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学生時代を振り返ってみると、まわりには留学生が多い学校でした。外国語専門学部を持たない社会科系の大学にあって、グローバル化に対応するためなのか、開講していた外国語は12ヶ国語。モンゴル語、アラビア語、インドネシア語、ロシア語、ヒンディー語等々。私にとって専攻の経営学よりもとても魅了的で興味深く、進学決定はまさにこの部分にあった。<br /><br />私はその中でも他学部の授業に参加するなどしながら中国語は6年、韓国語は4年勉強することになったのだが、この選択がその後の人生に大きな影響を与えるようになるとは当時想像だにできませんでした。<br /><br />2011年1月、吉林省、福建省での約8年の中国生活を志半ばに帰国。地元に戻りまず思ったのは、「母校の為に何かできることはないか、何かしたい。」でした。<br /><br />2012年以降はK先生のゼミが企画したOB1日講師会で2回ほど後輩の前で話す機会を得ました。<br /><br />2013年には同窓会神奈川支部の幹事長になりHP作成担当になりました。同窓生と交流する中で11月3日に母校でホームカミング・デイという集いがある事を知り、私はその様子をWEB上で紹介し、そして同窓会を盛り上げたいと思うようになり、この日のイベントに参加することにしました。<br /><br />学園祭期間に訪れるのは25年ぶり。同窓生や後輩たちの元気な姿を見ながら当時のことを思い出しました。<br /><br />今回の写真は携帯で撮ったもので画像が鮮明ではありませんが、私の心の中にある母校は、今でも鮮明に光り輝いており、今後同窓生にその光が届くよう努力したいと思っています。

ホームカミング・デイ 25年ぶりの母校で思う

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2013/11/03 - 2013/11/03

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enyasu

enyasuさん

学生時代を振り返ってみると、まわりには留学生が多い学校でした。外国語専門学部を持たない社会科系の大学にあって、グローバル化に対応するためなのか、開講していた外国語は12ヶ国語。モンゴル語、アラビア語、インドネシア語、ロシア語、ヒンディー語等々。私にとって専攻の経営学よりもとても魅了的で興味深く、進学決定はまさにこの部分にあった。

私はその中でも他学部の授業に参加するなどしながら中国語は6年、韓国語は4年勉強することになったのだが、この選択がその後の人生に大きな影響を与えるようになるとは当時想像だにできませんでした。

2011年1月、吉林省、福建省での約8年の中国生活を志半ばに帰国。地元に戻りまず思ったのは、「母校の為に何かできることはないか、何かしたい。」でした。

2012年以降はK先生のゼミが企画したOB1日講師会で2回ほど後輩の前で話す機会を得ました。

2013年には同窓会神奈川支部の幹事長になりHP作成担当になりました。同窓生と交流する中で11月3日に母校でホームカミング・デイという集いがある事を知り、私はその様子をWEB上で紹介し、そして同窓会を盛り上げたいと思うようになり、この日のイベントに参加することにしました。

学園祭期間に訪れるのは25年ぶり。同窓生や後輩たちの元気な姿を見ながら当時のことを思い出しました。

今回の写真は携帯で撮ったもので画像が鮮明ではありませんが、私の心の中にある母校は、今でも鮮明に光り輝いており、今後同窓生にその光が届くよう努力したいと思っています。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 「私の原点、故郷に帰ってきた!!」

    「私の原点、故郷に帰ってきた!!」

  • 新校舎は増えたものの、メインストリートは昔と変わらぬままです。

    新校舎は増えたものの、メインストリートは昔と変わらぬままです。

  • アジア祭

    アジア祭

  • 初代学長は昭和20年4月に鈴木貫太郎内閣で文部大臣として活躍した太田耕造先生です。<br /><br />私が太田先生のことを初めて知ったのは推薦入学で合格が決まった、その翌月に送られてきた大学新聞であった。 <br /><br />『昭和56年11月26日に逝去、91歳。』<br /><br />昭和16年(1941年)興亜専門学校設立から40周年の年に亡くなられた先生は福島県出身なのですが、震災以降、福島と聞くたびに、私が思い浮かべるのは太田先生であり、母校であり、今の時代に先生がご健在であれば同窓生に何を語りかけ、いっしょに何がしたいのかよく考えています。

    初代学長は昭和20年4月に鈴木貫太郎内閣で文部大臣として活躍した太田耕造先生です。

    私が太田先生のことを初めて知ったのは推薦入学で合格が決まった、その翌月に送られてきた大学新聞であった。

    『昭和56年11月26日に逝去、91歳。』

    昭和16年(1941年)興亜専門学校設立から40周年の年に亡くなられた先生は福島県出身なのですが、震災以降、福島と聞くたびに、私が思い浮かべるのは太田先生であり、母校であり、今の時代に先生がご健在であれば同窓生に何を語りかけ、いっしょに何がしたいのかよく考えています。

  • 入学後すぐに建学の精神について学んだ。<br /><br />“日本及びアジアの文化社会の研究と建設的実践に重点を置き、もってアジア融合に新機軸を打ち出す人材を育成するを、その使命とする。”<br /><br />私が学生時代に立てた目標<br /><br />「将来家族が出来たら中国に行こう!」<br /><br />その後、実践されることになったチャレンジ精神は、間違いなく武蔵野のキャンパスで培われたものあり、それゆえ母校に対する思い入れがあるのです。<br /><br />

    入学後すぐに建学の精神について学んだ。

    “日本及びアジアの文化社会の研究と建設的実践に重点を置き、もってアジア融合に新機軸を打ち出す人材を育成するを、その使命とする。”

    私が学生時代に立てた目標

    「将来家族が出来たら中国に行こう!」

    その後、実践されることになったチャレンジ精神は、間違いなく武蔵野のキャンパスで培われたものあり、それゆえ母校に対する思い入れがあるのです。

  • 学内には大学の戦没同窓生97柱の英霊が祀られた興亜神社があります。

    学内には大学の戦没同窓生97柱の英霊が祀られた興亜神社があります。

  • 戦歿場所は、バシー海峡・万光丸で17柱、マニラ沖・鎌倉丸9柱、マカッサル3柱、ボルネオ3柱などアジア全域。

    戦歿場所は、バシー海峡・万光丸で17柱、マニラ沖・鎌倉丸9柱、マカッサル3柱、ボルネオ3柱などアジア全域。

  • この日は亡くなられた先輩方に手を合わせた後、

    この日は亡くなられた先輩方に手を合わせた後、

  • ホームカミング・デイの会場となった体育館に入場。

    ホームカミング・デイの会場となった体育館に入場。

  • 吹奏楽部の演奏を聞きながら待っていると

    吹奏楽部の演奏を聞きながら待っていると

  • 16:00 池島政広学長の挨拶により開会

    16:00 池島政広学長の挨拶により開会

  • 青々会 落合寛司新会長の挨拶<br /><br />『5万8千人のネットワークに参加し、いっしょに充実させましょう!』

    青々会 落合寛司新会長の挨拶

    『5万8千人のネットワークに参加し、いっしょに充実させましょう!』

  • そして

    そして

  • 『乾杯〜』<br /><br />懇親会が始まりました。<br /><br />「先輩、お久しぶりです!」

    『乾杯〜』

    懇親会が始まりました。

    「先輩、お久しぶりです!」

  • 秋季リーグで優勝した野球部大島部長の挨拶

    秋季リーグで優勝した野球部大島部長の挨拶

  • 生田監督の挨拶

    生田監督の挨拶

  • 大島正克教授と田中先輩 <br /><br />『写真を撮る時は手を広げて5ですよ!』<br /><br />母校は5連覇を達成!!

    大島正克教授と田中先輩 

    『写真を撮る時は手を広げて5ですよ!』

    母校は5連覇を達成!!

  • ドラフトで指名を受けた選手もおり、サインに握手に写真撮影で大忙しでした。

    ドラフトで指名を受けた選手もおり、サインに握手に写真撮影で大忙しでした。

  • 池島学長と落合会長に<br /><br />「enyasuも非力ながら母校の為に頑張ります!」<br /><br />

    池島学長と落合会長に

    「enyasuも非力ながら母校の為に頑張ります!」

  • 17:30過ぎに学生歌を歌い閉会。<br /><br />退場後、正門を出たあたりで、ご夫婦と小学高学年と思われる娘さん家族の会話が聞こえてきました。<br /><br />父親が少し興奮した様子で、<br /><br />『お父さんの頃はスクールバスとかなかったので歩いて学校に通っていたんだよ。ほら、この信号機、いつもボタンを押して・・・青になったよ。渡ろう。』<br /><br />私もいっしょに渡ることが出来ました。<br /><br />娘さんは今まで見たことのないお父さんの姿を見たからなんでしょうか。とても嬉しそうに見えました。奥様もご主人の話に耳を傾けていらっしゃいました。<br /><br />少子高齢化、大学全入時代にあって、同窓生が喜んで母校を紹介できる学校は学生も集まり定員割れを心配する必要がないのかもしれません。<br /><br />私の娘も母校へ、親子2代・・・学生時代のこと、これからできそうなことを思い描きながら帰路に着きました。<br /><br />母校って本当にいいものです。皆さんもホームカミングしてみませんか。<br /><br />神奈川支部HP<br />http://www4.hp-ez.com/hp/seiseikai-kanagawa/blog-archive/day-201307

    17:30過ぎに学生歌を歌い閉会。

    退場後、正門を出たあたりで、ご夫婦と小学高学年と思われる娘さん家族の会話が聞こえてきました。

    父親が少し興奮した様子で、

    『お父さんの頃はスクールバスとかなかったので歩いて学校に通っていたんだよ。ほら、この信号機、いつもボタンを押して・・・青になったよ。渡ろう。』

    私もいっしょに渡ることが出来ました。

    娘さんは今まで見たことのないお父さんの姿を見たからなんでしょうか。とても嬉しそうに見えました。奥様もご主人の話に耳を傾けていらっしゃいました。

    少子高齢化、大学全入時代にあって、同窓生が喜んで母校を紹介できる学校は学生も集まり定員割れを心配する必要がないのかもしれません。

    私の娘も母校へ、親子2代・・・学生時代のこと、これからできそうなことを思い描きながら帰路に着きました。

    母校って本当にいいものです。皆さんもホームカミングしてみませんか。

    神奈川支部HP
    http://www4.hp-ez.com/hp/seiseikai-kanagawa/blog-archive/day-201307

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