2013/10/27 - 2013/10/27
174位(同エリア290件中)
ひま人さん
山陰本線の鎧(よろい)駅〜餘部(あまるべ)駅の間に敷設されている「余部鉄橋」は、日本一の高所の鉄橋として有名ですが、旧鉄橋が役目を終え、新橋梁が開通したのは平成22年8月のことでした。そして今年5月3日、旧鉄橋部を利用した展望所が新橋梁に沿ってオープンし「空の駅」と命名されています。途中、円山応挙の障壁画で有名な「大乗寺」に寄り、その障壁画を観賞しました。昼食後、JR香住駅に向かい空中列車に乗車、日本海を望見しながら新橋梁を走行、餘部駅(空の駅)で降車しました。空の駅からの足がすくみそうな眼下の眺め、又、橋梁真下からの眺め等満喫した一日でした。
表紙は余部新橋梁を真下からの眺め。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス JRローカル 徒歩
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大乗寺山門。
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高野山真言宗・大乗寺本堂。天平17年(745年)行基菩薩自ら聖観世音菩薩立像を彫刻されてお祀りになられたのが始まりです。一時衰退しましたが安永年間、蜜蔵法印が伽藍の再建に尽力され、弟子の蜜英上人が後を継がれ完成されました。その際、客殿に円山応挙とその一門の手による障壁画が画かれており、そのため応挙寺と呼ばれています。
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円山応挙像。円山応挙(1733〜1795)は、はじめに狩野派の石田幽汀に学び、その後、自然の写生に専念したり、西欧の遠近法等の手法を学び、彼独自の画風としての写生画を完成しました。その写生画はあらゆる階層の人々に支持されて、ついに画壇の第一人者となり、円山派の祖として仰がれています。
応挙が修行中の貧しいころ、当時の住職が、才能を見込んで学費を援助したことが縁で、客殿の建築の時に、御恩返しとして、一門の弟子とともに大乗寺の障壁画を画きました。 -
屏風絵。
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障壁画。
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大乗寺庭園。
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JR山陰本線「香住駅」。
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プラットホーム駅名案内板。
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普通ディーゼル列車「浜坂」行きに乗車。香住⇒鎧⇒餘部で降車しました。
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鎧〜餘部間の車窓よりの日本海です。
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餘部駅に到着した乗車してきた「浜坂」行き列車です。
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空の駅・餘部駅に隣接して設けられている旧鉄橋を利用した展望所。当日は見学者で大賑わいでした。
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餘部駅よりの日本海。日本海より余部橋梁を見学しようとしたが、当日は波が荒く有名な「三姉妹かすみ丸遊覧」に乗船叶わず残念でした。
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餘部駅に入る新橋梁線路敷き及び旧鉄橋(左側)を利用し、併設されている遊歩道と展望所。
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新橋梁と旧余部鉄橋。旧鉄橋は全長約310mの4分の1位残し展望所としています。
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余部新橋梁。構造はコンクリートPC橋、全長310.6m、高さ41.5m。平成19年3月着工、同22年8月完工。事業費約30億円です。
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余部新橋梁。
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余部新橋梁。
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撤去された旧余部鉄橋を展示していました。
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在りし日の撤去された旧余部鉄橋。概要は、鋼トレッスル高架橋、全長310.59m、高さ41.45m(日本一)。明治42年12月着工、明治45年1月完工。当時の総工事費331,536円。 尚、橋梁材は米国からの輸入でした。余部鉄橋が明治45年完成したものの、駅がなく地元民は不便な生活を強られていたため、当時の国鉄、県知事に駅設置を要望した結果、昭和34年「餘部駅」が完成しました。尚、この鉄橋に沿うて内側にコンクリートPC橋梁が平成22年に完成しました。
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