2013/10/17 - 2013/10/19
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akkiy363672さん
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ソウルの街歩き、2日目です。今日は「景福宮」~「昌慶宮」の訪問記を綴ります。
【写真】は、李成桂による漢陽遷都(1394年)の際に、景福宮の正門として建設された「光化門」です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- アシアナ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
午前7時30分、朝食をとりに1階へ降りると、前の道路でもう補修作業が始まっていました。
韓国の人は、早朝から始動するのですね。この辺にも、躍進する韓国の原動力があるのかもしれない。 -
ブレックファースト! 特に写すほどのものでもないのですが、スクランブルエッグもハムも肉団子も…、何か味が物足らない。
このホテルの課題が、バフェの味の向上にあることは間違いないと思うのですが…。 -
ラウンジでコーヒーを飲んだり、館内を見物したり、部屋に戻って一休みしたあと、10時30分から、街歩きに出かけました。
← 前の歩道から、ホテルの全容を納めることができず、足元をパチリ! -
「フレイザープレイス南大門ソウル」から北へ、町並みをながめ、店先を除きながら、10分ほど行くと、「ソウル広場」があります。
ソウル広場の北側に「ソウル図書館」「ソウル市庁舎」があり、そしてその向こうに「東亜日報ビル」が頭を出していました。 -
ソウル広場にたくさんのテントが張られて、いろいろな店が出ていました。
後日、何のフェスティバルだったのか調べてみたのですが、それらしいイベントは見当たりません。
日常的に行なわれている、物産展のようなものだったのでしょうか。 -
牛肉を売っていたテントの前に置かれていた牛くんのマスコット
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きれいな菓子工芸品。「ここの部分の材料は○○、ここは○○…」と説明してくれたのですが、おばさんの説明はオール韓国語なので、「はあ、うん」と相槌をうつしかないのが残念でした。
-
ソウル広場の北隣の「ソウル市フェスティバルホール」(ソウル市庁舎の一部)に入ると、入り口のところにこの映像が置かれていました。
「独島は我が領土」とでも書いてあるのかな。 -
ホールの内部は壁面をツタが這い、むき出しの鉄骨が斬新で、とてもモダンなつくりです。
ここで出会った人たちもとてもフレンドリーで、にこにこと優しく説明をしてくれました。「ジャパニーズ…?」と聞いてきた人もいましたが、「イエス」と答えてもフレンドリーな感じは何ら変わりませんでした。 -
ソウル市庁舎です。
-
高校生の一団がやってきました。
韓国の女子高生は、ほとんどが化粧をしています。 -
さらに北へ歩くとカンファムンの交差点にお堂が…。李氏朝鮮26代の王「高宗」の即位40年を記念する碑と、その碑を覆う殿舎です。
この殿舎は、李氏朝鮮王朝が国名を大韓帝国と改め、初めて皇帝の称号を使用したことを記念するために建てられたそうです。 -
さらに行くと大きな「李舜臣」像がある。
李舜臣は、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに活躍した朝鮮軍の将軍です。 -
その先には、「世宗」大王の黄金像が…。
世宗は、李氏朝鮮の第4代国王で、ハングル(訓民正音)の制定を行ったことで知られ、儒教の理想とする王道政治を展開したとされます。 -
「光化門」が見えてきました。
「光化門」は、李氏朝鮮を建国した初代国王「李成桂」による漢陽(ソウルの前の名称)遷都(1394年)の際に、景福宮の正門として建設されました。
秀吉の朝鮮出兵や朝鮮戦争、そのほかにも失火などで、何度も焼け落ちています。 -
「光化門」の近くには、韓国政府ソウル庁舎をはじめ、アメリカ大使館など公共施設があります。
街中に、多くの警官隊が配備されていました。この日はソウルの総合展示場COEXで「世界サイバースペース総会」が開催されていて、世界の90カ国からIT分野の次官級以上の関係者や民間技術者など、約1000人が集まっているとか。だから、街中にたくさんの警官隊が配置されていたのですね。 -
「光化門」の前には、たくさんの観光バスが並んでいます。
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社会見学・修学旅行のメッカなのでしょう。多くの子どもたちの姿がありました。
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衛兵が門を守っています。
隊長らしい人がやってきて、その号令一下、兵士は規則正しい足並みで交代します。丁度、交代の時刻だったのでしょうか。 -
「光化門」を入ると、次に「興禮門」が見えます。
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さすがに大きな門ですね。
この門の内側すぐ右側に案内所があり、日本語無料ガイド案内(10:00、12:30、14:30)を希望の場合、時間に合わせてこの案内所の前で待てば参加が可能です。 -
最後の門は「勤政門」、この奥に景福宮の正殿「勤政殿」があります。
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ピンクの制服がかわいい小学生の一団…、帽子も素敵です。
ただ、半数がメガネをかけていたのが、ちょっと気になりました。 -
「勤政殿」、国宝第223号に指定されている景福宮の正殿で、「民を勤勉に治める」という意味を含んでいます。国家の公式的な行事、つまり王の即位式や外交官の接待などが開かれた場所です。
景福宮の中でも最も雄大な建物ですが、秀吉の朝鮮出兵の際に焼失。1867年に興宣大院君によって再建されました。 -
「勤政殿」の名称は、高麗末期、朝鮮王朝初期の政治家、学者であった鄭道伝が名付けました。
勤政殿の勤政というのは「世の中の事柄は勤しむとうまくできる」という意味で『太祖実録』(『朝鮮王朝実録』の一部分)に載っています。 -
玉座。 朝鮮王朝の開祖李成桂以来の朝鮮大王が鎮座しました。
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「勤政殿」を西側から見たところ。 威風堂々の形容がぴったりの立派さです。
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「慶会楼」(国宝第224号)は2階からなる建物で、国に祝事があったときや宴を催すために作られた、池に浮かぶ楼閣です。
その横に茶房がありました。ゆず茶(4500ウオン)とコーラ(1500ウオン)を飲みました。 -
「香遠亭」、小さい池の上に橋があり、王と臣下が自然を愛でながら詩を歌った浪漫の場所です。
自然との調和がとれた美しい場所でしたが、周辺の建物は、景福宮に朝鮮総督府が置かれた日本併合時代にすべて壊され、今はその面影はないといいます。 -
「乾清宮」1873年、第26代国王高宗皇帝により建てられ、高宗とその妃の明成(ミョンソン)皇后(閔妃)が暮らした場所です。
また、1895年、明成皇后(ミンピ、李氏朝鮮の第26代王高宗の妃)が日本からの刺客により殺害された悲運の場所としても知られています。 -
「香遠亭」は、自然との調和がとれた美しい場所でしたが、周辺の建物は、景福宮に朝鮮総督府が置かれた日本併合時代にすべて壊され、今は当時の面影はありません。
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この天守閣のような建物は、1972年に建てられた「国立民俗博物館」です。
韓国の生活文化史、昔の人々の暮らしぶりを紹介しています。 -
「国立民俗博物館」の横の建物は、「国立子ども博物館」。
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その前の庭に、朝鮮の昔の民家がありました。
今日は、小さな訪問者たちが団体で訪れていました。 -
この子たちを「反日政争の徒」にしてはいけませんね。
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邸内に済州島の石像トルハルバンがいました。
済州島の象徴であり、街の入口などに立てられていて、守護神と呪術的な宗教機能を兼ね備えているといわれます。 -
昔は光化門からの塀がここ「東十字閣」までつながっていたそうで、ここまでが景福宮でした。 この十字閣の役目は景福宮を警備することだったそうです。
東十字閣は今もこの写真のように残っていますが、西十字閣は日本併合時代に壊されたそうです。 -
午後2時、ちょっとお腹が空きました。
店の名前は読めないけれど、表の写真に引かれて、中に入りました。 -
となりのおじさんが食べているのを指差して、「あれと同じもの」と頼みました。「ザット、ザット」となぜか英語でしたが、すんなり通じました。
むっちや辛い! 青色唐辛子も入れたので、余計に辛くなってしまった。 で、緑色を見つけたら丁寧に取り出して食べてきました。 700ウオン。
舌が痛くなってきたので、「コーラ、コーラ」と頼んで、口の中を洗いながら食べました。 -
口の中の火事もコーラで消して表へ出ると、消防車がやってきました。
遅いよ(笑)! -
「現代(ヒュンダイ)」本社ビルです。
玄関前に100名ほどの車椅子の人たちが集まり、マイクを持って、何かの抗議を行なっていました。 -
午後2時50分、「昌徳宮(チャンドックン)」の入り口「教化門」です。 この門はソウルに残っている木造の二層門としては最古のもの。
「昌徳宮」は、1405年に景福宮の離宮として建立されました。秀吉の朝鮮出兵(壬辰倭乱。文禄・慶長の役)で全て焼失した後、1615年に再建されました。
約270年間、正宮となっていました。 朝鮮王朝で王が最も長く住んだ宮殿で、王朝の生活様式・趣・思想などが伺えます。
正殿の「景福宮」は未登録ですが、ここ「昌徳宮」は世界遺産です。 -
入ってすぐ右へ…、錦川橋を渡って「進善門」をくぐります。
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またまた門です、「仁政門」。
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「仁政殿」、昌徳宮の正殿。 こちらで王の即位式、臣下の朝礼式、韓国使臣の接見など、国の重要行事が行われました。
この建物を見ると、朝鮮末期の建築様式を見ることができます。 -
玉座!
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「仁政殿」を東側から…。
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「煕政堂(ヒジョンダン)」と「大造殿(テジョジョン)」
「煕政堂」は王が、「大造殿」は王妃が、日常生活を送られたところです。 一部、西洋式に改造されています。 -
昔のオンドル…、床暖房です。
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太古石ですね。
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「誠正閣(ソンジョンガッ)・内医院(ネイウォン)」
王位を継承する太子が、学者たちと儒教の勉強をした場所です。
1910年(日本による併合)からは宮中の医療機関である内医院として利用されました。 -
「楽善斎(ナクソンジェ)」、東の隅に位置するこの建物は、24代王・憲宗(ホンジョン)が後宮(フグン。王の妾)を迎え入れるために、1847年に建築。その後も後宮や女官が余生を送る空間として使用されました。
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李氏朝鮮最後の皇太子である李垠(イウン)に、梨本宮家から嫁いだ方子(まさこ)さまも、ここで晩年を過ごされました。
木の風合いが出た素朴なつくりで、木窓の装飾や花壇など繊細な美しさが魅力です。 -
そのあとに向かった、昌徳宮の庭園「秘苑」は、ガイドの案内でまわる時間観覧制…。
このあとの予定は、韓国語ガイドによる案内しかないとのことで、見学を断念しました。
← 「粛章門」をくぐって、表通りへ戻りました。 -
午後4時、「秘苑」と「宗廟」は、後日の機会に譲ることとして、地下鉄に乗り、「漢江クルーズ」へ向かうことにしました。
地下鉄「鐘路3街駅」の近くで喫茶店を見つけ、コーヒーを飲みました。注文をすると、「出来上がったらお持ちしますので、席にかけてお待ちください」と流暢な日本語で案内してくれました。
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