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■北海道~東北13泊14日、6000km車旅 宮城県・白石城天守~ の巻<br /><br />≪11日目≫ 9月25日<br /> ◆函館駅前H出発<br /> ★金森赤レンガ倉庫(再)/北海道函館市末広町<br /> ▼津軽海峡フェリー/函館市~大間町<br /> ★大間崎(本州最北端の地)/青森県下北郡大間町<br /> ▼R279号線はまなすライン<br /> ▼はまなすベイライン大湊線<br /> ▼第二みちのく有料道路下田インタON<br /> ▼八戸自動車道八戸北JCT<br /> ▼東北自動車道安代JCT<br /> ▼二戸PA/岩手県二戸市<br /> ▼岩手山SA/岩手県八幡平市<br /> ▼東北自動車道北上江釣子インタOFF<br /> ◆北上駅前H泊◆<br /><br />≪12日目≫ 9月26日<br /> ◆北上駅前H出発<br /> ▼東北自動車道北上江釣子インタON<br /> ▼東北自動車道平泉前沢インタOFF<br /> ★中尊寺金色堂/岩手県西磐井郡平泉町<br /> ▼東北自動車道平泉前沢インタON<br /> ▼鶴巣PA/宮城県黒川郡大和町<br /> ▼東北自動車道白石インタOFF<br /> ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> ▼東北自動車道白石インタON<br /> ▼東北自動車道白河中央スマートOFF<br /> ★白河小峰城跡/福島県白河市郭内<br /> ★白河集古苑/福島県白河市郭内<br /> ▼東北自動車道白河インタON<br /> ▼岩舟JCT<br /> ▼北関東自動車道足利インタOFF<br /> ◆足利駅前H泊◆<br /><br />≪13日目≫ 9月27日<br /> ◆足利駅前H出発<br /> ★足利学校/栃木県足利市昌平町<br /> ▼北関東自動車道大田桐生インタON<br /> ▼横川SA/群馬県安中市松井田町<br /> ▼上信越自動車道碓井軽井沢インタOFF<br /> ★軽井沢駅前通り/長野県北佐久郡軽井沢町<br /> ★旧三笠ホテル/長野県北佐久郡軽井沢町<br /> ★白糸ハイランドウェイ/長野県北佐久郡軽井沢町<br /> ★白糸の滝/長野県北佐久郡軽井沢町<br /> ▼鬼押ハイウェー<br /> ★浅間六里ヶ原休憩所/群馬県吾妻郡嬬恋村<br /> ★鬼押出し園/群馬県吾妻郡嬬恋村<br /> ▼R144号線<br /> ★愛妻の丘/群馬県吾妻郡嬬恋村<br /> ★真田氏歴史館/長野県上田市真田町<br /> ▼上信越自動車道上田菅平インタON<br /> ▼更埴JCT<br /> ▼姨捨SA/長野県千曲市八幡<br /> ▼梓川SA/長野県松本市島内<br /> ▼長野自動車道塩尻インタOFF<br /> ▼R19号線<br /> ★贄川宿/長野県塩尻市贄川<br /> ★奈良井宿/長野県木曽郡楢川村<br /> ▼権兵衛峠道路<br /> ▼中央自動車道伊那インタON<br /> ▼小牧JCT<br /> ▼名神高速道路岐阜羽島インタOFF<br /> ◆岐阜羽島駅前H泊◆<br /><br />≪14日目≫ 9月28日<br /> ◆岐阜羽島駅前H出発<br /> ▼名神高速道路岐阜羽島インタON<br /> ▼東名阪自動車道四日市インタOFF<br /> ★鈴鹿市考古博物館/三重県鈴鹿市国分町<br /> ★伊勢国分寺跡/三重県鈴鹿市国分町<br /> ★鈴鹿フラワーパーク/三重県鈴鹿市加佐登町<br /> ▼R1号線<br /> ★関宿/三重県亀山市関町<br /> ▼R127号線<br /> ★土山宿本陣跡/滋賀県甲賀市土山町<br /> ★佐治神社/滋賀県甲賀市甲賀町<br /> ★甲賀の里/滋賀県甲賀市甲賀町<br /> ▼新名神高速道路/甲南インタON<br /> ▼草津JCT<br /> ▼名神高速道路<br /> ▼中国自動車道<br /> ▼八幡PA/広島県三原市八幡町<br /> ▼山陽自動車道志和インタOFF<br /> ◆広島市自宅午後9時ころ帰宅<br /><br />▼宮城・白石城/白石市観光協会より<br /> 後三年の役(1083~1087年)で戦功を成した刈田左兵衛尉経元が白石の地を賜り、刈田氏と称してここに築城したのが始まりといわれています。<br /> その後白石氏などの支配後、伊達氏の勢力下に入ったものの、天正十九年(1591年)豊臣秀吉は、この地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えました。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は、白石城を改修し城主となりました。<br /> 慶長三年(1598年)上杉領となるや上杉氏家臣海甘糟備後守は白石城の再構築を行い居城しました。<br /> 慶長五年(1600年)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となって、石川大和昭光が一時城主となりました。<br /> その後、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となり、城下町として栄えました。<br /> 木造建築による完全復元天守として、平成七年三月に白石城が復元されました。<br /> 白石城天守は三階で、一階は東西九間×南北六間、三階は東西五間×南北三間の広さがあります。<br /> 高さは石垣天端から16.7m、戦後の木造復元天守では高さ、広さとも日本最大級を誇る城郭建築です。<br /> 現在の建築基準法では一三メートルを超える木造建築を建てることが禁じられていますが、白石城では建築基準法38条の建設大臣特別認定を受け、建てることが実現しました。<br /> 元和元年(1615年)に江戸幕府により発せられた一国一城令によって、各藩では大名の居城を残して領内の支城を全て破却しているが、仙台の伊達家の場合は、加賀の前田家における小松の城などとともに、領域の南を守る白石城が特別に残されました。<br /> そのような事情から白石城では天守に相当する櫓を「大櫓」と呼び、城主片倉家の日記の中でも、天守とは記していません。<br /> 明治維新には戊辰戦争の際、薩長連合に対抗するための奧羽越列藩同盟(三十一藩)の盟約が白石城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城されました。<br /> その後、按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の転換期には一役を担う重要な城でした。<br /><br />▼武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 宮城県指定文化財の片倉家中武家屋敷は、後小路に佇んでいます。白石城北、三の丸外堀に当たる沢端川に面した町並みで、中級武士の屋敷があったところで、現在も静かな住宅地です。<br /> この屋敷は、宝暦十一年(1761年)の白石城下絵図に「小関右衛門七」とあり、鬱蒼とした庭樹でおおわれ、前面、側面を清冽な水流が巡り、景観にも優れたものがあります。<br /> 平成三年(1991年)に母家・門・塀が小関家から白石市に寄贈されたのを機に全面的修復されました。<br /><br />【手記】<br /> 今回のひとり旅は13泊14日の車旅でガソリンを700リットル以上使っての大移動でした。<br /> 好天の下、雄大な北海道の大地を自由気儘に走り回ってきました。気持ちよかったー!∠(^皿^)ウッシ!<br /> 全走行距離は5780km。フェリーを加えると6000kmくらいかな。<br /> 昨年9月中旬ころの旅行記なのですが、完成分を随時アップしていきまーす。北海道一周の車旅日記を終えて、東北~信州の旅日記となっています。

Solitary Journey [1271] 伊達政宗の腹心、片倉小十郎の居城〝白石城″<北海道~東北13泊14日6000kmの車旅>宮城県白石市

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2013/09/15 - 2013/09/28

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MechaGodzillaⅢ&703

MechaGodzillaⅢ&703さん

■北海道~東北13泊14日、6000km車旅 宮城県・白石城天守~ の巻

≪11日目≫ 9月25日
 ◆函館駅前H出発
 ★金森赤レンガ倉庫(再)/北海道函館市末広町
 ▼津軽海峡フェリー/函館市~大間町
 ★大間崎(本州最北端の地)/青森県下北郡大間町
 ▼R279号線はまなすライン
 ▼はまなすベイライン大湊線
 ▼第二みちのく有料道路下田インタON
 ▼八戸自動車道八戸北JCT
 ▼東北自動車道安代JCT
 ▼二戸PA/岩手県二戸市
 ▼岩手山SA/岩手県八幡平市
 ▼東北自動車道北上江釣子インタOFF
 ◆北上駅前H泊◆

≪12日目≫ 9月26日
 ◆北上駅前H出発
 ▼東北自動車道北上江釣子インタON
 ▼東北自動車道平泉前沢インタOFF
 ★中尊寺金色堂/岩手県西磐井郡平泉町
 ▼東北自動車道平泉前沢インタON
 ▼鶴巣PA/宮城県黒川郡大和町
 ▼東北自動車道白石インタOFF
 ★白石城/宮城県白石市益岡町
 ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
 ▼東北自動車道白石インタON
 ▼東北自動車道白河中央スマートOFF
 ★白河小峰城跡/福島県白河市郭内
 ★白河集古苑/福島県白河市郭内
 ▼東北自動車道白河インタON
 ▼岩舟JCT
 ▼北関東自動車道足利インタOFF
 ◆足利駅前H泊◆

≪13日目≫ 9月27日
 ◆足利駅前H出発
 ★足利学校/栃木県足利市昌平町
 ▼北関東自動車道大田桐生インタON
 ▼横川SA/群馬県安中市松井田町
 ▼上信越自動車道碓井軽井沢インタOFF
 ★軽井沢駅前通り/長野県北佐久郡軽井沢町
 ★旧三笠ホテル/長野県北佐久郡軽井沢町
 ★白糸ハイランドウェイ/長野県北佐久郡軽井沢町
 ★白糸の滝/長野県北佐久郡軽井沢町
 ▼鬼押ハイウェー
 ★浅間六里ヶ原休憩所/群馬県吾妻郡嬬恋村
 ★鬼押出し園/群馬県吾妻郡嬬恋村
 ▼R144号線
 ★愛妻の丘/群馬県吾妻郡嬬恋村
 ★真田氏歴史館/長野県上田市真田町
 ▼上信越自動車道上田菅平インタON
 ▼更埴JCT
 ▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
 ▼梓川SA/長野県松本市島内
 ▼長野自動車道塩尻インタOFF
 ▼R19号線
 ★贄川宿/長野県塩尻市贄川
 ★奈良井宿/長野県木曽郡楢川村
 ▼権兵衛峠道路
 ▼中央自動車道伊那インタON
 ▼小牧JCT
 ▼名神高速道路岐阜羽島インタOFF
 ◆岐阜羽島駅前H泊◆

≪14日目≫ 9月28日
 ◆岐阜羽島駅前H出発
 ▼名神高速道路岐阜羽島インタON
 ▼東名阪自動車道四日市インタOFF
 ★鈴鹿市考古博物館/三重県鈴鹿市国分町
 ★伊勢国分寺跡/三重県鈴鹿市国分町
 ★鈴鹿フラワーパーク/三重県鈴鹿市加佐登町
 ▼R1号線
 ★関宿/三重県亀山市関町
 ▼R127号線
 ★土山宿本陣跡/滋賀県甲賀市土山町
 ★佐治神社/滋賀県甲賀市甲賀町
 ★甲賀の里/滋賀県甲賀市甲賀町
 ▼新名神高速道路/甲南インタON
 ▼草津JCT
 ▼名神高速道路
 ▼中国自動車道
 ▼八幡PA/広島県三原市八幡町
 ▼山陽自動車道志和インタOFF
 ◆広島市自宅午後9時ころ帰宅

▼宮城・白石城/白石市観光協会より
 後三年の役(1083~1087年)で戦功を成した刈田左兵衛尉経元が白石の地を賜り、刈田氏と称してここに築城したのが始まりといわれています。
 その後白石氏などの支配後、伊達氏の勢力下に入ったものの、天正十九年(1591年)豊臣秀吉は、この地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えました。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は、白石城を改修し城主となりました。
 慶長三年(1598年)上杉領となるや上杉氏家臣海甘糟備後守は白石城の再構築を行い居城しました。
 慶長五年(1600年)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となって、石川大和昭光が一時城主となりました。
 その後、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となり、城下町として栄えました。
 木造建築による完全復元天守として、平成七年三月に白石城が復元されました。
 白石城天守は三階で、一階は東西九間×南北六間、三階は東西五間×南北三間の広さがあります。
 高さは石垣天端から16.7m、戦後の木造復元天守では高さ、広さとも日本最大級を誇る城郭建築です。
 現在の建築基準法では一三メートルを超える木造建築を建てることが禁じられていますが、白石城では建築基準法38条の建設大臣特別認定を受け、建てることが実現しました。
 元和元年(1615年)に江戸幕府により発せられた一国一城令によって、各藩では大名の居城を残して領内の支城を全て破却しているが、仙台の伊達家の場合は、加賀の前田家における小松の城などとともに、領域の南を守る白石城が特別に残されました。
 そのような事情から白石城では天守に相当する櫓を「大櫓」と呼び、城主片倉家の日記の中でも、天守とは記していません。
 明治維新には戊辰戦争の際、薩長連合に対抗するための奧羽越列藩同盟(三十一藩)の盟約が白石城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城されました。
 その後、按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の転換期には一役を担う重要な城でした。

▼武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
 宮城県指定文化財の片倉家中武家屋敷は、後小路に佇んでいます。白石城北、三の丸外堀に当たる沢端川に面した町並みで、中級武士の屋敷があったところで、現在も静かな住宅地です。
 この屋敷は、宝暦十一年(1761年)の白石城下絵図に「小関右衛門七」とあり、鬱蒼とした庭樹でおおわれ、前面、側面を清冽な水流が巡り、景観にも優れたものがあります。
 平成三年(1991年)に母家・門・塀が小関家から白石市に寄贈されたのを機に全面的修復されました。

【手記】
 今回のひとり旅は13泊14日の車旅でガソリンを700リットル以上使っての大移動でした。
 好天の下、雄大な北海道の大地を自由気儘に走り回ってきました。気持ちよかったー!∠(^皿^)ウッシ!
 全走行距離は5780km。フェリーを加えると6000kmくらいかな。
 昨年9月中旬ころの旅行記なのですが、完成分を随時アップしていきまーす。北海道一周の車旅日記を終えて、東北~信州の旅日記となっています。

同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
自家用車
  • ■北海道〜東北13泊14日、6000km車旅 宮城県・白石城〜 の巻<br /> ≪12日目≫ 9月26日<br /> 岩手県・中尊寺をあとにして宮城県・白石城へ向かいます。<br /> 東北自動車道白石インタOFF。宮城県は初めて着地しました。<br /> 

    ■北海道〜東北13泊14日、6000km車旅 宮城県・白石城〜 の巻
     ≪12日目≫ 9月26日
     岩手県・中尊寺をあとにして宮城県・白石城へ向かいます。
     東北自動車道白石インタOFF。宮城県は初めて着地しました。
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 麓のスーパーへ駐車しました。<br /> 白石城は後三年の役(1083〜1087年)で戦功を成した刈田左兵衛尉経元が白石の地を賜り、刈田氏と称してここに築城したのが始まりといわれています。<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     麓のスーパーへ駐車しました。
     白石城は後三年の役(1083〜1087年)で戦功を成した刈田左兵衛尉経元が白石の地を賜り、刈田氏と称してここに築城したのが始まりといわれています。
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> その後、白石氏などの支配後、伊達氏の勢力下に入ったものの、天正十九年(1591年)豊臣秀吉は、この地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えました。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は、白石城を改修し城主となりました。<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     その後、白石氏などの支配後、伊達氏の勢力下に入ったものの、天正十九年(1591年)豊臣秀吉は、この地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えました。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は、白石城を改修し城主となりました。
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 慶長三年(1598年)上杉領となるや上杉氏家臣海甘糟備後守は白石城の再構築を行い居城しました。<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     慶長三年(1598年)上杉領となるや上杉氏家臣海甘糟備後守は白石城の再構築を行い居城しました。
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 慶長五年(1600年)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となって、石川大和昭光が一時城主となりました。<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     慶長五年(1600年)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となって、石川大和昭光が一時城主となりました。
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> その後、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となり、城下町として栄えました。<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     その後、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となり、城下町として栄えました。
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 木造建築による完全復元天守として、平成七年三月に白石城が復元されました。<br /> 白石城天守は三階で、一階は東西九間×南北六間、三階は東西五間×南北三間の広さがあります。<br />

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     木造建築による完全復元天守として、平成七年三月に白石城が復元されました。
     白石城天守は三階で、一階は東西九間×南北六間、三階は東西五間×南北三間の広さがあります。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 高さは石垣天端から16.7m、戦後の木造復元天守では高さ、広さとも日本最大級を誇る城郭建築です。<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     高さは石垣天端から16.7m、戦後の木造復元天守では高さ、広さとも日本最大級を誇る城郭建築です。
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 現在の建築基準法では一三メートルを超える木造建築を建てることが禁じられていますが、白石城では建築基準法38条の建設大臣特別認定を受け、建てることが実現しました。<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     現在の建築基準法では一三メートルを超える木造建築を建てることが禁じられていますが、白石城では建築基準法38条の建設大臣特別認定を受け、建てることが実現しました。
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 元和元年(1615年)に江戸幕府により発せられた一国一城令によって、各藩では大名の居城を残して領内の支城を全て破却しているが、仙台の伊達家の場合は、加賀の前田家における小松の城などとともに、領域の南を守る白石城が特別に残されました。<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     元和元年(1615年)に江戸幕府により発せられた一国一城令によって、各藩では大名の居城を残して領内の支城を全て破却しているが、仙台の伊達家の場合は、加賀の前田家における小松の城などとともに、領域の南を守る白石城が特別に残されました。
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> そのような事情から白石城では天守に相当する櫓を「大櫓」と呼び、城主片倉家の日記の中でも、天守とは記していません。<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     そのような事情から白石城では天守に相当する櫓を「大櫓」と呼び、城主片倉家の日記の中でも、天守とは記していません。
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 明治維新には戊辰戦争の際、薩長連合に対抗するための奧羽越列藩同盟(三十一藩)の盟約が白石城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城されました。<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     明治維新には戊辰戦争の際、薩長連合に対抗するための奧羽越列藩同盟(三十一藩)の盟約が白石城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城されました。
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> その後、按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の転換期には一役を担う重要な城でした。<br />

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     その後、按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の転換期には一役を担う重要な城でした。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /><br /> ^○^  ^○^

    ★白石城/宮城県白石市益岡町

     ^○^  ^○^

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br />・片倉 景綱(小十郎)の生涯<br /> 永禄10年(1567年)、主君の輝宗に嫡子の政宗が産まれると、景綱の姉、喜多は政宗の「乳母」を拝命しました。

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
    ・片倉 景綱(小十郎)の生涯
     永禄10年(1567年)、主君の輝宗に嫡子の政宗が産まれると、景綱の姉、喜多は政宗の「乳母」を拝命しました。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 天正年間初め頃、伊達家の城下米沢で大火あり、そのときの景綱の活躍が認められ、輝宗の徒小姓として仕えることとなりました。

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     天正年間初め頃、伊達家の城下米沢で大火あり、そのときの景綱の活躍が認められ、輝宗の徒小姓として仕えることとなりました。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> その後、遠藤基信の推挙によって天正3年(1575年)に政宗の近侍となり、のち重臣として重用されるようになります。<br /><br />

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     その後、遠藤基信の推挙によって天正3年(1575年)に政宗の近侍となり、のち重臣として重用されるようになります。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 天正13年(1585年)の人取橋の戦いや天正16年(1588年)の郡山合戦、天正17年(1589年)の摺上原の戦い、天正18年(1590年)の小田原征伐、文禄2年(1593年)の文禄・慶長の役、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いなど政宗の主要な戦争の大半に参加して、いずれも伊達氏の危難を救っています。

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     天正13年(1585年)の人取橋の戦いや天正16年(1588年)の郡山合戦、天正17年(1589年)の摺上原の戦い、天正18年(1590年)の小田原征伐、文禄2年(1593年)の文禄・慶長の役、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いなど政宗の主要な戦争の大半に参加して、いずれも伊達氏の危難を救っています。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 小田原征伐に際しては豊臣秀吉方へ参陣するよう述べ、伊達政宗に小田原参陣を決意させました。<br /><br />

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     小田原征伐に際しては豊臣秀吉方へ参陣するよう述べ、伊達政宗に小田原参陣を決意させました。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> また、城代においては安達郡二本松城在番、信夫郡大森城主、奥州仕置き後は、佐沼城主、亘理城主などに任ぜられました。<br /><br />

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     また、城代においては安達郡二本松城在番、信夫郡大森城主、奥州仕置き後は、佐沼城主、亘理城主などに任ぜられました。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 景綱は伊達氏の対外交渉における取次を担当し、伊達政宗の発給した外交文書の多くには景綱の副状が添えられています。<br /><br />

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     景綱は伊達氏の対外交渉における取次を担当し、伊達政宗の発給した外交文書の多くには景綱の副状が添えられています。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 関ヶ原の後の慶長7年(1602年)、主君・政宗が仙台藩主になると一国一城令が敷かれる中、特例として残された白石城1万3000石の城主を賜りました。<br /><br />

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     関ヶ原の後の慶長7年(1602年)、主君・政宗が仙台藩主になると一国一城令が敷かれる中、特例として残された白石城1万3000石の城主を賜りました。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 慶長19年(1614年)からの大坂の陣では病床に臥していたため、政宗に従うことができず、嫡子の重長(重綱)を参陣させました。元和元年(1615年)、病のために死去。享年59。<br />

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     慶長19年(1614年)からの大坂の陣では病床に臥していたため、政宗に従うことができず、嫡子の重長(重綱)を参陣させました。元和元年(1615年)、病のために死去。享年59。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 白石城三階櫓(天守閣)は、平成7年(1995)3月に復元されました。明治7年(1874)に取り壊されて以来120年ぶりの再建です。

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     白石城三階櫓(天守閣)は、平成7年(1995)3月に復元されました。明治7年(1874)に取り壊されて以来120年ぶりの再建です。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 三階櫓(天守閣)は昔ながらの工法を用い、補強金具は使われていません。<br /> 木材は柱が吉野檜、化粧材は青森ヒバ、山陰地方の松丸太、赤杉とすべて国産材で造られています。

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     三階櫓(天守閣)は昔ながらの工法を用い、補強金具は使われていません。
    木材は柱が吉野檜、化粧材は青森ヒバ、山陰地方の松丸太、赤杉とすべて国産材で造られています。

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 大手門

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     大手門

  • ★白石城/宮城県白石市益岡町<br /> 天守閣

    ★白石城/宮城県白石市益岡町
     天守閣

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 白石城の北側のある片倉家中武家屋敷へやって来ました。<br /> 

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     白石城の北側のある片倉家中武家屋敷へやって来ました。
     

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 宮城県指定文化財の片倉家中武家屋敷は、後小路に佇んでいます。

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     宮城県指定文化財の片倉家中武家屋敷は、後小路に佇んでいます。

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 武家屋敷前を流れる小川に梅花藻が見られました。

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     武家屋敷前を流れる小川に梅花藻が見られました。

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 梅花藻 花を咲かせるときれいです。

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     梅花藻 花を咲かせるときれいです。

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> ここは白石城北、三の丸外堀に当たる沢端川に面した町並みで、中級武士の屋敷があったところで、現在も静かな住宅地です。<br /> <br />

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     ここは白石城北、三の丸外堀に当たる沢端川に面した町並みで、中級武士の屋敷があったところで、現在も静かな住宅地です。
     

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> この屋敷は、宝暦十一年(1761年)の白石城下絵図に「小関右衛門七」とあり、鬱蒼とした庭樹でおおわれ、前面、側面を清冽な水流が巡り、景観にも優れたものがあります。<br /> 

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     この屋敷は、宝暦十一年(1761年)の白石城下絵図に「小関右衛門七」とあり、鬱蒼とした庭樹でおおわれ、前面、側面を清冽な水流が巡り、景観にも優れたものがあります。
     

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 解体時に発見された「享保15年2月12日」(1730)の墨書によって、260余年前の古建築であることが明らかになりました。<br />

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     解体時に発見された「享保15年2月12日」(1730)の墨書によって、260余年前の古建築であることが明らかになりました。

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 庭先に彼岸花が咲いていた。

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     庭先に彼岸花が咲いていた。

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 平成三年(1991年)に母家・門・塀が小関家から白石市に寄贈されたのを機に全面的修復されました。<br />

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     平成三年(1991年)に母家・門・塀が小関家から白石市に寄贈されたのを機に全面的修復されました。

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 主屋は北面して建っています。桁行7.5間(けん)、梁行4.0間(けん)の直(す)ご家(や)で、土台のない石場建。

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     主屋は北面して建っています。桁行7.5間(けん)、梁行4.0間(けん)の直(す)ご家(や)で、土台のない石場建。

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 台所廻りは大壁造となっています。

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     台所廻りは大壁造となっています。

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 広い一室構成の「ちゃのま」(おかみ)

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     広い一室構成の「ちゃのま」(おかみ)

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 屋根は寄棟造、茅葺で裏手に櫛形の煙出し破風が付いています。

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     屋根は寄棟造、茅葺で裏手に櫛形の煙出し破風が付いています。

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 座敷廻りは真壁造り 「なかま」と呼ぶ正座敷

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     座敷廻りは真壁造り 「なかま」と呼ぶ正座敷

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 広間型三間取(さんまどり)

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     広間型三間取(さんまどり)

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 小関家と享保15年の創建期との関係は必ずしも明確ではないが、小関家の初代太右衛門元成は松前八之助家中の小関弥右衛門元直の次男で、延宝8年(1680)、松前家から片倉四代村長に嫁した少林院市子(いちこ)の方の添人として白石に来て、はじめて片倉家中となりました。元成12歳の時といいます。

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     小関家と享保15年の創建期との関係は必ずしも明確ではないが、小関家の初代太右衛門元成は松前八之助家中の小関弥右衛門元直の次男で、延宝8年(1680)、松前家から片倉四代村長に嫁した少林院市子(いちこ)の方の添人として白石に来て、はじめて片倉家中となりました。元成12歳の時といいます。

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 宝暦11年(1761)に作成された白石城下絵図を写した図面で、白石城北、三の丸外堀沿いに「小関右衛門七」とあるのを見つけることができます。

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     宝暦11年(1761)に作成された白石城下絵図を写した図面で、白石城北、三の丸外堀沿いに「小関右衛門七」とあるのを見つけることができます。

  • ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町<br /> 宮城県は初めて訪れた地でした。

    ★武家屋敷旧小関家/宮城県白石市益岡町
     宮城県は初めて訪れた地でした。

  • ▼東北自動車道白石インタON<br /> 東北自動車道、次の訪問地は白河小峰城跡(福島県白河市郭内)です。<br /><br />  THE END.  つづく・・・

    ▼東北自動車道白石インタON
     東北自動車道、次の訪問地は白河小峰城跡(福島県白河市郭内)です。

      THE END.  つづく・・・

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