の性能を向上させ、航空機と空母等の艦船との連携した哨戒によって対潜水艦の能力を向上させてきます。
連合軍側の駆逐艦に追尾される中、U505の二代目の艦長は戦闘時の重圧に耐えかねたのか、拳銃で自殺してしまうという事件が起きます。 -
三代目の艦長(Lange)は部下からも信頼されていたようです。
U505は歴代の艦長によってマークが書き換えられました。三代目の艦長は艦のシンボルマークとしてホタテ貝を使用します。 -
Uボートに対する指令は暗号機(エニグマ)により行われていました。このエニグマを解読するには9億年も時間が必要とされ、連合国側には解読不能という過信がドイツ側にありました。しかしながら、英米の諜報活動によりエニグマ解読の能力は進んでおり、U505は本国に自分の位置を報告する必要がありましたが、米国はおおよその位置を解読していました。更に暗号解読の能力を上げるためには、敵船の拿捕がベストということで、護衛空母ガダルカナルと駆逐艦の艦隊なる特別のタスクグループがU505の拿捕に向かいます、
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U505を探して、護衛空母ガダルカナルの燃料が限界に達しようとしていた時に、艦載機がU505をレーダーに認め、拿捕のための戦闘が開始されます。
爆雷攻撃によって損害を受けたU505の艦長は、海底に向かって潜行するか、浮上するかの選択を強いられます。 -
艦長は浮上することを決断しますが、司令塔で指揮をとっている際に被弾して重傷を負います。副長もその後被弾して有効な指揮命令系統は失われます。電源も失われ真っ暗な艦内では、U505に海水を入れて沈めるようバルブを開けて、退避すべく処置が行われますが、乗り込んだ米のタスクグループによりバルブは閉められてU505は沈没を免れます。
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こうして1944年6月4日西アフリカ沖でU505は拿捕されます。潜水艦内から入手された各種情報や解読機は直ちにワシントンに空輸され、その後の対独戦に重要な役割を果たすことになります。
このU505拿捕作戦は米国海軍史上賞賛すべき作戦の一つとされていて、U505に乗り込んだ兵士達も英雄として展示されています。 -
米軍は暗号解読が可能となったことをドイツ側に知られないようするためU505の拿捕や捕虜となったU505の乗員の生存については機密としていました。こうした事実は戦後に公にされました。
ドイツのプロパガンダでさかんに英雄として喧伝されたUボートの乗員は平均20代前半の普通の若者です。英国でドイツ空軍と潜水艦乗員の捕虜を調べたところ、空軍は中流階級で高等教育を受けた者が中心で、潜水艦乗員の捕虜は庶民で主に製鉄業や機械関連の労働者から転向した人が多かったとされています。 -
ドイツの潜水艦に乗り込んだ4万人の内、戻ったのは1万人だけであったという残酷な数字が如何に悲惨な戦いであったのかを物語っていると思います。普通の純真な若者や、よき夫がこうした過酷な状況で戦って亡くなっていったのです。
戦争の悲惨さと忌わしさ、平和の大切さをこのU505は無言で語りかけてくるようでした。
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