2007/06/06 - 2007/06/07
123位(同エリア384件中)
ベームさん
3日目、6/6。
朝サン・マロを少し散策、モン・サン・ミシェルを見た後トゥールに一泊しました。
4日目、6/7。
ロワールの古城とシャルトル大聖堂を回りパリに帰ります。
トゥール~シュノンソー城~アンボワーズ城~ブロワ城~シャンボール城~シャルトル大聖堂~パリ。
2泊3日でノルマンディーとサントル・ロワールを駆け足で巡りました。物足りない面はあるものの効率的です。まあこれがツアーのメリットでもありデメリットでもあるのですね。
写真はシャンボール城。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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3日目、6/6。
モン・サン・ミシェルからトゥールへバスはひた走ります。 -
途中ル・マンで休憩。
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トゥール駅前。
モン・サン・ミシェルのレストランを出てから約4時間でした。ロワール地方の中心都市でロワール古城巡りの拠点です。
駅のそばの近代的なホテルに到着、皆バスを降り良いホテルだと喜んでいると様子がおかしい。しばらくして添乗員さんが「ホテルを間違えました。またバスに乗ってください」。皆ぞろぞろとバスに乗り込みました。 -
次に着いたのは駅からかなり離れた場末のホテル。エクスプレス・ホリディ・イン。落差の大きさに皆がっかり。HISのツアーも来ていました。
ホテル着17:40。 -
サン・マルタン聖堂。
お粗末な食事もそこそこに一人で街に出かけました。
レセプションで町の中心までは歩いて30分かかると言われましたが、明日はすぐトゥールを発つのでちょっとでも町を見たかったのです。速足で歩くと30分もかかりませんでした。 -
サン・マルタン聖堂。
トゥールの司教聖マルタンの墓の上に建てられたバジリカです。
マルタンは4世紀ころのローマの軍人でした。ある寒い雪の日、寒さに震える乞食に自分のマントを半分切り裂き与えました。その乞食はキリストだったのです。マルタンはキリスト教に入信し布教に努め、数々の奇跡を顕しました。馬に乗って自分の衣を剣で切り裂くマルタン像は教会、博物館などでよく見かけます。
この建物自体は19世紀末のものです。 -
聖堂の後ろにあるシャルルマーニュの塔。
次の時計塔と共に当初のバジリカの唯一の遺構です。11〜12世紀。 -
時計塔。
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プリュムロー広場。
聖マルタン聖堂の少し先にあるトゥールの中心。夜の9時過ぎというのにまだこの賑わいです。
暗くなると帰りが怖いのでここまで来てホテルに帰りました。帰り道に若者が数人たむろしているところがあり、弱気を見せたらいけないと思い(内心ドキドキしながら)堂々と胸を張って通り過ぎました。 -
4日目、6/7。
トゥールのホテルを8時に出て8:45、シュノンソー城到着。
今日は曇りから雨の一日でした。 -
シュノンソー城。
9時開門まで待ちます。 -
鬱蒼とした木立の道を進みます。
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木立が切れると目の前が開けて、
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シュノンソー城が現われました。
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代々女性の城主が続いたため「6人の奥方の城」と言われます。
特に有名なのがアンリ2世の妃(正妻)カトリーヌ・ドゥ・メディシスとアンリ2世の寵姫(愛妾)ディアーヌ・ドゥ・ポワティエです。
最初アンリ2世は城をディアーヌに与えましたが、アンリ2世の死後カトリーヌはディアーヌを城から放り出し自分が城主に納まりました。 -
城で一番古いマルケの塔。
1階に売店があり絵葉書を買いました。 -
シェール川に美しい姿を落としています。
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川の上の回廊部分はカトリーヌが造ったそうです。
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マルケの塔と館とシェール川。
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ディアーヌ・ドゥ・ポワティエの庭園。
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カトリーヌ・ドゥ・メディシスの庭園。
ディアーヌのに比べると小さいです。よくカトリーヌが我慢したものです。 -
召使の住居?
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シェール川。
ロワール川の支流、トゥールの先でロワール川に注ぎます。 -
城内に入ります。
礼拝堂。 -
護衛兵の間のタピスリー。
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ディアーヌ・ドゥ・ポワティエの部屋。
なぜかカトリーヌ・ドゥ・メディシスの絵があります。全て恩讐の彼方に、あの世で仲良く暮らしているのでしょうか。 -
ディアーヌ・ドゥ・ポワティエの部屋。
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狩りの女神ディアナに扮したディアーヌ・ドゥ・ポワティエ。
ディアーヌ60歳ころの絵といいます。ディアーヌはアンリ2世より20歳も年上だったそうです。若さを保つ秘訣は何だったのでしょう。
またディアーヌはアンリ2世の父フランソワ1世の思召しも厚かったとの話もあります。 -
ルイーズ・ド・ロレーヌの部屋。
アンリ3世の妃。 -
ルイーズ・ド・ロレーヌの部屋。
夫アンリ3世の暗殺後彼女は白い喪服を着て生涯をこの城で過ごしました。 -
ファン・ロー作「三美神」。
ルイ15世の愛妾たちがモデルという。 -
ルイ14世のサロン。
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左:フランソワ1世の紋章サラマンダー。
右:妃クロード・ド・フランスの紋章白いたち。 -
ルイ14世。
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5人の王妃の部屋。
カトリーヌ・ドゥ・メディシスの2人の実娘、3人の義娘はいづれも王妃になっています。
実の娘2人。
マルグリット・ド・ヴァロワ=アンリ4世妃。王妃マルゴといわれ悪名高い。
エリザベート・ド・フランス=スペイン、フェリペ2世妃。
義理の娘3人。
マリー・スチュアート=フランソワ2世妃。同時にスコットランド女王。
エリザベート・ドートリッシュ=シャルル9世妃。
ルイーズ・ド・ロレーヌ=アンリ3世妃。
すはなち3人の息子の嫁です。3人の息子はすべて王になったので嫁はすべて王妃になりました。 -
ナティエ作「デュパン夫人」。
フランス革命時の城の持ち主。彼女の日ごろの行いで住民に慕われ城は略奪を免れたと云います。文人、芸術家の保護者でもありました。 -
シェール川に架かる回廊。
カトリーヌ・ドゥ・メディシスが増設。 -
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ディアーヌ・ドゥ・ポワティエ。
ウィキペディアより。 -
同。
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アンボワーズ城。
優美なシュノンソー城を後にしロワール川を遡ります。次は無骨なアンボワーズ城です。城には寄らず対岸の中州から眺めるだけ。 -
元々は要塞として造られシャルル8世が城館に改造。
血なまぐさい歴史を持ちます。幼少のフランソワ2世下の1560年の旧教徒による新教徒の大虐殺です。新教徒による時の旧教徒の首魁ギーズ公暗殺計画が暴露し、王をも凌ぐ実力者のギーズ公は1500名もの新教徒を捕えこの城で虐殺したのです。その後の王たちは血塗られたこの城に近寄らなくなったそうです。 -
ロワール川。
フランス第一の大河。西に流れ流れてナントの先で大西洋に注いでいます。 -
城内にはレオナルド・ダ・ヴィンチの墓のある礼拝堂があります。
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ロワール川に架かる橋。
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アンボワーズのロワール川。
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アンボワーズ城を眺めた後バスはブロワ城に向け走ります。
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かすかに見える城はロワール川を見下ろすショーモン・シュル・ロワール城。
シュノンソー城を追われたディアーヌ・ドゥ・ポワティエが暫時住んだ城。 -
12時ころブロワ城到着。
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外から眺めるフランソワ1世棟です。
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ブロワ城にも数々の歴史があります。
1429年4月、オルレアン解放のためジャンヌ・ダルクがここから出陣した。
1588年、新教徒に理解的だったアンリ3世が、王位をも狙おうとする旧教徒の親玉ギーズ公(アンボワーズ城の新教徒虐殺事件のギーズ公の息子)をこの城におびき寄せ暗殺した。
1589年、カトリーヌ・ドゥ・メディシスはこの城で亡くなった。
1619年、息子ルイ13世との権力争いに敗れたアンリ4世の未亡人マリー・ド・メディシスが幽閉されていたこの城から脱出に成功。 -
フランソワ1世棟に沿って坂を上ると、
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中庭に出ます。
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正面にルイ12世棟があります。城への入り口です。
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騎馬像はルイ12世。
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城内には入らないので柱の間からせこく中を覗き込みました。
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ツアーの悲しさです。
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フランソワ1世棟の螺旋階段が見えました。
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シャンボール城で見かけた小学生の一団。
ブロワ市内のレストランで昼食をとったあとシャンボール城に向かいます。ブロワから約30分。雨が強くなってきました。 -
シャンボール城。
コソン川側。 -
元狩猟用の城があった所に1519年フランソワ1世が城館の建設に取り掛かった。完成は息子のアンリ2世の時代。
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庭園側。
ここも外側から眺めるだけ。有名な2重の螺旋階段は見られませんでした。 -
幅155m、奥行き117m、部屋数440。
ロワールの古城では最大。 -
煙突の数だけ部屋がある。
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林立する煙突。煙突の数だけ部屋がある。
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これほどの大きな城館ですが代々の王は戦争に明け暮れていたためあまり使用されなかったと言われます。したがってほかの城のようなエピソードは無いようです。
私個人としては世界遺産でただ大きなだけのシャンボール城より過去の色々な出来事の舞台となったシュノンソー城やアンボワーズ城の方に関心を持ちます。 -
アンボワーズ城、ブロワ城、シャンボール城は外からだけの眺めに終わりましたが駆け足のツアーでは仕方がないでしょう。
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今日最後の訪問地シャルトル大聖堂です。
シャンボール城から2時間、バスの窓から遠くに大聖堂の尖塔が見えたときは感動しました。 -
大聖堂の手前の広場に建つモニュメント。
祖国のために死んだウール・エ・ロワールの子供たちの記念碑。 -
シャルトルの町。
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シャルトルのノートルダム大聖堂。
パリ南西80キロ、ボース平野の真ん中にありパリから近づいても遠くからそれと見分けられる。春、学生たちがパリから歩いてシャルトル大聖堂を目指すという。 -
1145年建築が始まり1194の大火を経て1220年完成。
右の塔は当初からのもので高さ105m。左は16世紀のゴシック様式で高さ113m。フランスの代表的なゴシック建築。 -
聖母マリアの衣を聖遺物として持ち、最大の聖母マリア巡礼地。
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飛梁。
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タンパン。
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堂内が暗くシャルトルブルーのステンドグラスも良く写りません。
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安物のデジカメの悲しさ。
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美しいシャルトル大聖堂。
WEBからいただきました。 -
私の写真があまりにも不出来なのでWEBから綺麗な写真を借用しました。
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17時20分にシャルトルを発ち19時10分パリ着。駆け足でしたが効率的に沢山の名所を見ることが出来ました。
これで運転手さんともお別れなのでめいめい気持ちだけお礼を渡す。友人と私は2人分として5ユーロ渡しました。 -
今日のホテルは地下鉄8号線の終点、バラール駅の近く、ソフィテル・ポルト・ドゥ・セーヴル。四つ星で旅行会社のランクはAクラスです。
食堂です。Aクラスだけあってなかなか豪華でした。
めいめいが飲み物を注文しめいめいで払うのでウエイターは大変ですが、めいめいからチップが入るのでにこやかなもんです。メモにはこの日だけでワインとビールに17ユーロも払っていました。
明日はルーヴル美術館とヴェルサイユ宮殿。 -
ホテルソフィテル・ポルト・ドゥ・セーヴル。
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