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土井晩翠は1905(明治38)年より旧制二高、東北帝国大学(現・東北大学)の講師を1934(昭和9)年の定年まで勤め、定年後も仙台で過ごしていたが、1945(昭和20)年7月10日の仙台空襲で住居と蔵書約3万冊を失った。そこで、晩翠の教え子と仙台の有志が1949(昭和24)年に旧居跡に新たな住居を建てた。晩翠没後に仙台市に寄贈され「晩翠草堂」と改称し一般公開されている。晩翠の著書、写真、生前愛用していたベッドなどが展示されている。庭には仙台空襲で焼けたが奇跡的に復活を遂げたヒイラギモクセイの樹木があり、晩翠の命日(10月19日)付近になると白い花を咲かせる。次に、仙台ユネスコは世界で最初の民間ユネスコ団体です。仙台市出身の詩人土井晩翠が晩年を過ごした晩翠草堂の奥にあります。会館は1957(昭和32)に建てられ、震災にも耐えました。会館入り口の階段には「世界における民間ユネスコ発祥の地」と書かれています。仙台ユネスコ協会は世界で初めてユネスコ(国連教育科学文化機関)を支える民間団体として設立された仙台の誇る(?)団体です。仙台の市街地は1945(昭和20)年7月10日の空襲で焼け野原になりました。東北大学関係者や文化人らは廃墟の中で「二度と戦争をしてはならない」というユネスコの理念に深い<br />感銘を覚え1947(昭和22)年7月18日に現協会の前身である「仙台ユネスコ協力会」を発足させ、障子紙に英文で会誕生の一報をパリのユネスコ本部に送ったとのことです。

仙台新名所物語(エピソード13:晩翠草堂&仙台ユネスコ会館)

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2013/12/13 - 2013/12/13

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青柳トラベル

青柳トラベルさん

土井晩翠は1905(明治38)年より旧制二高、東北帝国大学(現・東北大学)の講師を1934(昭和9)年の定年まで勤め、定年後も仙台で過ごしていたが、1945(昭和20)年7月10日の仙台空襲で住居と蔵書約3万冊を失った。そこで、晩翠の教え子と仙台の有志が1949(昭和24)年に旧居跡に新たな住居を建てた。晩翠没後に仙台市に寄贈され「晩翠草堂」と改称し一般公開されている。晩翠の著書、写真、生前愛用していたベッドなどが展示されている。庭には仙台空襲で焼けたが奇跡的に復活を遂げたヒイラギモクセイの樹木があり、晩翠の命日(10月19日)付近になると白い花を咲かせる。次に、仙台ユネスコは世界で最初の民間ユネスコ団体です。仙台市出身の詩人土井晩翠が晩年を過ごした晩翠草堂の奥にあります。会館は1957(昭和32)に建てられ、震災にも耐えました。会館入り口の階段には「世界における民間ユネスコ発祥の地」と書かれています。仙台ユネスコ協会は世界で初めてユネスコ(国連教育科学文化機関)を支える民間団体として設立された仙台の誇る(?)団体です。仙台の市街地は1945(昭和20)年7月10日の空襲で焼け野原になりました。東北大学関係者や文化人らは廃墟の中で「二度と戦争をしてはならない」というユネスコの理念に深い
感銘を覚え1947(昭和22)年7月18日に現協会の前身である「仙台ユネスコ協力会」を発足させ、障子紙に英文で会誕生の一報をパリのユネスコ本部に送ったとのことです。

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