2013/11/02 - 2013/11/05
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せんたろうさん
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韓国入国7回目。
今回は晋州を宿泊地とし、慶尚南道の南海郡(ナメ)と泗川市(サチョン)を巡るプラン。
1日目:移動日。釜山→晋州。泗川市の泗川邑城(泗川古城)。
2日目:南海郡(露梁(ノリャン)地区。(南海大橋の麓)、香村(ハンチョン)マウル、加川(カチョン)タレンイ村)
3日目:泗川市(泗川新城(船津里城)、三千浦(サムチョンポ)大橋の麓)、南海郡(知足(チチョク)、昌善(チャンソン))、三千浦のプドゥ地区。前泊のため釜山へ移動。
4日目:金海空港から朝早い便で帰国。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- エアプサン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1日目。移動日。
金海空港に12時過ぎに到着。金海軽電鉄で沙上(ササン)へ行き、地下道を通って西部バスターミナルへ歩く。
晋州行きの市外バスターミナルに乗るため、7番乗り場に向かうが、あいにく13:05発のバスは満席だったのでやり過ごす。(土曜日だから?) -
次の13:23発のバス(写真)に乗る。晋州に14:50着。7,700W。
晋州市外バスターミナル近くのモーテルに荷物を預け、再びバスターミナルへ戻る。
3年前に晋州城へは行ったし、晋州市内で観光したい所はなかったので隣の市である泗川市の泗川邑城(サチョンウブソン)へ行くことに。 -
晋州市外バスターミナル15:35発、写真の三千浦行きの市外バスに乗り、泗川バスターミナル16:07着。1,800W。
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泗川バスターミナルから歩く途中は商店街になっており、地方都市の割には活気がある感じであった。歩いて10分程で写真の看板に到着。右に曲がり坂を登る。
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1919年、日帝に対する独立運動がここ泗川で起こったとのこと。
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泗川邑城は公園化されており、独立丘のような地形となっている。
登った先には石垣がある。(が、当時のものかは不明) -
明後日行く泗川城(船津里城)は文禄・慶長の役では戦場となったが、この泗川邑城は関係なかったんじゃないかと勝手に思い込み、ろくに調べもしなかった。
帰国後ネットを見ると、島津家の家臣、川上忠実がこの城を守備しており、朝鮮・明の連合軍に包囲されたため、強引に突破し、島津義久が守る泗川城へ退却した壮絶な戦いがあった(1598年9月末)。関ヶ原の敵中突破といい、島津家恐るべし…。
写真の案内板(英語)によると、海賊対策(倭寇かな?)のために、この泗川砦は1442年に建てられ、円周913m、高さ3〜3.5mの壁で囲まれ、3つの門があった砦であったとのこと。 -
後の時代になって作られたであろう石垣。
古城ファンとしては、無理に石垣を作らなくても当時からの状態のままでいいと思うのだが…、日本人がクレームを言っても仕方がない…。 -
同じく石垣。
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展望台があったので登ってみる。
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展望台から夕陽と泗川市街地を望む。
泗川バスターミナルへ戻り、17:00発のバスに乗る。晋州市外バスターミナルへ17:30頃着。 -
2日目。
まずは南海(ナメ)郡の露梁(ノリャン)地区(南海大橋の麓)に行くため、南海行きの市外バス(写真)に乗る。6:40発。
この市外バスがどのルートを通るのかイマイチ確信が持てなかったので終点の南海までの切符を買った。5,700W。
テギョ(大橋)という停留所を経由するのはネット調べで分かっていたがそれがどこなのか分からなかった。
乗る前に運転手にテギョってどこ?と地図を見せながら聞くと、南海大橋の前後に停留所がある(計2箇所)という答えが返ってきたので、露梁(ノリャン)地区に市外バスの停留所があるのだと安心する。ちなみにテギョまでだと4,000W支払えばよかった。 -
テギョ(大橋)に7:37着。
どうやらこの建物が市外バスの待合所と切符売り場になっているらしい。 -
バスを降りたところ(露梁(ノリャン)地区側)から南海大橋を撮影。
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対岸のクノリャン地区側へ歩いて橋を渡る。
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歩きの途中で振り返り、ノリャン地区を撮影。
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歩きで10分程で対岸へ渡る。
対岸のクノリャン地区から南海大橋を写す。 -
橋の下から撮影。
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同じく橋の下。潮の流れが速い。
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橋の左側から撮影。
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写真はクノリャン地区側から撮影。
再び歩いてノリャン地区へ戻る。 -
ノリャン地区側から南海大橋を見上げる。
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李舜臣を奉る忠烈祠の案内図。
そう、ここは、李舜臣最後の戦いとなる露梁(ノリャン)海戦が行われた地なのである。 -
門を入る。
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李舜臣の戦死(1598)から34年後(1632)に、地元の有志によって建てられたとのこと。
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忠烈祠。
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李舜臣の肖像画が飾ってあった。
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ノリャン地区をプラプラ。
南海大橋の全景。 -
1598年11月、ここ露梁(ノリャン)で海戦が行われた。日本軍の進行は写真右側から。李舜臣は写真左側から。
日本軍は島津義弘、立花宗茂含む錚々たるメンバー。順天城から脱出できずに困っている小西行長を助けるための出撃であった。
李舜臣最後の地はここから10Km程南西に下った観音浦というところらしく、記念館も立っているとのことだが、バスの本数が少なく旅程に組み込めなかった。 -
亀甲船があった。時間つぶしに入ってみることに。入場料1,000W。
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この船は1980年に復元作製されたとのこと。
(李舜臣は1591年に製造) -
船内。
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同じく船内。
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市外バスで南海(ナメ)ターミナルを目指してもよいのだが、せっかくなので南海郡マウルバスに乗ってみる。
写真はノリャン停留所。 -
写真は露梁(ノリャン)に到着した郡内マウルバス。9:20発。南海ターミナルまで2,200W。
南海郡マウルバスはTmoney:不可、アナウンス/掲示板:無。だった。
キャッシュで運転手に支払う。
車窓は海に面したのんびりした田舎風景が続いた。機会があればまた乗ってみたい路線である。 -
南海バスターミナルに9:53着。
ターミナル内はお世辞にも活気があるとは言えなかった。
この案内板によると建物は7階あり、建物自体は大きいのだが、店が少ない。1階の喫茶店は廃業していたし、2階のスーパーはやっていたが、他の階はどうなのか?6階のモーテルは営業しているのか?おせっかいながら経営状態をあれこれ心配してしまった。 -
次の目的地は南海郡南面にある香村(ハンチョン)地区なのだが、マウルバスはアナウンスが無く、降りられる自信が100%無かったので終点の加川(カチョン)までの切符を窓口で買う。(香村も終点に近いし、まぁいいか…)2,500W。
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10:40発 加川(カチョン)行きマウルバス。
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無事に香村(ハンチョン)に降りられた。11:22着。
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香村(ハンチョン)マウルの石碑。
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停留所から海を眺めると、写真の岬状の丘陵地(海に向かって右側)が真っ先に目に付くが、まずはKonest地図に載っていたハンチョン公園(海に向かって左側)を目指す。
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ハンチョン公園といっても、大層立派なものがあるわけでなく、写真の展望台があったくらい。
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展望台からの写真。大型の船が行き来している。
どうしてこんな田舎で大型船が行き来しているのか不思議だったので、帰国後ネットでググッてみると、光陽港というのがこの海域の奥にあり、ハブ港を目指す云々との記事があったので、そこへ向かう船かもしれない。 -
同じく展望台からの景色。
釣り船がウジャウジャいる。いいポイントなのだろう。 -
展望台を降りて、畑の方へ行ってみる。
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崖を開いて作った畑。あぜ道に沿って降りてみる。
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畑の中に地元の方のお墓があり、崖状の岩場が続く風景。
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香村(ハンチョン)集落を後にし、バス停で見た岬状の丘陵地へ歩き出す。
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海岸に沿って歩く。
韓国人のハイカー集団とすれ違う。 -
岬状の丘陵地を登る途中。先程の香村(ハンチョン)方面を撮影。
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丘陵地の畑の風景。
あぜ道を歩いているときは、この緑色の葉っぱは玉ねぎ?かなと思っていたが、帰国後ネットで調べたところ、南海郡はニンニクの産地という記事があったので、この緑色の作物はきっとニンニクにちがいない。 -
畑の風景。
近くの畑では家族総出で農作業をしていた。イモらしきものを掘っていた。ジャガorさつま か分からなかったが、無人販売所で"コグマ”の文字を見たので、「さつまいも」だったのだと納得した。 -
畑のあぜ道のどん詰まり。
展望台ぐらいあるだろうと思い登ってきたが、何も無い。
しばらく海を眺めてから引き返す。 -
近くのバス停。この畑のある丘陵地の部落は「ソング」マウルというらしい。
13:15発のバスで、終点 加川(カチョン)まで行く。1,300W。
香村(ハンチョン)は、加川(カチョン)を訪れる際のバーター的存在として選んだだけだったのだが、予想外に景色が良く満足した。 -
13:26、加川(カチョン)バス停に到着。
Konestに加川タレンイ村と青い字で書いてあり、景色が良さそうな直感が働き旅程に組み込んだ。行先としてのこだわりは無かった。(いつもこんな感じだけど…)
帰国後、旅行記の編集作業をしていて、"タレンイ”がどんな意味かぐらい調べとかんといかんなぁ〜と思い、ネットでググッてみた。
"タレンイ"とは「山と山の間の急な斜面」を表す慶尚南道の方言とのことで、要するに段々畑のことらしい。 -
バス停から眼下を望む。段々畑が続く。
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急な傾斜に這いつくばって家々が密集している。
黒瓦を見ると、能登の風景を思い出してしまった。
坂を下り海岸へ下りる。 -
坂の途中にある小さな公園。
これは一目見ただけでナニって分かる。 -
案内文によると、ナニは観音菩薩の生まれ変わりとのこと。
1751年、南海郡の役人の夢に現れて、海岸を掘り起こしたところ、これらの石が出てきたとのこと。 -
海岸まで降りた。付近の風景。
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付近の岩場。
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同じく、岩場。
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海岸から、山の方を撮影。
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途中の遊歩道から撮影。
バス停に戻るため、再び急坂をフーフー言いながら登る。 -
登り切って、アスファルトの公道に出た。
そこから、段々畑を撮影。
公道にはたくさんの乗用車が路駐している。
加川(カチョン)は、日本人にはなじみ薄いスポットだが、韓国の方にとってはポピュラーな観光地のようである。 -
加川(カチョン)バス停に戻る。写真はこれから乗るマウルバス。
あとは晋州へ戻るだけ。
加川14:40発→南海ターミナル15:20着。2,500W。
南海15:50発→晋州17:17発。5,700W。 -
3日目。
まずは泗川新城(船津里城)を目指すため、三千浦(サムチョンポ)ターミナルへ行く。
6:40発の市外バスに乗る。3,900W。
三千浦ターミナルに7:33着。8:07発の泗川市内バス71番に乗る。
泗川市内バスは、T-Money:可、アナウンス:有、電光掲示板:無、だった。
市場帰りであろうか、オバチャンでバス内は一杯であった。 -
Konest地図に、史跡の「泗川朝明軍塚」が載っていたので、一つ手前の「トンヤン」バス停で降りる。8:33着。
バス停付近は広い公園となっていた。 -
「耳塚」の石碑。
歴史に詳しい方ならピンと来るであろう。 -
説明は写真の案内文(日本語)に譲るとして、
ここ泗川新城での戦いがあったのが、1598年10月1日。
その2か月前の8月17日に秀吉は無くなっていたのである。
皮肉な歴史である…。 -
泗川 朝・明軍塚 の案内文。(日本語あり)
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慰霊碑。
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後方のこんもりした山が、朝・明軍塚。
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朝・明軍塚を後にし、泗川新城(船津里城)を目指す。
500m程、何もない道を歩く。 -
歩きの途中で、土塁らしきものを発見し、思わず食い付く。
(本当に土塁かどうかは不明) -
船津里城へ到着。
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案内文(英語)によると、1597年、日本の11人の武将(島津義弘、毛利吉成、…)らによって泗川新城は造られたとのこと。
城の内部は複数の建物があり、外側には堀、木柵があったとのこと。
三方を海に囲まれた城であったとのこと。 -
いよいよ登城。
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通用門。
これら石垣は復元されたものであるらしい…。 -
天主閣 案内文。
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天主閣。
泗川城の戦いは、島津軍約7千に対し、朝・明連合軍は約4万。結果は島津軍の圧勝であったとのこと。
この城は三方を海に囲まれ、東の方向にしか開けていない造り。
島津軍は東の野原に堀・土塁を築き、敵の攻撃を防いだのであろう。 -
天主閣から木立の間を縫って海を臨む。
通行する船の監視の役割も、この城はあったに違いない。 -
城を後にし、海岸へ下りる道の途中にあった泗川海戦の図。
ややこしくなるので年代を整理すると、
1592年5月末に李舜臣と日本軍の間で、この付近で海戦が行われた。それがこの図。このときは李舜臣の勝利。(昨年訪れた巨済島_玉浦海戦の1か月後の戦いとなる)
それから6年後の1598年に泗川城の戦いがあった。このときは陸戦(城攻め)で島津軍の勝利。
李舜臣にやられっぱなしだったイメージがあるが、陸戦ではかなり奮闘している。 -
海岸に出る。付近には刺身などを提供する店が並んでいた。
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バスの時刻までまだ時間があるので、付近の船溜りをブラブラ。
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逆光で分かりづらいが、岸は岩盤の崖になっている。
これでは海から攻めるのは難しい。
三方を海に囲まれた、ほぼ難攻不落に近い城だったことが想像できる。 -
渡りたかったが、旅程に組めなかった泗川大橋がうっすらと遠くに見える。
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海の景色。
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船津(ソンジン)バス停から、71番市内バスに乗る。9:47発。
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三千浦ターミナルに10:23着。
南海郡へ行く25番市内バスは約1時間後の発車なので、その間に三千浦大橋の麓をウロウロしようと決めていた。
10:22発の20番市内バスに乗りたかったのだが、5分程待っても来なかった(定刻に出発していた?)ので、タクシーで向かうことにした。6分程で到着。タクシー代3,800W。
写真は三千浦大橋。 -
三千浦大橋のほぼ全景。
近くに李舜臣の銅像があるとのことなので、歩いて行ってみることに。 -
大芳(テバン)地区(この付近がそう呼ばれているらしい)の港についての案内文。
1592年の泗川海戦の時には李舜臣もこの港を使ったとのこと。 -
李舜臣の銅像。
李舜臣が眺めている景色は…、 -
こんな感じ…。ちょっと残念。
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車が通る大通りへ戻り、写真のヨンリュクキョ(連絡橋?)バス停で25番バスを待つことに。
バス停のポールには25番という数字が書いておらず、かなり不安になったが、(脳内)バス到着時間がもうすぐということもあり、変に動かずここでバスを待つことに決めた。
11:30、25番バスは無事に停まり、乗ることができた。
ただ、車内は通路に座り込むオバチャンもいるほど大盛況であり、ほぼ立ちんぼであった。 -
25番市内バスは、終点の南海郡の知足(チチョク)に11:54着。
取りあえず知足大橋を歩いてみることにした。
写真は、橋の上から撮影。小さいながら渦を巻いている。 -
同じく、橋の上から。
三角形に並んだ木杭は、魚を捕る仕掛けであろうか? -
同じく、橋の上から知足の港を撮影。
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思った以上に観る所が無く、バスの時間までかなりあるので港でボーッとしていた。
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知足バス停は薬局の前。
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丁寧にバスの時刻表が掲示してあった。
南海ターミナルや弥助(ミジョ)へも行けるらしい。
次は南海郡側の三千浦大橋の付け根にある昌善(チャンソン)地区を目指す。ただし、降りる予定のバス停名は”タンハン”。
大芳(テバン)行きの南海郡マウルバスに乗る。13:20発、1,500W。 -
往路のバスみたいに、途中のバス停からオバチャン達がドカドカ〜と乗って来るだろうと覚悟を決めていたが、バスはガラガラのまま”タンハン”バス停に13:45に到着。拍子抜けした。
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バス停付近からの景色。
昌善地区へ向かうため坂を下りる。 -
昌善大橋。
付近は昌善タウンと称し、刺身などを提供する店が建っている -
昌善タウンから海を眺める。
バス停に戻る。 -
バス停付近の景色。
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同じく、バス停付近の景色。
”タンハン”バス停を14:43発の南海郡マウルバスに乗る。先程と同様、車内はガラガラ。
日本人が勝手に推測しても全く意味無いのだが、この南海郡マウルバスは三千浦ターミナルまで行かず、橋を渡った大芳(テバン)地区で折り返してしまうため、利用客が少ないのではないかと思われる。南海郡と泗川市の間でゴタゴタがあり、中途半端な運行路線になったのだろうと根拠が無い憶測をしてしまった。 -
バスは”韓国の美しい道”と題する、大小4本の橋を跨ぐ美しい道を、ほんの数分で通過し、泗川市側の大芳(テバン)に14:48着。1,300W。
写真のバスは、ここ大芳で折り返し、再び南海郡側へ戻る。
次は、ここから約1km離れた”プドゥ”地区へ歩いて行ってみることに。 -
歩きの途中に風車を発見したので立ち寄ってみる。
海岸から階段を上って風車に到着。 -
風車から見る風景。
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同じく、風車から見る風景。
先程渡った、三千浦大橋が見える。 -
プドゥ地区。漁港・市場になっており、活気がある。
-
"プドゥ"バス停。ここから30番の市内バスに乗り、三千浦バスターミナルへ戻る。
-
"プドゥ"バス停付近の写真。ミカンがおいしそう。
これにて今回の旅は終了。あとは釜山前泊のため移動するのみ。
プドゥ15:34発→三千浦ターミナル15:42着。
三千浦15:55発→晋州16:40着。3,900W。モーテルへ荷物を取りに行く。
晋州17:00発→釜山(沙上)18:38着。
今回も天候に恵まれました。ありがたいことです。
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